新しいことに挑戦、チャレンジする人を応援したい。
私達日本人一人一人が、50cm前に一歩進むと、地球一周分に匹敵するのです。
それが、私の50センチ革命。
一人一人の個人が、一歩前に進むこと。
これが、新しい未来を生み出すのではないでしょうか。
元気になれる名言や格言、言葉や発言を「人物」にフォーカスしてご紹介いたします。
目の前にある、小さなものでも構いません。
新しい一歩を!
過去と他人は変えられない。
変えられるのは自分と未来だけです!
Contents
実は点を決めるチャンスの前に、ゴールキーパーがいいセーブをして、試合の流れをつくっていることが多いんです。そこにやりがいを感じます。
「自分の仕事はチームを助けること」という気持ちを常に持つことが大事。
ぼくがイタリア留学をした18歳の時。日本で培ってきた常識や正解が、他の国では全然違う、というショックを受け、新しい価値観を初めて知ることになりました。それをきっかけに、自分が知らなかったことでも、少しでも興味を持ったことに対して、何でも試してみることにしました。語学、食文化、外国人とのコミュニケーション、資産運用など……。とにかく、今の常識にとらわれることなく、興味をもち、少しでも心がワクワクしたら、経験してみる習慣が身につきました。その習慣のおかげで、ベルギーという日本人のほとんどいない離れた国で、日々ワクワクを感じ、日々挑戦し、問題にぶつかれば解決し、その結果、新しい価値観を身につけていくという楽しさを覚えたのです。
実際のゲームでは必ず予想外のことが起こる。
イメージトレーニングというと、ポジティブなことだけを考える人が多いかもしれませんが、僕の場合はそんなこともありません。悪いイメージが浮かんできても、それはそれで大事にして、思いどおりにならない場面への対応を準備するようにしています。
自分にとって移動時間は試合の一部といってもいいくらい大切なものです。特にヨーロッパに来てからは、国内リーグと欧州リーグが重なり、今日はギリシャで、翌日にベルギー。翌週、代表戦で日本に帰って、さらに翌月はアイルランドってこともある。するとやっぱり、バスや飛行機に乗っている時間の使い方がすごく大事になってくるんです。
全体像を見ることが好きですね。ゴールキーパーは後ろからポジションを見るので、物事の全体を見るのがすごく好き。たとえば料理でパスタをつくるとき、できるまでの全体の流れを意識します。それを考えながら料理を始めます。
長時間の移動中、自分をゆっくりと振り返ることが多いですね。僕は、明確な目標を定めて、そこに到達するプロセスを逆算していくタイプなので、その時々で今の自分の立ち位置を確認する作業が必要になるんです。
実際のゲームが事前の想定どおりに進むなんてことはあり得ない。あらかじめ決め込んでしまうと、かえってピッチの上で柔軟なプレーができなくなってしまう。
日々、自分でも考えるんですよ。なんで自分がここまで、自分を追い込んで挑戦するのかなというのは。やっぱり、サッカーの世界のなかで常に最高峰のレベルに挑戦し続けたいという情熱もあるし、自分の限界を常に超えていきたいっていうもの大きな理由かなと思います。正直(2016年にフランス一部の)メスに行った時も、どうなるかは分からなかったし、ただ、自分のなかでは挑戦しないことには何も変えられないと思っていた。それは今も変わらないし、状況は難しいですけど別に悲観もしていない。最高峰に挑戦し続けるからこそ得られるものっていうのは、今の自分のなかで一番求めているものだし、そこはどんな状況になっても変える必要はないのかなっとは感じてますね。
良くない時に批判されることは当たり前だと思いますし、GKというポジション柄、常に点を取られるポジションなので、それを受け入れていかないといけません。その覚悟がなければ、あのピッチの上には立てないと思います。そのことに関しては全く問題ないと思います。
人柄というよりか、模範と言うのかな。言葉は、わからないですけど。結局、プラスアルファだと思うんですよ。例えば、自分の結果を追求するのは、ひとりの選手として誰でもやることなんだけど、そこからプラスアルファで何ができる人なのか、だと思うんですよね。正直、個人競技だったら何も言われない。もしかしたら、野球でも自分が結果を残すことが一番の功績なのかもしれない。でも、やっぱり、それだけじゃなくて、自分が今存在しているなかで、そのクラブに対して自分が何をもたらせるかとか、他の選手に対して何かプラスのものを与えられるのか、ということだと思うんですよね。
「なんで自分は、自分のことをこんなに考えているのかな」って思ったんです。それだけ信じて応援してくれる人、サポートしてくれる人がいるのに。信じてくれる人のために、自分はここでやらなかったら男じゃないなって思って。
自分の意見ははっきり言わないと、ミスや失敗などを擦り付けられて終わってしまうこともあります。みんな自分が批判されるのが怖いから、自分のせいにしてほしくないという気持ちがあって、人のせいにするんです。特にGKは失点するとターゲットにされがちですよね。そこで自分が黙ってしまうと、周囲からも「これはGKのせいだったんだ」で終わってしまう。自分の意見はしっかり言わないと、そういう環境の中ではやっていけません。日本人は何でも、相手の意見をいったん受け入れがちです。僕も日本で生まれ育っていますから、海外でプレーし始めた当初は「自分のせい」にされるのが、かなりキツかったんです。日本人のアイデンティティが通用しない中で、その感覚を持ち続けていたらやっていけない、と身をもって感じて。でも、そこからさらに長く海外でやらせてもらっている中で、わかってきたことがあって。それは、言う時は言わないといけない、でも相手を尊重する時はしっかり尊重しないといけない、ということです。自分が生まれ育った場所から得たアイデンティティは絶対にあるので、捨ててはいけないものがあると、後々から感じるようになりましたね。
日本では、ミスが大きく取り沙汰されてしまう文化が、GK含めてあると思います。例えば、ヨーロッパのトップレベルと見ると、常にミスをしないように考えつつ、どれだけ最高のプレーをするためにリスクを取っているか。フランスでプレーしている中でも、リスクを背負ってでも、前に出ていかなければ何も評価をされません。リスクを含めた選択肢の中で何ができるかを、非常に見られます。シュートを止めるため、リスクと隣り合わせの中で何ができるかが、GKとして最高のプレーを作っていく最大のポイントだと思います。日本の文化の中でそういうことにトライすることは難しいかもしれませんが、トライしていかなかったら、今より大きな日本人のGK像は出てこないと思います。
どんな状況でも、負ければGKの責任になる。最後はGKが止めるものなんです。どんな状況でも止めるというのが、攻めるセービングだと思う。
僕はゴールキーパーなので、チームがピンチになったときが、自分の仕事をすべきとき。ピンチを自分の力で跳ね返して初めて、チームを助け、勝利に貢献できる。
挑戦したいと思うなら、とにかく思い切って行ってみるのが一番。その上で言葉、文化が分からない苦しみを味わうかもしれないけど、挑戦する気持ちが大事になる。自分はサッカーを通じて、いろんな国に行かせてもらい、住まわせてもらうことで感じることもたくさんあった。サッカーがなければ、これだけ多くの世界を見させてもらってないと思う。語学を通じて、今後の日本人のアイデンティティ、世界から見た日本像は変わっていくと思う。素晴らしい価値は日本にあるし、それをこれから海外に出ていく若い人たちに担ってほしいと思っています。
してはいけないと思っているのは、過去を振り返ること。ずっと前を見ながら進んできた。自分が何をしたいか、何をすべきかを考え、ゼロからチャレンジする年にしたい。
結果が明確に出るアスリートの世界では、いいときもあれば、悪いときもあるのは当然のこと。だからこれからも、結果だけにとらわれず、常に最高のパフォーマンスができるよう、準備だけは怠らず、自分を磨いていきたい。
ヨーロッパでの経験を通し、仕事では“結果”、人生では“過程”が大切だと学びました。今、ストラスブールに来てから試合に1度しか出ていないんですけど、残ってトレーニングをしていると周囲から「お前はプロだな」と言われる。ただ、毎回そう言われる度に違和感があって。僕は、過程で満足せず、どれだけ“最後である結果”にこだわってフォーカスして取り組めるのかが真のプロだと思っています。それは、こっちで結果を求められ続けたからこそ感じること。逆に人生においては、自分の夢や目標に対して“過程をいかに楽しめるか”が醍醐味じゃないかと。海外で挑戦できるという、貴重なチャンスを自分がどう活かしていけるか。もし上手くいかなかったとしても最大限に追及して挑戦したという過程は、確実に“人生の大きな財産”になるし、それをたのしめることが大切かと感じています。
自分がどんな状況に置かれても、自分自身の役割だったり、貢献できると思ってやってきたことは変わらないし、逆にそれは自分がそういう時期があったからこそ、今、感じられることも多い。
自分なりのこだわりを持って妥協のないビジョンを描き、一歩一歩着実にステップを踏んでいきたい。そのためには、思考をシンプルにして、自分を見つめ直す時間がやっぱり重要。
自分が決めたことをしっかりとやれるかどうか、ではないかと思う。『授業中に寝ない』という自分のルールを守れるか守れないか、それがピッチ内の自分の規律に影響してくる。自分が目標に向かっていく過程でも、自分のルールがなければ辿り着けないもの。そういう意味では勉強をする意味はあったと思います。今の若い子たちに思うのは、無駄なことは何もないということ。その時に無駄かどうかは分からない。やってみて結果的に必要なければ捨てればいい。人生において、高校は勉強する時間を与えられているわけで、勉強してみたら、後々生きることもあれば生きないこともある。やってみるだけ、やってみてもいい。
シュートを止める方法は決してひとつじゃない。日本で教わってきたやり方を突き詰めていくだけじゃ世界では戦えない。
キーパーは、ピンチがチャンスなんです。
問題が起き、窮地に陥った時こそ、自分の人間力を試されるのである。
まずは、自分を認めること。それも、自分の弱さを認めること。それがぼくの思考の、根底にあります。だれもが先が不安になることがあります。だれもが壁にぶつかることがあります。そして、ぼくは強く見られることも多いですが、そうではありません。自分の弱さを自ら認め、不安や壁を乗り越えながら、夢を達成するために自分を信じ続ける、という事を日々意識しています。
意識の連続が無意識を生む。
人と同じことをしていれば人と同じにしかならない。
リスクを恐れていては成長はない。
いつも自分が考えているのは、過去に何が起こったかではなく、未来に何が起こるか。いつでも未来を変える準備はできている。
川島永嗣。
1983年生まれ、埼玉県与野市(現さいたま市中央区)出身。
少年時代は地元の与野八幡サッカースポーツ少年団で基礎を学ぶ。
当時からゴールキーパー志望で、セルヒオ・ゴイコチェアに憧れを抱いていた。
与野西中学校時代に本格的にキーパーのポジションを始めた。
埼玉県選抜に選ばれ、ドイツとオランダへ遠征。
その後埼玉県立浦和東高等学校へ進学し、3年の間に選手権・国体・高校総体と高校サッカー3大全国大会すべてに出場した。
学生時代の成績は優秀で、周囲からは大学進学を勧められていたが、プロでやっていくことを決断。
しかし、地元浦和レッズのセレクションは不合格となる。
その後もうひとつの地元クラブである大宮アルディージャへの加入が決定。
川島の獲得を決めたのは、当時大宮で強化部長の職にあった佐々木則夫(後にサッカー日本女子代表監督)である。
大宮加入後、イタリア・セリエAのパルマへ留学。
当時GKコーチを務めていたエルメス・フルゴーニの指導を受け、若手選手たちが出場する「ヴィニョーラ・トーナメント」に参加。
チームは優勝を果たし、川島自身はベストゴールキーパーに選出された。
2002年、AFCユース選手権に出場するU-19日本代表に選出され、不動のレギュラーとして活躍。
特に準決勝のウズベキスタン戦ではPK戦で2本止めるなどの活躍を見せた。
2003年12月に行われたFIFAワールドユース選手権でも、イングランド戦、エジプト戦で数々のスーパーセーブを見せ、チームのベスト8進出に貢献した。
2004年、複数舞い込んだ移籍話の中から、あえて当時日本代表で活躍していた楢崎正剛が在籍する名古屋グランパスエイトへ移籍。
しかし当時が円熟期にあった楢崎の牙城は堅く、公式戦では控えに甘んじる日々が続き、結果的にアテネオリンピックの代表メンバーからは外れた。
移籍後はカップ戦など出場機会が限られていたが、2006年にセフ・フェルホーセン新監督のもと新たなスタートを切った名古屋において、2005年シーズン終盤に負傷した楢崎に代わって先発出場。
楢崎が復帰した後も熾烈なレギュラー争いを続けた。
このシーズンは結果的にリーグ戦10試合、Jリーグカップ4試合に出場。
楢崎から正GKの座は奪えなかったものの、その能力の高さを改めてアピールした。
2006年のシーズン終了後、2007年シーズンにクラブ初のAFCチャンピオンズリーグ出場を控えている川崎フロンターレから獲得のラブコールを受け、当時の川崎のクラブ史上最高額となる1億5000万円の移籍金で完全移籍。
開幕から正GKとして全試合フル出場を達成し、それまで川崎の弱点と見られていたポジションを補って余りある活躍を見せた。
また移籍直後の2月14日には川口、山岸範宏、林彰洋らと共にフル代表候補合宿に初招集され、3月19日にはペルー戦以降ベンチ入りし、AFCアジアカップ2007でもメンバーに選ばれた。
2008年2月17日、東アジアサッカー選手権・対北朝鮮戦でフル代表デビューを果たした。
2010年5月30日のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会前のテストマッチ・対イングランド戦でフランク・ランパードのPKを阻止するなど強豪相手に好セーブを連発する活躍を見せ、楢崎に代わり本大会での正GKの座を獲得した。
本大会では、グループリーグ全3試合に出場、2失点という活躍でグループリーグ突破に貢献した。
決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦でも無失点に抑えたが、0−0のままPK戦となり、PK戦では5本全て決められ敗れた。
2010年7月7日、ベルギー・ジュピラーリーグ(1部)に昇格したばかりのリールセSKへ2年契約で完全移籍した。
12月には彩の国スポーツ功労賞を受賞。
2011年に開催されたアジアカップでも正GKとして起用されるものの、グループリーグ第2戦シリア戦では不可解な判定で退場し、準々決勝のカタール代表戦でも2失点するなど出来が危ぶまれた。
しかし、準決勝の韓国戦のPK戦では相手のシュートを2本止め、決勝のオーストラリア戦では多くの好セーブを見せて無失点に抑え、マンオブザマッチに選出される活躍で日本代表の2大会ぶりの優勝に貢献した。
リールセでは開幕戦から正GKとして起用されたものの、チームはなかなか勝利に恵まれず、毎試合大量失点を喫するなど常に残留争いの渦中にいたが、最終節のクラブ・ブルッヘ戦で、無失点に抑える活躍を見せ、逆転で昇格1年目となったリールセの1部残留に貢献したことで、リールセのサポーターの選ぶチームMVPに選出された。
2011年10月14日よりリールセの主将に任命された。
2011-12シーズンは、リーグ・カップ戦全36試合にフル出場し、前シーズンリーグワーストであった失点数も劇的に減るなど守備の要として2年連続での残留に貢献し、2季連続でチームMVPに選出された。
2012年7月17日、ジュピラーリーグ4位のスタンダール・リエージュと3年契約を結び、同クラブへの完全移籍が発表された。
2012-13シーズンは移籍1年目ながらリーグ戦全試合にフル出場した。
2014年6月に開催された2014 FIFAワールドカップでは、日本代表史上初めて背番号「1」をつけて試合に出場した。
2大会連続で全試合フル出場したが、チームはグループリーグで敗退した。
2014-15シーズンはシーズン中盤からレギュラーを外れた。
2015年5月23日、スタンダール・リエージュを退団する事が発表された。
2015年6月にスタンダール・リエージュを退団後は、移籍先が決まらずベルギーのチームやイタリア2部のノヴァーラ・カルチョ、岡崎慎司の所属するイングランドのレスター・シティFCなどのチームの練習に参加したが契約には繋がらず、無所属の状態が続いた。
また、無所属という事で長年選出されてきた日本代表からも外された。
10月には古巣のスタンダール・リエージュへ復帰する可能性があると報道されたが、11月3日にスコットランドのダンディー・ユナイテッドFCと加入合意したことが発表され、12月29日に正式に加入。
所属チームが決まった事もあり、2016年には代表復帰を果たした。
降格危機にあるチームの救世主として期待され、第22節ダンディーFC戦からミハウ・シュロムニクに代わって出場を続けたが、失点を減らすことはできず、2016年5月3日に降格が決定した。
6月3日に行われたブルガリア戦で約1年ぶりに日本代表として試合に出場し、2失点はしたものの試合終了間際のPKを止める活躍を見せた。
2016年8月、リーグ・アンのFCメスへの移籍が発表された。
しかし、クラブの公式ホームページで「川島は第3GKを務める」と発表され、スタメン出場が確約されない厳しい状態であると報道された。
4月18日、第31節のパリ・サンジェルマン戦でリーグ戦デビューを果たした。
5月14日、第37節のトゥールーズFC戦ではPKをストップして、フランスの有力紙でベストイレブンに選出された。
最終的には、第3GKとして加入した2016-17シーズンだったが、チームの第1GKとなり、代表でも正GKとしてポジションを奪い返した。
2018年1月27日に行われたOGCニース戦ではPKを止めて、デビューから3連続でPKを止めた。
これはリーグ・アンの過去10年間で初めての記録だった。
シーズン通してスタメンとして出場するもチームは低迷し2部に降格した。
シーズン終了後に契約満了により退団。
2018年5月、2018 FIFAワールドカップの出場メンバーに選出され自身3度目のワールドカップ代表入りを果たした。
グループリーグ第2戦のセネガル戦で、パンチングしたボールがセネガルのサディオ・マネに当たり、そのままゴールしてしまうというミスを犯し、批判の的となってしまった。
初戦のコロンビア戦でも守護神として活躍出来ず、控えの東口順昭や中村航輔を推す声も出たが、日本代表監督の西野朗がベテランの川島を信頼し、第3戦のポーランド戦ではキャプテンマークを巻いて出場し、カミル・グロシツキの決定的なヘディングシュートをゴールライン上、右手一本でストップするビッグセーブを見せるなど活躍。
チームは決勝トーナメント1回戦で敗れ、ベスト16という結果で終えた。
3大会でW杯11試合出場は、長友佑都、長谷部誠と並び日本人最多出場となった。
ミスで失点してしまうという点から批判されていたが、スポーツのデータ分析を手がける『Opta』によると7月6日(W杯期間中)までのロシアW杯のGKセーブ率ランキングで3位にランクインしている。
W杯後も長らく無所属が続いていたが、2018年8月30日に1年契約でのRCストラスブールへの加入が発表された。
チームにはベルギー代表のマッツ・セルスやフランスU-21代表のビングル・カマラが所属している事もあり、第3GKとしての立場となった。
2019年3月30日、大会を通して出場は無く、決勝戦もベンチ入りは出来なかったものの、チームは14年ぶりにクープ・ドゥ・ラ・リーグを制覇し、川島にとって初のクラブタイトルとなった。
5月24日、最終節のFCナント戦で移籍後初出場を果たした。
6月には、東京五輪世代中心で構成されたコパ・アメリカ2019のメンバーに選出された。
初戦は、東京五輪世代の大迫敬介がスタメンに抜擢されるも、第2戦のウルグアイ戦でスタメン出場し、エディンソン・カバーニとの1対1でビッグセーブを見せるなど1年ぶりの代表戦で活躍。
第3戦のエクアドル戦でも、ゴールマウスを守るもチームはグループリーグ敗退となった。
2019年7月、ストラスブールと新たに2年契約を結んだ。
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