【東京都昭島市~武蔵野市】玉川上水~東京北多摩の歴史散歩~

玉川上水。

江戸時代、江戸の飲料水不足を解消するために掘られた上水路ですね。

羽村から四谷まで全長約43㎞。

当時、全て露天掘りで約8か月で完成させたそうです。

羽村、昭島、立川、小平を通り、五日市街道と併走、井の頭公園を横断、神田川から四谷へ。

今も私達を様々潤しているのかもしれません。

 

 

玉川上水とは?

 

江戸時代、飲料水として多摩川の水を引いた上水路。

神田上水と並ぶ二大上水の一つ。

4代将軍徳川家綱のとき、庄右衛門、清右衛門が承応2 (1653) 年多摩川中流羽村と四谷大木戸間の水路を着工。

2度の失敗を経て、総奉行松平信綱のもとに同3年に竣工し、2人は玉川姓を与えられました。

羽村-拝島-立川-武蔵境-下高井戸-四谷大木戸 (現在の新宿) を経て (延長約 43km) 、石樋、木管で江戸城内や各町に給水されました。

都内9市4区を通り、江戸を潤した重要な上水です。

 

 

玉川上水開削の歴史

上水開削の歴史は古く、徳川家康が江戸城へ入府後に、小石川上水を開いています。

寛永12年(1635年)三代将軍家光の参勤交代制度により江戸の人口は急激に増加して、それまであった小石川上水を改良した神田上水や赤坂溜池からの上水では飲料水不足となりました。

 

さらに江戸城やその高台一帯にはこれらの水は届かないため、幕府は承応2年(1653年)に玉川上水を掘ることを許可しました。

総奉行は老中松平伊豆守信綱、水道奉行は関東郡代伊奈半十郎で、町人の庄右衛門・清右衛門兄弟がこの工事を請け負いました。

 

4月から工事に入り、わずか8ヶ月後に四谷大木戸までが完成、翌年の6月(承応3年)には虎ノ門までの地下樋の工事も完成したとされています。

庄右衛門・清右衛門兄弟は、二回ほど工事に失敗し、自分たちの家を売ってまで費用を捻出したとも言われています。

 

この功績が称えられ、現在、羽村市に玉川兄弟の像が建っています。

 

玉川上水の小金井桜

小金井桜の起源は、元文2年(1737年)江戸幕府の新田開発の一環として玉川上水の両岸に植樹されたヤマザクラの並木です。

奈良県の吉野山と茨城県桜川から取り寄せたとされる由緒ある桜です。

 

このヤマザクラの並木は、江戸時代から地元の農民たちにより守られてきましたが、幕府の代官たちも雑木の伐採や桜の苗木の補植を進めるなど、桜を守る努力を続けてきました。

明治時代の有名な植物学者三好学博士の研究により、玉川上水堤の小金井桜のヤマザクラ並木は天然変種の一大集積地であることが明らかになりました。

 

大正3年奈良の吉野山、茨城の桜川と一緒に名勝として指定されました。