新しいことに挑戦、チャレンジする人を応援したい。
私達日本人一人一人が、50cm前に一歩進むと、地球一周分に匹敵するのです。
それが、私の50センチ革命。
一人一人の個人が、一歩前に進むこと。
これが、新しい未来を生み出すのではないでしょうか。
元気になれる名言や格言、言葉や発言を「人物」にフォーカスしてご紹介いたします。
目の前にある、小さなものでも構いません。
新しい一歩を!
過去と他人は変えられない。
変えられるのは自分と未来だけです!
Contents
富山で黒人がいるのは一家族ぐらいでしたし、もの珍しさで休み時間にみんな自分のことを見に来たり、そういうので嫌な思いはしていました。
本当に小さい頃から兄妹でずっと見てて、今でも見てる。すごく好きなんですよ、(クレヨン)しんちゃんが。
牛丼好きでしたね、すき家が好きで吉野家も好きで…あっ松屋も好きですしなか卯も好きです、全部好きっすね(笑)。
小学校のときは1年生から6年生まで野球をやっていたんですよ。でもなんか、違うなぁと思って。他のスポーツをやりたいなあっと思って探しているときに、バスケットが……。いや、バスケっていう感じじゃなくて、陸上とか適当にやろうかなあと思ってたんですけれど、クラスメートにバスケの子が一人いて、その子が『来い、来い』ってしつこくて(笑)。本当にしつこくて、毎日来てました、2週間ぐらいずっと。部活を決める期間ってあるじゃないですか。本当にしつこく『わかった。行くから』って言ったら、コーチがすごくウエルカムしてくれて。見学のつもりがプレーまでさせられて『おぉ、いいぞ~!』って言ってくれて……。
バスケを楽しむっていう事が僕の原点。
中学校で(バスケット部)に入って、本当に何もできない、バスケをしたことのないような子を見て、どうやって『お前はNBAに行くんだ』って言ったのか。しかもコーチはジョークでもなんでもなかったですし、本気で言っていた。僕も最初は『NBA』がなんだか分かってなかったですし、でもそう言ってくれたから、僕もそのときは子供、バカだったんで、それを信じてやってきた。
バスケットボールは僕の人生の一部。
富山は本当に何もない場所なんですけど、僕、基本的に落ち着いている場所が好きで、あと山ですかね、ああいうデカイ山に囲まれて海もある街はあまり無いと思います。どこに行っても。色んな街に行きましたが、富山みたいな街どこにも無いと思います。
自分の心の中に自分を信じていた部分があった。
バスケというのはスポーツの中でもすごい黒人が多いスポーツで、黒人でデカくて、そういうのがすごくカッコいいというのは、本当にカッコいい、憧れみたいなもので僕もすごい勇気というか、元気づけられた。
僕の一つの夢というか、目標というのは子供たちに影響を与えることなので、そういう子供たちがいるのはすごくうれしいです。
こんなに大変とは思いませんでしたが、大変でした。でもこれが、NBAに行くという私の目標を達成する唯一の道でした。英語が話せなかったら、NBAでプレーできないんです。
背負うものの重さは感じるんですけれど、それを感じても仕方ないし、考えても仕方ない。
本当に自分の家族、自分、日本にとってもいろんな意味を持っています。感謝しています。まずは中学のコーチに感謝したいです。最初の練習で彼はボクがNBAへ行くと言ったので、それをずっと信じてやってやってきました。高校の先生、大学のコーチみなさんに感謝します。
僕はこの3年間で(佐藤)久夫先生に言われて嬉しかったことがあります。それは『お前はハーフの大将なんだぞ。塁を見てみんなが頑張ろうとしているんだ』と言ってくれたことです。
日本には僕のような肌の色が黒いハーフのアジア人がたくさんいるし、スポーツ選手も、バスケ選手もたくさんいる。彼らは何かしら試練を抱えている。僕はそんな子供たちがスポーツを楽しんだり、英語を話せるようになるための力になりたい。
まずは思いつく限りの手段を試す。遠回りだと感じる人がいたとしても自分に合うものを見つけることが重要。
自分を信じることが大事。人に何かを言われ、いろいろな意見があっても、夢に向かっていけるか。
背負うものの重さは感じるんですけれど、それを感じてもしかたないし、考えてもしかたない。あまり考えすぎると自分のやるべきことが絡まったりするので、そういう重さみたいなものは横に置いといて、あまり考えないようにしています。僕が心がけているのは、自分とチームの目標に向けて、毎日毎日やるべきことをやるだけ。
どれだけ自分を信じるかじゃないかな。
『NBAに行けるのかな』ということもあったが、日本に戻ったら絶対に終わっていた。乗り越えられたのは、自分の奥に、もっとできると自分を信じていた部分があったから。
苦しい時こそ価値がある、そういって大学時代のコーチは僕を鼓舞し続けてくれました。困難を乗り越えた経験が可能性を広げるのだ、と。アメリカでは練習中にチームメイトと衝突するのが日常茶飯事。それがチームの絆を強くする。そういった文化に触れたことで、可能性を信じよう、前向きでいようと考えるようになりました。
日本人とベナンのハーフでずっとやってきて、日本でずっと育ってきて、それもすごく、それが一番僕の心の中に残っている。
アメリカでは僕はアジア人だと思われてる。
アメリカに行っても僕がどれだけユニークが分かりました。
運動能力や身体能力は父から、勤勉さや中心選手としてチームの調和を図る姿勢は母から譲り受けた。
僕みたいな人は本当に世の中にいないんです。ベナンと日本という人種的にもそうですけど、性格もやっぱり自分みたいな人はいないです。ユニークであることを誇りに思います。
ハーフであることで2つの国のものを持てるのは、いいこと以外、何もないと思います。
どれだけ自分を見せるというか、悪い言い方をしたら自己中ですね。そういうのもバスケには必要。
自分を出せる人が勝つ。
始めなきゃ、始まらない。
どれだけ自分を信じるか。
八村塁。
富山県出身。
日本人の母・麻紀子とベナン人の父・ザカリの長男として生まれる。
富山県で生まれ育ち、英語は殆ど喋れなかった。
肌の色の違いから幼少期は引っ込み思案で自分に自信がなかったという。
幼少時は陸上の短距離と野球をやっていた。
投手と捕手を兼任しており、イチローに憧れていた。
同級生から、バスケットボールを勧められ、入部した。
富山市立奥田中学校で第42回全国中学校バスケットボール大会準優勝、大会ベスト5に選出される。
宮城県の私立明成高等学校に入学し、1年生で出場した第44回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会では、決勝戦でゴール下を支配し、32得点を挙げ、明成高等学校の優勝に貢献した。
2年生の第45回大会に於いても2年連続優勝に貢献し、第44回から2大会連続でベスト5に選ばれている。
また2015年夏に開催された第68回インターハイでは、決勝で愛知県の桜丘高等学校を92-69で破り初優勝した。
ウインターカップ2015の男子決勝では34得点、19リバウンドを記録し、明成が78-73で土浦日大に逆転勝利で大会三連覇を達成した。
2014年8月ドバイで行われたU-17世界選手権で日本代表としてアメリカの代表と対戦した。
日本代表は高校生のベストメンバーを揃えて臨んだが、122対38の大敗を喫した中で、八村はチームの38点のうち25得点を奪う孤軍奮闘を見せ、試合後のインタビューで八村は「すごく楽しかったです。苦しくないです。楽しくて苦しいんです。」と語っている。
八村はこの世界選手権で大会得点王(平均22.6点)を獲得した。
2015年にバスケットボール男子日本代表候補に高校生選手としては唯一選ばれている。
英語が苦手だったにもかかわらず、NBAの夢を追いかけ、渡米を決意。
ゴンザガ大学に進学。
当初は日本人の気質特有の消極性からレギュラーから外されていたが、コーチ指導の下、自己主張の必要性を感じ、自分らしさを出していった。
2016年11月5日に初出場を果たし、11分出場で、9得点、3リバウンドを記録した。
チームはWCCカンファレンスで優勝してNCAAトーナメントに進出。
八村は1回戦で1分出場し、NCAAトーナメントに日本人として初めて出場した。
さらに準々決勝・ゼイビア大戦の残り1分を切ったところで出場機会を与えられると3ポイントシュートで日本人初得点を決めた。
ゴンザガ大はトーナメントで準優勝した。
八村は28試合に出場、1試合平均4.6分で2.6得点1.4リバウンド。
個人技として自己主張を発揮する一方、日本人らしさの「思いやり」気質がチームからの信頼を得る大きな武器となり、徐々にチーム全体のリーダーシップをも発揮していく。
2017-18シーズンは2試合のスターターを含む37試合に出場し、11.6得点、4.7リバウンドの記録を残した。
2018年3月22日、2年連続で進出したNCAAトーナメントでは、フロリダ州立大学に敗れ、スウィート16に終わった。
2年連続のファイナル4進出とはならずゴンザガ大2年目のシーズンを終えた。
2018年6月、韓国との強化試合で日本代表デビュー。
アメリカがバスケシーズンとなるまでの間に出場したワールドカップ予選4試合で勝利に貢献し、予選突破に貢献した。
2019年4月15日、2019年のNBAドラフトにエントリーを表明し、2019年6月20日、ワシントン・ウィザーズから一巡目9位指名を受けた。
日本人でNBAドラフト指名を受けたのは岡山恭崇以来で、1巡目指名は初の快挙となった。
2019年6月22日、日本人初となるエア・ジョーダンと契約したことが発表された。
2019年7月、ワールドカップ中国大会の日本代表に選出。
大会直前の強化試合で世界ランク22位のドイツに勝利し、自身はチーム最多の31得点。
W杯では対戦相手の徹底マークに苦しみ、アメリカ戦ではハリソン・バーンズのマークに苦しみ4得点に封じられたが、NBAブロック王のマイルス・ターナーのブロックをかわして決めたダンクは大会6日目のトップ3プレーに選出された。
2019年10月23日、シーズン開幕戦でスターターとしてデビューし、14得点、10リバウンドのダブルダブルを記録した。
2019年10月26日、エースのブラッドリー・ビールが不振の中、19得点の活躍を見せオクラホマシティ・サンダーに97-85で勝利した。
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