【東京都府中市】大國魂神社と「くらやみ祭」~東京北多摩の歴史散歩~


【東京都府中市】大國魂神社と「くらやみ祭」~東京北多摩の歴史散歩~

北多摩地域で有名な神社は、やっぱり、大國魂神社。

武蔵国の総社であり、東京五社の一社。

1900年の歴史があり、古くより武蔵国の守り神として祀られた神社です。

府中駅からも近く、便利ですね!

大國魂神社とは?

 

大國魂神社は、武蔵国の総社であり、東京都府中市に所在する神社。

東京五社の一社。

東京大神宮、靖国神社、明治神宮、日枝神社と並んで、東京五社のひとつになっています。

大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]を武蔵国の守り神としてお祀りした神社です。

この大神は、出雲の大国主神と御同神で、大昔、武蔵国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、又、医療法やまじないの術も授けられた神様で、俗に福神、又は縁結び、厄除け・厄払いの神として著名な神様です。

 

さらにご本殿の両側に合祀されているのが、小野大神、小河大神、氷川大神、秩父大神、金佐奈大神、杉山大神、御霊大神、国内諸神です。

武蔵国の一之宮から六之宮までを合わせ祀るため、「六所宮」とも呼ばれます。

 

大國魂神社ご由緒

 

創建は飛鳥時代よりも更に前、景行天皇の時代まで遡ります。

景行天皇は第12代の天皇です。

 

大國魂大神がこの地に降臨し、人々が祀った社が起源だと伝えられています。

その後、第36代天皇である孝徳天皇の時代になると、武蔵の国府(国の政務を執る場所)がここに置かれることになり、大國魂大神が武蔵国内の祭りごとなどの統括する場所となりました。

当時の社号は「大國魂神社」でした。

府中に国府が置かれることとなり、神社近辺は関東一円でも有数の政治の中心都市となります。

 

その後、源頼朝や徳川家康などにも崇敬され、社殿の造営なども行われています。

江戸時代の初期には社殿が一度焼失しましたが、その後徳川第四代将軍、家綱の命により再建され、現在に至ります。

 

明治4年には、社号も「大國魂神社」へと戻されます。

 

 

大國魂神社ご神木

 

拝殿・ご本殿を参拝したら、ぜひ足を運んで頂きたい場所があります。

それは、ご本殿の裏手にある“ご神木”です。

 

このご神木は、樹齢千年を超える大イチョウで、大國魂神社の1番のパワースポットとも言われています。

樹齢千年超だけあって迫力満点!

 

まさに神様が宿っている木という感覚が得られます。

大イチョウのご利益は、“産後の肥立ちが良くなる”です。

 

その昔、木の根元に蜷貝が生息し、母乳の出が悪い時に貝を煎じて飲むと、母乳の出が良くなるという話があったそうです。

 

 

大國魂神社例大祭:くらやみ祭

「くらやみ祭」は、創建から1900年を迎える東京都府中市の大國魂神社で、2019年4月30日(火・祝)から5月6日(月・祝)にかけて行われる最も盛大な祭り(例大祭)で、東京都の無形民俗文化財にも指定される、大変由緒ある祭事です。

くらやみ祭りは、古来からの言い伝えで、神様が神社から神輿に乗り移る時に、その姿を人目に晒すことができない、くらやみで行われなければならないという、神社の古い伝統から、現在まで続いているそうです。

 

大化の改新(645年)の頃、大國魂神社には、武蔵国の国府が置かれ、毎年、国府祭が行われてきました。

くらやみ祭りは、この国府祭りから始まったとされています。

当初はまさに暗くなった夜間に行われたことから、「くらやみ祭り」と呼ばれるようになりました。

しかし、次第に、灯りを点けるようになりました。時代の変遷を感じさせてくれます。

 

『くらやみ祭』は、4月30日に神職一行が品川海上に出向いて身を清め、神事に使われる清めの汐水を神社に持ち帰るという『品川海上禊祓式』(汐汲み・お浜降り)という神事から始まります。

さらに5月1日に大祭期間中の晴天と安全を祈願する『祈晴祭』、5月2日の神輿に付ける鏡8枚を塩で磨き清める『御鏡磨式』と続き、5月3日を迎えます。

5月3日の囃子競演、競馬式(こまくらべ) 、5月4日の御綱祭、萬燈大会、太鼓の響宴、山車行列、5月5日の例祭、『くらやみ祭』のメインとなる神輿渡御、やぶさめ式、5月6日の神輿還御と続きます。

5月3日「競馬式(こまくらべ)」は、朝廷へ献上する馬を当地で検閲していた事に由来する儀式で、1000年以上の伝統があります。

旧甲州街道の150メートル区間を、6頭の馬が3往復します。

競馬式は、武蔵国の国司が最上の馬を朝廷に献上するため、国内から良 馬を集め、選んだことに由来しています。

夜間の道路を馬が駆ける姿は美しいものです。

 

なんといってもハイライトは5月5日と5月6日に行われる、「おいで」と呼ばれる「神輿渡御(みこしとぎょ)」と、「おかえり」と呼ばれる「神輿還御(みこしかんぎょ)」です。

5月5日18:00、8基の神輿が神社本殿から発御(はつぎょ)し御旅所(おたびしょ:神の宿泊する場所)へ渡御、明くる5月6日の午前4:00、御旅所より本殿へ還御します。

夕方6時に上がる花火を合図に、神輿の先導役の大太鼓が打ち鳴らされ、渡御が始まります。

本殿と拝殿の間にあるお白州(しらす)に並んだ8基の神輿のうち、まず一之宮の神輿が出発し、あとの神輿も順番に時間差で出て行きます。

 

このとき門の中は昔の流儀にのっとり人工の照明は一切使用せず、古風に提灯だけが灯されます。

神輿が参道から境内の外へ出て行くまでに3つの門を通っていくのですが、門の中の関係もあって最初は神輿を少人数で担ぎ、門を出るごとに神輿の担ぎ棒を増やして担ぐ人数を増やしていき、最終的に1基の神輿を150人ほどで担いで「ホイサホイサ」の掛け声とともに威勢良く御旅所を目指します。

御旅所まで直線距離にして700mほどですが、神社の門を出て、旧甲州街道を通って約2時間かけて通りを練り歩きます。

担ぎ手の悲痛でご満悦な表情と、暗闇を照らす太鼓の音。

 

夜の暗闇の中で提灯の光を頼りに担がれる神輿は昼間とは違った雰囲気があり、目に見えないからこそ感じられるものもあります。

 

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