大竹しのぶの「大切な」言葉たち~大竹しのぶの名言・人生・生き方など~



大竹しのぶの「大切な」言葉たち

毎年、父は自分の誕生日になると、『満〇歳の父より』って署名を添えた本を贈ってくれたんです。最初は『泣いた赤鬼』。次は『アルプスの少女ハイジ』。少し大きくなると『銀の匙』、中学生になると山本周五郎。その年齢にあわせて読んでほしい本を選んでいたんでしょうね。若くして求むれば老いて豊かなり、とか、その時々で父が感銘をうけた言葉も書かれていました。言葉を知るというのは、感情を育てること。そして知識を得ることで、知性も育つ。本を読む大切さを父は教えてくれました。私、だいぶ父親っ子だったんです。正義感が強いのも、曲がったことの大嫌いな父譲りの性格ですね。

さんまさんも野田さんも、今している仕事をお互いに尊敬しているのが大きいかもしれないですね。でも仕事とか関係なく、誰でも普通に会えます(笑)。会えないということは、過去の自分さえも否定しちゃうことですし。きっと向こうも、嫌な部分を忘れてくれているんだと思うんです。傷付いたり、傷付けたりっていうのがあったから別れたわけだけど、いいことも絶対にあって。そのいいことだけが残っているから、会ってくれるんでしょうね。

いまの高齢社会のなかで、幸せに年を取って死んでいける人って、一体どれくらいいるんだろうか? って。経済的な事情で特養に入れても、実はやりたくないかもしれないお遊戯とか折り紙とかして。“昔は楽しかったな”って思ってる人も、たくさんいるわけじゃないですか。本当に大きな問題だと思います。

お芝居と違って歌は一人なので、相手役が『楽器』という感じ。もっと密着感があるというか、愛し合っちゃう感じがします。『もっと来てよ!』『ドラムス!』みたいな(笑)。お芝居はやはり演出家がいるし、ルールがありますけど、音楽の人(演奏者)とは『こういう感じ、どう?』『ああ、いいね』って、言葉が単純になります。シンプル。それが楽しいです。

仕事はしなければいけないこと、生きるためにも。より良い仕事をしていこうと、努力するのは当たり前のこと。例えば台詞を覚えるというのは最低限のことで、より良くするのが稽古場です。そして、稽古場から帰ったらご飯を作る、洗濯をする、お風呂に入る、掃除もする。これも当たり前のこと。

体力があるのも、才能のひとつだと思う。

でもけっきょく、自分自身ってそんなに変わらないものかもしれなくて。あのとき足りなかったものは、今も足りないままだと思う。そのとき一生懸命やって、完璧だと思ったものも、あとから振り返れば全然だめだったりするし、きっと、そのときそのときで必死に頑張るだけなんでしょうね。70歳になっても80歳になっても、もしかしたら同じなんじゃないかな。

でもよくよく考えたら、これは私とさんまさんの「別れさえをも笑いにして生きていく」という関係性をポジティブに許してもらえた曲のように思えてきたんです。さんまさんも優さんも、表現の中で“笑い”という要素をとても大切に捉えているお二人ですし、これで皆さんに笑っていただけるのならばと思い直して。だから優さんには改めて「ありがとう」とお礼を伝えました。ただ娘(IMALU)に聴かせたら「えー、ちょっとうるさーい。優さんの歌で聴きたい」って言ってましたけど(笑)。

人間は優雅にゆったりと年を重ねていくものだと単純に思っていたけれど、全然違いますね。年を重ねたら重ねたで、問題は起き続けるんだっていうことがわかりました。問題が起きて、その都度悩んで。だから『楽になる』ってことは、もしかしたらないのかもしれない。『何もない時間』とか、そういうのはない人生を選んでるのかなと思います。

母親として100点は取れていないし、仕事でも100点はもちろん取れていない。それはそうですよね。でも、100点を目指して頑張るしかないわけで。

本当に頑張らなくちゃいけない時って、人生に何回かある感じがして。頑張らなくていい時には頑張らなくていい。きっとここが頑張り時って、自分でわかるはずだと思うから。そうやって生きてきたかなあと思いますね。

大変なことが起こった時、『ここはちょっと、やってやるか〜』っていう感じで乗り越える。それが人生かなって思うんですよね。そうして頑張ると、楽しいことは見えてきますよね。

大竹しのぶとは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

大竹しのぶ。

東京都出身。

東京都立小岩高等学校卒業、桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科中退。

IMALUは明石家さんまとの娘。

東京都西大井に一男四女の三女として生まれる。

中学2年のとき、東京に戻り江戸川区区立葛西第二中学校に編入。以降は江戸川区で育つ。

1973年、フォーリーブスの北公次主演のテレビドラマ『ボクは女学生』にて、北公次の相手役に合格し、芸能界デビュー。

1982年にTBSのドラマディレクターの服部晴治と結婚し1985年に長男を生む。

1987年に服部はガンにより死去。

1987年に『ひらけ!ポンキッキ』の挿入歌として歌った「かまっておんど」は、主婦やサラリーマン層にも受けて幼児向けの歌にとどまらないヒットとなった。

1988年に明石家さんまと再婚、1989年に長女IMALUを生んだが、1992年に長男とIMALUの親権を大竹が持つかたちで離婚。

1993年に篠山紀信撮影のヘアヌード写真集『闇の光』を発売。

2011年秋の褒章において、紫綬褒章を受章。

2016年、第67回NHK紅白歌合戦に初出場。

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