ベンチャー企業が狙うべきニッチな市場。
ニッチな市場であるが故、なかなか市場が拡大しないことが多々あります。
マーケットリーダー企業自らの成長不足も一つの要因かもしれません。
しかし、ニッチな市場を拡大させ、かつ、自らの成長を促す方法があるものです。
今回は市場創造、そしてそのヒントについてお伝えします!
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5月5日と言えば、こどもの日、端午の節句ですね。
子どもが大好きなものと言えば、おもちゃかもしれません。
今、男の子(未就学児から小学校低学年)のなかで、一番人気のあるおもちゃって知っていますか?
ご存知の方も多いかもしれません。
それが「仮面ライダー変身ベルト」です。
2017年、年間総合ランキングでも1位を取っています。
下記参照ください。
※出所:おもちゃ情報net.(情報提供: 独市場調査会社GfK Japan)
2017年度、第1位。
それが「仮面ライダービルド 変身ベルト DXビルドドライバー」です。
「男の子向けTOP10」で1位ですが、男女総合でも1位を獲得しています。
ちなみに、その前年2016年でも、同じく仮面ライダー変身ベルトが1位を取っています。
1位「仮面ライダーエグゼイド 変身ベルト DXゲーマドライバー」
2017年と同じく男女総合でも1位を獲得しています。
仮面ライダー人気は、ある意味不動ですね。
この仮面ライダー人気、その背景にあるのが、その俳優陣。
いわゆる「イケメン」を取り揃えています。
この「イケメン戦略」が、お母さんたちを虜にすることで、仮面ライダー人気を不動にしている背景とも言えそうです。
特に「平成ライダー」の俳優陣がすごいのです。
(※仮面ライダーは昭和時代に作られたのを「昭和ライダー」と呼ばれ、平成時代に作られたものを「平成ライダー」として区別されています。)
以下、平成ライダーの主人公たちです。
2000年 オダギリジョー (仮面ライダー「クウガ」)
2001年 賀集利樹 (仮面ライダー「アギト」)
2002年 須賀貴匡 (仮面ライダー「龍騎」)
2003年 半田健人 (仮面ライダー「555(ファイズ)」)
2004年 椿 隆之 (仮面ライダー「剣(ブレイド)」)
2005年 細川茂樹 (仮面ライダー「響鬼」)
2006年 水嶋ヒロ (仮面ライダー「カブト」)
2007年 佐藤 健 (仮面ライダー「電王」)
2008年 瀬戸康史 (仮面ライダー「キバ」)
2009年 井上正大 (仮面ライダー「ディケイド」)
2009年 桐山 漣&菅田将暉 (仮面ライダー「W」)
2010年 渡部 秀 (仮面ライダー「OOO(オーズ)」)
2011年 福士蒼汰 (仮面ライダー「フォーゼ」)
2012年 白石隼也 (仮面ライダー「ヴィザード」)
2013年 佐野 岳 (仮面ライダー「鎧武(ガイム)」)
2014年 竹内涼真 (仮面ライダー「ドライブ」)
2015年 西銘 駿 (仮面ライダー「ライダーゴースト」)
2016年 飯島寛騎 (仮面ライダー「エグゼイド」)
2017年 犬飼貴丈 (仮面ライダー「ビルド」)
2000年のオダギリジョーから始まり、2006年水嶋ヒロ、2007年佐藤健、さらには今テレビを席巻している菅田将暉、福士蒼汰、竹内涼真もその名を連ねています。
すごいですね!
殆どの俳優陣が仮面ライダー出演時にはほぼ無名新人。
もともと仮面ライダー俳優は主婦と生活社が発行している月刊雑誌JUNONが主催する美男子コンテスト「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」出身者が大半。
そもそも脚光を浴び、ブレイクしやすい環境は整っていますが、それでも「仮面ライダー後」の活躍が凄いと言えそうです。
主人公だけではありません。
『仮面ライダーアギト 』で警察官・氷川誠を演じ、俳優デビューを果たしたのが、要潤。
綾野剛は『仮面ライダー555』にて澤田亜希役を演じています。
主人公以外の俳優も含めて、仮面ライダーは人気俳優の登竜門と言えるかもしれません。
では、なぜ、仮面ライダー出身の俳優が知名度を上げることができるのでしょうか。
もちろん、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」での入賞者が前提であることから、その素材の良さは間違いないでしょう。
でも、だからといって、容易に人気を獲得するのはできないでしょう。
仮面ライダー出身が全員成功しているわけでもないですし、何もせずに成功しているのではなさそうです。
そういえば、以前、竹内涼真さんを密着取材したテレビ番組を見たことがあります。
その際に感じたのは「ハングリーさ」。
仮面ライダーに出演したからといっても、当時は各イベントの集客はガラガラだったそうです。
まさに、無名の新人そのものだったようです。
それでも、少ないファン一人一人の顔と名前を覚え、ファンレターを一人一人に返信し、一人一人を大切に接することからはじめたと仰っていました。
一人一人を積み上げ、一歩一歩踏みしめてきた、まさに「ハングリーさ」。
絶対に売れてやる!そんな意気込みを感じたのを覚えています。
ハングリー精神と言えば、菅田将暉さんもそうかもしれません。
多彩な才能を活かし、テレビ番組を席巻しています。
精力的な活動が印象的ですね。
歌に俳優業。
仮面ライダー出身者が、なぜ、これほどまでに皆パワーを持ち続けているのか。
不思議ですね。
仮面ライダー原作者ってご存知でしょうか。
ご存知の方も多いかと思います。
石ノ森章太郎さんですね。
石ノ森章太郎さんと言えば、有名なのは「トキワ荘」。
トキワ壮とは、1956~1958年頃、東京の豊島区南長崎に、伝説の漫画家たちが集まった有名な2階建て木造アパートです。
当時トキワ荘に住んでいた漫画家がすごいんです。
以下、トキワ荘住人たちです。
手塚治虫:代表作品『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『ブラック・ジャック』『火の鳥』
藤子不二雄:代表作品『ドラえもん』『オバケのQ太郎』『忍者ハットリくん』他
石森章太郎:代表作品『仮面ライダー』『サイボーグ009』他
赤塚不二夫:代表作品『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』他
寺田ヒロオ:代表作品『スポーツマン金太郎』『背番号0』
森安なおや:代表作品『赤い自転車』
よこたとくお:代表作品『マーガレットちゃん』
水野英子:代表作品『星のたてごと』『白いトロイカ』
などです。
凄いですね。
日本の漫画文化を創出した偉人ばかりです。
南長崎にある木造アパートから、「世界の偉人たち」が排出されたと言っても過言ではないかもしれません。
また、上記の他、以下の方々もトキワ壮に出入りしていたそうです。
坂本三郎、しのだひでお、園山俊二、つげ義春、つのだじろう、永田竹丸、長谷邦夫、横山孝雄、つげ義春、滝田ゆう、松本零士、ちばてつや、など。
いずれも名だたる人物ばかり。
「空手バカ一代」つのだじろうも、「戦艦ヤマト」松本零士、「あしたのジョー」ちばてつやもトキワ荘に関与しているんですね。
では、なぜ、トキワ荘の住人の多くが有名になったのでしょうか?
それには理由があります。
1947年(昭和22年)に創刊された『漫画少年』(学童社)に全国の若き漫画家の卵達が投稿するページがありました。
その中でも才能が認められ雑誌に連載が決まると、出版社(学童社)が彼らを地方から上京させ、下宿先として提供されたのがトキワ荘だったのです。
つまり、才能がある人材を見出した際、「トキワ壮」に集結させたのです。
驚くのはその若さ。
1954年、リーダー格の寺田ヒロオが「新漫画党」を結成した際、メンバーの年齢は、寺田ヒロオ=23才、藤子不二雄(A=20才、F=21才)、赤塚不二夫=19才、つのだじろう=18才、園山俊二=19才、そして、仮面ライダー原作者の石ノ森章太郎は、なんと16才!
若き天才たちが顔を揃えた瞬間だったのかもしれません。
それぞれ天才たちが、それぞれの持つパワーをお互いにリンクし、相乗させていたような気がします。
まさに「時代を創った場所」だったともいえそうです。
そういえば、最近の仮面ライダーを見てみると、昭和の仮面ライダーと大きく違うところが垣間見れます。
昭和の仮面ライダーは、勧善懲悪。
1人の正義の仮面ライダーが悪の組織と闘う図式。
しかし、平成ライダーに入ってからは、複数の仮面ライダーが登場し、時には味方、時には敵となり「人間ドラマ」が垣間見れます。
面白いですね。
敵が味方になったり、味方が敵になったりするのです。
その敵のような、そして味方のような仮面ライダー同士、競い合って、その持つパワーが徐々に覚醒されていく。
ライバルが、競い合って成長するんですね。
敵が敵ではない。
ライバル(好敵手)と共に成長する。
ある意味、日本の優しさがバックボーンなのかもしれません。
仮面ライダー原作者の石ノ森章太郎氏は、多くの仲間であるライバルと共に成長し、漫画市場を創造してきました。
そして、その仮面ライダー役を継承する若き俳優たちもそう。
歴代仮面ライダー出身先輩たち、そのライバルと共に成長していく。
磨き合い、高め合う。
切磋琢磨。
お互いを刺激し合える「環境」と、一人一人の強い「想い」が、仮面ライダーの誇らしい歴史を創っているのかもしれません。
ベンチャー企業も同じかもしれません。
社内もそう。
そして社外も。
ライバルも、自分も、共に成長することで、新しい市場を生み出していく。
高い意識をもったライバル同士が、新しい時代を創るのではないでしょうか。
名言を贈ります。
私が40歳を過ぎてようやく売れだしたころ、手塚(治虫)さんはすでに押しも押されもせぬ漫画界の重鎮で、スーパースターだった。だから、そのころの手塚さんは売りだしたばかりの中年漫画家のことなんかあまり意識していなかっただろう。だが、私は手塚さんを「ライバル」だと思ってやってきた。
水木しげる
僕のライバルは「やすし・きよし」だったんですよ。向こうは漫才で、こっちは落語だけど、とにかく負けられないと。それこそ枕元に紙を置き、寝ながらでもギャグを考えたし……。
桂三枝(6代目桂文枝)
ゴルフは個人競技だから自分一人が頑張ればいい成績を収められる。そう思いがちですが、ジャンボ(尾崎)や中嶋(常幸)といった強烈なライバルがいたからこそ、互いに技術が磨かれるものなのです。
青木功
急成長してきたセリアや、キャンドゥのおかげで「潰れるかもしれない」と思えた。その危機感があったから持ち直すことができました。
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