菅野美穂の「大切な」言葉たち~菅野美穂の名言・人生・生き方など~

菅野美穂の「大切な」言葉たち

〝婚活〟とか〝仕事の飛躍〟とかアラサーの頃の悩みって、前を向いているからこそ。でもね、あの揺れる時期を過ぎて気づいたのは、「結婚する・しない」「子どもを持つ・持たない」もどちらの人生も素晴らしいし、大変だということ。どちらかだけが美味しいなんてきっとないから。

男の人って、尽くせば尽くすほど甘えてしまうような気がするんですよ。人間って便利になると、便利になった分、怠けるじゃないですか。この映画の中でも、女の人は自分が変わった方が早いと気付いてどんどん大人になっていくのに、男の人はずっと子どものまま。そんなのはイヤだなあと痛感しました(笑)。

30歳直前は不安でしたね。30代は大人のイメージなのに、全然、追いつけていない気がして・・・。でも、実際に30歳になってみたらすごく楽しかったんです。図太くなって開き直れたんだと思う。仕事で人と接するときもオープンに、冗談とか言えるようになったりしてね。

30歳超えてから、そういうのも仕事の1つだなと。演技だけじゃなく、現場のコミュニケーションや番宣も含めて、私の仕事だなと気づきました。ただ、40代の今はさらに図太くなったので、フランクになり過ぎないようにしないとなと。年下の子に冗談とか言い過ぎないよう気をつけてます。もはや、パワハラになっちゃうかもしれないから(笑)。

30代って責任が増しつつも、あらゆる面で「こうあるべき」から自由になれる時期だから、色々とより深く楽しめるようになっていくと思います。

みなさんが悩むようなことも悩みましたよ。いつ結婚して子どもを持つのかなとかね。結果としては、35歳で結婚しましたけど。30代前半は、お仕事に恵まれていることに感謝しつつも、一方、切れ目のない忙しさに疲れていて。心身ともに絞りきられて、自分がカスカスの雑巾になった感覚でした(笑)。

息子が2歳か3歳かのときに、翼竜タイプの恐竜の縫いぐるみを持っていて。私が「プテラノドンだね」と言ったら、息子に「それはランフォリンクス」って言われました(笑)。プテラノドンは少し角っぽいものがあって、しっぽもランフォリンクスとは少し違うらしいんです。「あ、2歳の子に、恐竜の違いを教わるなんて」と。子どもって、好きなことにものすごく熱中して、細かい違いを見ています。大人からすると見落としてしまうんですが、すごいなと思いました。

子どもに、働くということを自分の背中で見せられるのは、直接教えることとは違う。男の子は特に一生働くということを考えると、親として見せてあげられる何かがあるんじゃないかなと思っています

女優の20代は、競争の時期。30代は、競争はもちろんありますが、それよりも自分がやるべきことにどれだけ集中できるか、どれだけ自分を高められるか。がむしゃらにやるというよりも、撮影のないときこそ次に向けた準備を入念に行うことや、どんなオファーが来ても身軽に動けるようにしておくといった、仕事への向き合い方が大事になってくると思っています。

大変なこともあるんですが、やっぱり「これだけ子どもとゆっくり過ごせるということは、今までの生活は忙しかったんだな」と実感しました。日常が変わって、確かに「大変だな、しんどいな」と思ったこともありますが、きっと5年後や10年後、間違いなく「かけがえのない時間だったんだな」というふうに振り返るであろう、“おうち時間”だったなと今は思います。だからこそ今、子どもと一緒にお絵描きや折り紙をしたり、時間のかかるような工作をしたりしています。ゆくゆく子どもの中で、今の時間が「(家にずっといることに関して)つらかったことと楽しかったこと、どっちが思い出に残るんだろうな?」っていう楽しみがあります。数年後、子どもに聞いてみたいですね。「どうだった?」って。

普通にお友達と会えたり、お出掛けしたりということが、どれだけ楽しかったことだったんだろう、幸せだったんだろうと感じました。人から元気をもらうし、刺激をもらいます。人と人とのやりとりの中で、豊かさというか、人間らしさは増していくんだなとすごく感じました。子どもの幼稚園に行ったときは、ママさんたちと「あ〜、大変だったよね〜!!」と。それだけで気持ちを共有できたというか。核心に迫った話をしているわけではないんですが、お互い大変だったんだなというのを共有できます。それこそ、人に恵まれている、包まれていると実感できる瞬間でした。

私は、がむしゃらにやることしかできないというか、私にできることがあるとすれば、そこだけなんです。だから、子どもにも「お母さんも必死にやっているんだから、あなたたちも一生懸命取り組みなさい」と、見せることしかできなくて。でも、もしかしたらそれでいいのかもしれない。そういう意味では、何ごとにおいても、とにかく一生懸命にやっていきたいと思っています。

母ですね。「ほしいものは、自分で働いたお金で買いなさい」「子どもをひとりは産みなさい」そんな風に言われはしましたが、基本的には子どもの自主性に任せてくれていました。自分が母親になり、改めて母の言葉の意味をかみしめています。

ハワイの言葉「ホ・オポノポノ」です。「ものごとを正しい状態に戻す」というような意味だそうですが、昔からハワイに伝わる問題解決や癒やしの手法でもあります。例えば、怒りや憎しみといった負の感情が生じたときに、「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」の4つの言葉を繰り返すことで不要な情報を消し去り、本来の自分を取り戻すというもの。せっかちな私はいつも何かに追われ、慌てて時間を過ごしがちなのですが、このホ・オポノポノ的な考え方は、ゆっくりと自分の人生に向き合うことの大切さも教えてくれているような気がします。

「思い切り」というか「当たって砕けろ」は自分のなかで大事にしています。砕けてはだめなんですけど…(笑)。「何事にも一生懸命」が信条です。ただこの年齢になって、それだけではダメだとも思っています。スリリングな派手さはなくても、一生懸命でひたむきな姿は人の心を引き込みます。そのためのコントロールが必要かな、と思いますね。

日本人って何かあれば、すぐ「すみません」って言うじゃないですか。向こうは、すぐに「ありがとう」って言うんです。目が合えばニコッて笑顔を返してくれますし。外国に行くようになって、向こうのポジティブさがすごく自分の生き方を変えてくれた気がします。だから、「ごめんなさい」や「すみません」だけじゃなくて、「ありがとう」って言える人になりたいんです。

年齢とともに肩の力が抜け、「こうでなければならない」というようなとらわれ方はしなくなりました。現在のモットーは「身軽に」でしょうか(笑)。

世の中がコロナで大きく変化する中、今の30代は新しい生き方を切り拓いていく世代なんだろうなと。だからね、たとえば、仕事も結婚も上の世代に倣うより、新たな方法を追求したほうがいいんじゃないかなって。

〝生きる〟って面白いけど、悩み続けることなんですよね。「ああ、大変。どうしよう」と言いながら、日々、あっという間に過ぎていく。昔の私は、幸せになるって悩みがなくなることだと思っていたけど、そうじゃないんだなと。辛いことがなくなる人生は、私には待ってないことがわかりました(笑)。

菅野美穂とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

菅野美穂。

1977年生まれ、埼玉県坂戸市出身。

淑徳与野高等学校卒業、淑徳大学国際コミュニケーション学部中退。

1992年、中学3年生の時にテレビ朝日のバラエティ番組『桜っ子クラブ』の番組内ユニット「桜っ子クラブさくら組」のオーディションに合格して芸能界デビュー。

同番組のレギュラー出演を継続しながら、テレビドラマやCM、雑誌のグラビアなど徐々に番組の外での活動を増やしていく。

1993年、『ツインズ教師』(テレビ朝日)の生徒役で女優デビュー。

1995年にはNHK連続テレビ小説『走らんか!』の準主役に抜擢、そして1996年、テレビ朝日『イグアナの娘』で主人公・青島リカ役を演じ、演技力が高く評価される。

1997年末のテレビ朝日系『君の手がささやいている』では、聴覚障害者が困難を乗り越えて家庭を築いていく様を演じ、人気女優としての地位を確立する。

同番組は1998年第15回ATP賞のグランプリとなり、菅野も1998年エランドール賞新人賞の第3回大賞を受賞する。

また、2001年末にかけて全5編の続編が毎年制作された。

1997年8月22日、20歳の誕生日にヘアヌード写真集『NUDITY』を発売。

記者発表の席で唐突に涙を見せたり、事前に内容を暴露した週刊誌を批判したりする騒動も起きたが、写真集は出版科学研究所調べ・2003年6月までの集計で54万部一説には82万部のベストセラーとなった。

一方でソロでの音楽活動も行う。

1995年3月に「恋をしよう!」で歌手デビューし、翌年にかけて定期的にシングルをリリース。

1998年度 ATP賞 グランプリ、エランドール賞 新人賞。

1999年度 第7回橋田賞、第13回高崎映画祭 最優秀主演女優賞(『落下する夕方』)

2000年度 第26回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『愛をください』)

2000年にはドラマ『愛をください』(フジテレビ)の役名・「蓮井朱夏」名義でリリースした「ZOO 〜愛をください〜」が50万枚を超える大ヒットとなる。

2002年度 第12回東京スポーツ映画大賞 助演女優賞(『Dolls』)、第27回報知映画賞 助演女優賞(『化粧師 KEWAISHI』、『Dolls』)、第40回ゴールデン・アロー賞 映画賞(『Dolls』)

2003年6月、ドラマ『大奥』(フジテレビ)で天璋院篤子役で主演。初の時代劇出演を果たし、新境地を開く。

2004年に放送されたテレビドラマ 『愛し君へ』(フジテレビ)では、フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ(月9)に初主演した。

一時期、バラエティ番組への出演は準レギュラーのフジテレビ『サタ☆スマ』のみだったが、2005年4月より、同局の『ブログタイプ』でレギュラー出演し、再現VTRでミニドラマを演じた。

2006年4月にタニ・プロモーションから研音に移籍。

2007年度 第53回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『わたしたちの教科書』)、第55回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『働きマン』)

2009年度 第60回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『キイナ〜不可能犯罪捜査官〜』)

2009年8月『24時間テレビ』(日本テレビ)でチャリティパーソナリティーを務めた。

2010年度 第64回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『曲げられない女』)、ドラマ・オブ・ザ・イヤー2010(秋クール)主演女優賞(『ギルティ 悪魔と契約した女』)、ドラマ・オブ・ザ・イヤー2010(冬クール)主演女優賞(『曲げられない女』)、第14回日刊スポーツドラマグランプリ 主演女優賞(『ギルティ 悪魔と契約した女』)

2010年10月ドラマ『ギルティ 悪魔と契約した女』(関西テレビ)に主演。連続ドラマでは1999年の『恋の奇跡』(テレビ朝日)以来、11年ぶりに悪女役を演じた(単発ドラマを含めると2006年の『里見八犬伝』以来4年ぶり)。

2013年3月、映画『大奥〜永遠〜[右衛門佐・綱吉篇]』での共演をきっかけに交際していた俳優の堺雅人と結婚に向けて準備に入っていることが所属事務所から明かされ、同年4月2日に婚姻届を提出した。

2015年5月4日、堺との間に第1子を妊娠していることを報告した。8月13日、第1子男児を出産。

2018年7月18日、堺との間に第2子を妊娠していることを報告した。12月3日、第2子女児の出産を報告。

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