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「田辺三菱製薬(株)」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者・中興の祖『田辺五兵衛』/沿革・歴史など~

「田辺三菱製薬(株)」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

 

「田辺三菱製薬(株)」の企業理念

 

 

 

田辺三菱製薬グループは、医薬品の創製を通じて、患者さんの健康を守り、豊かな生活に貢献するという普遍の価値観を基本として、新たな成長を果たし、国際創薬企業として、広く社会から信頼される企業をめざします。

 

 

「企業理念」

 

医薬品の創製を通じて、患者さんの健康を守り、豊かな生活に貢献します

 

「企業理念」は、医薬品の創製という原点に今一度立ち返り、「私たちの存在意義・存在理由」を言葉に表したものです。

 

 

 

 

「めざす姿」

 

国際創薬企業として、広く社会から信頼される企業をめざします。

 

「めざす姿」とは、この「企業理念」に基づき事業を展開することで実現すべき企業像です。

 

 

 

 

 

 

 

 

「田辺三菱製薬(株)」の創業者・創立者・中興の祖『田辺五兵衛』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

 

田辺五兵衛(田辺製薬創業者)

 

 

(初代)田辺五兵衛(たなべごへえ)。

正保(しょうほ)3年生まれ。

 

朱印船貿易家田辺屋又左衛門の孫。

延宝6年分家,独立して大坂の土佐堀に薬舗(やくほ)をひらく。

 

振出薬(「たなべや薬」)をうりだし成功。

黒川大和大掾の受領名をうけ黒川田辺屋とよばれた。

 

祖父の田辺屋又左衛門は戦国時代に朱印船貿易を手がけた豪商で、薩摩の島津家と関わりが深かった。

田辺屋又左衛門は慶長年間(1596~1615 年)朱印船貿易によってルソンやシャム(現在のタイ)など東南アジア方面の薬品原料等を輸入。

 

莫大な費用を要する朱印船貿易は道修町の唐薬市場と取引関係を築く契機となり初代の道修町進出に貢献した。

初代五兵衞は享保2(1717)年、数え72歳で隠居。

 

長女・せきの婿養子に手代の伊兵衞を迎え、二代五兵衞とした。

その後は良念と称し、妻の亡後は出家して念仏ざんまいの生活を送ったという。

 

享保7(1722)年、77歳で没。

上本町の菩提(ぼだい)寺・大福寺に葬られた。

 

 

 

 

「たなべや薬」とは?

 

 

初代田辺五兵衛の祖父田辺屋又左衛門は戦国時代に朱印船貿易を手がけた豪商で、薩摩の島津家と関わりが深かった。

島津家秘伝の“陣中薬”が「たなべや薬」のルーツだとも言われている。

 

「たなべや薬」の効能は打撲、折傷のほか産前産後によいとされた。

これは発売後も改良が重ねられ1887(明治 20)年まで販売された。

 

「たなべや薬」は合薬、合わせ薬ともいい、さまざまな生薬を配合したものである。

当時は丸薬(練り固めたもの)、膏薬(こうやく)(油で練った外用薬)など、薬にはさまざまな形態があった。

 

振出薬(ふりだしぐすり)といい、麻袋や絹袋に小さく刻んだ処方生薬を入れ、白湯で煮出したエキスを服用するタイプだった。

産前産後の薬としてよく売れたそうだ。

 

効能は「打撲による損傷・疼痛(とうつう)(ずきずき痛むこと)・内出血、あるいは産後の貧血など肥立ちのよくないものを治す」。

処方は「人参(にんじん)、肉桂(にっけい)、丁字(ちょうじ)、当帰(とうき)、桂枝(けいし)など10種を各等量、甘草(かんぞう)半量の11種を粗い粉末にして袋に入れ、熱湯で振り出して用いる」

 

振り出すので「振出薬」、つまり湯にエキスを抽出して飲んだ。

女性の出産リスクが高かった江戸時代、「たなべや薬」の売れ行きは良く、商売は順調だったようだ。

 

創業から10年あまりを経た元禄年間(1688~1704年)には、今でいう宮内庁御用達(ごようたし)、禁裏御用を勤めるまでに成長。

 

 

 

 

 

 

 

 

「田辺三菱製薬(株)」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

 

田辺製薬のあゆみ

 

 

創業は1678年にさかのぼり、初代田邊屋五兵衞が大阪・土佐堀で「田邊屋振出薬」の製造販売の店舗を開いたことにその歴史は始まります。

 

さらに時代をさかのぼると、初代田邊屋五兵衞の曽祖父にあたる田邊屋又左衞門は、1604年から既に海外との貿易を行い、海外の貴重な薬種を日本に輸入していました。

 

創業から300有余年の間、私たちは先人からの想いを大切に受け継ぎ、時代と国境を越えて、数多くの医薬品を創製し、世界の人々の健康に貢献してきました。

 

 

1604年(慶長9年)
田邊屋又左衞門、ルソンへの渡航朱印状を交付される

初代田邊屋五兵衞の曽祖父にあたる田邊屋又左衞門は、徳川家康より朱印状を交付され、呂宋国(ルソン 現:フィリピン)や暹羅国(シャム国 現:タイ)へ出かけ生薬等の貿易を行っていた。

 

 

1678年(延宝6年)初代田邊屋五兵衞、独立開業

初代田邊屋五兵衞は、大阪の土佐堀一丁目において独立開業し、合薬「田邊屋振出薬」(たなべや薬)を製造販売。店じるしは“入り山”に五兵衞の五の字を配した。

 

 

1688年(元禄元年)

初代田邊屋五兵衞、「黒川大和大掾藤原金永」の称号を授かる
初代田邊屋五兵衞は、「たなべや薬」を朝廷へ納めるなど、朝廷の「禁裏御用」を1688年(元禄元年)頃から務めていたことや、薬が大変良く効くなどから「黒川大和大掾藤原金永」の称号を授かった。

 

 

1791年(寛政3年)
六代田邊屋五兵衞、大阪道修町一丁目に移り、薬種中買株仲間に正式加入
六代田邊屋五兵衞は「薬種中買株仲間」の近江屋九兵衛名義株を譲り受け、長年の思いであった「薬種中買株仲間」への正式加入を果たした。

 

 

1855年(安政2年)
十一代田邊屋五兵衞、
道修町三丁目に新店舗を開設
十一代田邊屋五兵衞は現在の本社所在地である道修町三丁目に新たに店舗を開いた。店舗の大きさは「表間口:四間半(約9m)、奥行:二拾間壱尺(約37m)」で、当時としては大きな店構えであった。

 

 

1901年(明治34年)
十二代田邊五兵衞、
東京に田邊元三郎商店を開設
十二代田邊五兵衞(前列左端)は製薬場の火災がもとで早世した弟元三郎の名跡を自身の次男(前列中央)に継がせ、東京日本橋に田邊元三郎商店(後の東京田辺製薬)を開設した。

 

 

1916年(大正5年)
大阪市北区本庄に
新薬工場を建設
大阪市北区本庄川崎町に最新式の製薬工場を建設し、医薬品の本格的な国内生産体制を整えた。

 

 

1925年(明治14年)
山口県小野田町に小野田製薬所を設立
山口県小野田町に小野田製薬所(現在の田辺三菱製薬工場㈱小野田工場)を設立してサリチル酸の量産を始めた。

 

 

1940年(昭和15年)
武田化成株式会社を設立
武田長兵衛商店(現在の武田薬品工業)と日本化成は両社折半で武田化成株式会社(後の吉富製薬)を設立

 

 

 

 

 

田辺製薬沿革(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 

 

1604年(慶長9年) – 田邊屋又左衛門、家康よりルソンへの渡航朱印状を下付される。

 

1608年(慶長13年) – 田邊屋又左衛門、シャムへの渡航朱印状を下付される。

 

1670年(寛文10年) – 初代田邊屋五兵衛、分家する。

 

1678年(延宝6年) – 初代田邊屋五兵衛が大阪・土佐堀に『たなべや薬』を看板に薬種問屋として創業する。

 

1791年(寛政3年) – 6代目田辺五兵衛、薬種中買株仲間に正式加入。

 

1855年(安政2年) – 11代目田辺五兵衛、道修町周辺(現本社の付置)に新店舗を構える。

 

1870年(明治3年) – 洋薬取り扱いを他社に先駆けて始める。

 

1877年(明治10年) – 道修町店舗に初めて「製薬小工場」を設ける。

 

1885年(明治18年) – 大阪府大阪市北区南同心町に「製薬場」を建設。

 

1916年(大正5年)
5月 – 大阪府大阪市北区本庄に最新式製薬工場を建設開始。国内生産体制を整える。

 

1922年(大正11年) – 自社新薬第1号『アヂナミン』の製造を開始。新薬部門と貿易部門を設置。

 

1925年(大正14年)
8月 – 山口県小野田町(現在の山口県山陽小野田市)に『小野田工場』(現在の田辺三菱製薬工場株式会社 小野田工場)を建設開始。

 

1927年(昭和2年) – 個人組織であった田邊五兵衛商店のスポーツチーム「田邊五兵衛商店サッカー部」を創設。

 

1930年(昭和5年) – 「本庄工場」に研究室を独立設置。

 

1933年(昭和8年)
12月13日 – 個人組織であった『田邊五兵衛商店』が株式会社に改組され、「株式会社田邊五兵衛商店」を株式会社設立。

 

1939年(昭和14年)
7月 – 大阪府大阪市東淀川区加島(現在の大阪府大阪市淀川区加島三丁目16番89号)に『加島工場』(現在の加島事業所)を建設。

 

1942年(昭和17年)
9月 – 「旧:加島工場」内に『大阪研究所』を開設。

 

1943年(昭和18年)
8月 – 社名を『株式会社田邊五兵衛商店』から、「田邊製薬株式会社」に商号変更する。

 

1949年(昭和24年)
5月16日 – 戦後初、東京証券取引所及び大阪証券取引所株式第1部に初上場する。

 

1950年(昭和25年) – 抗結核薬『ニッパス』を発売する。

 

1958年(昭和33年)
– 道修町周辺に本社ビル社屋(第1期)を竣工。
5月 – 研究拠点にある『旧:本庄工場』を閉鎖。

 

1960年(昭和35年)
1月 – 埼玉県戸田市に「東京工場」と「東京研究所」を開設。

 

1961年(昭和36年) – 社名を『旧:田邊製薬株式会社』から『田辺製薬株式会社』に改称変更する。

 

1962年(昭和37年)
アスパラギン酸・ビタミン配合製剤「アスパラ」、「アスパラアンプル」を発売。
9月 – 台湾に「台灣田邊製藥股份有限公司」を会社設立する。

 

1963年(昭和38年) – 全国の薬局・薬店に販売している取扱店『MSC会』を発足。飲みやすい三層錠タイプと顆粒タイプの総合胃腸薬「タナベ胃腸薬」シリーズを発売。

 

1964年(昭和39年) – 100%子会社「田辺総合サービス株式会社」(現在の田辺三菱製薬プロビジョン株式会社)を設立。

 

1970年(昭和45年)
– 道修町周辺に銀色のオフィスに本社ビル社屋(第2期)を竣工。
1月 – アメリカのカリフォルニア州サンディエゴにて「タナベU.S.A.社」を設立。
7月25日 – インドネシアのバンドンにて「タナベ・アバディ社」(現在のミツビシタナベファーマインドネシア社)を設立。

 

1972年(昭和47年) –
10月16日 – 元14代目田辺五兵衛社長・会長こと実業家・田辺治太郎が死去。
12月 – ベルギーのブリュッセルにて「タナベヨーロッパ社」を設立。

 

1973年(昭和48年) – 山口県小野田市(現在の山口県山陽小野田市)にある小野田工場内の社会人野球チーム「田辺製薬硬式野球部」を創設。

 

1974年(昭和49年) – カルシウム拮抗剤『ヘルベッサー』を発売。

 

1975年(昭和50年) – 東京都千代田区三番町26番地に「東京支社」を開設。

 

1978年(昭和53年) – 創業300周年。

 

1980年(昭和55年)
11月17日 – 本社ビル社屋の改修工事が完了。改修後はタイルが銀色から赤色へ新装変更され、地上5階建てとなる。

 

1983年(昭和58年)
10月 – 非売品本『田辺製薬三百五年史』を発行。

 

1984年(昭和59年)
6月1日 – ノンカフェイン設計の滋養強壮内服液『アスパラエース』を発売(2013年(平成25年)3月31日に製造終了)。

 

1987年(昭和62年)
7月 – 台湾にて「台田藥品股份有限公司」を設立。

 

1988年(昭和63年) – 創業310周年。

 

1990年(平成2年)
11月 – アメリカのカリフォルニア州サンディエゴにて「タナベ・リサーチ・ラボラトリーズU.S.A.社」を設立。

 

1991年(平成3年)
11月7日 – 大衆薬で販売されて東洋医学と中国処方に伝わる八味地黄丸をベースした31種生薬配合製剤「ナンパオ(NANPAO)」を発売。
11月30日 – 長年に渡り小野田工場が本拠地であった「田辺製薬硬式野球部」がこの日をもって解散、18年間の歴史に幕を下ろした。

 

1993年(平成5年) –
10月 – 中国の天津市にて「天津田邊製藥有限公司」を設立。
– 高血圧症治療剤「タナトリル」(イミダプリル)を発売。

 

1994年(平成6年)
12月31日 – 35年間を持って老朽化した「旧:東京工場」と「旧:東京研究所」を閉鎖。

 

1995年(平成7年)
1月17日 – 阪神・淡路大震災で本社及び加島事業所等が被災した。
4月 – お客様相談窓口『製品情報センター』を開設。

 

1996年(平成8年) – マレーシアにて「タナベセイヤクマレーシア社」を設立。

 

1997年(平成9年)
4月1日 – 東京都葛飾区にあった子会社「旧:立石製薬株式会社」を吸収合併し、『立石工場』として発足する。

 

1998年(平成10年) – 創業320周年。
5月21日 – タウリン2,000mgを配合したアスパラドリンクの最上級品100ml栄養ドリンク剤「アスパラMAX」を発売。
11月12日 – 一般用医薬品としてフィルムコーティング錠のビタミンB1誘導体主薬製剤「アスパラメガ」を発売。

 

1999年(平成11年)
3月 – 平野町周辺に地上8階建ての「旧:田辺平野町ビル(田辺三菱製薬株式会社 平野町1号ビルを経て、現在のヒロセ平野町ビル) 」が竣工し、大阪支店を大阪府大阪市中央区伏見町から大阪府大阪市中央区平野町二丁目6番6号へ新築移転。
6月23日 – OTC医薬品としては、強い清涼感が持続するマルチパーパス処方の目薬「アスパラ目薬クールIC」を発売(2015年(平成27年)6月30日までに製造終了)。
6月30日 – 『旧:立石工場』を閉鎖。

 

2000年(平成12年)
2月21日 – ダイドードリンコ自動販売機専用の医薬部外品100ml栄養ドリンク剤「アスパラドリンクX」を発売(2009年(平成21年)3月31日までに製造終了)。
12月 – アメリカのニュージャージー州ハッケンサックにて米国内グループの共同持株会社「タナベホールディングアメリカ社」(現在のミツビシタナベファーマホールディングスアメリカ社)を設立。
– 脊髄小脳変性症治療剤「セレジスト」を発売。

 

2001年(平成13年)
4月9日 – 医薬部外品100ml栄養ドリンク剤「アスパラドリンクSPゴールド」をコンビニエンスストア限定で発売。
9月17日 – 大正製薬株式会社との共同持株会社『大正田辺ファルマグループ』を会社設立し、両社を傘下に入れるという経営統合を発表したが、医薬品事業の主導権をめぐって両社間で争いとなり、同年12月3日に経営統合が見送られた(事実上の破談)。

 

2002年(平成14年)
5月31日 – 米国のベンチャー医薬品会社から導入した、日本初の抗ヒトTNFαモノクローナル抗体製剤(クローン病・リウマチ治療薬)「レミケード点滴静注用100」を発売。
7月1日 – 一般用医薬品3品目(エビオス錠・新ラクトーンA・ラクトコート)の販売を「旧:アサヒフードアンドヘルスケア株式会社(現在のアサヒグループ食品株式会社)」へ譲渡(エビオス錠と新ラクトーンAは後に医薬部外品を経て現在は指定医薬部外品の区分となっている)。
8月5日 – 米国ノースカロライナ州ウィルミントン市における海外子会社「エーエーアイ ファルマ社」の共同でジョイントベンチャー会社「タナベ エーエーアイ エルエルシー」(TANABE AAI LLC)を設立。
10月10日 – 世界初の「サイドドロップ容器」を採用した目薬『スマートアイ(Smart eye)』を発売。(現在は販売終了)
11月1日 – アニマルヘルス(動物薬)事業を「旧:大日本製薬株式会社(現在の大日本住友製薬株式会社)」に譲渡。

 

2003年(平成15年)
1月8日 – 医療用医薬品としてテルモ株式会社と共同開発した、高カロリー輸液用総合ビタミン・糖・アミノ酸・電解質液「フルカリック」を発売。
6月1日 – 海外子会社であった社名を「旧:タナベ・アバディ社」から「タナベインドネシア社」(現在のミツビシタナベファーマインドネシア社)へ変更。
6月26日 – 医療用医薬品「ローコール錠」を発売。
12月12日 – アメリカのニュージャージー州ハッケンサックにて、開発事業子会社「タナベ・ファーマ・デベロップメント・アメリカ・エルエルシー」を設立。

 

2004年(平成16年)
5月13日 – 森下仁丹株式会社との共同でビフィズス菌を配合した「ビフィーナブランド」から整腸薬「ビフィーナ整腸薬」と、便秘薬「ビフィーナ便秘薬」を発売(2009年(平成21年)3月31日までに製造終了)。
6月30日 – 日本ベーガリンガーインゲルハイム株式会社の共同開発した医療用医薬品「ブスコパン注射液」と「ブスコパン錠」の販売を終了した。そして田辺単独販売の「ガストローム顆粒」に7月1日付で移行した。
11月25日 – 医療用医薬品「バリキサ錠450mg」を発売。

 

2005年(平成17年)
3月3日 – 医療用医薬品「ピーガード錠20mg・30mg・60mg・120mg」を発売。
10月3日 – 旧:小野田工場及び「旧:田辺製薬株式会社 小野田事業所」を分社化、製造子会社である『山口田辺製薬株式会社(TANABE SEIYAKU YAMAGUCHI CO., LTD.)』(現在の田辺三菱製薬工場株式会社)を設立。
12月26日 – 麻しん風しん混合ワクチン「ミールビック」を発売。

 

2006年(平成18年)
2月3日 – OTC医薬品としてサイドドロップ容器のコンタクトレンズ専用目薬「スマートアイプティ コンタクト」を発売(2016年(平成28年)12月31日までに製造終了)。
6月16日 – テルモ株式会社との共同開発された医療用医薬品「アミグランド点滴静注用」を発売。
7月21日 – 医療用医薬品として抗リウマチ剤「メトトレキサート錠2mg「タナベ」」を発売。

 

2007年(平成19年)
3月28日 – アルフレッサホールディングス株式会社の子会社である「アルフレッサファーマ株式会社」の共同開発プロモーションにおける医療用医薬品「モディオダール錠100mg」を発売。
4月1日 – 国内における田辺製薬グループの子会社を再編[2]。
「旧:田辺総合サービス株式会社」は同じグループ会社の「旧:田辺製薬エンジニアリング株式会社」と「旧:エースアート株式会社」を吸収合併し、『旧:田辺総合サービス株式会社(現在の田辺三菱製薬プロビジョン株式会社)』となる。
「旧:田辺製薬商事株式会社(現在のニプロESファーマ株式会社)」の特納品事業(事業所向け一般用医薬品の販売)を「ヘルスケア事業部」へ譲渡。
7月18日 – 医療用医薬品としてメントールを配合した初の抗ヒスタミン薬「タリオンOD錠」を発売。
7月19日 – 目の渇き(ドライアイ)・不快感にとろ~りタイプの点眼薬とした一般用医薬品「アスパラ目薬モイストCL」を発売。

 

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