【東京都東大和市】「芋窪」の地名由来~東京北多摩の歴史散歩~


【東京都東大和市】「芋窪」の地名由来~東京北多摩の歴史散歩~

東大和市「芋窪」。

江戸時代から芋窪村が存在していましたが、芋窪の地名由来は定かではないようです。

芋窪は「井の窪」とも書き、古くから湧水のある窪地といった意味合いが有力です。

その他、芋久保、井能窪、井野窪など、時代や文献によって表記は様々あるそうです。

今は芋窪街道が有名ですね(^^)

 

 

東大和市「芋窪」の地名由来

 

芋窪の地名由来は定かではありませんが、「井の窪」とも書き、古くから湧水のある窪地といった意味合いとする説が一般的のようです。

江戸時代の村名に「芋久保」と書かれることも多く、他に、井能窪、井野窪など、時代や文献によって表記は様々にあるといいます。

芋窪村は「多摩湖」と呼ばれる村山貯水池に沈んだ石川の谷戸と南麓の根通りに営まれた古村を母体とします。

 

 

芋窪街道

 

芋窪街道とは、東京都道43号立川東大和線のうち、東京都立川市の高松町二丁目交差点から東大和市の蔵敷公民館北交差点までの区間の通称のことです。

立川と東大和市、芋窪を結ぶ街道です。

泉体育館駅付近からは多摩都市モノレールと合流し、上北台駅までモノレールと重なって通っています。

モノレールと重なる部分の街道はかなり整備され道幅も広がり、景観も変わりました。

 

 

豊鹿嶋神社(東大和市芋窪)

豊鹿嶋神社は、東大和市芋窪にある豊鹿嶋神社です。

豊鹿嶋神社は、蘇我倉山田石川麿が慶雲4年(707)に創建したといいます。

 

明治14年には郷社に列格していました。

都内にある唯一の室町時代の神社建築。本殿は東京都有形文化財に指定されています。

 

古くから芋窪の鎮守として地元で「かしま様」と村民に親しまれ、守られてきました。

木彫の狛犬も市の文化財です。

 

 

豊鹿嶋神社例大祭・芋窪囃子

芋窪村の中には数軒の織物業があり、通称「目蔵島織り」と呼ばれていたようです。

農産物としてはさつま芋、大麦、小麦、陸稲などが作られておりました。

 

この静かな村に1~2ケ月雨が降らない時があり、村人達が氏神様の前で鐘や太鼓獅子頭などで華やかに神様にお願いしたところ、「雨が降り出した」と言われています。

それからは事あるごとにまつりたて、それが芋窪囃子の生まれる元になっています。

 

芋窪囃子は、毎年9月第2土曜、日曜に行われる豊鹿嶋神社例大祭でみることができます。

 

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