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「志村けんの木」ってご存知でしょうか?
東村山駅東口ロータリー(グリーンバスのバス停付近)に、昭和51年、東村山市の木である「けやき」が3本植樹されました。
このけやきを「志村けんの木」と呼んでいるそうです。
「東村山音頭」を通じて、東村山市の名を全国に広めた功績ですね!
東村山市出身のコメディアンである志村けんさんは「東村山音頭」等を通じて、東村山市の名を全国に広めました。
その功績に対し、市が感謝状を贈呈したことをきっかけに、昭和51年、東村山駅東口ロータリー(グリーンバスのバス停付近)に、市の木である「けやき」が3本植樹されました。
このけやきを「志村けんの木」と呼んでいます。
『東村山音頭』は、1963年(昭和38年)に発表。
東京都東村山市(旧北多摩郡東村山町)の市制施行記念し、東村山町農業協同組合(現在の東京みらい農業協同組合)が東村山町役場の協賛を得てレコード発売した音頭。
1963年(昭和38年)東京都北多摩郡東村山町制定で、東村山町農業協同組合が発売した。作詞の土屋忠司は、当時、東京都武蔵野市水道部長。
歌はキングレコード専属の歌手三橋美智也・下谷二三子・春日八郎・大津美子を起用し、振り付けは日本舞踊家花柳徳兵衛が担当。
東村山市出身の志村けんさんが、ザ・ドリフターズの一員として出演していたTBS系のバラエティ番組「8時だョ!全員集合」での名物コーナー「少年少女合唱隊」にて「東村山音頭」をリメイクし披露、後にレコード化もされました。
オリジナルの「東村山音頭」とは歌詞・メロディともに異なり「東村山4丁目」「3丁目」「1丁目」の歌があります。
「4丁目」は正調に近い形だが、それ以降が独自に加えられており、「3丁目」はいかりや長介、1丁目は志村けんが作詞・作曲。
歌詞に出てくる「東村山○丁目」という地名は東村山市には実在しません。
当時、多くの小学生が訪れ、交番で「東村山1丁目〜4丁目」の場所を尋ねるといった社会現象が起こったそうです。
「東村山音頭」を「全員集合」で披露する事になった理由については、いかりやが著書「だめだこりゃ」で「『全員集合』のネタ作り会議の合間にメンバーで将棋を指していた際に、志村が得体の知れない歌(=オリジナルの東村山音頭)を歌いながら指すことがよくあり、将棋が優勢になるとその歌が口をついて出てくる」ことから、いっそそれをネタとして使ってしまおうとなったことがきっかけだそうです。
2001年にドリフが正式な出場歌手としては最初で最後の紅白出場を果たした第52回NHK紅白歌合戦での出場の際には、メドレー「ドリフのほんとにほんとにご苦労さんスペシャル」の中で歌唱されました。