【東京都武蔵野市】「亜細亜大学」と創設者「太田耕造」氏~東京北多摩スポット・観光・イベント・公園・大学など~

 

 

 

亜細亜大学とは?

 

 

亜細亜大学は、東京都武蔵野市に本部を置く私立大学です。

通称は「亜大」「亜細亜」。

1941年に創設された興亜専門学校を前身とし、幾度かの改組・改称、学部の増設を経て1955年に現在の名称になりました。

語学留学プログラムなど、日本の大学において初の教育プログラムやCMを実施した大学です。

 

国際関係学部では、1年次後期に留学が原則必須で、10か国以上の外国語の授業を開講するなど、アジア地域を中心に世界各地域の言語が学べます。

キャンパスは都内にある「武蔵野キャンパス」で4年間を通じて過ごすほか、体育施設が主となる「日の出キャンパス」でも一部の講義が行われています。

「武蔵野キャンパス」の最寄り駅は武蔵境駅です。

武蔵境駅北口から徒歩15分くらいでしょうか。循環バスも通っています。

 

2015年に硬式野球部が東都大学リーグで優勝を果たし、陸上競技部も好成績を収めるなどスポーツ面での活躍も注目を浴びている大学です。

 

 

 

 

 

亜細亜大学の歴史

 

 

旧制興亜専門学校を前身とする大学です。

戦後、日本経済専門学校、日本経済短期大学を経て亜細亜大学となりました。

初代学長兼理事長には、終戦時の文部大臣だった太田耕造が就任、その後、理事長に就任した東急の創業者五島慶太の経営協力の下で組織整備などがなされてきました。

1940年(昭和15年)東京都北多摩郡武蔵野町境字上水南1243番地、他所在3960坪(現在地)の土地賃貸借契約成立(1967年買収)(地主 高橋次平・尚敏 借主 菊池武夫・岩田愛之助 代理人 藤原繁)。

1941年財団法人興亜協会設立。旧制興亜専門学校開校。第一部(満蒙支科)・第二部(南方科)・第三部(内地科)を設置

1945年第二次世界大戦の終結に伴い日本経済専門学校へ改称

 

1950年同専門学校を日本経済短期大学へ改組。経営科第一部・第二部、貿易科第一部・第二部を設置

1951年運営法人を学校法人に改組。法人名を猶興学園と改称

1954年法人名を亜細亜学園と改称。日本経済短期大学附属中国留学生部を開設

1955年日本経済短期大学経営科および貿易科を亜細亜大学へ改組・商学部を開設

 

1962年留学生別科を開設

1964年経済学部経済学科を開設。教養部を設置

1966年法学部法律学科を開設

1970年商学部を改組し、経営学部経営学科を開設。

 

1974年経営・経済・法の各学部に大学院修士課程を設置

1976年経営・経済・法の各学部に大学院博士課程を設置。経済学部に国際関係学科を併設

1986年日本経済短期大学経営科に経営管理専攻と経営情報処理専攻を開設

1989年(昭和64年/平成元年)亜細亜大学アメリカプログラム(略称:AUAP)開始

 

1990年国際関係学部国際関係学科を開設

 

 

 

 

 

亜細亜大学創設者、太田耕造とは?

 

 

太田耕造。

明治22年12月15日貞郎の四男として出生。

家庭の事情で6歳ごろまで福島県二本松で育ちます。

明治30年代前半の金融危機によって本家と共に連鎖倒産となり、小学校中退を余儀なくされました。

 

のち、姉の影響で福島教会で洗礼を受け、キリスト教青年活動に従事する傍ら、私立「学半塾」を修了、そして二松学舎創始者の三島忠州に師事しています。

その後、牧師を志し上京、聖学院神学校に入学したものの中途でその道を断念し、法律・政治家に進むことを決意。

大正9年東京帝国大学法学部英法科を卒業し、東京地方裁判所所属弁護士となり、さらに現代政治思想史研究の機関誌「国本」の重要メンバーとして、国家主義運動に傾注しています。

昭和13年法政大学教授に就任、しかし翌年1月の平沼騏一郎内閣誕生に伴い総理大臣秘書官に任命され、次いで4月に内閣書記長(現官房長官)、そして8月には貴族院議員と、着実に政治家としての才能を買われ、また発揮していきます。

 

同20年4月、鈴木貫太郎内閣誕生に際し文部大臣に任命され、戦争継続が終結かの重大局面の仕事に取り組みます。

そして終戦となり、大臣を辞職したのち、A級戦犯容疑に問われ、一年半に及ぶ巣鴨刑務所拘留の結果、不起訴処分で出所。

弁護士としての再登録する一方、日本再建の基礎は青少年の正しい育成であるとの堅い理念から、再び教育に情熱を傾注する決意を固めます。

昭和29年、亜細亜学園理事長・日本経済短期大学長に就任。

 

日本とアジアの親善・理解の重要性を説いて、派遣留学生制度を確立し、教育面だけではなく、文化交流・国際親善にも大きく貢献しています。

また、“日本及びアジアの文化社会の研究と建設的実践に重点を置き、もってアジア融合に新機軸を打ち出す人材を育成するを、その使命とする”と説き、「自助協力」を建学精神としています。

 

その精神は今もなお後進に受け継がれています。

 

 

 

 

 

 

 

亜細亜大学の有名出身者

 

 

松田宣浩(福岡ソフトバンクホークス)

赤星憲広(元プロ野球選手(シドニー五輪代表))

与田剛(東北楽天ゴールデンイーグルス投手コーチ)

大石大二郎(元プロ野球選手)

阿波野秀幸(元プロ野球選手)

パンチ佐藤(タレント、元プロ野球選手)

グレート義太夫(お笑い芸人(たけし軍団))

野口健(登山家)

田中六助 (元衆議院議員、通商産業大臣、内閣官房長官、自民党幹事長、自民党政調会長、興亜専門学校)

星野正則 (ドトールコーヒー代表取締役社長、ドトール・日レスホールディングス代表取締役社長)

北山宏光(Kis-My-Ft2)

岩橋玄樹(King & Prince)

夏川りみ(歌手)

松たか子(俳優)

加藤あい(俳優)

坂下千里子(タレント)

石田ひかり(俳優)

中山忍(俳優)

ベッキー(タレント)

 

その他、多くの出身者が各界で活躍しています。