【東京都三鷹市】「井の頭」の地名由来~東京北多摩の歴史散歩~

三鷹市「井の頭」の地名の由来の一つ。

井(湧き水)の頭(源)=水源という説が有力。

井の頭池は三宝寺池(石神井公園)、善福寺池と並ぶ”武蔵野三大湧水池の一つでした。

井の頭の水は神田川を流れ、江戸の町に潤いをもたらしていました。

又、井の頭公園内「御殿山」の名前の由来は徳川家光が鷹狩りに来た際、休憩所を建てたことから命名されたと言われているそうです。

 

 

三鷹市「井の頭」の地名由来

井の頭の名は徳川家光が鷹狩りに訪れ、湧水がほとばしるように出ているのを見て、「井の頭」と命名したとされています。

井の頭弁財天の持ち寺の大盛寺の記録には、徳川家光が「畔にあったコブシの樹に小柄で『井の頭』と彫りつけ、池をそう呼ぶようにと言った」との記述があるそうです。

その他、井の頭という名称の由来については、「えんかしら、この水の美しさ」と家光が驚嘆したことがその後に転じて「いのかしら」になった、とする説もあるそうです。

 

 

井の頭弁財天の起源

井の頭池西端の島に現存する井の頭弁財天(別当寺は天台宗大盛寺)の起源は、伝承によれば、平安時代中期に六孫王経基が最澄(伝教大師)作の弁財天女像を安置するため、この地に建てた堂であるとされます。

弁財天の縁起には、その後源平合戦の頃、源頼朝が東国平定を祈願し、その大願成就ののちに改築されたことが伝えられています。

その後、鎌倉時代末期の元弘の乱の際に、新田義貞と北条泰家との対戦の兵火で弁財天が焼失、数百年の間放置された後、江戸幕府三代将軍徳川家光により弁財天が再建されました。

 

 

井の頭公園の歴史

歌川広重の「名所江戸百景」などにも描かれた井の頭池は、江戸の水源として江戸時代から有名な景勝地でした。

江戸時代には井の頭池と一帯の林が幕府御用林として保護されていましたが、明治維新後は東京府が買収します。

帝室御料林となりますが、東京市が「井之頭公園設置計画書」を策定し、大正2(1913)年、東京市に帝室御料地が下賜されました。

そして、井之頭公園開設工事が始まり、大正6年(1917)年5月1日、日本で最初の恩賜公園、最初の郊外公園として開園しました。

 

 

井の頭公園の桜

井の頭公園は、日本さくら名所100選に選定されています。

公園全体で約500本の桜があり、池の周囲には約250本のソメイヨシノとヤマザクラが雄大に枝を広げて春の公園を彩ります。

七井橋の上からの満開時の眺めはまさに圧巻で、満開後の散りゆく花吹雪もまた風情があります。

西園には多くの品種の桜があり、早咲きのカワヅザクラ、ヤエザクラ、シダレザクラ、白や濃い紅色の桜などが次々に咲き誇ります。

 

遅咲きの桜は例年4月中旬まで観賞することができます。