《新潟DNA:村上市》平野歩夢(スノーボード・スケートボード)名言集と平野歩夢のDNA(生い立ち、経歴、プロフィールなど)

新潟出身者名言

《新潟DNA:村上市》平野歩夢(スノーボード・スケートボード)名言集と平野歩夢のDNAと歩み

 

 

 

平野歩夢(スノーボード・スケートボード)名言集

 

 

 

オリンピックって特別すぎるんです。ほかの大会とは違うプレッシャーがあるので、普段の感覚、状態そのままではいられなくなります。ある意味、自分がスノーボーダーとして追求している滑りとは違う部分を出さなければならなくて、そこの切り替えがすごく難しいんです。

 

 

 

今は小さい頃に見ていた景色とは真逆の状態で、自分がスノーボードを進化させ続けていかなければならない立場にあります。

 

 

 

細かな高さや跳びばかりではだめというのがスケートボードのポイントの基準。それに、僕は滑っている期間が他の選手に比べて少ない。海外の選手たちと比べると、パークの中ではまだまだ経験が足りないので、いろいろなパークを滑り慣れていかないといけない。

 

 

 

いろいろな人の気持ちや意見を聞いて受け入れることも、自分の成長になるのかなと。いろいろな人を見て、いろいろな人と会話して、この人はこう思っているけれど周りはこう思っていて、と感じることは、あらためて自分を見つめ直すために必要だと思っています。

 

 

 

何かを失ってでも得ようとする気持ちによって、精神的強さも生まれるし、結果よりももっと先の自分のためにつながることだってあります。自分にしか得られないものを、この横乗りを通じて、これからの子たちに伝わることが生まれれば良いと思います。

 

 

 

始めた頃(4歳)の記憶としてはっきりとしたストーリーは覚えていないですが、5、6歳の時にスケートパークの外にあった大きなバーチカル(スケートボードのハーフパイプの名称)でずっと繰り返しターンの練習をしていたことは覚えています。

 

 

 

子どもたちの憧れになるようなパフォーマンスをするためには練習の仕方も人と同じことをしていてはいけない。そういう意味ではすべて自分の頭で考えて作り出したものでなければ世界にはなかなか通用しないし、年々そこの部分が大事になってくるのかなって思います。

 

 

 

集中力を欠いてしまったときにケガすると思うから。それに1日に詰め込んでもダメだと思うんです。その次の日も滑るだろうし、身体のコンディションを考えながら、集中するところは集中して取り組むようにしています。

 

 

 

でも毎日楽しくやっていたわけではありません。小さい時から遊びじゃないという意識もあったので、父の指導もとても厳しかったですし、当然怪我もいっぱいするので辛くて行きたくないと思うこともよくありました。

 

 

 

やり方が全然別物。乗ってる物(ボード)は似ている雰囲気があると思うが、実際にやってみると、こっち(スノボ)がうまいからこっち(スケボー)もうまいというのは現実的にない。

 

 

 

なんて言えばいいんだろ..今でも苦しい形を作らないと今後自分は成長できないんだなと小さい頃から今でも…それを信じてやっているのかなという風に僕は思います。

 

 

 

やっぱりサッカーや野球よりも全然(人気や規模の)レベルが下のスポーツなので。でも、本当にそれくらいビッグで有名なスポーツに持っていくことは不可能ではないと思っています。

 

 

 

自分よりもさらにプレッシャーのある中で、最終滑走で、これまで決めたことないトリックをあの場で決めてくるというメンタルの強さにびっくりしました。(ホワイトに)転んでほしいとか、そういう願いはしていませんでした。3ヒット目くらいには「これを決められたら抜かされるだろうな」と。

 

 

 

自分の目的としては時間かけなきゃできないことだったり、人が今現在やってない事とかっていうものをチャレンジしたいっていうのを前々から思ってる所があってそれが最終的にはお金でも買えない、時間でしか辿り着けない自分の将来の事まで考えて今後はチャレンジ出来ればと思ってるんで。

 

 

 

僕自身の滑りでも、高さだとか、スノーボードやってるからこういう滑りができるんだよなっていうのを、少しでも感じてもらいたい。自分にしかできない魅力的な滑りがちょっとでも伝わればと思って今日は滑った。

 

 

 

自分も小さい時には上の人たちのことを、憧れを抱いて見ていたので。誰もが小さい時にはスターのような存在はいると思います。だから自分も世界の子ども達からそういうふうに見てもらいたいっていう意識はあります。

 

 

 

スケートボードは楽しんで(滑る)。スノーボードよりも楽しむことがメイン。本当にみんな上手なので、そんなに簡単にはいかないのが現実だと思う。楽しめて、結果よりもそこが次につながればいいかなって。

 

 

 

これ以上なにをよくすればいいんだろうと思うくらい自分が準備してきた物が多かったり色々やれることやってきた4年間だったんで、すごい自分の中で常に疲れてるだとかあんまり笑顔がないような苦しい気持ちになってた事が今思えば多かったのかなと思います。

 

 

 

細かく言うと、キャッチの完成度、あとは高さ。本当だったら、もっと自分だったら出せるところなので、そこはもう少し点数を伸ばせたかなと思います。あとは決勝3本目でさらにもう1ヒット、技を入れられたら、点数も変わっていたかなと。そういうところで悔しさがあります。

 

 

 

スノーボードで頂点をとり続けることは簡単ではないことを、あらためて今回、実感しました。本当に人一倍、(一歩)先のことをするんだったら、自分が考えた式と答えのなかで、人と違う滑りで上のものを目指しながら、結果を取り続けられたらなと思っています。

 

 

 

高さを自分の一番の武器にしていてスピンより自分の滑りというものに魅力というか、1発で「あれがアイツ」というような自分の1つのスタイルとして高さを追求しています。そういう意味で、小学校3、4年生くらいから1発目のヒットには必ず誰よりも高く飛べるエアターンを用意してきました。

 

 

 

東京オリンピックに関しては……、ここから目指すというのは、すごいハードなトレーニングになると思うので。自分は、まだはっきり決めていない部分もあります。その部分を、これから、しっかり整理して考えられたら……。当然、可能性があれば、という形で考えてはいます。

 

 

 

ほんと4年間時間がたってるんで、やっぱりいろんな思いだったり、それなりに自分もいろいろ考えて、4年生活してきたっていうのが、いろんな思い詰まって、なおさら前回よりいい銀メダルなのかなっていうふうな、そんな印象ですね。

 

 

 

これ以上の回転というのが、ハーフパイプでは限界まで来ているというのも現状です。今できることの高さや完成度、プラスアルファで「DC14(ダブルコーク1440)」を3つが、自分がさらに勝ち続けるなら必要だと思います。

 

 

 

俺、小さい時にテレビで言っちゃったんですよね。スノーボードとスケートボードで世界一になるって、だからやるしかないんですよね。

 

 

 

でも毎日楽しくやっていたわけではありません。小さい時から遊びじゃないという意識もあったので、父の指導もとても厳しかったですし、当然怪我もいっぱいするので辛くて行きたくないと思うこともよくありました。

 

 

 

スケートボードで五輪に出たい、東京五輪に出たいというのは、それ自体が目的ではないんです。自分の人生として、スノーボードをやってきましたし、またスケートボードもやってきました。自分は人がやっていない道をたどりたいというか、何の足跡もないところを目指しているので。

 

 

 

本当に人一倍、(一歩)先のことをするんだったら、自分が考えた式と答えのなかで、人と違う滑りで上のものを目指しながら、結果を取り続けられたらなと思っています。自分のこだわっているものや勝ち方にこだわりながら、また頑張っていきたいなと思います。

 

 

 

体から落ちるスノーボードと、コンクリートに対して足から衝撃を吸収しなければならないスケートボードはやり方が別です。

 

 

 

父さんが好きだったというものもあって尾崎豊がすごく好きになってとかその世代のちょっと古いんですけどスポーツを通して共感できる部分とかっていうのもあってそういうのを聞いたりします。

 

 

 

音楽だったり、滑る前の日にちゃんと私生活の面でちょっと気合入れて、なんかほかのことで取り組んでから、次の日スノーボードすることによって、自分のフィールドで、自分のテンションのなかで集中できるんで、それと同じような気持ちで大会も出られれば一番いいなとは思ってますね。

 

 

 

カッコいいライディングで魅せるスノーボーダーって世界中にたくさんいる。逆に、カッコよさを犠牲にしてまで自分と戦ってるヤツは少ない。このスタイルの違いはオレの中で明確に分かれていて、だから、あえてこっちの道を進もうっていう考えでもある。

 

 

 

野球とバスケを両立しているのと一緒。同じ横乗りでも、それぐらい、似ているようで離れている。

 

 

 

五輪っていう小さい頃からの目標が、いろんな意味で自分のスノーボードに大きな影響を与えてるんだってことをすごく感じていて……。そういうことを理解するのにすごく時間がかかりました。

 

 

 

1回目は連続の4回転というよりは、4回転決めて、下でもうちょっとコンビネーションとしての、2本目に備えてのルーティーンを自分でイメージしてたんですけど、着地が上手くいかなかったんで、2本目からは攻めようというふうな気持ちは最初から、今日大会の前から思ってたんで。

 

 

 

車も親の車借りてちょっと出掛けたりするんですけどあんまり運転楽しいか楽しくないかでいったら意外となんとも思ってなかったり(笑)普通に音楽流して黄昏て…あんまりどこ行きたいとかは…それなら家にいたりする方が…

 

 

 

ショーンに興味を持ったのは、スノーボードとスケートボードへの関わり方が自分と似ている気がしたからです。僕は今のところ、競技としてはスノーボードしかやってないけれど、滑りの基本のほとんどはスケートボードで学んだといってもいい。

 

 

 

今後のことも、今、自分が取り組んでいることが土台になるから、自分の将来の可能性もまだまだ無限に広げられると思うんです。だから、今は今しかできないことをやっていきたい。もちろん、自分のカラーを出しながら。

 

 

 

僕にとってのスケートボードは、競技のチャレンジだけではなく、精神的な部分でもチャレンジです。スノーボードで得ているものを失うかもしれない中でスケートボードをやっているのは、すごくリスクがあることだと思います。

 

 

 

引退するまでは色んなことをぶっちぎってやっていきたいですね(笑)。

 

 

 

スケートボードをやっている以上は、ひとつの挑戦という気持ちです。挑戦なので、そこには失敗がある。そのうえで、挑戦が良い形で実ればと思っている。それを自分の中での大きなテーマにしています。

 

 

 

リスクとかプレッシャーは今まで以上にすごく大きくて、何かに挑戦するってことはそれだけの注目も受け止めないといけない。そういう点でも人が経験できないところを、いま、前を向いて走っていると思う。その経験によって今まで以上に強くなることができればと思って挑戦した。

 

 

 

2つの競技をやってみて、共通するものは必ずあると思う。それを探しながら、このチャレンジに挑んでいるところもある。

 

 

 

あえて難しい道で戦って、精神的な強さが生まれることが自分のためにもなると思う。

 

 

 

自分は人がやっていない道をたどりたいというか、何の足跡もないところを目指している。

 

 

 

 

平野歩夢(スノーボード・スケートボード)のDNAと歩み~平野歩夢の経歴・プロフィール・生い立ちなど~

 

 

平野歩夢。

スノーボード選手。

 

スケートボードも日本国内トップクラスの選手。

スノーボードとスケートボードの「二刀流」選手として、オリンピック夏冬のメダル獲得を目指す。

 

スケートパークを運営する父・平野英功のもとに生まれる。

4歳の時に3歳上の兄の影響でスケートボードとスノーボードを始める。

 

福島県南会津町の会津高原南郷スキー場や山形県小国町の横根スキー場でドロップインからラインどりの練習を行った。

その後小学4年時にスノーボードメーカー、バートンと契約し、2011、2012年の全米オープンのジュニアジャムで連覇を果たす。

2011年3月、アメリカ・バーモント州ストラットンで行われた全米オープンの決勝で13位に入る。

 

14歳で出場した2013年1月に開催されたX Gamesでは難易度の高い技を他のトップライダーが繰り出す中、圧倒的なエアの高さと、パイプ内でのパーフェクトな動きで史上最年少で銀メダルを獲得。

 

2月にスイスのラークスで行われた欧州オープンでは優勝。

同年8月にニュージーランドで行われたW杯開幕戦で優勝。

 

なお、平野は最年少でTTRワールドスノーボードツアーのハーフパイプ部門において年間王者になっている。

 

2014年のソチオリンピックで、平野は2月11日に行われた決勝で1回目で90.75点、2回目で93.50点をマークし2位につけ銀メダルを獲得した。

なお、15歳74日でのメダル獲得は冬季オリンピックにおける日本人史上最年少記録であり、平野と同種目で銅メダルを獲得した平岡卓と共に、日本人史上初のスノーボード競技でのメダル獲得となった。

 

また、平野はスノーボードにおける最年少のオリンピックメダリストとしてギネス世界記録に認定された。

同年4月に開志国際高等学校に入学。

 

2015年、欧州オープンで2位、全米オープンで3位等の成績を残し2014-2015シーズンから新設されたワールドスノーボードツアープロシリーズで男子ハーフパイプ部門でシーズン王者となる。

2015-2016年シーズン、平野にとっては開幕戦となった12月、ブレッケンリッジのウインターデューツアーに出場し予選を4位で通過、13日の決勝は2本目のランをうまくまとめ2位になった。

 

2016年1月、平野はスイスのラークスで行われたLAAXオープンに予選免除の招待選手として出場し、21日の準決勝を1位で通過して翌日の22日の決勝を3本目のランで完璧な滑りを見せ1位になり優勝、またオスロで行われた初開催されたX Gamesには決勝を1本目のランから高得点を出し初優勝した。

2016-2017年シーズンは未成年者選手の飲酒騒動を受けて、飲酒を否定している平野も第三者委員会の調査のため活動休止を余儀なくされた。

 

最終戦の3月の全米オープンでは左膝の内側側副じん帯を損傷と腹部を強打して肝臓も痛める大怪我をした。

2017年2月、平野は住宅メーカーの木下工務店などを傘下に持つ木下グループと所属契約を結ぶ。

 

それまで所属していたバートンからは引き続き用具の提供を受ける。

同年4月、日本大学スポーツ科学部に入学。

 

2018年1月28日に開催されたX Games ASPENでは、史上初連続縦2回転+横4回転を決め金メダルを獲得。

2018年平昌オリンピック、2月14日に行われた決勝2回目、平野は連続縦2回転+横4回転を決め95.25点をマークしてトップに躍り出るも、3回目最終滑走のアメリカのショーン・ホワイトが97.75点をマークして逆転。

 

惜しくも金メダルは成らなかったがホワイトに次ぐ2位に入り、平野自身冬季五輪で2大会連続となる銀メダルを獲得。

 

2018年ユニクロとグローバルブランドアンバサダー契約締結。

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