【東京都武蔵野市】「牛丼(牛めし)松屋」松屋フーズホールディングス~東京北多摩スポット・観光・イベント・公園・大学など~

 

ご存知、牛丼「松屋」。

松屋の本社が三鷹にあることはご存知でしたでしょうか。

 

 

 

 

松屋とは?

 

 

ご存じ、松屋は牛丼(牛めし)・カレー・定食などを販売する飲食店をチェーン展開している企業です。

創業者の瓦葺利夫が、1966年(昭和41年)に東京都練馬区羽沢の住宅街に「中華飯店 松屋」を開業したのが始まり。

1968年(昭和43年)6月に江古田に牛めし・焼肉定食店としての「松屋」を開店させました。

2006年本社を東京都練馬区下石神井から東京都武蔵野市中町一丁目14番5号(三鷹駅前)に移転しています。

 

同業の他社チェーンと比較し、牛めし以外のカレーライスや定食などの比率が高いのが特徴。

「牛めし」「定食」「カレー」の三本柱でメニューを構成しています。

店舗は既に1,000店舗を超え、全国はもとより、海外でも展開。アメリカや中国、ロシアなどにも進出しています。

2015年頃より、第二の主力業態としてとんかつ店「松乃家」「松のや」の出店を加速させています。

 

本社は三鷹駅すぐ。

三鷹駅北口の駅前の本社ビル1Fには松屋関連店舗が運営していますが、新業態開発時には、真っ先に、地元三鷹の店舗で業態を確認し、好調な実績を確認して全国展開する手法が図られています。

とんかつ「松乃屋」もまずは三鷹で売り上げ動向をしっかり確認したうえで、全国展開を進めたといわれています。

 

 

 

 

 

松屋の歴足

 

 

創業者の瓦葺利夫が、1966年(昭和41年)に東京都練馬区羽沢の住宅街に「中華飯店 松屋」を開業したのが始まり。

この店は1969年(昭和44年)に閉店します。

創業者の瓦葺利夫が吉野家の味に感銘を受け、牛丼の研究を重ね独自の味を完成させます。

1968年(昭和43年)6月に東京・江古田に牛めし・焼肉定食店としての「松屋」をオープンさせました。

 

このお店は、現在の江古田店で、これが「松屋」1号店となっています。

牛丼以外のメニューが多いのは、1号店の江古田店周辺は学生や独身サラリーマンが多い場所だったため、その名残りです。

1号店の江古田店近辺は学校が多いことから昼間は学生で賑わい、ベッドタウンでもあることから夜は独身サラリーマンが戻ってくるという当時の土地柄を考慮し、学生層向けの牛めしだけではなく独身サラリーマン層向けには定食とカレーが必要と考えたそうです。

 

1975年(昭和50年)10月「有限会社松屋商事」設立。

1988年にはドライブスルー店舗を開設、1号店は武蔵村山店。

1989年「株式会社松屋フーズ」に社名変更、1990年には店頭市場(JASDAQ、現・ジャスダック)公開します。

1999年には東京証券取引所市場第二部上場、2001年東京証券取引所市場第一部上場。

 

2001年にはじめた「チキン亭」という店を発展させる形で、とんかつ「松のや」を展開。

第二の事業の柱として成長しています。

 

 

 

 

意外?!他の牛丼チェーン店との関係!

 

松屋の店舗が江古田のみだった黎明期、吉野家と肉などの材料の卸を共有していた時期があったそうです。

これは瓦葺社長が偶然立ち寄った吉野家の味に感激し、研究も兼ねて通い詰めるようになった結果、吉野家のスタッフと顔見知りになったことによるそうです。

当時の吉野家は築地の1店舗のみを経営していましたが、新橋に2号店を出す際に瓦葺を役員として誘ったものの瓦葺は恐れ多いと丁寧に辞退したといわれています。

また、2012年頃まで営業していた「牛丼太郎」というチェーン店とも関係があったそうです。

 

 

牛丼太郎は、株式会社深澤(埼玉県和光市)が経営していました。

創業者の深澤五郎は過去に松屋フーズで顧問を務めた事があったそうです。

 

深澤氏は1970年から1980年に吉野家で副社長を務め、後に松屋で顧問を務め、1983年7月に東京都中野区で「牛丼太郎」をオープン。

元々低価格路線を採り、小規模チェーンながら安価妥当な食品・サービスを提供しており、1999年12月期には売上高5億円以上を計上していました。

しかし、BSE問題の時期からカレーライスをはじめとして他のメニューを増やし対応するも、業績は悪化、2012頃のは殆どのお店を閉鎖したそうです。

いずれにしても、牛丼業界は様々なところで関係を持っていたと言えそうですね。