「顧客最優先主義」
「顧客最優先主義」をPPIHグループにおける不変の企業原理とする
「顧客最優先主義」が全ての企業行動を規定し駆動させる
「顧客最優先主義」を実現するために「経営理念」を遵守しなければならない
PPIHグループは「顧客最優先主義」を企業原理とし、いついかなる時も、お客さまの暮らしを支え、お買い物の楽しみを提供することを第一に、行動することを定めています。
それは経営においても、一人ひとりの社員においても同様であり、常に「我が店が何によって生かされているのか?」を自問自答し、「顧客最優先主義」を愚直なまでに突き詰めることこそが、成長の礎であると考えています。
第一条 高い志とモラルに裏づけられた、無私で真正直な商売に徹する
第二条 いつの時代も、ワクワク・ドキドキする、驚安商品がある買い場を構築する
第三条 現場に大胆な権限委譲をはかり、常に適材適所を見直す
第四条 変化対応と創造的破壊を是とし、安定志向と予定調和を排する
第五条 果敢な挑戦の手を緩めず、かつ現実を直視した速やかな撤退を恐れない
第六条 浮利を追わず、中核となる得意事業をとことん突き詰める
PPIHグループの六箇条からなる「経営理念」は、企業原理「顧客最優先主義」を実現するための行動理念として定めています。
この企業原理と経営理念は、未来永劫不滅なPPIHグループ独自の矜持(きょうじ)と存在理由そのものにほかなりません。
当社は2019年2月1日に株式会社ドンキホーテホールディングスから株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングスに社名を変更しました。
当社が、今後もグループ各社とともに新業態を開発し、多様で変化していく消費者のニーズに応えるという決意をこめ、また、日本のみならず環太平洋地域において小売業の有力な企業として発展していくという決意をこめて、新たなスタートを切るに相応しい企業のあり方を表す新しい名称を設定しました。
安田隆夫。
岐阜県大垣市出身。
子どものころはわんぱくなガキ大将だったが、高校生になると東京生活に憧れるようになった。
安田氏は父親から「難関校に合格したら上京してよい」と言われ、猛勉強の末、慶應義塾大学法学部に合格した。
1973年に慶大卒業後、不動産会社に勤務したが倒産。
1978年、東京都杉並区に雑貨店「泥棒市場」をオープン、終夜営業が受けて成功した。
傷モノや廃番品といった“訳あり商品”を仕入れて販売していた。
POPの内容は「もしかしたら書けないかもしれないボールペン1本10円!」といったように、遊び心にあふれるもので、顧客は面白がって購入していたという。
1980年に株式会社ジャスト(現:株式会社ドン・キホーテ)を設立。
泥棒市場の店を閉めて、現金問屋「ジャスト」として生き残りを図ることを決意。
メーカーや問屋の裏口を周り、訳あり商品をかき集める現金問屋に転身した。
顧客は関東各地に点在するデイスカウントストア向けで、この分野では関東一の卸売業者となった。
1989年に安田は「もう1度、店をやりたい」という思いを募らせ、小売業への本格参入を決断。
1989年には第1号店となる「ドン・キホーテ」府中店を開店した。
ドン・キホーテの顧客層は泥棒市場と同じく大学生に狙いを定める。
東京の府中地区には70年代の学園紛争後に郊外移転した大学などが多数あり、若者の消費が期待できる地域であった。
府中は自動車での移動が中心の郊外であり、ドンキの府中店は郊外店舗としてスタートする。
深夜と昼間における人間の購買心理の違いに目をつけており、昼が目的外中心なのに対し、夜は衝動買い中心であることを見抜いていた。
顧客の衝動買いの欲求を満たすための商品陳列および仕入れを行うため、狭い店内に大量の商品を並べる方式を考案。
ドン・キホーテ1号店は、しばらくの間は毎月1000万円の赤字を計上、稼ぎ頭の現金問屋の利益でドン・キホーテの赤字を補填していた。
サラリーマンである社員たちを「商店主」に変えなければならないと思い、売り場の担当者に、仕入れから値付け、陳列、アルバイトの管理まで、何も言わないから好きにしろといった。
すると社員たちは、面白そうに仕事をするようになった。
売れないと悔しがって、仕入れや陳列を工夫し始めた。
POSとEOSというITシステムを導入する一方で、仕入れおよび陳列という小売業の基幹をなす部分は、現場の社員に権限委譲。
仕入れには、入社1年未満の社員が担当することもあり、素人が仕入れ決定権を握ることは業界の常識に反しており、ドンキは常識の逆を追及した。
上司や同僚に「下剋上宣言」という習慣も作った。
職場にはそのための専用シートがあり、そこに「次の番付表ではあなたを必ず抜きます」と記入したうえで、相手にファックスを送る。
挑戦を受ける側は、この紙を何枚もらうかが一種のステータス。
宣言通りに下剋上を果たしたからといって、特別ボーナスなどの報奨金が出るわけではない。
その意味では、一種の「お遊び」にすぎないが、人間の持つ競争心や賞賛されたい気持ちを、巧みに引き出し、そのパワーを売り場作りに向かわせた。
1996年にドン・キホーテは株式を公開。
1998年には株式を東証一部に上場。
売上高1兆円の大企業になる。
2004年12月ドン・キホーテ放火事件で3人の死者を出した責任を取り2005年に社長を辞任し会長に退いた。
2013年、成沢潤治社長が持病の治療のため辞任し8年ぶりに社長に復帰。
2014年7月に再び会長に退き、新社長には同社生え抜きの大原孝治が就任。
2015年2月、6月末で会長兼CEOを退任すると発表し、同年7月から代表権のない創業会長兼最高顧問に就任。
2019年1月 非常勤取締役に就任。
「ワクワク、ドキドキ」がドンキの店舗のコンセプトだが、店を作る方もワクワク感がなければ、顧客をワクワクさせることはできない。
常に忘れてはいけないのは、不都合な真実を含めて客観的に見つめ、咀嚼したうえで自らが変わらなくてはいけないということだ。そうでなくては、限界は壁にしかならないだろう。
社員は会社から全面的に権限の行使を信託されている。会社の資本とインフラをフル活用し、人生最大のゲームをする。これは誰でも燃えるはずだ。
店舗を作る社員には、「自由演技」で結果を出してもらいたい。権限を委譲するということは、自由演技が前提になる。規定演技が前提では、権限委譲にはならない。
人間関係の構築はやや苦手だが、陳列をさせると異才を発揮する人もいる。そのような人を適材適所で使い、それが売り上げのアップに直結すれば、さらに自信かつく。欠点を無理に矯正しようとせず、得意分野を磨いたほういい。
部下との関係にあって、上司は威張ってはいけない。昔から「弱い犬ほどよく吠える」というではないか。真に実力があって、見識に富み、人望がある上司は部下を威圧することはない。職位が上にいくほど、謙虚にふるまい、フレンドリーに周囲の人たちと接するべきである。それは、部下に迎合することとは違う。
現場は常に、柔軟かつ大胆に新陳代謝しなければならない。だから現場に権限委譲する。これを当社では「主権在現」と表現し、積極的に推進してきた。
ドン・キホーテグループの店づくりとストアオペレーションの要諦は、徹底した「顧客親和性」にある。これは、各業態が想定するターゲット層に近い年代、属性、ライフスタイル、感性を有する者が主体になって、売り場をつくり、価格も決めるということにほかならない。
以前は私も「俺の指示どおりにやれ!」などと一方的に命令して、うまくいかないことも多かった。そんな反省から、信頼して任せると決めた。
現場は、仮説と検証の繰り返しだが、予測には当たり外れがある。商品を安く仕入れても、売れなければすぐに撤去する。
「道理は通じる、努力すればうまくいく」と思っているから、ストレスがたまるんですよ。「うまくいかないのが当たり前」と思えば、そうした気苦労はなくなります。
創業者はよほどのことがない限り、「辞めろ」とは言われない。だからこそ、元気なうちに引導を渡した方が後輩たちにもいい。気力、体力のあるうちに下山した方がいい。
多事多難から学んだ最大の教訓は「社会と共に生きる企業でなければならない」ということ。
業界常識は勝利者の論理であって、勝利のための論理ではない。だから、後発企業が先発企業のマネをしても絶対に勝てない。
振り返ってみると、大きな危機に陥るほど、その後大きく成長した。だから危機はいわば、「成長痛」のようなものだったのかもしれない。
試してみる。駄目なら、また試す。試さない理由や、出来ない理由を探さない。
勝つまで辞めない。これが『究極の必勝法』である。
若い頃にリスクをおかさず、人生の最後に『もっと思い切りやっておけばよかった』と後悔することが最大のリスクだと思います。
結局、商売は真正直にやるのが最終的に一番儲かる方法。
常に忘れてはいけないのは、不都合な真実を含めて客観的に見つめ、咀嚼したうえで自らが変わらなくてはいけないということだ。そうでなくては、限界は壁にしかならないだろう。
「限界とは破るもの」だと思っている。その心そのものが成長の源泉だ。
1980年 9月 日用雑貨品などの卸売販売及び小売販売を目的として、株式会社ジャスト(現株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH))を東京都杉並区桃井4-4-19に資本金3百万円で設立
1989年 3月 消費者に良い品をより安く販売するため、東京都府中市に「ドン・キホーテ」1号店となる府中店を開設
1996年 12月 株式店頭登録
1998年 6月 東京証券取引所市場第二部に上場
2000年 7月 東京証券取引所市場第一部銘柄へ指定変更
2001年 11月 テナント賃貸事業を営むことを目的として、株式会社パウ・クリエーション(現日本商業施設株式会社)を設立
2004年 9月 不動産事業を営むことを目的として株式会社ディワンを設立
2005年 1月 モバイル・ウェブ・ファイナンス・マーケティング事業を営むことを目的として株式会社ドンキコム(現株式会社リアリット) を設立
2006年 2月 米国ハワイ州での店舗運営を目的としてDon Quijote (USA) Co., Ltd.を連結子会社化
2007年 1月 DIY事業を営むドイト株式会社を連結子会社化
10月 総合スーパー事業を営む株式会社長崎屋を連結子会社化
2008年 10月 ディスカウントストア事業を営むビッグワン株式会社を連結子会社化
2009年 7月 ビッグワン株式会社を吸収合併
9月 本店を東京都目黒区青葉台2-19-10に移転
10月 プライベートブランド「情熱価格」の販売を開始
2011年 6月 金融サービス事業を営む株式会社フィデック(現アクリーティブ株式会社)を連結子会社化
2012年 7月 当社グループにおけるバックオフィス業務を集約する株式会社ドン・キホーテシェアードサービス(現株式会社パン・パシフィックシェアードサービス)を設立
2013年 4月 ソーシャルコンテンツプロバイダの株式会社ジアース(現日本アセットマーケティング株式会社)を連結子会社化
7月 海外事業持株会社として、シンガポール共和国にPan Pacific International Holdings Pte. Ltd.を設立
9月 北米及びハワイ州での店舗運営を目的として、MARUKAI CORPORATIONを連結子会社化
12月 商号を株式会社ドンキホーテホールディングス(現株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH))に変更し、純粋持株会社体制に移行
2014年 3月 自社発行型電子マネー『majica(マジカ)』サービス開始
2015年 5月 ドン・キホーテ豊中店開設により、当社グループ店舗数300店舗達成
7月 国内における事業の強化を目的として、中間持株会社である株式会社ドンキホーテホールディングス・リテール・マネジメントを設立
2016年 9月 監査役会設置会社から監査等委員会設置会社に移行
2017年 1月 アクリーティブ株式会社の株式を一部売却したことにより、同社を持分法適用関連会社とする
8月 ユニー・ファミリーマートホールディングス株式会社との資本・業務提携に関する契約書の締結
9月 米国ハワイ州において24店舗のスーパーマーケットを展開する、QSI,Inc.の全株式を取得し子会社化
11月 ユニー株式会社株式を40%取得したことにより、同社を持分法適用関連会社とする
MEGAドン・キホーテ京都山科店及び同クラスポ蒲郡店開設により、当社グループ店舗数400店舗達成
2018年 4月 株式会社ドンキホーテホールディングス・リテール・マネジメントを吸収合併
2019年 1月 ユニー株式会社株式を60%取得したことにより、同社を連結子会社(完全子会社)とする
2月 商号を株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングスに変更