【東京都昭島市】「拝島」の地名由来と昭島市の歴史スポット~東京北多摩の歴史散歩~
昭島市「拝島」。
拝島という名の語源は複数あるのですが、その一つの説。
952年、洪水により多摩川上流の日原村の日原鍾乳洞に安置されていた大日如来像が玉川花井の島(大神の中州)に流れ着き、打ち上げられた尊像は村人らに拝まれるようになり、この地域に拝島と呼ぶようになったそうです。
「拝島」の地名由来
952年の洪水により多摩川上流の日原村日原鍾乳洞に安置されていた大日如来像が大神の中州の島に流れ着き、尊像は村人らに拝まれるようになり、お堂を建てて坐像を安置しました。
その後この地域が「拝島」という地名になり、滝山城築城時に、城の鬼門よけとなる現在の位置に大日堂を遷し、坐像を祀ました。
なお、昭島市の名前は、昭和町の「昭」と拝島村の「島」をとってつけられたものです。
昭和町
江戸時代から明治初期にかけて、市域には、東から郷地村・福島村・築地村・中神村・宮沢村・大神村・上川原村・田中村(作目村を含む)・拝島村の9つの村があり、明治22年の市制町村制によって9か村での組合村となりました。
明治35年には拝島村が分離独立し、その後、残りの8つの村は合併して昭和3年に「昭和村」となりました。
特に軍施設が集中し人口も急増した昭和村は、昭和16年に町制を施行して「昭和町」となりました。
アキシマクジラ
昭和36年(1961年)8月20日、市域の多摩川(JR八高線多摩川鉄橋の下流)の河川敷から、約200万年前(前期更新世177から195万年前)のクジラの化石がほぼ完全な形で発見されました。
化石の全長は約13.5メートル、コククジラの仲間ですが、現生のものとは異なる種類であったことから、「アキシマクジラ」と名付けられました。
このことから、市内にはクジラをモチーフにしたものがたくさんあります。
拝島大日堂
天台宗寺院の拝島大日堂は、拝島山密厳浄土寺と号します。
拝島大日堂は、天暦6年(952)の多摩川洪水の際に中州に流れ着いた大日如来の木像を、大神の浄土にあった浄土寺に安置、滝山城築城の折にその鬼門除けとして、当地に移したといいます。
天正年間(1573-1591)には北条氏照の家臣石川土佐守の娘於ねいの眼病を祈願、井戸で眼を洗ったところ平癒したので、堂字を再建、8寺院を建立、天正19年(1591)には徳川家康より10石の御朱印状を拝領したといいます。
おねいの井戸
大日堂境内にのぼる階段脇にある「おねいの井戸」。
室町時代の末期、約400年前、滝山城主・北条氏照の重臣石川土佐守は、娘おねいの眼病平癒を大日堂に祈願し、この清泉で洗眼したところたちまち治ったと伝えられています。
拝島のフジ
昭島市拝島町一丁目、大日堂前の平地に広がる拝島公園の一角に、広さ約300㎡を超える大きな藤棚があります。
このフジが「拝島のフジ」です。
フジはマメ科のツル性落葉低木で、本州中部以西の山野に自生するほか、観賞用として広く栽培されています。
別名「千歳のフジ」とも呼ばれるこの「拝島のフジ」は、室町時代末期、この地にあった明王院の境内に自生していたとされています。
都内でも有数のフジの巨樹で、樹齢は800年とも言われているこの「拝島のフジ」は、かつてよりは樹勢の衰えが見られますが、それでもなお、毎年4月下旬頃になると藤色の花を咲かせます。