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【東京都小平市】「たかの台」の地名由来~東京北多摩の歴史散歩~
小平市「たかの台」地名由来。
江戸時代尾張徳川家の鷹場があったことに由来するそうです。
西武鉄道国分寺線の駅「鷹の台駅」はこの地名から命名されました。
また「たかの街道」は、お鷹場の狩猟の案内道だったそうです。
小平市内には小平霊園や玉川上水の遊歩道など緑が多くあります。
小平市民総合体育館や鷹の台駅から武蔵野美術大学に向かう地域は「たかの台」という地名です。
この「たかの台」の地名由来は、江戸時代にさかのぼります。
寛永10年(1633)、徳川御三家は鷹場を将軍より拝領、尾張藩は多摩川から荒川までの多摩・入間・新座郡を鷹場としていました。
鷹狩りの他に幕府支配を強める狙いもあったと言われています。
小平市で一番最初に発達したのが小川村でした。
小川村を含む周辺一帯が尾張藩の鷹狩場であったため、延宝6年(1678年)には尾張徳川家の鷹場が設置された。
たかの台の地名はこれに由来するそうです。
尚、寛永21年(1644)の鷹狩りでは、51ヶ村が1166人の人足を出していたと言われており、当時の鷹狩りは非常に大規模なイベントの一つだと言われています。
西武鉄道国分寺線の駅「鷹の台駅」。
最寄りの大学が多い駅としても有名です。
津田塾大学、武蔵野美術大学、白梅学園大学に通学する方々の駅として、多くの学生さんも活用している駅です。
この駅名も、地名「たかの台」から命名されました。
江戸時代尾張の徳川家がこの辺りで鷹狩りをしていたことから名付けられたものです。
寛永年間以降、小川村は徳川御三家のひとつ尾張徳川家のお鷹場になっており、狩猟の案内道であったのが「たかの街道」です。
ところどころ中断していますが、小平第三中学校の北側を通り市役所の南側を経て、玉川上水にかかる寺橋に至る一条の道で、「たかの道」とも呼ばれています。
この街道はお隣の将軍家のお鷹場との境い目の道だったそうで、鷹場の境杭が建てられていたそうです。