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調布市深大寺に城があったそうです。
深大寺城趾は16世紀前半、南関東を舞台に繰り広げられた小田原北条氏と上杉氏の攻防の中で、扇谷上杉氏が築造。戦国時代の城館跡です。
今は神代植物公園の附属施設である「水生植物園」にあります。
調布市深大寺と言えば、だるま市でも有名です。
その深大寺近くに、城がありました。
深大寺城は16世紀前半、南関東を舞台に繰り広げられた小田原北条氏(後北条氏)と上杉氏の攻防の中で、扇谷上杉氏が築造した戦国時代の城です。
文献に深大寺城の名が見えるのは戦記物『河越記』が初見とされ、『相州兵乱記』『北条記』『北条五代記』『鎌倉九代後記』にも記述がみえます。
それらによると、深大寺城は、大永4年(1524)北条氏綱によって重要拠点の江戸城を奪取された扇谷上杉朝興の息子朝定が、家臣の難波田弾正に命じて天文6年(1537)、多摩川を挟んで北条氏方の拠点の一つであった小沢城跡に対抗する位置に所在する「深大寺のふるき郭」を再興したものとされます。
しかし北条氏綱は深大寺城を攻めずに同年7月、直接扇谷上杉氏方の河越城を攻め、朝定は松山城跡に敗走しました。
これによって一気に勢力図は塗り替えられ、深大寺城の軍事的意義は喪失、そのまま廃城となったと考えられます。
扇谷上杉氏系の築城技術を残す希少な城跡として考えられ、また関東における戦国大名や城郭の変遷を知るうえでも貴重なことから、平成19年に国の史跡に指定されました。
深大寺城は3つの郭が直線上に配置された連郭式縄張りの中世城郭ですが、都市近郊にありながら腰郭、土塁、空堀などの遺構が良好な形で残っており、城郭の大部分は都立植物公園の分園、水生植物園として城跡を保存しながら整備・公開されています。
水生植物園は都立神代植物公園に付属している水生植物を集めた植物園です。
神代植物公園と深大寺を挟んだ位置にあります。
かつては水田でしたが、環境保全の目的で昭和60年に水生植物園として開園したそうです。
豊富な湧水のある谷戸地形を利用して回遊式の水生植物庭園としたものです。
都立神代植物公園は有料ですが、水生植物園は無料です。
園内は木道で整備され湿地の上を歩いて回ることができます。
5月下旬頃から梅雨時期にかけて、花菖蒲田では花菖蒲が無数に咲き乱れ、見ごろになります。
この時期は紫陽花も見ごろになり、カメラを構えた人たちが多く訪れます。
施設としては何もありませんが、水辺には蛙や亀、ドジョウやザリガニなどの水棲生物もみることができます。
またそれを食べに来るサギなどの水鳥がよく姿を現します。
水棲植物園の丘をあがると、深大寺城趾の広場が広がっています。