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「株式会社安川電機」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『安川敬一郎』/沿革・歴史など~

 

「株式会社安川電機」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

 

「株式会社安川電機」のグループ経営理念

 

 

当社グループの使命は、その事業の遂行を通じて広く社会の発展、人類の福祉に貢献することにあります。
当社グループはこの使命達成のために、次の3項目を掲げ、その実現に努力します。

 

 

 

1.品質重視の考えに立ち、常に世界に誇る技術を開発、向上させること。

 

2.経営効率の向上に努め、企業の存続と発展に必要な利益を確保すること。

 

3.市場志向の精神に従い、そのニーズにこたえるとともに需要家への奉仕に徹すること。

 

 

 

 

 

「株式会社安川電機」の創業者・創立者『安川敬一郎』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

 

安川敬一郎(安川電機創業者)

 

安川敬一郎。

1849年生まれ。

 

代々亀井昭陽の学問の正系を継いだ福岡藩士族の家柄で、儒学者の徳永省易の四男として福岡城下に近い鳥飼村(現・福岡市鳥飼)に生まれる。

1864年(元治元年)安川岡右衛門に16歳で婿入りし、1866年(慶応2年)、岡右衛門の四女の峰と18歳で結婚し家督を相続、名を藤四郎から敬一郎に改める。

 

藩校・修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)に学ぶ。

1868年(慶応4年)3月藩の祐筆に登用され、6月学問所下級教員となる。

 

1869年(明治2年)1月藩命により京都に留学、9月に帰藩して執政局に出仕。

西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟らの教えを受けた。

 

1872年(明治5年)7月慶應義塾に入学。

1874年(明治7年)2月三兄の幾島徳が官軍小隊長として、江藤新平、島義勇の佐賀の乱鎮圧のため佐賀に向かう途中、三瀬峠にて戦死したとの連絡を受け、慶應義塾を中途退学し急遽帰郷した。

 

帰郷後、学業を断念して幾島の仕事を引き継ぐことになり、炭坑経営に着手した。

1877年(明治10年)に芦屋で石炭販売業を始め、1880年(明治13年)相田炭鉱及び庄司炭鉱を経営。

 

1886年(明治19年)店を若松に移転。

同年明治炭鉱を開発する。

 

1889年(明治22年)平岡浩太郎と共に赤池炭鉱を開発する。

赤池坑の起業に際しては長谷川芳之助(三菱会社の鉱山技術者)の仲介で、三菱から三万円の融資をうけ、資金を調達。

 

そしてこれを契機として、安川と三菱の取引関係がはじまった。

一方で、安川は筑豊地域の炭鉱業者とのネットワークを利用した事業も展開する。

 

1888年には筑豊の炭坑主らと、洞海湾の浚渫と埋築および若松港の港湾整備を事業目的とする若松築港会社を設立して、その取締役に就任。

1893年(明治26年)二男松本健次郎と「安川松本商店」を設立、父である安川は炭鉱経営、松本はその販売と分担し親子二人三脚体制を築く。

 

1894年に日清戦争が開戦すると、石炭需要が一気に増加。

この機会をとらえて安川敬一郎は赤池坑への運炭支線建設、鉱区拡大といった生産設備への投資を行う一方、香港、上海、シンガポールなど海外への直輸出を開始し、順調に輸出を伸ばしていった。

 

1896年(明治29年)門司に事務所を設置、その後支店を東京、大阪、神戸に拡大していった。

同志的な繁がりがあった平岡浩太郎により、1881年(明治14年)に福岡に玄洋社が創設されると社員となり、安川の炭鉱経営による豊富な資金が、その後の玄洋社の活動を支えた。

 

辛亥革命が起こると、頭山満の大きな再三の反対を顧みず、孫文を神戸から東京に迎え、自分の隣家を孫文の隠家に借り4年間、毎月孫文に5百円の生活費を提供していた。

また、漠冶萍公司との共同事業として辛亥革命後、中国から銑鉄の供給を受けることとし、艦船用厚板製造を主たる目的として中国との合弁企業を始めた(後の西八幡の九州製鋼株式会社)。

 

その他、著書『撫松餘鎮』(昭和10年出版)では黒龍会の活動を記した。

1901年以降、明治炭坑と赤池炭坑という優良な二つの炭坑を所有する筑豊地域でも最大規模の炭鉱資本家となった。

 

1904年日露戦争による石炭ブームが到来したこともあり、安川家の経営状態は大きく好転した。

日露戦争ブームにともなう炭坑からの収益を資金源泉として山陽鉄道株や九州鉄道株といった鉄道株に投下された。

 

石炭と、鉄道で得た資金を原資として、当時の基幹産業の一つである綿紡績業への進出。

1907年(明治40年)技術者養成を目的とし、明治専門学校(現・九州工業大学)を戸畑に設立。

 

1908年(明治41年)松本及び三男の安川清三郎と共に明治鉱業株式合資会社を設立。

1909年(明治42年)4月明治専門学校開校。

 

1910年(明治43年)松本と共に「明治専門学校附属小学校(現:明治学園)」を創立。

1913年(大正2年)、反袁世凱を掲げて中華民国前臨時大総統として亡命した孫文を戸畑の明治専門学校に迎え、返礼に「世界平和」と書いた書が贈られた。

 

その間、電力・ガス関係株(猪苗代水電、大阪電灯、大阪瓦斯)、化学関係株(堺セルロイド、日本舎密)、鉱山関係株(入山採炭、北海道炭礦汽船)といった多様な産業分野への投資、事業をさらに多角化していく。

1914年(大正3年)、衆議院に補欠当選する。

 

1915年(大正4年)7月に株式会社安川電機の前身である合資会社安川電機製作所を創設。モーター・電動機に製品を絞り込んで発展。

1918年(大正7年)にかけ明治紡績、九州製鋼(のち八幡製鐵所が買収)、黒崎窯業を設立する。

 

また、九州鉄道取締役、若松築港社長、筑豊石炭鉱業組合総長、明治鉱業社長、九州製鋼会長等を務め、1922年(大正11年)4月経済界から引退した。

この間、1920年(大正9年)1月13日これまでの功績により男爵の爵位を授爵。

 

功により勲三等に叙し、瑞宝章を賜る。

1924年(大正13年)貴族院男爵議員に互選される。

 

公正会に所属。

1934年他界。

 

安川電機を継承し、東京オリンピック組織委員会会長にも就任した安川第五郎は五男。

 

 

 

 

 

安川敬一郎(安川電機創業者)の名言・考え方

 

 

 

日露戦争により、私の資産は当時の炭鉱経営資金にしては過剰となった。よって本業に必要のない資産すべてを投じ、わが国の早急の需要に応えるべく専門教育機関を設立した。既倒の事業を救ってくれた天恵に報いたいとの微衷(真心)が出た

 

財は私すべきではない。国家公益のために活用すべし

 

 

 

 

 

【参考】安川第五郎(安川電機元会長)の名言・考え方

 

 

 

製品は良くなると同時に、コストも下がるものである。これは事実が証明する。だから良い製品だから高くて当たり前だ、ということにはならない。それは、まだ改良の余地が残っていることを物語っている。

 

 

 

 

いいものをつくるなら多少値段が高いのは当たり前だ。安かろう悪かろうよりは、良いものを少し高い値で売るのが我々製造業の商売常識である。さらに経験を積めばそれだけコストが下がり、製品もよくなるはずだ。

 

 

 

人員整理をするとますます悪くなってきた。これは危ない。整理すればするほど縮こまるばかりで発展の機会は出てこない。整理するなら、やはりひとつの方針を立て、その方針に沿い目標に向かって整理しなければ、いくら人を減らしたって駄目である。

 

 

 

このとき、私はふと日本を出るとき言われた先輩の言葉を思い出した。「米国へ行ったら遠慮をするな。遠慮をすれば損をするばかりで徳はしない。受け入れられないことは仕方がないが、決して遠慮はするな」これだと思った。そこで、勇気百倍、元気を奮い起こして、いきなり重役に面接を申し込んだ。

 

 

 

私は経営上の経験もなければ経済上の経験もない。ただ父から「やってみろ」「では」という次第で始まったから、その考えたるや極めてコチコチだった。インチキな仕事は絶対にやらない。いいものさえこしらえれば人は買ってくれる。真面目に製品本位でやれば会社の経営は成り立つと思った。ところが世間はそうスムーズにはいかない。いいものをつくっても、製品の良し悪しを簡単に認めてくれようとはしない。

 

 

 

現在、安川電機は電動機のみしかつくっていない。これを安川電機の社憲のように厳しく考えている人が社の中にいるらしい。だが、私としてはそんな窮屈な考え方はやめてくれと言っている。私がやったのは会社の浮沈の瀬戸際にいたからである。時代が変わったし社の基礎もあるのだから、いつまでもこの線を守るという理由もない。

 

 

 

私は自分がもっている、あらゆる情熱と、心からの誠心誠意をもって最善を尽くす。それが、成功するかどうかは天命を待つだけである。もし失敗があったら、それは私の力が足りなかったからである。だから精一杯のことはやるつもりである。

 

 

 

 

 

 

 

「株式会社安川電機」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

 

1915(大正4)年

・合資会社安川電機製作所設立

 

1917(大正6)年

・「三相誘導電動機」を製品化

 

1919(大正8)年

・株式会社安川電機製作所設立

 

1927(昭和2)年

・「スーパーシンクロナスモータ」を製品化

 

1928(昭和3)年

・「ボールベアリング付き三相誘導電動機」を製品化

 

1936(昭和11)年

・研究所開設

 

1937(昭和12)年

・「安川モートル」を商標登録

 

1946(昭和21)年

・安川航空電機(株)を吸収合併、行橋工場とする(福岡県行橋市)

 

1949(昭和24)年

・東証、大証上場

 

1953(昭和28)年
・VSモータ1号機を製品化

 

1954(昭和29)年
・ブラウンボベリ社(スイス)と直流機器に関する技術提携

 

1957(昭和32)年
・行橋工場開設

 

1958(昭和33)年
・DCサーボモータ(ミナーシャモータ)を発明

 

1961(昭和36)年

・小倉工場開設
・セア社(フランス)とプリントモータに関する技術提携

 

1964(昭和39)年

・東京工場開設

 

1967(昭和42)年

・米国安川電機株式会社設立

 

1968(昭和43)年

・ハードワイヤードNCを開発

 

1969(昭和44)年

・中間工場開設
・SF6ガス開閉装置用ロータリアーク方式を開発
・「メカトロニクス」の商標登録出願(登録は1972年)

 

1974(昭和49)年

・フロッピーディスクドライブを国産化
・マイクロコンピュータ内蔵のマイクロNC「YASNAC(ヤスナック)」を開発
・ブラジル安川電機有限会社設立

 

1977(昭和52)年

・国内初全電気式産業用ロボット「MOTOMAN-L10」を発表

 

1979(昭和54)年

・ベクトル制御インバータを製品化

 

1979(昭和54)年

・「社憲」制定

 

1980(昭和55)年

・欧州安川電機有限会社設立

 

1983(昭和58)年

・通商産業省大型プロジェクト「極限作業ロボットの開発」に参加
・ACサーボドライブシリーズを製品化

 

1984(昭和59)年

・MOTOMAN ROBOTICS EUROPE AB(スウェーデン)設立
・デミング賞実施賞受賞

 

1987(昭和62)年

・真空ロボットを開発

 

1988(昭和63)年

・MOTOMAN累計出荷1万台達成

 

1989(平成元)年

・インバータ工場新装完成
・配電機器工場開設
・北米にロボット販売会社を設立

 

1990(平成2)年

・モートマンセンタ開設
・活線作業ロボットを開発

 

1991(平成3)年

・英国安川電機株式会社設立
・シンガポール安川電機有限会社設立
・社名を「株式会社安川電機」に変更
・ACサーボドライブ「Σシリーズ」を開発

 

1992(平成4)年

・通商産業省大型プロジェクト「マイクロマシンの研究開発」に参加

 

1993(平成5)年

・ACサーボモータ累計出荷100万台達成

 

1994(平成6)年

・上海事務所、北京サービスセンタ開設
・韓国安川電機株式会社設立

 

1995(平成7)年

・北京事務所開設
・上海安川電動機器有限公司設立
・並列処理計算機PIMを開発
・ベクトル制御汎用インバータ「VS-616G5」を発売

 

1996(平成8)年

・産業用ロボット合併会社設立(北京)
・汎用インバータ合併会社設立(上海・マレーシア)
・YASKAWA ESHED TECHNOLOGY LTD.(イスラエル)設立
・YASKAWA MOTOMAN CANADA LTD.(カナダ)設立
・YASKAWA MOTOMAN MEXICO S.A.DE C.V (メキシコ)設立

 

1997(平成9)年

・スーパー省エネ可変速ドライブVS-686SS5を製品化・「優秀エネルギー機器」として通商産業大臣賞受賞
・高クリーン度対応ロボット「MOTOMAN-CRシリーズ」を製品化

 

1998(平成10)年

・東京工場ISO14001の認証を取得
・MOTOMAN累計出荷5万台達成
・ACサーボモータ累計出荷200万台達成

 

1999(平成11)年

・行橋工場ISO14001の認証を取得
・安川電機(上海)有限公司設立
・シーメンス社(ドイツ)と産業用ドライブシステムで合弁事業開始

 

2001(平成13)年

・国内生産5事業所でISO14001の認証を取得完了
・台湾安川開発科技股?有限公司設立

 

2002(平成14)年

・ソリューションセンタ開設
・ACサーボモータ累計300万台達成

 

2003(平成15)年

・八幡東事業所開設
・MOTOMAN累計出荷10万台達成

 

2004(平成16)年

・ACサーボモータ累計出荷400万台達成

 

2005(平成17)年

・新世代ロボット(双腕ロボット・7軸ロボット)を製品化

 

2006(平成18)年

・モートマンステーション開設
・ブルックスオートメーション社(アメリカ)と半導体搬送ロボット関連事業で提携
・ACサーボモータ累計出荷500万台達成
・MOTOMAN累計出荷15万台達成
・小形汎用インバータ「V1000」発売

 

2007(平成19)年

・ドライブセンタ開設
・インバータ累計出荷1000万台達成

 

2008(平成20)年

・MOTOMAN累計出荷20万台達成
・安川電機(瀋陽)有限公司設立

 

2009(平成21)年

・ハイブリッド電気自動車用モータドライブシステム「QMET DRIVE」を開発

 

2010(平成22)年

・大型風力発電用システム電機品「Enewin」シリーズ販売開始
・太陽光発電用パワーコンディショナ「PV1000」を発売
・YASKAWA ELECTRIC INDIA PVT.LTD(インド)設立

 

2011(平成23)年

・SiC*を採用した電気自動車用高効率モータドライブ「SiC-QMET」を開発(*SiC:シリコンカーバイト)
・関東ロボットセンタ開設

 

2012(平成24)年

・執行役員制度導入
・ACサーボモータ累計出荷1000万台達成
・世界初のGaN搭載パワーコンディショナを開発

 

2013(平成25)年

・安川(中国)機器人有限公司にてロボットの現地生産を開始
・ACサーボドライブ「Σ-7シリーズ」を発売
・インバータ累計2000万台達成
・バイオメディカル分野向けロボット「MOTOMAN-BMDA3」を発売
・杭州???机器人科技股?有限公司(カイエルダーロボット社)に出資
・ReWalk Robotics Ltd.(旧Argo Medical Technologies, Ltd.)と戦略的資本・業務提携

 

2014(平成26)年

・下肢用リハビリ装置LR2を発売
・インバータ累計出荷2000万台達成
・マトリクスコンバータU1000を発売
・The Switch Engineering Oyを子会社化
・Solectria Renewables, LLCを子会社化

 

2015(平成27)年

・中部ロボットセンタ開設
・歩行アシスト装置「ReWalk」を発売
・創立100周年事業として本社事業所を再編し、「ロボット村」をオープン
・美的集団股?有限公司と産業用ロボット・サービスロボット関連事業で提携
・世界初のフルSiCパワー半導体モジュール搭載の次世代マトリクスコンバータを開発
・次世代の産業用汎用インバータGA700を発売
・ロボティック・バイオロジー・インスティテュート株式会社に資本参加
・世界初のGaNパワー半導体を搭載したアンプ内蔵サーボモータを開発

 

2016(平成28)年

・Doolim Robotics Co.,Ltd.の株式取得
・奇瑞安川電駆動系統有限公司の設立
・YASKAWA Polska Sp. z o.o.(ポーランド)設立
・フィンランド バルチラ社グループ 船舶用ドライブ製品の開発および製造部門の取得

 

2017(平成29)年

・中国 深?(シンセン)市長盈(チャンイン)精密技術股?有限公司と提携
・人協働ロボット MOTOMAN-HC10 を発売
・業界最小・最軽量の新型ロボット MotoMINIを発売
・上肢リハビリ装置 CoCoroe AR2を発売
・新たなソリューションコンセプト 「i3-Mechatronics(アイキューブ メカトロニクス)」を始動
・AIベンチャー企業 株式会社クロスコンパスと資本提携

 

2018(平成30)年

・足首アシスト装置 CoCoroe AADを発売
・データの収集・視える化・蓄積・解析を一括して行うソフトウェアツール「YASKAWA Cockpit」を提供開始
・野菜生産システム用装置の生産・販売会社「株式会社FAMS」を設立
・次世代生産工場「安川ソリューションファクトリ」を設立

 

 

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