ペプチドリームは、独自の創薬プラットフォームシステムPDPS(Peptide Discovery Platform System)を活用し、特殊ペプチドによる創薬を完成させることにより、アンメット・メディカル・ニーズ(未だ有効な治療方法がない医療ニーズ)に応え、世界中にいる疾病で苦しむ方々に貢献することを目的とします。
この目的を達成するため、当社は、以下の4点を会社の企業理念として、全力でチャレンジします。
ペプチドリームは、独創的な創薬開発技術を創造し続けます。
ペプチドリームは、革新的な医薬品を創出します。
ペプチドリームは、多様な医療ニーズに応えられる医薬品を開発します。
ペプチドリームは、新しい医薬品を通じて社会に貢献します。
窪田規一。
1953年、東京都生まれ。
1976年に早稲田大学卒業後、日産自動車に入社。
1978年7月、スペシアルレファレンスラボラトリー(現 エスアールエル)入社。
2000年11月、上場企業5社が出資しDNAチップの開発を行う「株式会社JGS」設立。
設立時の同社の専務取締役、2001年4月には代表取締役社長に就任。
JGSは文部科学大臣賞を受賞するなど一定の評価を得たが、2005年解散。
同年9月、知人のアナリストの紹介で、東京大学TLOを介し菅裕明と会う。
フレキシザイム(人工RNA触媒)の話を聞いた窪田は、菅とともに事業の方向性を検討し、2006年7月に東京大学駒場地区キャンパス内の産学連携施設にペプチドリーム株式会社を設立。
同社代表取締役社長に就任した。
同社は2013年6月に東証マザーズに上場、2015年12月には東証一部に市場変更した。
2017年9月27日、同社の代表権のある会長に就任。
後任にはリード・パトリック前常務取締役が就任。
小学校5年生のときに父親が他界していたこともあり、そもそも大学に行くつもりはありませんでした。ですが、戦争で辛い体験した母親に自衛隊への入隊を強く反対されてしまい、結局、亡き父親の母校である早稲田大学の政治経済学部に進学することにしました。
エスアールエルというその臨床検査の会社に入って、本当に門前の小僧よろしく、そこで色々な仕事をさせていただいて。大学病院であるとか、複数の特に大きな官公立病院さんを全国担当いたしまして、いろんな臨床の先生方中心にお会いしていたのです。そこで医療の現場に対して、検査、診断、そして医薬品ということも含めて接する機会が多く得られることができたのです。それでエスアールエルで約20年間ぐらい本当に門前の小僧よろしく仕事をさせていただいて、医療全般に浅くではありますけれども、経験させていただいたというのが、この今のペプチドリームを起ち上げた時の一つの基礎になったのかなと思います。
松下さんの本をよく読んでいたのですが、きれい事しか書いていないように思えて、26歳のとき、松下電器に毎日電話したんですよ。半年かけ続けたら、会ってくれることになった。色々教えていただきましたよ。『仕事相手はカネやと思いなはれ。そしたら(嫌な相手でも)素直に頭を下げられるでしょ』と。あとは『商品を売ったからには100%回収しろ。それをやらないから、みんな倒産する』とかね。
それから名だたる経営者に会いました。日本マクドナルド創業者の藤田田さんからは、社外秘の経営マニュアルの中身を聞かせていただきました。パンに含まれる気泡の大きさから、お客さんがおカネを払いやすいカウンターの高さまで2万5000点のノウハウが凝縮されたものでした。本田宗一郎さんには、『寝ても覚めても何をしていても、物を作るんだったら、作ることだけをずっと考えろ!』と言われました。あの人は熱い人だと思いましたね。
特殊ペプチド創薬をすると決めてからは、薬の開発という1つのシステムを作るために必要な技術を研究し、2006年の会社設立から2010年までの間に、7つの特許をコアとした特許のポートフォリオ(資産群)を組み立てました。
最初のターゲットの探索・特定と、後半での動物試験・臨床試験はクライアントに任せ、我々は「候補化合物の創出および最適化」に集中することにしました。ですから「請負」ではなく、製薬企業とは「パートナーシップ」という形を取っています。研究開発費用や、それ以降のプロセスでも、成功したポイントごとに報酬が(製薬企業から)支払われます。さらに、薬がマーケットに投下されたら、一定のロイヤリティをもらう契約です。従来のバイオベンチャーのモデルでは、お金がかかりますし、試行錯誤しながら進めるため、年に1~2本程度しかプロジェクトができません。しかし、我々はコンスタントに50~60本のプロジェクトを実施しています。最初に条件を決めて契約を結んでいるため、プロジェクトが失敗しない限りは、いつかはすべてのお金が手に入る仕組みです。なるべく多くのプロジェクトを受託することで、1本から2本が失敗しても挽回できるようにしています。
我々が何兆円も売り上げている企業と共同研究をできているのは、この技術を我々しか持っていないからです。薬の世界ではベストワンではなく、オンリーワンでなければなりません。
我々が起業して間もない頃から、国内外の大手製薬メーカーとの共同研究、アライアンスビジネスができているのは、もちろん確固たる独自技術の開発があったからですが、その上で知財戦略を固め、マーケットにおける自分たちの「勝ちパターン」をつくったからです。
一般的な特許というのは、一つの大きな特許があります。これが大木の幹みたいなものです。そこから派生するいろいろな小さな特許というか、特許を枝葉のように広げていくという、これが一般的な形なんですね。あとは複数の特許を網の目のように形成していくというのが、よく言われる特許ポートフォリオです。私共の特許ポートフォリオは、この真ん中にありますフレキシザイム。これは先ほど申し上げた、特殊なアミノ酸をペプチドの構造の中に組み込むことができる世界唯一の物質特許であり、用途特許です。これがあります。これによって特殊なペプチドを作ることができます。でも、一つだけ作っても、これはお薬の開発には向かないんですね。複数、いっぱい作らなきゃならないんです。
今までのバイオベンチャーのビジネスモデルって、創薬系ベンチャー。お薬の種を見つけてそれをお薬にしていくというベンチャーさん。それから創薬支援系。要するに創薬、お薬を作ることを支援する、検査であるとかいろんなものをバックアップするという、そういったベンチャーさん。それから研究支援系というような、大きくは三つのカテゴリーに分かれていたと思います。私共は特別なプラットフォーム・テクノロジーがあります。ですから、種を生み出す、創薬を基盤技術として作り上げる技術を持っていて、それに創薬系をくっつけている。いわゆる創薬基盤技術系+創薬系ベンチャーとして考えております。
バイオベンチャーは長い研究開発期間と経営を両立させるのが難しく、新薬を開発するまでは赤字経営がつきものと考えられてきました。しかし、私はなぜバイオベンチャーは黒字にならないのかを考えたんです。創業当時、面白いことにほとんどのバイオベンチャーは同じビジネスモデルに立脚していました。同じビジネスモデルの事業がいっぱいあって、それらがことごとく成功していないのであれば、それはビジネスモデルが間違っているわけです。そもそもビジネスモデルにはイグジットプラン(出口戦略)が必要であり、そこに至るまでにタイムラインをしっかり組んで事業計画を考えることが重要です。しかし、多くのバイオベンチャーのビジネスモデルにはそうしたストーリーがありませんでした。そこで私たちは黒字経営を実現するために、借入や無駄な資金を扱わないで済むような分相応な体制づくりから始めました。東証1部に上場したときもオフィスは東大のインキュベーション施設を使っており、受付もありませんでした。電話をかけても誰も出ない。近くのドアを開けると、白衣を着た研究者が一生懸命仕事をしている。そこで聞くとオフィスのいちばん奥の小さな部屋を案内され、そこに社長である私がいる。そんな会社でした。ただし、分相応といってもケチなだけではいけません。必要なところには資金を投じ、そうでないところでは節約する。無理無駄はしない。いわば、基本的なビジネスのあり方を実践し、計画的にビジネスを実行してきたことが成功の要因だと考えています。
会社が上場準備に入るまで研究者以外の人間は私しかいませんでした。経理から総務、人事などありとあらゆる雑用を社長である私が1人で担当してきました。まさに雑用係。資金も限られているので、それも当然のことだと思っていました。そもそも私は40代後半でバイオベンチャーを立ち上げた経験があります。創業は2000年、大手企業など5社から資金を提供してもらい、ある種、鳴り物入りで始めたビジネスでした。しかし、数年で会社は頓挫。将来のリスクに対する準備を怠ったことが失敗の要因でした。今思えば、危険だというアラートが鳴っていたはずなのに、当時は気づきませんでした。会社には30人ほどの従業員がいましたから再就職の世話や退職金の手当てなど大変な苦労をしました。そうした経験から、会社の経営というのは、ビジネスモデル、そのタイムライン、それらを俯瞰する中で、結果としてのPL(損益計算書)やBS(貸借対照表)ではなく、そのプロセスの中で資金財務計画をつねに見なければならない。そのことを実感しました。ペプチドリームには私1人しかビジネスを見るものがいませんでしたから、毎夜会計ソフトを使って、自分自身で帳簿をつけていました。そうやってつねにお金の流れをすべて把握していたので、経営的に危機に陥ることはありませんでした。
日本にはアントレプレナーのエコシステムがないと言われます。確かにそうかもしれませんが、愚痴を言っているだけでは現状は変わりません。必ずどこかにチャンスはあるはずです。だからこそ、諦めることなく、チャレンジし続けていく。しかもガムシャラではなく、なぜうまくいかないのかをつねに考えながら、再度チャレンジし続けること。それが重要なことだと思います。
リスクを背負って、世の中にない新しいものを創造していく存在だと思っています。既存の成功例をまねるのはアントレプレナーではない。世の中にないものをつくりあげて成功させる。それがアントレプレナーのいちばん大きな素養だと思っています。
私の信条はケ・セラ・セラです。なぜなら人間は成功し続けることは絶対にできないからです。人間は多くの失敗を必ずします。そのとき反省は必要ですが、それで落ち込むのではなく、失敗を素直に認め、前を向けばいいんです。タイムマシーンもないんですから、失敗しても次に進めばいい。世の中なるようになります。何よりも先に進んでいく気持ちが大事だと思います。
「たった一人の人でもいい、病に苦しんでいる方にありがとうと言ってもらえる仕事がしたい」と。それが我々の思いなんですね。すなわち、ここでありがとうと言ってもらえるようなお薬を提供する、それがやはり我々の夢です。本当に私事になるんですけれども、私の母親もCKDと呼ばれる慢性の腎臓疾患でかれこれ20年以上ずっと病気で苦しんでいたんですね。でも本人が本当にがんばって生活を安定させたりとかで乗り切っていたんですが、最期はやはり治療が至らなくて他界してしまったんです。ですから、そういう同じように苦しんでいる方に、ちょっとでもいいから一刻も早く何かご提供したい、お薬提供できたらというのが、本当に思いですね。
たった一人の人でもいい。病気で苦しんでいる方にありがとうと思ってもらえる仕事をしたい――。これは会社を立ち上げたときからずっと思ってきたことです。私の母親も治療薬のない疾患で亡くなりました。そんな患者を一人でもなくしていきたい。そんな思いを持ち続けています。それと同時にもう1つは働いていて楽しいことをやりたいという気持ちを持ち続けていることです。
広がっていくというよりは、広げていかなければいけないと思います。日本というのは決して技術的に欧米に劣るところはありません。絶対日本の技術は素晴らしい技術がいっぱいあります。ただそれをビジネスとして産業として取り上げるということが、正直言って日本は下手です。ですから、日本の素晴らしい技術を産業に作り上げていく。
世の中には治療薬がない疾患はたくさんあります。そういった病気で苦しんでいる人に効く薬を届けたい、というのがこの会社の目的なんです。
夢は実現させるものです。そしてその夢を実現させるためには、自分自身を信じることです。そして邁進すること。これが将来の成功を約束することだと思います。
2006年7月 東京都千代田区において設立(ラボは東京大学先端科学技術研究センター内)
2006年12月 国立大学法人東京大学とフレキシザイムを中心とした包括的な第三者へのサブライセンス権付き独占実施・許諾権を取得
2007年5月 ニューヨーク州立大学とフレキシザイム開発に係る基本特許に関して第三者へのサブライセンス権付き独占実施・許諾権を取得
2007年5月 英国・Cambridge Antibody Technology Ltd.(現MedImmune Ltd.)と基礎技術に関する基礎研究契約を締結(第一次契約)
2009年3月 英国・MedImmune Ltd.と技術に関する共同研究開発契約を締結(第二次契約)
2009年3月 本社を東京都目黒区(東京大学先端科学技術研究センター内)に移転
2010年4月 本社及びラボ機能を東京都目黒区(東京大学駒場リサーチキャンパスKOL内)に移転
2010年10月 Bristol-Myers Squibb Company(米国ブリストル・マイヤーズ スクイブ社)と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結
2010年11月 AMGEN Inc.(米国アムジェン社)と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結
2010年12月 田辺三菱製薬㈱と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結
2011年9月 内閣府及び各省等主催の第10回「産学官連携推進会議」において産学官連携功労者として「日本学術会議会長賞」を受賞
2012年7月 第一三共㈱と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結
2012年9月 AstraZeneca Plc.(英国アストラゼネカ社)と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結(第三次契約:MedImmune Ltd.からの継承)
2012年9月 GlaxoSmithKline Plc.(英国グラクソ・スミスクライン社)と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結
2012年11月 Novartis Pharma AG(スイスノバルティス社)と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結
2013年1月 フジサンケイビジネスアイ(日本工業新聞社)主催の第8回「日本バイオベンチャー大賞」(後援:経済産業省、文部科学省、関西経済連合会等)において「大賞」を受賞
2013年3月 IPSEN,S.A.S(仏国イプセン社)と創薬研究に関する共同研究契約を締結
2013年4月 公益財団法人東京都医学総合研究所と受託研究契約を締結
2013年6月 株式会社東京証券取引所マザーズ市場に上場
2013年9月 Bristol-Myers Squibb Company(米国ブリストル・マイヤーズ スクイブ社)とPDPS技術ライセンス契約を締結(技術貸与の実施)
2013年12月 Eli Lilly and Company(米国イーライリリー・アンド・カンパニー社)と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結
2014年3月 特定非営利活動法人ビジネスモデル学会において第2回「ビジネスモデル大賞」を受賞
2015年1月 一般社団法人日本経済団体連合会に入会
2015年4月 Novartis Pharma AG(スイスノバルティス社)とPDPS技術ライセンス契約を合意(技術貸与の実施)
2015年4月 Merck Sharp and Dohme(米国メルク・アンド・カンパニー社)と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結
2015年9月 Sanofi S.A.(仏国サノフィ社)と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結
2015年9月 帝人ファーマ㈱と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結
2015年11月 杏林製薬㈱と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結
2015年12月 東京証券取引所市場第一部に市場変更
2015年12月 Genentech, Inc.(米国ジェネンテック社)と創薬研究開発に関する共同研究開発契約を締結
2016年2月 塩野義製薬㈱と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結
2016年2月 ベンチャー創造協議会・経済産業省・日本ニュービジネス協議会連合会・東京ニュービジネス協議会(Connect!)主催の第2回「日本ベンチャー大賞」において「内閣総理大臣賞」を受賞
2016年3月 Eli Lilly and Company(米国イーライリリー・アンド・カンパニー社)とPDPS技術ライセンス契約を締結(技術貸与の実施)
2016年3月 旭化成ファーマ㈱と創薬開発に関する共同研究開発契約を締結