【東京都府中市】「白糸台」の地名由来~東京北多摩の歴史散歩~
府中市「白糸台」。
江戸時代に上染屋村、下染屋村、車返村と称し、車返村の古名を白糸村というそうです。
染屋・白糸という地名は、昔から蚕を飼い絹糸を作り、世田谷の砧で糸をさらし、上染屋や下染屋で糸を染め上げて、八王子の織屋に送り、これを国府に納めたと言われているそうです(^^)
「白糸台」の地名由来
府中市「白糸台」の地名由来は、製糸や布染めに由来するようです。
この地域は昔から蚕を飼い絹糸を作っており、それを世田谷の砧に送り、糸をさらし、それを上染屋、下染屋にまわし、糸を染め上げて、八王子の織屋に送り、これを国府に納めたものである、という言い伝えがあります。
旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕(白糸台2丁目17番地)
太平洋戦争の末期、帝都防空の拠点であった調布飛行場の周辺では、戦闘機を空襲から守るための掩体壕が有蓋・無蓋合わせて約130基造られたといわれています。
現存している有蓋掩体壕は三鷹市に2基、府中市に2基の計4基のみで、そのうちの1基が白糸台掩体壕です。
2008年に市の史跡に指定され、保存整備工事を経て2012年より一般公開を開始しました。
その大きさから、三式戦闘機「飛燕」を格納していたと考えられ、発掘調査では戦闘機のタイヤの痕跡や誘導路、砂利敷き、排水設備等も確認されています。
「銅像阿弥陀如来立像」安置:上染屋不動尊(白糸台1丁目11番地)
白糸台の上染屋不動尊には国指定重要文化財の「銅像阿弥陀如来立像」が安置されています。
像高48.8cm、台座12cmの小さな仏像で、円満・優美な相貌を持っています。
背中の銘から、弘長こうちょう元(1261)年に上州八幡庄(群馬県)の友澄ともずみ入道によって鋳造されたことがわかります。
毎年、東京文化財ウィーク期間中の11月3日(祝)に一般公開が行われています。
車返八幡神社(白糸台6丁目33番地)
府中市の白糸台にあるパワースポット、車返八幡神社。
読み方は「くるまがえしはちまんじんじゃ」です。
京王線の武蔵野台駅から東にすぐの場所にある神社です。
そして、「車返(くるまがえし)」というのはなかなか変わった地名だな~と思い調べてみたところ、どうやら源頼朝に由来しているみたいです。
薬師如来像を安置したという本願寺は、車返八幡神社に隣接しています。
ご祭神は品陀和氣命(ほんだわけのみこと)です。
誉田別尊などとも表記され、第15代天皇である応神天皇と同一です。
武神である八幡神と同一でもあります。
創建の年代は定かではありませんが、安土桃山時代ともいわれています。
源頼朝が奥州征伐より持ち帰った薬師如来像を祀った、本願寺というお寺の守護神として創建されました。
本願寺の境内に勧請され、村民より厚く信仰されたそうです。
江戸時代には車返村の鎮守社でした。
現在は、調布にある國領神社の兼務社となっています。
例大祭で使われる山車は、精巧な彫刻でも知られています。