高畑充希の「大切な」言葉たち~高畑充希の名言・人生・生き方など~



高畑充希の「大切な」言葉たち

幼稚園の頃からミュージカルやお芝居ばかり観ていたので、聴くのもはもっぱらミュージカルのサントラ。英語を理解しないままミュージカル『レ・ミゼラブル』をほとんど全曲歌えるような子どもでした。だから、いわゆる流行のJ-POPとかほとんど聴いたことがなくて、同級生となかなか話が合わなくて。小学生の頃には将来は舞台に立ちたいと思うようになり、両親が応援してくれたのでコーラス教室に通っていました。

単純に、人と深く仲良くなるまでちょっと時間がかかるタイプなんです。役者さん同士だと「役」があるので、仲良くなろうと自分も飛び込むし、ひとつ越えちゃえば大丈夫なんですけど、たまに人見知りを発揮するときがあって…(笑)。上手くやりたいんだけど、自分がいっぱいいっぱいだと気持ちがまわらなかったり、何をしゃべっていいのかわからなくなるんです。

どんどん(肩の)力が抜けるようになったのは、やっぱり朝ドラのお陰かもしれません。最近は仕事の責任が大きくもなってきたけど、あれを乗り越えられたから大丈夫だろう、現場に行けばなんとかなるだろうという飛び込む勇気を手に入れたというか。いい意味で行き当たりばったりでいることが、お芝居に生っぽさを持たせてくれるのかなあ、とも思います。

竹内まりやさん作詞・作曲の「夏のモンタージュ」のレコーディングの時には、「自分らしく歌えばいい」とアドバイスしていただいたんですが、その頃はまだ16歳だったし、「自分らしさって何だろう?」と考えてしまったりしていましたね。でも、その時の「自分らしく歌う」という言葉は今もしっかり胸に刻まれています。

周りの人から、「それも運だし、縁だし、導かれてるものもあるから」って慰められたりして。どうしてもやりたいのに予定が合わない作品もあるし、逆にやってみたら得るものがすごく多かった作品もある。だから、すごく落ち込むような状況になっても、「今はそういうタイミングなんだろうな」「これがダメでも、次はすごくいい出会いがあるかも」という発想になりましたね。

常に「私はこう思う」という意志を持つことが大事なんだと思います。もちろん私も、自分にはない視点を持った人には似たいし、そういう人とこそ一緒にいたい。だけど人間は、完全にはわかり合えないからこそ一緒にいて発見があり感動が生まれるわけで。ちょっとの依存と自立が両立している関係が、私にとっては理想ですね。

昔は台本を読んで想像した正解に近づくことを目標にしていたし、100%達成できるものがあると思い込んでいた。でもいまは、現場に行って初めて分かること、その場の臨場感で生み出せるものがあるなと。そのぶんダメだったときの落差は激しいけど、それが意外な空気を生み出したり共演者の方に助けられたことで次に繋がったり、面白くなることもあるんだと知りました。

私は小学校3年生くらいの時から夢が変わっていなくって、ずっと「舞台出たい!舞台出たい!」って言ってここまできたので、進路を考えなきゃいけない時間がなかったんです。だから、あんまり偉そうなこと言えないんですけど、『人生1回きりだから、やりたいと思ったことをとりあえずやってみて、失敗したら、その時考えてみたらいいんじゃないかな』と思います

私自身は、運命の出会いみたいなものを信じたい気持ちはありますけど、ビビッときた直感が違ったのかも、ということも経験としてありますし、お別れするときもう二度とこんな素敵な人に出会えないかもと泣いても、案外そうでもなかったりすることってあるじゃないですか(笑)。だから、運命は誰かと出会うことではなくて、出会った人と自分をフィットさせていくことでつくりあげていくことなんじゃとないかな思ったりします。

いちばん「伝わる」のは、自分の内面を表現して歌うことだ、ということもわかってきたような気がします。「自分らしく」というのは、きっとそういう意味なんだろうなって。

高畑充希とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

高畑充希。

大阪府東大阪市出身。

所属事務所はホリプロ。

所属レコード会社はワーナーミュージック・ジャパン。

法政大学キャリアデザイン学部卒業。

会社経営の父と母、祖父母の五人家族の一人っ子として育ち、舞台鑑賞が好きな両親の影響を受けて小学生の頃より舞台女優を志す。

幼い頃から『オペラ座の怪人』や蜷川幸雄作品に親しみ、同級生がアイドルやJポップの歌を聴く中、『レ・ミゼラブル』などのミュージカルのサントラを好んで聴いていた。

小学校から中学校までの間に舞台や芸能事務所のオーディションを十数回も受けて全て落ちていた。

数々のオーディションを受ける一方で、受からなかった時には早稲田大学の演劇研究会に入ろうと、小学校低学年から塾に通って猛勉強し、中高一貫の進学校である私立四天王寺中学校へと進んだ。

2005年、中学在学中に、両親のミュージカル好きが影響して参加したホリプロが創業45年を記念して主催する『山口百恵トリビュートミュージカル プレイバック part2 〜屋上の天使』の出演者オーディションで9621人の応募者から主演の座を獲得し、シンデレラガールとして女優デビューを果たした。

2007年から東京の高校に進学し、本格的に女優活動を開始。

2007年から2012年まで6年間にわたってミュージカル『ピーターパン』で8代目ピーターパン役を務めると、舞台『奇跡の人』『美男ですね』『コーヒープリンス1号店』で次々に主演を務めた。

2007年公開の『ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ』でホリプロ所属後初の映画出演を果たし、その後もTBS『3年B組金八先生』(第8シリーズ)をはじめとしてドラマ・映画等の映像作品に多数出演しており、2008年にはドラマ30の通算100作目にあたる『ナツコイ』(毎日放送)のヒロインに抜擢された。

女優としての活動の一方で、2007年6月に小渕プロデュースによるシングル「大切なもの」でワーナーミュージック・ジャパンよりアーティスト名「みつき」として歌手デビューを果たした。

その後、翌2008年にかけて「瞳ひらいて」、「夏のモンタージュ」(竹内まりや作詞・作曲、ドラマ『ナツコイ』主題歌)のシングル2作品を発表。また、河口恭吾や矢井田瞳らの楽曲提供を受けてファーストアルバム『COLOR』をリリース。

2010年4月に法政大学へ進学すると、大学4年に在学中の2013年11月よりNHK連続テレビ小説『ごちそうさん』にヒロインの義妹・西門希子役で出演。

オーディションで高畑の出演が決まると、高畑が出演していたミュージカル『スウィーニー・トッド〜フリート街の悪魔の理髪師〜』を観た脚本家の森下佳子がその歌声に惚れ込み、当て書きで歌唱シーンを追加。

劇中歌「焼氷有り〼の唄」で披露した歌唱力と演技力が一躍注目を集め、2014年3月にはアルバム『PLAY LIST』を「高畑充希」名義でリリース。

『ごちそうさん』放送終了後の2014年4月には、『未来ロケット』(フジテレビ)でバラエティー番組へ初のレギュラー出演、またチョーヤ梅酒『酔わないウメッシュ「独唱篇」』で初のCM出演も果たし、さらに同年7月には『軍師官兵衛』で大河ドラマ初出演も果たした。

2014年12月には『アオハライド』、『バンクーバーの朝日』と、出演映画2作品が立て続けに公開された。

2015年1-3月期のドラマ『問題のあるレストラン』(フジテレビ)でザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演女優賞を受賞、4月には、ディズニー映画『シンデレラ』で主人公・エラの吹替えに抜擢され、日本版エンドソング「夢はひそかに」を、城田優とともに担当。7月『煙霞 〜Gold Rush〜』でWOWOW連続ドラマ初出演。また、8-9月には長年出演を熱望していた蜷川幸雄演出の舞台作品(『靑い種子は太陽のなかにある』)にヒロインとして出演を果たし、本作の演技で読売演劇大賞優秀女優賞と杉村春子賞(新人賞)を受賞した。

2016年4月に放送開始したNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』ではヒロイン・小橋常子に選ばれ、連続ドラマ初主演を果たし、6月公開の映画『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』では、岩田剛典とともに映画初主演を務めた。

ORICON STYLE クイーン・アワード2016を受賞。また『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』での演技が評価され、第40回日本アカデミー賞新人俳優賞、第26回日本映画批評家大賞新人女優賞(小森和子賞)を受賞、その年最も活躍し将来の活躍が期待される俳優に贈られるエランドール賞新人賞に加えて、橋田賞新人賞受賞の栄誉にも輝いた。

2017年7月期の『過保護のカホコ』(日本テレビ)で民放連続ドラマ初主演。

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