子どもたちは夏休みを終え、2学期が始まりました。
みなさんは、子どもの頃の夏休みの宿題は問題なくスムーズに終えられましたか?
夏休みの最初に宿題の大半を済ませる人、夏休みの終わりころ、一気宿題を終わらせる人、様々でしたね。
そういえば、あの頃の宿題の進め方、今、大人になっても、今の仕事の進め方と同じような気がします。
仕事のプロジェクトも、早い段階で終える人と、期日間近で圧倒的集中力を発揮し乗り切る人。
大人になっても変わらないのかもしれません。
さて、夏休みの宿題。
夏休みの自由研究も問題が出てきていますが、子どもたちの教育そのものにも通じる問題ではないでしょうか。
今回はAI時代、私たちの未来を託す子どもたちにどのような教育が好ましいのか、個人的視点でお伝えします!
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昭和の教育システム。
暗記重視の教育であったことは、否めないことかもしれませんね。
最近は暗記重視の弊害を議論するムードは高まっていますが、やはりまだ定まった方向性は見い出せていないようにも感じます。
英語の単語をひたすら覚えて、例文も丸暗記。
英語の点数を取るためには、スペル一つも間違えることができない。
優秀な生徒は、一度見たものを「画像」を映すかのように脳に暗記できる人でした。
問いに対する一つの答えを暗記する能力ですね。
この暗記教育に関するコメントで参考になるのが大前研一氏。
ご存知、大前研一氏と言えば、まさに秀才の一人。
早稲田大学理工学部卒業後、東京工業大学大学院原子核工学科で修士号を、マサチューセッツ工科大学大学院原子力工学科で博士号を取得し、(株)日立製作所原子力開発部技師を経て、マッキンゼー・アンド・カンパニー・インクでアジア太平洋地区会長まで上り詰めました。
以下、大前研一氏のコメントの一部です。
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20世紀の教育は、最初から「答え」があって、児童・生徒にそれを覚えさせるトレーニングだった。しかし、21世紀は「答えがない」時代であり、先生も答えがわからない。そこでは、自分で質問して論理を組み立てて答えを推測し、クラスの仲間と議論する中でリーダーシップをふるって周囲の人たちを説得して一つの結論に導く(答えにたどり着く)能力が求められる。
先生は、そういう能力を児童・生徒から引き出すために、「君はどう思う?」「あなたの意見は?」というように平等な議論のプロセスを主導する存在に徹しなければならないのだ。もちろんクラスの中でそういう議論を推進する能力のある児童・生徒がいれば、どしどし役割を入れ替わって“リーダーシップ”を発揮してもらう。それを見抜くのも指導者の役割、ということになる。
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特にビジネス社会は「答え」が一つではありません。
学校で教わった「一つの答え」、Q&A方式ではビジネスが成り立たないのはご存知の通りかと思います。
ビジネスだけではありません。
私たちの人生、生活においてもそう。
生き方、人生も「一つの答え」だけではなく、無限の可能性があり、それぞれがそれぞれの正解ですよね?
さらに、「答え」だけではありません。
「問い」そのものを見出す能力もそうかもしれません。
今、会社で何が起こっていて、その原因は何か。
原因を追究するための本質的、潜在的課題の抽出。
「問い」そのものを感じ取り、調査し、明文化し、他の仲間と共有する能力。
そしてリーダーシップ能力。
これらは、学校では習ってはいませんね。
でも、ビジネス社会、いや、自分自身の人生そのものをより良くする能力に結び付くかもしれません。
答えのない問いへの対応力、その「問い」自体の構成力、そしてリーダーシップ。
まさに21世紀の教育かもしれません。
昨今、耳にするAI(人工知能)。
今後なくなる仕事、職種に関する情報は溢れかえっています。
ご存知、AIとロボット技術の融合で、体力・頭脳共に「単純労働」は代替されていくことはほぼ間違いないでしょう。
10年後には目の前の労働環境も大きく変わっていくのではないでしょうか。
その中、子どもたちは、何を重視して身に付けるべきなのでしょうか。
英単語をただひたすら暗記し、1文字のスペルも間違えずに、テスト用紙に記入できる能力でしょうか?
計算能力もそうです。
一昔前までは、「計算が早い」「暗記力がある」と言ったことがいわゆる、「頭が良い」と言われて来ました。
今はもう「百科事典みたいな人」というのは褒め言葉にはならないのかもしれません。
すでに、逆の意味で使われてしまう、そんな時代が到来するのではないでしょうか。
「暗記」すること自体に、価値が薄れていく、そんな時代かもしれません。
では、子どもたちは、何を重視して学んでいくべきなのでしょうか。
そういえば、以前「情報通信白書」の中に、興味深い資料がありました。
それが以下です。
「人工知能(AI)の普及に求められる人材と必要な能力」
(出典)総務省「ICTの進化が雇用と働き方に及ぼす影響に関する調査研究」(平成28年)
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人工知能(AI)の活用が一般化する時代に求められる能力として、特に重要だと考えるものは何かを有識者に対して尋ねたところ、「業務遂行能力」や「基礎的素養」よりも、「チャレンジ精神や主体性、行動力、洞察力などの人間的資質」や「企画発想力や創造性」を挙げる人が多かった。
平成28年度版:情報通信白書より
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平成28年度版情報通信白書によると、AI時代、「チャレンジ精神や主体性、行動力、洞察力などの人間的資質」や「企画発想力や創造性」の能力が重視されているんですね。
「人間力」、「創造力」といったところでしょうか。
AIができないこと、AIに代替されない能力かもしれません。
そもそもAIとは、過去の膨大なデータを基に分析し、過去の最善解を見出します。
つまり、AIは過去でしか、未来を見ることができないんですね。
現在のところ、「白紙の未来」の答えを出すことができません。
AIは「初めて」のことはお手上げなんです。
新しい未来を見出す力、これは私たちが作り出すほかないのではないでしょうか。
「人間力」と「創造力」。
これからの子どもたちの学ぶべき大きなヒントかもしれません。
AIから職を奪われる存在となるか、AIを駆使しAIの仕組みを使いこなす人材となるか、分岐点ではないでしょうか。
「創造力」はこれからの教育における大きなヒントかもしれません。
でも、この「創造力」。
日本において、育ちにくい環境があるのではないか、と個人的には思っています。
それが「他人と違うことを述べることの難しさ」です。
学校の授業は、自らの意見を述べることが「恥ずかしい」んですね。
特に他の人と同じことを重視される日本社会。
いわゆる「ムラ社会」。
「あいつ、なに言ってんだ?」
「よくもあんなこと堂々と言えるね?」
「常識では全く違うよ!」
そんな声が聞こえてきそうです。
画期的な創造性を内に持っていても、「外へ発信することの難しさ」があると言えそうです。
大多数の意見は、単なる一つの意見です。
正解ではありません。
30人のクラスであれば、30人なりの答えがあって良いはずです。
違うことが前提となっているのかどうかではないでしょうか。
「間違ってもいいから言ってみよう!」
「そんな見方もあるんだね!」
「違うことはいいことなんだ!」
このような土壌があれば、様々な潜在的意見が次々と出てくるのではないでしょうか。
新たな発見もあるはずです。
「違い」は、それ自体「価値」です。
他人と違うオリジナリティ、考え方、経験は、これからの時代、非常に重要な素質と言えるかもしれません。
夏休みの学校の宿題と言えば、自由研究と読書感想文。
個人的には、この2つ、実は非常に良い宿題ではないか、と思っています。
単なるドリルをひたすら繰り返す宿題より、将来の実社会における重要なトレーニングだと思っています。
何が良いのか。
それは、自ら何をするのか、何を読むのか、決めるところから始めるからです。
冒頭にもありましたが、まさに「課題設定」の能力の一つかもしれません。
大事なのは、その目的だと思っています。
なぜ、その自由研究を選んだのか、なぜ、その本を読んだのか。
その選択する目的をよく考えられる人に育ってほしい。
「台風を調べてきました!」のであれば、なぜ台風を選んだのか。
「光合成について調べてきました!」のであれば。なぜ光合成を選んだのか。
自由研究は、その目的を考える練習をする場にしてほしい。
そう思っています。
自由研究のような「目的選択」トレーニングは、必ず人生に反映されていきます。
なぜ、その職業を選んだのか、その目的は?
なぜ、その会社を興したのか、その目的は?
なぜ、生きているのか、その目的は?
「目的」を見出す能力そのものは、自らの人生を決めるための能力にもつながるのではないでしょうか。
自分なりの、誰にも代えがたい人生を創ることが「教育」の目的だと、個人的には思っています。
人生は流されるように過ごしてほしくない。
自らつかみ取る人生であってほしい。
就職するにしても、独立するにしても。
それが、「目的を創造する力」かもしれません。
自分の人生の目的に気付き、築く能力。
それが、教育の本来の目的だと個人的には思っています。
名言を贈ります。
自分の中で、ひとつ支えになっていたのは、小学校6年生の時の家庭学習です。週末に出る宿題で、自分の好きなお魚を調べて絵と文を書き続けました。当然、毎回毎回、お魚のことを提出していたら、担任の先生が「職員室ですごい評判だよ。絵も上手だから廊下に貼り出そう」と、仰ってくださって。自分の描いたお魚の絵をちりばめた壁新聞を、周りの友だちも立ち止まって見てくれたんです。それで、描く喜びがさらに増していき、お魚のことを伝える楽しさを知りました。この時の嬉しさは、いま、新聞や雑誌で連載させていただいている喜びの原点です。
さかなクン(宮澤正之)
子供の頃から「これをやりなさい」と言われるのが苦手で、宿題も一切やらない子でした(笑)。だからこそ、人にも押し付けたくないんです。何が自分の幸せか、何をどう変えると幸せになれるかは個人差があります。私はたまたまこのやり方で変われたけれど、人によっては違う場所、違うことで幸せになれる方もいると思います。
わたなべぽん/漫画家
AIが代替できない能力の向上。「課題設定・解決力」と「異質なものを組み合わせる力」は、非連続なイノベーションを自ら生み出す力となる。
金丸恭文/フューチャー株式会社代表
私は、今の時代にビジネスの場で求められる能力を「硬いもの」と「柔らかいもの」の二つに分けています。過去の固定化した常識や知識は「硬いもの」。一方、ひらめき力や想像力は「柔らかいもの」。今後は、AIの普及などによって、「硬いもの」は機械に代替され「柔らかいもの」がより求められるようになります。言い換えれば、「理由はわからないけど、何となくAが正しい気がする」と先を読む力のことです。
児玉光雄/スポーツ心理学者、工学博士
あらゆる創造には出発点がある。その出発点は、たとえば子供が夏休みの自由研究で求められる創意工夫のレベルでいい。発明コンクールに出品するとなると、すごいアイデアを出そうと構えてしまうが、母親が困っていることを素直に聞くと、意外と良いアイデアが出ることは多い。大事なのは、そういうプロセスを継続していくことである。大きなブレイクスルーは、ほとんどの場合、小さな創意工夫の積み重ねの先にある。
森澤篤/経営コンサルタント
仕事や人生において重要なのは目的であって、手段ではありません。「仕事時間を短縮すること」も、あくまで手段にすぎない。まずは人生の目的を設定して、「自分はこれを成し遂げたいから、そのための勉強や自己啓発の時間を確保しよう」と決めること。
堀紘一/DI創業者
世界中どの国でも同じだが、サラリーマンには2つの種族がいる。ひとつは、会社と自分の人生とを重ね合わせている人たちだ。いうまでもなく、日本にはこのタイプが多いと思う。もうひとつは、確固とした自分があって、人生上の目的や夢を実現するために、会社という仕組みを使ってやろうと考える人たちだ。
平松庚三/小僧com創業者
ゴールデンゴールズに入ったからって、野球で成功しなくてもいいんです。いい言葉を使えるようになったり運のため方を覚えて、野球をやめたあとも素敵な人生を送れる人に育ってほしい。僕にとって、それも一つの目的だったんですよね。
萩本欽一
人は食べるためだけに生きられるわけではありません。喜びを知ることが究極の目的でしょう。だからそれが一流企業に入ることで得られると思えば就職すればいいし、芸術をまっとうすることで得られるなら芸術家を目指せばいいのです。もっともその喜びも、人生の中のほんの一部でしょう。あとは背負うばかりです。しかし、背負うと思うか、背負わされていると思うかその違いはとてつもなく大きいと思います。
宮田亮平/東京藝術大学学長
私は教養を学ぶ究極の目的は、「一生を棒に振ってもいいと思えるものに出合う」ことだと思っています。仕事なんてせいぜい65歳までです。私も「人工知能」と「量子力学」というライフワークがあるため、この年になっても楽しい人生を過ごしています。
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