新しいことに挑戦、チャレンジする人を応援したい。
私達日本人一人一人が、50cm前に一歩進むと、地球一周分に匹敵するのです。
それが、私の50センチ革命。
一人一人の個人が、一歩前に進むこと。
これが、新しい未来を生み出すのではないでしょうか。
元気になれる名言や格言、言葉や発言を「人物」にフォーカスしてご紹介いたします。
目の前にある、小さなものでも構いません。
新しい一歩を!
過去と他人は変えられない。
変えられるのは自分と未来だけです!
Contents
元気な挨拶こそが充実した一日を約束してくれる。
焦らなくていい大きな山はゆっくり登れ。
人間はやはり悔しい思いも経験しなければダメだと思う。悔しい思い出の数だけ人としての力が増すと言ってもいいかもしれない。
私の教え方は夢と希望を持たせることです。「勝てるよ、世界一になれるよお前なら絶対出来る!」と毎日誠心誠意言い聞かせると心が通じて人間の脳は「なるほどな!」となるわけです。
牛乳を飲む人より、牛乳を配る人のほうがよっぽど丈夫だ。
選手が「自分から進んでやっているんだ」と思えるような、自発的で積極的な形を取らないと、本番で力を出すことができないのではないかと思う。だから私は、練習を始めるにあたって選手にいつもいっている。「練習はほかでもない自分のためにやるものなんだ。自分でもう少しいいタイムを出したいと思ったら、精一杯頑張ってみたらどうだ」と。
何でもかんでも褒めればいいわけじゃない。よく「小出は選手を褒めて育てる」と言われるけれど、とんでもない。褒めるだけで人間が育つはずがない。人間はどうしても楽なほうに逃げて、苦しいほうに行きたがらないものです。それをどうやって動かすのか。褒める時もあるし、叱る時もある。アドバイスや注意をする時もある。そういうことをうまく組み合わせて指導するんですよ。
褒める時には、お世辞で褒めるんじゃなくて、腹の底からそう思って相手の心に響くように褒める。叱る時には感情的に叱るんじゃなくて、相手が納得できるような意味のある叱り方をする。言葉の役割はものすごく大きいんです。言葉を大事にするのも良い指導者の条件です。
褒め方もタイミングです。いい事をした瞬間を見逃さずに褒める。だから観察が必要、ただ可愛がるだけではダメです。そしてその子に夢を持たせる褒め方がいい。とにかくどんな子でも褒めるところはある。
選手を褒めて自信を持たせることは大事だが、それが単なるお世辞であってはいけない。私が褒めるという意味は、あくまでも本当のことをいってあげるということだ。つまり本心を伝えるのである。心で思っていても通じない人がほとんどなのだ。だから私は言葉を惜しんだりしないで、思っていることは素直に口に出していう。とくにタイムが伸びないので落ち込んでいる選手などに対しては、積極的に声を掛けてやる必要がある。「おまえはよく頑張っているよ。ただ、いまはちょっと疲れているようだな。だけど心配することはないぞ。ちょっと休めば、すぐに回復するからな」こういう言葉を掛けて、自信を持たせることが大切なのだ。
大胆さと緻密さの両方が必要。怖がっていては何も始まらない。
私は、みんなによくこういっている。 「ほかの人と比較するんじゃないよ。比較しちゃ絶対に駄目だよ。いつでも、自分がいまよりも強くなることだけを考えなさい」自分をほかの人と比較すると、どうしても勝ち負けにこだわることになる。もしも負けたら、自分が嫌になってしまう。たとえ負けはしなくとも、相手が強いと、そちらのほうにばかり目がいき、ストレスを溜め込んでしまうことになる。つねにイライラした状態がつづき、しまいには選手としては駄目になってしまう。
『おまえは、世界一になれる!』と、毎日のように言い続けたのだ。高橋(尚子選手)にしてみれば、365日『おまえは世界一になれる』と同じことを言われていると、本当はなれっこないと半信半疑でも『あれ、もしかしたらなれるのかな』とその気になってくる。だが私は本当の本気だった。
会社にはいろいろな人がいます。能力が高い人もいればそうでない人もいる。けっしてデキる社員ばかりとは限らない。それを嘆いたり、あきらめたりしないで、少しずつでも全員がレベルアップできるように指導したほうが、絶対に楽しいし、会社も発展するはずですよ。そして指導をする時には、社員一人ひとりの個性を見て、それに合わせた方法で指導をする。それができるのが優秀な指導者じゃないのかな。
Qちゃんも最初は入れるのをためらったんですよ。実績もないし、大学まで出て年を取っていましたからね。だけどQちゃんは「お願いします。私を強くしてください。お給料は要りません。ごはんが食べられればいいんです」と言う。健気でしょう。僕は単純な性格だから「よーし、世界一にしてやる」ってなるじゃない(笑)
オリンピックで金メダルを取る夢はQちゃんこと高橋尚子とかなえることができたけど、最初は遅かったよ(笑)。大事なのは、まず目標を定めて方法を工夫することなんだ。当時、Qちゃんと世界記録との差が約10分、距離にして3キロメートルくらいかな。この10分をどうやって縮めることができるかを考えた。他のコーチなら5000メートルを4本走るメニューなどにするところだけど、距離が長いとスピードが出ない。Qちゃんはスピードを上げて1キロメートルにつき15秒縮めることを目標にしたんだ。これなら4キロで1分、40キロで10分縮めることができる。簡単な計算でしょ(笑)? あとは、その子に合った方法で実行していくだけでいいんだ。Qちゃんは最初、頭は左に傾き、 足先は横を向いて走っていました。「そんな『嫌だ嫌だ』って格好で走ってると記録も出ないよ」って言っても、簡単に直るものでもない。そこで道路の右側を走ることにしたんです。多くの道路は両脇が沈み、かまぼこ状になっている。通常は左側を走るから、左足の骨盤がずれて長くなってたんだ。2年半、右側を走らせると、体が自然に調整して頭が起きてきた。そのうちバランス良く走れるようになったんだよ。フォームを直せば速くなるんじゃない。自然な走りはその子の骨格に合ったフォームなんだから、良いところを伸ばしてあげればいい。力が付けばフォームも自然と良くなるんだから。やり方次第で人間はぐんぐん伸びると実感しましたね。
これは僕のやり方だけど、人間は「嬉しい」「楽しい」「好き」っていう状況の方が、嫌な気持ちでやるよりも断然いい仕事ができる。喜びを感じながら仕事をすると進歩するんだ。だから僕は怒らない。だって、年頃の女の子がユニフォームを着て練習に出てくるだけで偉いじゃない? タイムが悪かろうが、へたばろうが、怒るところなんて何一つありません。それと、一生懸命頑張ってる人には「頑張れ」ではなく「よく頑張ってるね」で十分。教師と生徒、お互いが気持ちよく過ごしながら夢を追いかけた方が必ずいい結果が出ますよ。じゃあ僕のモチベーションは何かって聞かれると、ずっと変わらず「かけっこが大好き」という気持ちだけ。寝ても覚めてもお酒を飲んでても、常にかけっこのことを考えてる。寝言で「○分○秒だぞ!」って叫ぶらしいよ(笑)。たかがかけっこだけど、本当に楽しいんだよ。
僕はいつもうちの選手たちに口を酸っぱくして言うんですけど、「自分だけ勝てばいいというのでは一流にはなれないよ」と。人間、嫉妬しているうちは本当の福は回ってこない。たとえライバルだとしても、人の喜びを「よかったね」と心から喜んであげて、「私も頑張るわ」と発奮剤にできるような人じゃないと伸びないと思います。企業であれば、「うちも儲けるからおたくも儲けてね」という姿勢が大事だと思います。
僕の場合はマラソンだけど、仕事に置き換えてみても一緒だと思うよ。目標があるなら、そこに辿り着くためにどうしたらいいかということを、深く深く考えていかないといけない。考えれば、アイデアは出てくるものだからね。そしてアイデアが出たら、人よりも頑張る。生半可なことじゃ難しいよ。出世をしたいなら、必死で利益を上げるサービスややり方を考えて、必死で働く。社長になりたいなら、どうすれば社長になれるかを考えて、動く。会社の経営だってそう。「今は不況だ、だからしょうがない」なんて思ってちゃそこで終わり。状況は改善できないよね。悪ければ、悪いなりにできることはあるはずなんだ。時間の使い方やコストを見直したり、営業の仕方を効率的にしたり、できることなんて考えればいくらでもあると思うよ。まずは、目的を果たすために考えに考え抜くこと。シンプルだけど、基本はそこだよね。
夢をかなえるにはチャンスをつかむことが大事。ただ、決断が遅いとチャンスを逃すと思うよ。決断には“勘”も必要だけど、勘とは運だけでなく、知識や経験が土台となって初めて冴えるもの。努力なしでは生まれないと思うんだよね。それは仕事も同じで、命がけでとことんやれば何でもできるし、夢はかなうよ。1番を目指す生き方は、祖父の影響も大きいかもしれないね。小さい頃、「忠臣蔵」の話などをよく聞かされてたんだ。祖父は「悪い人間でも、なるんなら1番悪い人間にならなくちゃ駄目だ」っていう考えの人。それは極端だけど、闘争心や向上心が芽生えたと思うよ。子どもにとって、大人の会話は大事。その子の生き方に影響を与えるんじゃないかな。子どもはみんな夢を持って生きている。そしてそれは大人も同じ。みんな夢を持って「生きてて嬉しい」と思える人生を送ってほしいですね。
どんな世界であってもいい、好きなものを一つ見つけなさい。そして、夢を失うことなく最後まで持ち続けなさい。夢を持ち続ける限り、心も体も若さも保つことができます。
選手としてメダルを狙うことはもちろん大事だ。だが、メダルのために人生があるのではない。あくまでも人生のためにメダルがあるのだ。
苦しい顔はしてもいいけど、嫌な顔はするなよ。
他人を超えるには、自分独自のやり方、考え方を実行しなければならない。
もしかしたら非常識だと言われるかもしれません。しかし非常識も正しければ結果は出ます。結果が出ればそれが常識となっていくのです。
太陽も、月も、自分を疑ったとしたら、その瞬間に光を失うだろう。
逆風は君を潰すためではなく飛躍させるために吹く。
笑顔で走りきれば結果はついてきます。
小出義雄。
1939年生まれ、千葉県佐倉市出身。
千葉県立山武農業高等学校卒業後、家業の農業に従事していたが、陸上競技への思い断ち難く、出奔。
電話工事のアルバイトや工事現場の作業員をやりながら食いつなぎ、昭和高圧(現在の高圧昭和ボンベ)駅伝部で競技を続けた後に苦学の末、22歳で順天堂大学体育学部に入学。
箱根駅伝に3年連続出場。
1965年に順天堂大学を卒業。
体育科・保健体育科教員となり、千葉県の公立高校教員に勤務。
千葉県立長生高等学校、千葉県立佐倉高等学校、船橋市立船橋高等学校で教鞭をとり、鈴木秀夫、河合美香らを育てた。
野木丈司は佐倉高校時代の教え子。
鈴木大地は市立船橋高校時代の教え子であり、順天堂大学の後輩。
1986年、第37回全国高等学校駅伝競走大会で市立船橋高校を優勝に導く。
1988年、教職を辞してリクルート・ランニングクラブ監督に就任。
素材を見抜く力にたけ、選手の心をつかむ、褒めて伸ばす指導で多くのレジェンドを育てた。
猛練習だけでなく、日本でいち早く高地トレーニングも導入するなど、科学的な視点も持ち合わせていた。
五輪で女子マラソン初の金メダルを獲得した高橋尚子さんら育て、92年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅の有森裕子さん、97年世界選手権金の鈴木博美さん、03年世界選手権銅メダルの千葉真子さんらも教え子。
1997年、リクルート部内の確執から積水化学工業に移籍し、女子陸上競技部監督に就任。
2001年6月に佐倉アスリート倶楽部(SAC)を設立し、代表取締役兼現場監督に就任。
2002年12月、積水化学を退社し、SACに専念。
2019年3月31日、SACと実業団ユニバーサルエンターテインメントとの指導委託契約が満了することに伴い、指導者業から勇退。
2019年4月24日、肺炎のため、順天堂大学医学部附属浦安病院で他界。享年80歳。
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