(adsbygoogle = …
大國魂神社の祭りと言えば、例大祭「くらやみ祭」が有名ですが、夏と秋にも興味深い祭りがあります。
それが「すもも祭」(7月)と「くり祭(秋季祭)」(9月)です。
夏の風物詩として、大國魂神社近郷近在の人々より親しまれている『すもも祭』は毎年7月20日に斎行されます。
その起源は源頼義・義家父子が、奥州安倍氏平定(前9年の役)途中、大國魂神社に戦勝祈願をし、戦に勝ち凱旋の帰途、戦勝御礼詣りのためこの祭が起こりました。
その際神饌の一つとして李子(すもも)を供え、境内にすもも市がたつようになったのが、この祭りの名前の由来です。
スモモは古来より悪鬼を払う果物とされていました。
当日は五穀豊穣や悪疫防除・厄除として信仰されている「からす団扇」と「からす扇子」が頒布されます。
これで扇ぐと農作物の害虫は駆除され、病人は平癒し、玄関に飾ると魔を祓い家に幸福が訪れるとされます。
また参道にはすももを売る店をはじめ多数の露天商約120軒が軒を連ねます。
「からす扇・からす団扇」の起源は、五穀豊穣・悪疫防除の意味からで、その扇や団扇で扇ぐと害虫は駆除され病気は平癒する、という深い信仰があるからです。
そのいわれは今から約1200年前、大同2年(807年)に「古語拾遺(こごしゅうい)」の神話から出ているそうです。
『古語拾遺』は、平安時代の神道の資料のひとつです。
その時代まで伝承されてきた「古事記」や「日本書紀」などの神話と祭祀にまつわる問題点を示し、その最後に御歳神(みとしがみ)の祭祀伝説を加えたという構成のものと言われています。
「からすの団扇」の由来は、以下です。
「神代の昔、大地主神が田植えをなさる時に、早乙女や田夫らを労うために牛肉をご馳走した。ところが御歳神の御子がそれをご覧になって家に帰ってそのことを御父にお告げになった。御歳神は、これをお聞きになり非常にご立腹なされて、田にイナゴを放ち、苗の葉をことごとく 喰い枯らせてしまった。大地主神は大変に驚かれて、何か神の崇りであろうといって卜者を呼んで 占わせてみたところが<これは御歳神の崇りであるから宜しく白猪、白馬、白鶏を献じて お詫びするのがよろしい、されば怒りも解けるであろう>とお告げがあったので、その通りに したところお怒りが解けたばかりではなく、蝗の害を駆除する方法も、いろいろと教えて下された。その方法の中に「烏扇をもって扇げ」と、お教えなさったのである」
烏の扇は、 御歳神が放ったイナゴを駆除するためのものだったと言われています。
これらの神話から「からすの団扇」は、五穀豊穣・悪疫防除として信仰されてきたそうです。
「すもも祭」は府中市大國魂神社にて毎年7月20日に開催されます。
大國魂神社の秋季祭である「くり祭」はその名の通り「栗」の祭です。
その始まりは1738年にまでさかのぼります。
秋季祭は武蔵六所宮御太々神楽の創立を起源としていて、一時中断された時期があったものの、再び現在まで続いている歴史ある祭です。
現在のように「くり祭」と称されるようになったのは江戸時代。
武蔵野では良質の栗がよく採れ、かつ保存食としても重宝されていたため、徳川家に献納されるようになりました。
この時季と太々神楽の時期が重なり、いつしか「くり祭」と呼ばれるようになったそうです。
例年9月27日が宵祭、9月28日が本祭で、期間中に境内に灯される約260本もの行灯もこの祭の特徴です。(点灯は17時頃~21時ごろ)
秋の夕暮れの中ともる行灯は幽玄な風情が、夏祭りのにぎわいとは違う味わいがあるとして参拝者に好まれています。
この行灯は大正14年から始まり、今は手書きの奉納画が描かれ、祭の夜をやわらかく盛り上げてくれています。
かつては献納されていた栗ですが、現在では祭の露店で購入できます。
神楽殿で伝統的な舞や笛などが奉じられ、狂言も披露されます。
けやき並木など神社周辺では府中囃子(ばやし)保存会による山車が巡行します。
「くり祭」は府中市大國魂神社にて毎年9月27日、28日に開催されます。