【東京都府中市】府中市「車返」(くるまがえし)の地名由来~東京北多摩の歴史散歩~

【東京都府中市】府中市「車返」(くるまがえし)の地名由来~東京北多摩の歴史散歩~

府中市「車返」(くるまがえし)の地名由来の一つ。

源頼朝が奥州藤原氏との戦いの折、藤原秀衡の薬師如来を畠山重忠に命じて鎌倉へ移送中に当地で野営した所、夢のお告げがあり、この地に仏像を安置し、車は元へ返したことに由来するといわれます。

 

 

府中市「車返」の地名由来

 

府中市にある「車返」(くるまがえし)。

車返団地でも有名ですね。

非常に変わった地名ですが、この地名由来は鎌倉時代にさかのぼります。

源頼朝が奥州の藤原氏との戦の際に、藤原氏の持っていた薬師如来像を、臣従していた畠山重忠に命じ鎌倉に持ち帰ろうとしました。

 

その帰途、現在の白糸台の辺りで夢のお告げがあり、薬師如来像を安置し、本願寺というお寺が建てられました。

その際に、そこまで薬師如来像を運んだ車を元に返したとのことで、車返という地名になったそうです。

 

また、他説では、畠山重忠が薬師如来像を運び白糸台の地まで来たところ、車が動かなくなってしまいましたが、向きを変えて車を返したところ軽々と動いたたため、という説もあるようです。

 

 

 

浄土宗寺院本願寺

 

府中市白糸台5丁目にある「浄土宗寺院本願寺」。

車返八幡神社に隣接し、京王線「武蔵野台駅」徒歩3分ほどにあります。

浄土宗寺院の本願寺は、八幡山廣徳院と号します。

本願寺は、頼朝の奥州征伐の折彼地よりもたらされた藤原秀衡の守本尊と伝えられる薬師如来を当地に祀ったことに始まったといいます。

 

その後、総州の人大久保彦四良兵火に焼かれたお堂を再建、永正13年(1516)鎌倉光明寺の教譽良懐上人を中興開山に迎えて中興開山、天正2年(1574)宮崎久兵衛尉泰重(法名廣得院殿長譽月山道鑑居士、慶長4年1599年没)が造営、江戸時代には幕府より寺領11石4斗の御朱印状を拝領したといいます。

本尊は阿弥陀三尊木像であり、開山は教誉良懐といわれています。

もとは現在の府中市第四小学校にお堂があり、大久保彦四郎が兵火で焼けていた薬師堂を再建したことから、彦四郎寺と呼ばれていました。

 

天正二年(1574)四世円良のときに宮崎泰重が大久保氏居住地である現在地に移したため、中興開山を円良とされています。

本堂は七間四方で、境内には宮崎泰重及びその子孫の墓があります。

 

 

 

武蔵野台駅は昔、車返駅だった?

 

京王電鉄京王線駅「武蔵野台駅」。

もともとは「車返駅」として開業しています。

武蔵野台駅は1916年(大正5年)10月31日に京王電気軌道の車返駅という駅名で開業。

1959年(昭和34年)6月1日に現在の「武蔵野台駅」に改名されました。

改名の理由ははっきりしたことは分かりませんが、一説では「車返」という名前から脱線や転覆が連想されて縁起が悪いからとも言われています。

武蔵野台駅という名は、周辺の地形「武蔵野台地」に因んでいるそうです。

 

 

 

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