「第一生命ホールディングス株式会社」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)
「第一生命ホールディングス株式会社」のMission:私たちの存在意義
一生涯のパートナー
By your side, for life
第一生命グループは、1902年、日本での創業以来、お客さま本位(お客さま第一)を経営の基本理念に据え、生命保険の提供を中心に、地域社会への貢献に努めてきました。
これからも、お客さまとお客さまの大切な人々の“一生涯のパートナー”として、グループ各社が、それぞれの地域で、人々の安心で豊かな暮らしと地域社会の発展に貢献していきます。
「第一生命ホールディングス株式会社」のVision:私たちの目指す姿
安心の最高峰を、地域へ、世界へ
A secure future for every community we serve.
Using the best of our local and global capabilities.
第一生命グループは「安心の最高峰を、地域へ、世界へ」をビジョンとして掲げ、生命保険をはじめグループ事業を通じて国内外の各地域に「安心の最高峰」をお届けしていきます。
「第一生命ホールディングス株式会社」のValues:私たちの大切にする価値観(8つの原則)
第一生命グループは、お客さま、社会、株主・投資家の皆さま、従業員からの期待に応え続けるための企業行動原則として「DSR憲章」を定め、持続可能な社会づくりに貢献します。
「DSR」とは、「第一生命グループの社会的責任(Dai-ichi’s Social Responsibility=DSR)」を表し、PDCA サイクルを全社で回すことを通じた経営品質の絶えざる向上によって、各ステークホルダーに向けた社会的責任を果たすと同時に、第一生命グループの企業価値を高めていく独自の枠組みです。
お客さま満足
お客さまの「一生涯のパートナー」を目指し、お客さま一人ひとりの期待に誠実に応える商品・サービスをいち早く提供します。
コミュニケーション
すべてのステークホルダーに対して説明責任を果たすとともに、いただいたご意見を真摯に受け止め、積極的に企業経営に反映します。
コンプライアンス
高い倫理観を持ち、公正かつ健全な事業活動を行います。あらゆる事業活動においてコンプライアンスを徹底します。
人権尊重
各国・各地域において、文化および慣習を尊重し、その発展に貢献する経営を行います。人権を尊重し、人権啓発に積極的に取り組みます。
ダイバーシティ&インクルージョン
人財の多様性を尊重し、すべての従業員が活躍できる安心・安全かつ働きがいのある職場環境を確保し、積極的な人財育成を行います。
環境保護
地球環境保護を社会的責任と捉え、日常的かつ継続的に環境保護活動に取り組みます。
社会貢献
「良き企業市民」として地域社会とともに発展することを目指し、社会貢献活動を行います。
健康増進
地域の皆さまの健康増進に寄与する経営を行います。すべての従業員の心と身体の健康増進を図ります。
持続的な企業価値の創造
以上の8つの原則、イノベーションの推進、経営資源の有効活用、業務の生産性向上、財務基盤の維持・強化によって、持続的な企業価値の創造に取り組みます。
「第一生命ホールディングス株式会社」のBrand Message:理念体系を支える私たちの想い
いちばん、人を考える
People First
いちばん、お客さまから支持される保険グループになるために、誰よりも「人」を考える会社を目指していきます。
「第一生命ホールディングス株式会社」のグループロゴについて
古代西洋の「盾」のフォルムに「地球」を表すデザインを加えることで、グローバルに展開する国内外の第一生命グループ会社が一丸となって、お客さまを災厄からお守りするという意思を表現しています。
加えて、地球の緯線においてゆるやかな右肩上がりのカーブを表すことで、お客さまの明るく輝かしい未来と、お客さまの「一生涯のパートナー」であり続けるために成長していく第一生命グループを表しています。
今後も、お客さまと、そのお客さまが大切に思う人々の「一生涯のパートナー」として、グループ一丸となって「安心の最高峰を、地域へ、世界へ」お届けします。
「第一生命ホールディングス株式会社」の創業者・創立者『矢野恒太』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~
矢野恒太(第一生命創業者)
矢野恒太。
備前国上道郡角山村(現・岡山県岡山市東区)で生まれる。
播磨国赤穂郡砂野庄矢野(現・兵庫県相生市北部)を本貫とした清和源氏山県氏流矢野氏の末裔と称した。
父親は医者。
1889年、第三高等中学校医学部(後の岡山医専、現・岡山大学)を卒業、日本生命に診査医として就職する。
しかし、医師たちの不満を代弁する形で片岡副社長とかけあうものの、不当に解雇されます。
恒太は憤慨、東京経済雑誌などに「本邦生命保険事業の欠点」や「述卑意見書」などを投稿し、当時一般的に用いられていた藤沢式死亡表が極めて不完全である事、また生命保険行政の不備などを訴えます。
この意見は田口卯吉や日銀理事の川上謹一の目にとまり、彼らの縁故で銀行王と言われた安田善次郎の知遇を得ます。
1892年に安田が経営していた安田生命(現・明治安田生命保険)の前身である共済生命保険の設立に関わり、その後、支配役となる。
1897年に退社し、農商務省の嘱託職員として保険業法の起草に参画し、その後、農商務省保険課長に就任する。
日本生命にも行き、かつて自分を解雇した片岡副社長と対峙したという逸話もあります。
1902年に日本初の相互会社形式での第一生命保険を設立した。
第一生命の経営の特徴は、相互主義、高額保険、長命無損害(加入者の健康診査を徹底する事)、低経営費(事務費/契約高が低い事)などでした。
1928年(昭和3年)には日本生命についで第2位にまで浮上。
利益を保険加入者に優先的に分配する方式をとった第一生命が、中産階級の人気を博したからだとも言われています。
1938年に石坂泰三が社長に就任すると、自らは会長に就任した。
1946年(昭和21年)に会長を退任し、1947年に息子の矢野一郎が社長に就任した。
また、第一相互貯蓄銀行(現在のりそな銀行)を設立。
目黒蒲田電鉄、東京横浜電鉄両社の社長も歴任。
日本国勢図会を発刊した。
1926年(大正15年)3月郷里の上道郡角山村竹原に農村青年訓練所を設立。
1933年(昭和8年)3月財団法人「三徳教育会」を設立、1934年(昭和9年)三徳塾を開く。
三徳塾はその後、岡山県に寄付され、1968年(昭和43年)岡山県立青少年農林文化センター三徳園に改称された。
1935年(昭和 10 年)に財団法人保生会を設立し、東京・神田に建てた「保生会館」では、無料での健康相談を実施、翌年には、東京・東村山に結核患者向けの療養施設も開設。
また、日本保険学会創立に参画し、1950年に加藤由作一橋大学教授が議長を務めた日本保険学会再建総会で、印南博吉明治大学教授による経過報告ののち、志田甲太郎、粟津清亮とともに名誉会員に推挙された。
矢野恒太(第一生命創業者)の名言・考え方
およそ事業に必要なのは、成し遂げる能力ではなくやりとげる決心である。
最大たるより最良たれ。
民間に今ある会社と同じものをつくる意思はまったくない。少なくとも生保業界の進歩のために捨石になるつもりだ
世間の人が喜ぶか、無くてもいいと思うかを考えよ。
(相互会社方式とは)同志が集まり、家を借り、社員を雇い、生活用品を買い、各人が実費負担をするようなもの。
私の会社は全国の保険会社の中で一番契約者に対する奉仕を考えています。奉仕とは一番廉く会社を経営してゆくことであります。わたしの会社の存続する限りこの方針は変えませぬ。だから万一私の会社が契約者に不利益を与えたならば、直ちにこの会社は解散いたします。
およそ人間の地位や名誉、財産ほどくだらないものはない。わしは無一文で生まれてきたのだから、無一文で死ぬのが理想だ。
「第一生命ホールディングス株式会社」の沿革・歴史(年表・社歴など)
1902年(明治35年)創業
創業者「矢野恒太」が「我社の特色」を出版し、日本で最初の相互会社「第一生命保険相互会社」を設立。
1906年(明治39年)契約者配当金の支払いを開始。
1923年(大正12年)関東大震災
金融機関に支払猶予令が出されるが、ご契約者に迅速な保険金支払いを行ったことにより、信用を得る。
1932年(昭和7年)業界第2位へ
保有契約高で10億円を突破し、業界第2位の実績となる。
1935年(昭和10年)保生会館時の日本人の死因の第1位であった結核の予防・治療を目的に、「財団法人 保生会」を設立。
1938年(昭和13年)「第一生命館」(旧日比谷本社社屋)完成、本社を移転。
(第2次世界大戦後、連合国軍に接収され、約7年間連合国総司令部がおかれた。)
1950年(昭和25年)「保健文化賞」創設
保健衛生の向上に取り組む人々に感謝と敬意を捧げる賞として、「保健文化賞」を創設。
1970年(昭和45年)アジアにおける生命保険への支援を拡大し、(財)アジア生命保険振興会(現・(公財)国際保険振興会)(FALIA)を設立。
1975年(昭和50年)初の海外事務所をニューヨークに設立し、米国の保険・経済・金融システムの調査や現地日系企業向けサービス提供を開始(後に地域統括会社へと体制・機能を拡充し、現在はDLI NORTH AMERICA INC.として運営)。
1982年(昭和57年)ロンドンに事務所設立(現・第一ライフ・インターナショナル(ヨーロッパ))。
1988年(昭和63年)香港に事務所設立。
1990年(平成2年)「緑のデザイン賞」を創設
緑豊かな都市環境の形成への支援を目的に、財団法人都市緑化基金(現・公益財団法人都市緑化機構)とともに「緑のデザイン賞」(現・緑の環境プラン大賞)を創設。
1993年(平成5年)「DNタワー21(第一・農中ビル)」竣工。
1995年(平成7年)阪神・淡路大震災
阪神・淡路大震災に伴い、保険金給付金請求手続きを簡素化。
1996年(平成8年)基金690億円募集。
1997年(平成9年)「(株)第一生命経済研究所」を設立。
「生涯設計」のコンセプトを打ち出す
お客さまの人生のリスクをライフステージの変化に合わせてトータルにカバーする「生涯設計」のコンセプトを打ち出し。
1998年(平成10年)「第一ライフ投信投資顧問(株)」を通じて投資信託業務を開始。
基金1,500億円追加募集。
「(株)日本興業銀行」(現「みずほフィナンシャルグループ」)と全面業務提携。
1999年(平成11年)「興銀フィナンシャルテクノロジー(株)」に出資。
(2002年4月「みずほ第一フィナンシャルテクノロジー(株)」に名称変更。)
「興銀第一ライフ・アセットマネジメント(株)」を設立。
(2008年にDIAMアセットマネジメント(株)に名称変更。)
2000年(平成12年)安田火災海上保険(株)(現・損害保険ジャパン日本興亜(株))と包括業務提携、アメリカンファミリー生命保険会社(現・アフラック)と業務提携。
2001年(平成13年)「日本経営品質賞」受賞
金融・保険業界初となる「日本経営品質賞」を受賞。
2002年(平成14年)創立100周年
基金800億円追加募集。
2003年(平成15年)国内公募劣後債300億円発行。
2004年(平成16年)ドル建劣後債5億米ドル発行。
基金600億円追加募集。
2006年(平成18年)基金600億円追加募集。
2007年(平成19年)ベトナムのバオミンCMG社を買収し、100%子会社の第一生命ベトナム社として営業を開始。
第一フロンティア生命保険株式会社開業。
インドにおいて現地国有銀行2行(バンク・オブ・インディアならびにユニオン・バンク・オブ・インディア)との合弁生命保険会社であるスター・ユニオン・第一ライフ社を設立。
2008年(平成20年)株式会社化・上場の方針を決定。
タイのオーシャンライフ社への出資を行い、関連会社化を実現。
オーストラリアのタワー社への出資を行い、関連会社化を実現。
2009年(平成21年)「スター・ユニオン・第一ライフ」が営業を開始。
シンジケート・ローン方式により劣後ローン1,830億円を調達。
第108回定時総代会で「組織変更計画」を承認、株式会社化決定。
2010年(平成22年)株式会社化
東京証券取引所市場第一部に上場。
2011年(平成23年)ドル建永久劣後債13億米ドル発行。
東日本大震災
被災地支援及び給付金等の確実なお支払いに向けた各種特別取扱を実施。
オーストラリアのタワー社を100%子会社化し、「TAL Limited(TAL社)」(現・TAL Dai-ichi Life Australia Pty Ltd)に名称変更。
2012年(平成24年)米国「Janus Capital Group Inc.(ジャナス社)」(現「Janus Henderson Group plc(ジャナス・ヘンダーソン社)」)と出資・業務提携契約を締結。
次年に関連会社化。
2013年(平成25年)インドネシア「PTパニン・ライフ」(現・PTパニン・第一ライフ)」を関連会社化。
第一生命グループミッション「一生涯のパートナー/By your side, for life」を制定。
2014年(平成26年)社会の持続的な成長を実現するための自発的な取り組みである「国連グローバル・コンパクト(UNGC)」に参加。
米国「Protective Life Corporation(プロテクティブ)」の買収公表。
普通株増資により約2,656億円を調達。
「損保ジャパン・ディー・アイ・ワイ生命保険(株)」(現「ネオファースト生命保険(株)」)を完全子会社化。
2015年(平成27年)米国「Protective Life Corporation(プロテクティブ)」を完全子会社化。
ドル建劣後債10億米ドル発行。
北米地域統括会社「DLI NORTH AMERICA INC.」およびアジアパシフィック地域統括会社「DLI ASIA PACIFIC PTE.LTD.」の運営開始。
2016年(平成28年)「(株)かんぽ生命保険」と業務提携。
DIAMアセットマネジメント(株)が、みずほ投信投資顧問(株)、新光投信(株)およびみずほ信託銀行(株)の資産運用部門と統合し、「アセットマネジメントOne(株)」に名称変更。
持株会社体制へ移行。
2017年(平成29年)「Janus Henderson Group plc 」発足。
2018年(平成30年)「楽天生命保険(株)」と業務提携。
「(株)QOLead」を設立。
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