「株式会社島津製作所」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『島津源蔵』/沿革・歴史など~

「株式会社島津製作所」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『島津源蔵』/沿革・歴史など~

 

「株式会社島津製作所」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

 

 

 

 

「株式会社島津製作所」の社是

 

 

科学技術で社会に貢献する

 

 

 

 

 

 

「株式会社島津製作所」の経営理念

 

 

「人と地球の健康」への願いを実現する

 

 

 

 

 

 

「株式会社島津製作所」の社章の由来

 

 

 

“丸に十の字”の社章は、当社の創業者である初代島津源蔵が、島津家の家紋を商標として定めたことに由来します。

初代島津源蔵の祖先は井上惣兵衛尉茂一といい、1500年代後半に播州(兵庫県南西部)に住んでいました。

薩摩の島津義弘公が、京都の伏見から帰国の途上に、豊臣秀吉公から新たに拝領した播州姫路の領地に立ち寄った際、 惣兵衛は領地の検分などに尽力し、その誠意に対する感謝の印として、義弘公から”島津の姓”と”丸に十字(くつわ)の家紋”を贈られたと伝えられています。

この家紋が社章としていつから使用され始めたのか正式な記録は残っていませんが、明治27年(1894年)頃の木屋町本店の外観写真には丸に十字と島津製作所の社名文字が見えます。

現在の社章が商標として登録されたのは大正元年(1912年)で、当社が株式会社となる大正6年(1917年)よりも前です。

商標登録の際に図形寸法比率の正確な基準値が定められ、丸の実線の太さは外円の直径の1/8、十字の実線の太さはその1割増しと決められました。

この数値は、外円の大きさと円周の太さの均衡と、円周の十字の太さに対する人間の目の錯覚を補正して、均整の取れた美しさを感じさせる科学的な数値を精密に計算したもので、今もこの寸法比率が用いられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「株式会社島津製作所」の創業者・創立者『島津源蔵』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

 

島津源蔵(初代)

 

 

天保10年5月15日(1839年6月25日)京都の醒ヶ井魚棚(現・堀川六条付近)で仏具の製造をしていた島津清兵衛の次男として生まれた。

家業を治め、1860年(万延元年)に21歳で木屋町二条に出店した。

 

この地は高瀬川の船便の終点に近く、当時の重要な流通拠点であった。

また、京都府は殖産興業のため1870年(明治3年)に勧業場、舎密局などをこの付近に設立し、源蔵は舎密局に出入りするようになった。

 

ここで知識を得た源蔵は1875年(明治8年)3月31日に教育用理化学機器の製造を始め、島津製作所を創業した。

1877年(明治10年)の第一回内国勧業博覧会では錫製の医療用ブーシーを出展し、内務卿・大久保利通から褒状を受けている。

 

また、同年に京都府は科学思想啓発のために国内初の有人気球を計画し、源蔵はその実行責任者となった。

その頃、欧米では空への関心が高く、軽気球の研究も盛んでした。

 

話を持ち込まれた初代島津源蔵は、軽気球に対する知識も無く、頼りにするのは原田千之介氏がもたらした外国雑誌の一枚の絵図だけで、製作期間はわずかに数ヶ月ということで頭を抱えました。

ガス球部分には胡麻油で溶かした樹脂ゴムを塗布した羽二重を用い、鉄くずと硫酸を四斗樽10個を使って発生させた水素ガスを内部に封入した。

 

招魂祭のある同年12月6日に仙洞御所の広場で飛行試験が行なわれ、気球は5万人の観衆の前で36mの高さまで浮上した。

これによって源蔵の知名度は大きく向上したといわれる。

 

翌1878年(明治11年)2月3日から3年間、京都府はゴットフリード・ワグネルを舎密局に招聘・雇用した。

彼は化学工芸の指導などを職務とし、理化学器械の製造のため出入りしていた源蔵にも接していた。

 

ワグネルから送られた木製旋盤は島津創業記念資料館に現存する。
また、当時のカタログには「ワグネル新発明」という説明の付いた蒸留器が掲載されている。

源蔵も後に科学教育に携わるようになり、1886年(明治19年)には「理化学的工芸雑誌」を発刊し、京都府師範学校(現・京都教育大学)の金工科で教職を一年間務めた。

 

1894年(明治27年)12月8日に脳溢血のため、55歳で亡くなった。

没後に長男の梅次郎が2代目島津源蔵を襲名し、後継者となった。

 

 

 

 

 

 

島津源蔵(2代目)

 

 

1869年6月17日、京都市で初代島津源蔵の長男・梅次郎として生まれた。

(初代島津源蔵が世を去った後、長男・梅治郎は二代島津源蔵を襲名)

 

1875年、6歳の時に父が島津製作所を創業。

梅次郎も早くから科学知識に興味を持ち、1884年にウィムズハースト式誘導起電機(Wimshurst machine)を作製して翌年の京都勧業博覧会に出品し、文部大臣の森有礼から激励を受けた。

 

1894年に初代・源蔵が急死したため、梅次郎は2代目源蔵を襲名して事業を継承した。

翌1895年には、ヴィルヘルム・レントゲンがX線を発見したのを受け、ストラスブルク大学でレントゲンと面識のあった第三高等学校教授の村岡範為馳とともにX線の研究に着手した。

 

その結果、翌年には日本国内初のX線写真の撮影に成功し、翌1897年に教育用X線装置を商品化している。

また、1895年には教育用の人体模型、哺乳類・鳥類の標本の製造・販売を開始した。

 

一方、源蔵は1897年に京都帝国大学理工科大学から注文を受けて鉛蓄電池を作製し、これは後に改良され「GS蓄電池」(GSはGenzo Shimazu=島津源蔵の頭文字から)となった。

この蓄電池は日露戦争で徴発されて軍艦和泉でも使用され、1905年5月27日の日本海海戦では信濃丸から「敵艦見ゆ」の第一報を受けて旗艦の三笠に送信する歴史的役割を支えた。

 

1909年に島津製作所は初の国産医療用X線装置を作製し、これは国府台陸軍衛生病院(現・国立国際医療センター国府台病院)に納品された。

また、同年にはシアトルのアラスカ・ユーコン太平洋博覧会で人体模型が大賞を受賞している。

 

さらにX線講習会を1921年から20年間開催し、1927年には国内初のX線技師養成所を本社内に設けるなど、X線技術の普及に努めた。

なお、この養成所は京都医療技術短期大学を経て京都医療科学大学となっている。

 

第一次世界大戦が勃発するとドイツからの蓄電池輸入が途絶えたため、三菱・大倉財閥や京都財界によって島津製作所の蓄電池工場は独立する事になり、1917年に日本電池株式会社(現・ジーエス・ユアサコーポレーション)が設立された。

また、源蔵は前年の1916年に緑綬褒章を受章している。

 

源蔵はこの会社でも開発の指揮を取り、1920年に円筒中に鉛の塊を入れて送風しながら回転して亜酸化鉛(Pb2O)を生成する「易反応性鉛粉製造法」を発明した。

これによって1923年の第3回発明品博覧会・電気工業の部で大賞を受賞した。

 

さらにこの亜酸化鉛粉から防錆剤を作り、それを扱う大日本塗料株式会社が1929年に独立した。

「易反応性鉛粉製造法」では国内およびアメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどで特許を取得し、これをはじめとする発明の業績により、源蔵は1930年の宮中晩餐会に御木本幸吉らとともに日本の十大発明家の一人として招待された。

 

1937年(昭和12年)には電池を動力とする輸送機を製造する日本輸送機株式会社(現・三菱ロジスネクスト株式会社)が設立されている。

1939年、島津製作所の社長を退き会長となった。

 

さらに1945年の太平洋戦争終結を機に会長職も引退し、京都市左京区北白川の山荘で発明に専念した。

生涯の発明考案は178件に上る。

 

1951年10月3日に82歳で他界。

「日本のエジソン」「蓄電池の父」とも呼ばれています。

 

GSユアサのバッテリーの「GS」とは島津源蔵のイニシャル。

 

 

 

 

 

 

島津源蔵(島津製作所創業者)の名言・考え方

 

 

 

 

 

<事業の邪魔になる人> 

 

 

1. 自己の責務に精進することが忠義である事を知らぬ人

2. 共同一致の融和心なき人

3. 長上の教えや他人の忠告を耳にとめぬ人

4. 恩を受けても感謝する心のない人

5. 自分のためのみを考え他への事を考えぬ人

6. 金銭でなければ動かぬ人

7. 艱難(かんなん)に堪えずして途中で屈伏する人

8. 自分の行いに反省しない人

9. 注意を怠り知識を磨かぬ人

10.熱心足らず実力ないのに威張り外見を飾る人

11.夫婦睦まじく和合せぬ人

12.物事の軽重暖急の区別出来ぬ人

13.何事を行うにも工夫をせぬ人

14.国家社会の犠牲となる心掛けのない人

15.仕事を明日に延す人

 

 

 

 

 

<家庭を滅ぼす人>

 

1.自分の一家と国家との繋りを知らぬ人

2.両親及び兄姉を敬はず夫婦和合せぬ人

3.身分相応を忘れる人

4.毎日不平を言うて暮らす人

5.相互扶助を知らぬ人

6.嘘を言い我儘(わがまま)を平気でする人

7.不用の物を買ひたがり無駄事に多くの時間をつぶす人

8.夜ふかし朝寝をし実力を養成しない人

9.失敗したとき勇気を失ふ人

10.非礼なことを平気でする人

11.今日積む徳が明日の出世の因(もと)となることを知らぬ人

12.先輩を軽んじ後輩に親切を尽さぬ人

13.他人の悪口を言ひ争いを好む人

14.秩序を守らぬ人

15.今日一日の無事を感謝せぬ人

 

 

 

 

 

<事業の邪魔になる人  家庭を滅ぼす人>

 

以上の30か条はいづれも処世の要諦であって充分に之を理解し且つ実行に努むる時は、

1.職務上独特の技術を発揮して無くてはならぬ人となり

2.人格を向上し性格を円満ならしめ諸人の愛敬を受け

3.以て立身立家立国の三大任務を完成することが出来る

然るに若し之を読むも皮相にして底の真理を味解するに至らず或はただ知るのみにして之を貫き行ふの熱意を欠く者は必ず一身一家を破滅の淵に陥れるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「株式会社島津製作所」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

 

1875年 初代島津源蔵 京都木屋町二条南で創業、 教育用理化学器械製造を開始

1877年 日本で初めて有人軽気球の飛揚に成功

1882年 理化器械目録表を発行

1896年 X線写真の撮影に成功

1897年 蓄電池の製造を開始

1909年 日本初の医療用X線装置を完成

1915年 光学測定器の製造を開始

1917年 株式会社に改組、蓄電池部を別会社化

1920年 大連出張所を開設

1930年 二代目島津源蔵が、わが国十大発明家の一人として、宮中賜餐にあずかる

1933年 工業用X線装置を開発

1934年 日本初の分光写真器を完成

1936年 航空機器の製造を開始

1952年 日本初の光電式分光光度計を開発

1956年 日本初のガスクロマトグラフを開発

1961年 世界初の遠隔操作式X線テレビジョン装置を開発

1963年 ニューヨーク事務所を開設
東京研究所を開設

1968年 ドイツに Shimadzu(Europa)GmbHを設立

1975年 創業100年を契機に、創業の地・木屋町二条に「島津製作所 創業記念資料館」を開設
アメリカに Shimadzu Scientific Instruments, Inc.を設立

1978年 モジュラー構造の液体クロマトグラフを日本で初めて開発

1979年 アメリカに Shimadzu Precision Instruments, Inc.を設立

1980年 (財)島津科学技術振興財団を設立

1983年 アメリカで分析機器の製造を開始

1987年 ドイツで分析機器の製造を開始

1989年 英Kratos Groupを買収

1991年 けいはんな研究所開設
秦野工場を開設

1992年 中国に合弁会社北京島津医療器械有限公司を設立

1994年 中国に合弁会社天津島津液圧有限公司を設立

1996年 フィリピンに Shimadzu Philippines Manufacturing Inc.を設立

1997年 製造関係会社島根島津株式会社を設立
ベトナムにShimadzu Vietnam Medical Hi-Tech Company Ltd.を設立

1998年 島津(香港)有限公司を設立
中国に島津儀器(蘇州)有限公司を設立

1999年 世界最高速の遺伝子解析装置を開発

2000年 韓国に Dong-il SHIMADZU CORPORATION を設立

2001年 ライフサイエンス研究所を京都・つくばに開設

2002年 田中耕一がノーベル化学賞を受賞、文化勲章を受章

2003年 本社・三条工場に田中耕一記念質量分析研究所を設立
直接変換方式フラットパネル検出器(FPD)を搭載した世界初の循環器用X線診断装置を開発

2005年 次世代医療技術である分子イメージング機器開発への取組みを強化
光学部品等の製造会社 株式会社島津デバイス製造を設立
分析・計測機器の製造会社 島津エイテック株式会社を設立

2006年 欧州にSHIMADZU UK Ltd. など3社を設立
インドにShimadzu Analytical India Private Limitedを設立
中国に受託分析会社 島津(広州)検測技術有限公司を設立

2008年 三菱重工業からターボ分子ポンプ事業を譲受

2010年 国産初のトリプル四重極型液体クロマトグラフ質量分析計を開発

2011年 中国に分析計測機器の開発センターを開設

2012年 食品放射能検査装置FOODSEYEを発売

2013年 ウルグアイにShimadzu Latin America S.A.を設立
台湾に台湾島津科学儀器股?有限公司を設立

2014年 本社・三条工場に本社棟が竣工
日本初の乳房専用PET装置を開発

2015年 宮崎県と共同設立した「一般社団法人 食の安全分析センター」が開所
アメリカに「SSIイノベーションセンター」を設立

2016年 マレーシアにShimadzu Manufacturing Asia Sdn. Bhd.を設立

2017年 「島津エアロテック株式会社」を設立
シンガポールに「イノベーションセンター」を設立
フランスのAlsachim SAS社を買収

2018年 血液から脳内アミロイド蓄積を推定する受託分析を開始
ドイツのinfraserv Vakuumservice GmbH社を買収
グループ会社2社を統合して「島津産機システムズ株式会社」を設立

2019年 中国に「中国イノベーションセンター」を設立
本社・三条工場にヘルスケアR&Dセンターが開所
韓国にShimadzu Scientific Korea Corporation を設立
アメリカのCore Medical Imaging, Inc.社を買収

 

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