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【東京都東村山市・小平市】東村山市「廻田町」と小平市「回田町」の地名由来~東京北多摩の歴史散歩~
東村山「廻田町」(めぐりたちょう)地名由来。
この土地は狭山丘陵を取り囲む様に新田を開拓、隣村と行き来するために田から田を廻っていたことから「廻っ田の先の村」と呼ばれ「廻田町」となったと言われています。
尚、小平市の「回田町」はこの廻田村に土地を売り渡したことに由来するそうです。
東村山市「廻田町」(めぐりたちょう)。
西武多摩湖線「武蔵大和駅」や「多摩湖」、「都立狭山公園」も近く、住みやすい土地ですね。
この「廻田町」の地名由来は、道興准后の記した「廻国雑記」からみえることができます。
廻田に古くから暮らしていた人々は、その居を狭山丘陵の山あいに定め、丘陵をとりかこむような形で開拓していきました。
そのため、隣村と行き来するためには、田から田を廻っていたそうです。
そうしたことから、「廻っ田の先の村」 という言葉が生まれ、回田とかかれたことが最初だと言われています。
狭山丘陵のふもとに位置するこの地域には、太古の昔から豊かな自然の恵みのもとに、人々は村落をつくり生活していた営みの跡は、中の割遺跡などに見られます。
歴史のある土地らしく、光明院、宝珠寺、金山神社などの社寺仏閣が散存し、図書館や公民館に加え、ふれあいセンターが新設され、文化都市づくりが進んでいます。
東村山市「廻田町」と小平市「回田町」。
同じ「めぐりたちょう」と読みます。
小平市「回田町」の地名の由来は、新田(当時は畑)の開発の段階で、廻り田村(東村山)に売り渡されたことに由来するそうです。
享保9年(1724)、小平の「野中新田」という新田開発として、当時は町人請負型かつ、広大な開発面積で開発が進められていました。
許可された面積513町歩を12人で分けましたが、開発仲間の中には、開発せずに、東村山の廻り田村などに売り渡し帰村した人もいたそうです。
享保11年(1726)、野中新田の採草地を東村山廻り田村から土地を購入し、廻り田(回田)新田が成立、これが小平市「回田町」の地名の由来と言われています。
その後、明治22年(1889)小川新田・鈴木新田・回田新田・野中新田与右衛門組・野中新田善左衛門組・大沼田新田・小川村と久米川の飛び地が合わさり小平村となったと言われています。
小平市「回田町」にある「小平うどん」。
新小金井街道沿いにある、コシの強い武蔵野うどんのお店です。
麺が極太、食べ応えは十分。
ここでは地粉を自家製麺所で毎日打っている本物の「武蔵野うどん」が味わえます。
豚バラたっぷりの肉汁うどんがおすすめです。