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「(株)ミスミグループ本社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者・中興の祖『三枝匡』/沿革・歴史など~

 

「(株)ミスミグループ本社」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

「(株)ミスミグループ本社」ミスミグループの社会的使命

 

 

お客さまが求める「高品質・低コスト・短納期」のオリジナル性の高い商品、サービスを提供するために、私たちは「QCTイノベーター」として、ミスミモデルの更なる進化と戦略的な経営を追求し、世界の製造業を裏方として支えていきます。

 

 

 

4つのミスミ・コンセプト- 社会的使命を具現化するためのコンセプト –

 

 

 

ミスミ事業コンセプト(MODEL EXCELLENCE)

 

「世界の製造業の『裏方』」+「短納期一個流し」

 

 

 

ミスミ組織コンセプト(LEADERSHIP EXCELLENCE)

 

「末端やたら元気」+「戦略的な束ね」

 

 

 

ミスミ戦略コンセプト(STRATEGIC EXCELLENCE)

 

「ミスミQCTモデル」

 

 

 

 

ミスミ業務コンセプト(OPERATIONAL EXCELLENCE)

 

「時間とたたかう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(株)ミスミグループ本社」の創業者・創立者・中興の祖『三枝匡』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

 

三枝匡(ミスミ中興の祖)

 

 

三枝匡(さえぐさただし)。

1944年東京都生まれ。

 

東京都立戸山高等学校を経て、1967年一橋大学経済学部を卒業し、三井石油化学工業(現三井化学)に入社。

その後、ボストン・コンサルティング・グループの国内採用第1号のコンサルタントを務めた。

 

東京、ボストンでの勤務後、1975年スタンフォード大学経営大学院修了、経営学修士(MBA)を取得。

米国バクスター社と住友化学の合弁会社の社長、ベンチャーキャピタル会社社長などを経て、不振企業の再建支援を行う「事業再生専門家」として独立し、1986年株式会社三枝匡事務所設立、代表取締役就任。

 

同事務所をベースにして、日本企業の事業再生の仕事にあたった。

16年間にわたるその仕事の最後では、(株)コマツの「産機事業本部」の事業再生に携わり、その経験は日本経済新聞社刊『V字回復の経営』に著されている。

 

2001年ミスミ社外取締役、2002年6月ミスミグループ本社代表取締役社長CEO。

2005年駿河精機と株式交換により経営統合。

 

2008年ミスミグループ本社代表取締役会長CEO。

2014年ミスミグループ本社取締役会議長。

 

2018年4月、ミスミグループ本社シニアチェアマン。

駿河精機の買収などにより、商社だったミスミの事業を開発・製造にまで広げ、2014年までに売上高4倍以上、営業利益4.8倍以上に成長させ、従業員340人の商社からグローバル1万人規模の国際企業に変身させた。

 

2015年に一橋大学に5億円を寄付し、三枝匡経営者育成基金が設立された。

また、1992年から一橋大学商学部非常勤講師を務め「特別講義(国際経営戦略論)」を担当。

 

2001年からは一橋大学大学院商学研究科で「戦略的経営者論」を担当。

2005年から一橋大学大学院商学研究科客員教授。

 

2009年、内閣府参与就任。

 

 

 

 

 

三枝匡(ミスミ中興の祖)の名言・考え方

 

 

 

 

 

「できるは人間の言葉、できないは神様の言葉」。あるホテルで見かけた一文です。人間は「できない」と言ってはいけない。それは神様が決めること。

 

 

 

 

 

 

うまくいかなかったときは、意地を張らずに、素直に反省して別の方法を考え、修正していく。そうやって柔軟に対応してきたから、大きく間違わずにすんだ。

 

 

 

 

 

組織を元気にする手立てを経営者が取らなけば、組織の寿命は限りが来るのです。

 

 

 

 

 

負けている要素を少しずつ「改善」していくという感覚では、大した成果は期待できません。何らかのイノベーションを編み出して、それをきっかけに競争優位性を一気に生み出すような勝負を仕掛けることができれば、事業は大きく飛躍します。

 

 

 

 

 

 

日本企業に元気を呼び戻す方法は、サラリーマン化した企業組織を改め、戦闘能力の高い若手人材をたくさん生み出し、世界に勝てる戦略を編み出していく以外にありません。

 

 

 

 

 

 

以前に私は大企業の事業再生を手掛けてきましたが、業績が悪くなると、やれ開発部門が悪い、営業部門が悪いとお互いの所為にしていることが多いですね。個人としてはちゃんと仕事をしているが、会社全体としては事業が上手く回っていないという象徴です。強烈な反論の言葉の意味は、業務に関わっている人間が、他人や他部門の責任にするのではなく、業績が悪くなったことに社員一人ひとりが自分も関わっていると受け入れることです。「あっちも悪かったけど、自分もまずかったな」という表現が出てくるかどうかが重要です。自分にも責任の一端があると思うことが強烈な反省論と定義しています。

 

 

 

 

 

日本の元気を取り戻すためには、目先の景気の上下で一喜一憂してはいけません。若い世代から気骨のある人材を引き上げ、戦略経営のリテラシーを獲得させ、世界に通じる強い経営者人材、プロ経営者を育てられるかどうか。これこそが、日本の経営が抱えている最大の課題です。

 

 

 

 

 

 

過去の失敗を他部門の責任にするのは簡単で、社員一人ひとりが自分にも業績悪化の原因があると思うように導くのは大変です。全員が自分もまずかったと言えるような絵を提示するのがリーダーの最初の役割です。痛みを自分も覚えて、改善改革に向けて全体のエネルギーが束になっていくプロセスがようやく始まっていきます。失敗を人の所為にしていたら、いつまでも改善は進まず、事業再生もままなりません。企業を構成する社員が大なり小なり、この強烈な反省論を共有して初めて改善が動き始めます。この反省が少ないと、上から言われたからやるということが続きます。

 

 

 

 

 

 

リストラや事業の切り売りを実行した日本企業で、その後に社員が元気になって事業の「戦闘力」が著しく高まったというケースは非常に少ない。リストラによって一時的に赤字を減らしただけで、組織内の仕事のやり方は全く変わらず、業績を伸ばすための戦略も作動しないままという企業が大半です。だから、私は主張するのです。日本企業を元気にするポイントは、「いまそこにいる人々」の目を輝かせる手法を追求することだ、と。

 

 

 

 

 

 

事業とは思い入れのある人が引っ張っていくものであり、集団で団子になって引っ張っていくものではありません。一人の企業家の限りない情熱において事業は成長していくのです。全員が自分はリーダーじゃない、エリートではない、誰かがやるだろうと思っている限り事業は進みません。組織が団子になっている状況から、リスク志向のリーダーが上に立って引っ張っていく体制を築かなければ多くの企業は伸びません。

 

 

 

 

 

 

 

上手く行っていないという認識が足りないのが原因です。つまり、現実を直視することが不足している。だから人は問題を放置しておくのです。問題が起こって上手く行かなくなったら、問題の本質は何か整理し、強烈に反省する。全員が自分も悪かったなと思える絵が描けたら、改革が動きはじめます。

 

 

 

 

 

 

企業の改革を成功させるには、「いまそこにいる人々」を元気にすることが必要です。「この仕事は面白い」。彼らがそう思って、ひとつの戦略の実現に向かって一丸となって頑張る姿を実現することが、欠かせません。当然のことと思われるかもしれませんが、いまや日本で改革と言えば、リストラによる人減らしや事業の切り売りといった米国流の手法を論じることが多いのですから。

 

 

 

 

 

 

戦略とは競争相手に比べて、自分達がどのように有利な展開ができるかという組み立てです。それをきちんと考え抜かなければいけない。この”考え抜く“ということがキーワードです。よく考えない人は、非常に中途半端な準備でスタートし、中途半端に資金を使い、中途半端に勝負するので、当然結果が出ない。一番よくないのは、本人にとって学びが少ない。よく考え抜いている人は、悪い結果が出る前に自分の組み立てが崩れてきていることに気付くので、そこから学びがあります。始めにきちんと絵を描かない人は、どこから崩れて、何が崩れたのか分かりませんから、半年から1年も経つと何をしたかったのかすらも分からなくなってしまう。そこからは強烈な反省論も生まれないし、本人としても学びが少ない。それではまた同じ失敗を繰り返すことになります。ですから、はじめにきちんとプランニングをすることが重要です。

 

 

 

 

 

 

 

自分の人生が完成することなどあり得ない。例えば定年を迎えたからといって、それは人生の完成でも何でもない。すごろくの「あがり」ではないのです。サラリーマンだった経験を生かして、自分の人生の完成を目指していく。その過程にこそ生きる熱と幸福感が生まれてくると私は思っています。

 

 

 

 

 

 

 

スモール・イズ・ビューティフルの組織は、各チームがあたかも中小企業のように「創って・作って・売る」という商売のワンセットを持っていますから、経営者の育成には非常に向いています。事業チームのリーダーであるディレクターの上には、ディレクターを束ねる事業部長がおり、さらにその中に執行役員や取締役がいて、その上に社長の私がいます。ステップを上がる度に経営者として大きな組織の運営の仕方が身に付いてきます。このように経営者としての現場での経験も大変必要ですが、経営に関する知識も勉強もしなければなりません。経営に関する基礎知識を得るためには、自分で本を読んだり学校に行くのもいいでしょう。また、ミスミでは私が社長戦略研修を開催したり、経営フォーラムといって幹部社員を集め社内の失敗事例や成功事例を議論する場を設けています。

 

 

 

 

 

 

人に熱く語りかけるのは、経営の一部に過ぎません。人の熱意で短期間は持つのですが、早い段階で仕組みの強さに移行していかなければ、業績は落ちて行きます。社員に対しても、やる気を見せて実力を出せといっても、その仕組みがなければ実力を出し切れない。社内に勝てる仕組みを作るのが、すなわち経営なのです。

 

 

 

 

 

 

人としての根っこは、いつの世も変わらない。それは親子や夫婦の情であったり、兄弟や友達の絆であったり、あるいは他人を思いやる優しさであったりというものです。そんな根っこの部分を見失わない限り、どんな時代であっても人は強くなれる。

 

 

 

 

 

 

 

後になって「あのときやっておけばよかった」と思っても、後悔先に立たずで、改めてやろうとしても大変です。それなら、とりあえずやってみる。もしそれが失敗であっても、自分がやると決めてやった結果ですから、反省はしても、後悔しないはずです。

 

 

 

 

 

 

 

何事もやってみないことには、次のステップの景色が見えません。挑戦して「これは無理だ」とわかっただけでもプラスだといえる。

 

 

 

 

 

 

決めるときに決めないことにはいつまでも前に進めません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(株)ミスミグループ本社」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

 

 

1963年2月 電子機器、ベアリングの販売を目的として三住商事株式会社を設立

 

1965年7月 プレス金型用部品発売開始

 

1973年6月 中部営業所(現名古屋営業所)開設

 

1973年6月 以後各地に営業所(現カスタマー・サービス・センター)を開設、展開

 

1977年1月 プレス金型用標準部品カタログ創刊

 

1980年1月 情報提供誌「Voice」創刊

 

1981年4月 物流拠点として関西プラント(現西日本流通センター)を開設

 

1985年5月 プラスチック金型用標準部品カタログ創刊

 

1987年9月 台湾に台北支店を開設

 

1988年2月 米国に現地法人「MISUMI USA, Inc.」を設立

 

1988年9月 自動機用標準部品カタログ創刊

 

1989年5月 台湾に現地法人「MISUMI TAIWAN CORP.」を設立し、台北支店の事業を継承
1989年5月 三住商事株式会社を株式会社ミスミに社名変更

 

1991年4月 FA用エレクトロニクス部品カタログ創刊
1991年8月 関西プラント(現西日本流通センター)新社屋完成、自動仕分ラインを設置

 

 

1993年7月 切削工具カタログ創刊

 

 

1994年1月 東京証券取引所(市場第二部)に上場
1994年4月 シンガポールに現地法人「MISUMI SOUTH EAST ASIA PTE. LTD.」を設立
1994年7月 FA用加工部品カタログ創刊

 

1995年6月 FAコンピュータ部品カタログ創刊
1995年8月 香港に現地法人「MISUMI E.A. HK LTD.」を設立

 

1997年1月 タイに現地法人「MISUMI (THAILAND) CO., LTD.」を設立
1997年1月 バンコクに営業拠点を開設

 

1998年9月 東京証券取引所(市場第一部)に上場

 

1999年5月 韓国に現地法人「MISUMI KOREA CORP.」を設立

 

2003年4月 ドイツに現地法人「MISUMI Europa GmbH」を設立
2003年6月 上海に現地法人「SHANGHAI MISUMI PRECISION MACHINERY CO., LTD.
(現 MISUMI(CHINA)PRECISION MACHINERY TRADING CO., LTD.)」を設立
2003年10月 上海に物流拠点としてQCT配送センターを開設

 

 

2004年5月 北米にてFAインチ単位カタログの発刊
2004年5月 北米に物流拠点としてQCT配送センターを開設
2004年6月 無錫(中国)に営業所を開設
2004年6月 台中・高雄(台湾)に営業拠点を開設

 

 

2005年2月 タイに現地法人「SURUGA (THAILAND) CO., LTD.」を設立
2005年4月 全事業を継承する子会社「株式会社ミスミ」として営業を継続
駿河精機株式会社(現 株式会社駿河生産プラットフォーム)と株式交換により経営統合し、「株式会社ミスミグループ本社」へ社名変更
2005年5月 広州・天津(中国)に営業拠点を開設
2005年7月 広州に物流拠点としてQCT配送センターを開設
2005年7月 ベトナムに生産拠点として駿河ベトナム第2工場を開設
2005年10月 タイに物流・生産拠点としてQCT配送センターと駿河タイ工場を開設

 

2006年1月 フランクフルトに物流拠点としてQCT配送センターを開設
2006年8月 駿河精機株式会社(現 株式会社駿河生産プラットフォーム)に子会社「三島精機株式会社」を設立
2006年9月 韓国に現地法人「SURUGA KOREA CO., LTD.」を設立
2006年10月 マレーシアに営業拠点を開設
2006年10月 韓国に物流拠点としてQCT配送センターを開設
2006年12月 ベトナムに営業拠点を開設

 

2007年2月 韓国に生産拠点として駿河韓国工場を開設
2007年4月 熊本にカスタマー・サービス・センターとしてミスミQCTセンター熊本を開設
2007年10月 神戸に集合生産基地として「ミスミ生産パーク」を設立
2007年11月 深?(中国)に営業拠点を開設

 

2008年1月 国内の受注センターを東京・熊本QCTセンター(2カ所)に集約
2008年3月 株式会社ミスミが「株式会社SPパーツ」を子会社化

 

2009年3月 インドに現地法人「MISUMI INDIA Pvt. Ltd.」を設立

 

2010年7月 イタリアに営業拠点を開設
2010年8月 寧波(中国)に営業拠点を開設
2010年8月 チェンナイ(インド)に営業拠点を開設
2010年8月 シンガポールに物流拠点として在庫センターを開設
2010年11月 他社ブランド商品を販売する新事業「ミスミVONA(ヴォーナ)」を開始

 

 

2011年1月 駿河精機株式会社を「株式会社駿河生産プラットフォーム」へ社名変更、OST事業を継承する子会社「駿河精機株式会社」を新設し営業を継続
2011年1月 マレーシア営業所を現地法人化(MISUMI MALAYSIA SDN. BHD.)
2011年2月 インドに現地法人「SURUGA INDIA Pvt. Ltd.」を設立
2011年4月 大邱(韓国)に営業拠点を開設
2011年5月 武漢(中国)、バンガロール(インド)、新竹(台湾)に営業拠点を開設
2011年6月 蘇州、東莞(中国)に営業拠点を開設
2011年7月 上海に現地法人「SURUGA SEIKI SALES & TRADING (SHANGHAI) CO., Ltd.」を設立
2011年8月 北京(中国)に営業拠点を開設
2011年9月 大連(中国)に営業拠点を開設
2011年10月 ベトナムに生産拠点として駿河ベトナム第3工場を開設
2011年10月 インドに生産拠点として駿河インド工場を開設
2011年12月 ロサンゼルス(北米)に物流拠点として在庫センターを増設

 

2012年3月 青島(中国)に営業拠点を開設
2012年7月 成都(中国)に営業拠点を開設
2012年11月 米国金型部品メーカーの「Dayton Progress Corporation」およびThe Anchor Danly CompanyのComponents事業会社である「Anchor Lamina America, Inc.」を買収

 

2013年1月 南通(中国)に現地法人「SURUGA SEIKI (NANTONG) CO., LTD.」を設立
2013年1月 インドネシアに現地法人「PT. MISUMI INDONESIA」を設立
2013年3月 西安(中国)に営業拠点を開設
2013年5月 厦門(中国)に営業拠点を開設
2013年9月 チカラン(インドネシア)に営業拠点・配送センターを開設

 

2014年3月 南通(中国)に生産拠点として南通工場を開設
2014年7月 株式会社駿河生産プラットフォームが一般社団法人日本能率協会の2014年度GOOD FACTORY賞「ものづくりプロセス革新賞」を受賞
2014年9月 プネ(インド)に営業拠点を開設

 

2015年3月 VONA事業カタログ8冊を発刊
2015年4月 株式会社ミスミが「株式会社ダイセキ」を子会社化
2015年10月 ベトナムに生産拠点として駿河ベトナム第4工場を開設

 

2016年7月 ベトナムに現地法人「MISUMI VIETNAM CO., LTD.」を設立

 

2017年11月 メキシコに現地法人「MISUMI Mexico S. de R.L. de C.V.」を設立

 

2019年4月 愛知県稲沢市に中日本流通センターを開設

 

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