ブラック企業の代名詞「パワハラ」。
「パワハラ」は「セクハラ」同様、社会問題となり、「ブラック企業」というキーワードと共に非常に有名となりました。
「パワハラ」は過労死問題とも連動しながら、多くの企業でも少しづつ目立たなくなってきたようです。
ところが。
「パワハラ」の代わりに、大きく取り上げられつつあるキーワードが出てきました。
それが「モラハラ」。
今回は企業の存続にも関わる「モラハラ」、そしてその「モラハラ」の背景にある人間の本質についてお伝えします!
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冒頭にもお伝えしました通り、少しづつですが、パワハラという言葉は影を潜めてきたように感じます。
表立って部下を激怒する上司は見当たらなくなってきたのではないでしょうか。
特に知名度のある大企業。
仮に、パワハラがメディアに取り上げられた場合、企業ブランド、株価にも大きな損失を被ってしまいます。
株式上場しているような大企業では、特に気を付けているそうです。
ご存知かとは思いますが、念のため、パワハラを改めて振り返ってみましょう。
「パワハラ」とは、パワーハラスメント(power harassment)という和製英語の略称のことです。
社会的な地位の強い者(上司など)が、自らの権力(パワー)や立場を利用し、主に身体的苦痛、精神的苦痛を与える行為のことです。
加害者は名誉毀損、侮辱罪の刑事責任を問われる場合があり、民法の不法行為や労働契約違反も成立することがあります。
加害者を雇用している企業がパワーハラスメントを放置した場合、職場環境調整義務違反に問われ、加害者やその上司への懲戒処分などが求められることもあります。
法令上の明確な定義はありませんが、厚生労働省は典型的な行為として以下、挙げています。
・身体的な攻撃・・・暴行、傷害など
・精神的な攻撃・・・脅迫、名誉毀損、侮辱、ひどい暴言など
・人間関係からの切り離し・・・隔離、仲間外し、無視など
・過大な要求・・・業務上不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害など
・過小な要求・・・能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じる、仕事を与えないなど
・個の侵害・・・私的なことに過度に立ち入るなど
刑事罰にもつながるパワハラ。
何よりも、企業ブランドの失墜、株価下落にもつながり、最悪のケースには企業存続の危機にもつながりかねません。
社会問題化した「パワハラ」。
「セクハラ」と共に、表面的には、その課題感は少しづつ、減少しているのかもしれません。
過労死問題なども含めて、大手企業が実施してきた対策が、「コンプライアンス」と「コーポレートガバナンス」強化。
実際、これらの施策が「どの企業もやっているから一応」という横並び的採用企業も多く、具体策は「セミナー受講」程度でもあり、実際どの程度効果があるのかは不透明な部分ではあります。
そもそも「コンプライアンス」「コーポレートガバナンス」とはどういった意味なのか、またその違いは何か、少しご説明いたします。
コンプライアンス(compliance)は「法令順守」と訳されます。
読んで字のごとく、法令を守ることです。
当たり前ですが、「法律やルール」を守りましょう、という意味です。
ただ、明文化されている法令のみならず、社会的規範などの遵守も求められています。
そして「コーポレートガバナンス」。
コーポレートガバナンス(corporate governance)は「企業統治」と訳されます。
企業経営を監視する仕組みのことですね。
主に経営者の暴走を止める目的があります。
具体的には「社外取締役導入」「社外監査役」「委員会設置」「執行役員制度導入」「内部統制システム導入」などが挙げられます。
コンプライアンスは、コーポレートガバナンスの基本原理の一つ。
つまり、ガバナンスを推進するうえで、コンプライアンス(法令順守)は、その前提でもありうるのです。
このように、現代企業経営における、非常に重要な施策が「コンプライアンス」と「コーポレートガバナンス」です。
企業の社会的責任「CSR活動」と合わせて、主に株式公開している大企業を中心に根付いてきたとも言えるのかもしれません。
ただ、もともとコンプライアンスも、コーポレートガバナンスも、もともとは株主の利益保護から生み出された言葉。
あくまで「株主利益保護」が原点発想。
「トップ経営層の監視」が目的です。
つまり、個々の職場における従業員の保護という観点は、あまり重視されてはいないのかもしれません。
「法的」「規則」的には一部改善するはずですが、隠れた「いじめ体質」のような細部には、あまり効果は期待できないのではないでしょうか。
コンプライアンスやガバナンス強化推進により、「パワハラ」や「セクハラ」は表面的に減少してきたとは言えそうです。
しかし、組織内の見えにくい「非道徳性」に関しては、まだまだ改善の余地はありそうです。
そして新たに注目されているのが「モラルハラスメント」。
パワハラ、セクハラに代わり、昨今注目されつつあります。
モラルハラスメントは「モラハラ」とも呼ばれています。
離婚調停などの夫婦間に使われることも多いのですが、この「モラハラ」が職場でも注目されつつあります。
モラハラとは、主に言葉や態度、文書などにより特定のターゲットを攻撃し、人としての尊厳や人格を傷つける嫌がらせのことです。
たいていの場合、周りの人にはわからないように、陰湿かつ巧妙に行われます。
「精神的な暴力や虐待」と言っても良いかもしれません。
具体的には以下のような行動・態度のことです。
・無視をする
・チームから仲間はずれにする
・陰口を言う
・本人の前で嫌みを言う
・冷笑したり、馬鹿にしたような視線を送る
・仕事に必要な情報を与えない
・指示が曖昧でミスを誘う意図がある
・過小な業務しか与えない
・過大すぎるノルマを与える
・プライベートに介入してくる
一部パワハラに近い内容もありますが、「モラハラ」の特徴は、陰湿かつ巧妙なやり方で、個人攻撃を行うことです。
ごく一部の数人で実施されることもありますが、なかには組織ぐるみで実施する嫌がらせも存在するようです。
実際、似たような行為を見たこともあるのではないでしょうか?
日常、身近に目にするところでもあります。
昨今「パワハラ」できない不満を「モラハラ」に転換している上司もいるのかもしれません。
問題なのは、経営者、中間管理職が主体となって、組織ぐるみで1人を集中的につるし上げている事例です。
組織トップが、違法でない範囲で、その「モラハラ」実行犯となっているケースもあるそうです。
さて、ようやく、ここからが本題です。
個人的には、この「モラハラ」問題。
連想するのが子どもたちの「いじめ」。
子どもたちの「いじめ」問題は、職場の「モラハラ」と非常に近いように思います。
「いじめ」と「モラハラ」。
何か本質的な部分は全く同じに思えるのです。
小学生と同じ構図。
なぜ、私たちは、子どもと同じような「いじめ」行為をしてしまうのでしょうか。
もしかして、「モラハラ」や「いじめ」は、私たち人間の本質につながる話かもしれません。
「いじめ」問題。
このいじめ問題は、そもそも生物そのものが、本質的に持ちうるものではないでしょうか。
生物が生きていく上での、基本的に必要な行動として挙げられるのが、「捕食」と「生殖」。
生物は、より多くの食物を獲得し、より多くの子孫を反映させようとする傾向があります。
食べ物と自らの子孫繁栄、自らの欲求、利益を拡大するために、闘争が起きます。
自らの本能「欲」をより多く得るために、「ヒエラルキー」(順位制)が形成されます。
「ヒエラルキー」(順位制)のトップは、自分の保身、または、その個体が気に入らなければ、殺すか、組織から追い出す行為に出ます。
しかし、一定の区域内で簡単に逃げ場がない場合、「疎外」「いじめ」の対象となります。
いわゆる「猿山」ですね。
人が、猿から進化したとするならば、もしかして、これが、人間の本性なのかもしれません。
そういえば、以前、テレビ番組であの有名なお魚博士の”さかなクン”が興味深いことを言っていました。
メジナを狭い水槽内で複数匹飼育していると、ある一匹を対象に攻撃・いじめが始まるのだと言います。
かわいそうに思いそのいじめられているメジナを別の水槽に移してやると、今度はまた新たな一匹がターゲットとなり再びいじめが始まるのだそうです。
ターゲットがいなくなれば次のターゲットが選ばれ、またいじめが始まります。
悲しいかな、それが「猿山」、ある意味、人間の本質なのかもしれません。
「猿山」である職場。
猿山で発生するいじめは、職場でのモラハラと多くの類似点があるはずです。
そもそもモラハラ加害者はどのような種類が存在するのでしょうか。
モラハラ加害者を大きく3種類に分類してみました。
以下、モラハラ加害者3分類です。
脳科学者中野信子氏によると、「いじめ」は、「愛情ホルモン」ともいわれるオキシトシンとの相互関係があるとしています。
他にも、セロトニンやドーパミンなど、好感や快楽をつかさどる脳内物質がいじめに関係していると言っています。
いじめが止まないのは、いじめが「やめられないほど楽しい」ものだからだそうです。
つまり、これが「愉快犯タイプ」です。
この愉快犯、特にその組織のトップ層に、「いじめ」を主導する方がいると、「モラハラ」体質を構成してしまいがちです。
会社でいえば、社長や会長。
主導しないまでも、トップ層が「愉快」ないじめの思考を持っていると、モラハラ「暗黙了承」という組織を作り上げてしまいます。
「いじめ体質」というものは、その「組織の長の考え方」ですべて決まると言っても過言ではないでしょう。
「猿山」ヒエラルキー組織の中には、上位が存在するなら、必ず下位が存在します。
下位になりたくない人は「下位作り」に励みます。
これが「自己保身タイプ」です。
自分の立場を守るため、自分の地位を脅かす存在を消したい、というのが本質の人たちかもしれません。
会社組織でいえば、中間管理職にいらっしゃるかもしれません。
「自己保身」、言い換えれば、自信のない人かもしれません。
自信のない人は、同じように自信のない人を「いじめる」傾向もあります。
自信のない人が、いじめを助長するという構図にもなり得てしまうのです。
最悪なのは「1、愉快犯タイプ」のトップ層との阿吽の呼吸による、組織的いじめ。
犯人を特定できない「集団」という「いじめの空気」を作り出す最大のコラボかもしれません。
ストレスを他人に発散するタイプの人達です。
職場でのストレス、さらには家庭でのストレスなどを抱える人が、特定の人に向けて攻撃するケースです。
ストレスを解消できず、自己コントロールを失っている方もいらっしゃるかもしれません。
ある意味、被害者の一人ですね。
誰でもいい、「弱い誰か」を攻撃するのも特徴の一つかもしれません。
職場では、通常の一般社員から中間管理職、または経営者クラスにも全階級で見受けられます。
モラハラ加害者3分類。
最悪なのが、組織のトップが「1、愉快犯タイプ」である場合です。
この場合、第三者が、明確に違法性を証明しない限り、永遠にその組織は「いじめ」体質は変わらないでしょう。
被害者社員の立場としては、証拠を集めて告訴するか、退職するかの2択となるのかもしれません。
しかし、逆もまた真なり。
仮に、経営者トップが、いじめという「モラハラ」に対する道徳性を持ち合わせた場合、「2、自己保身タイプ」、そして「3、ストレス発散タイプ」は、その組織に非常に居にくい空間となることは間違いありません。
いじめ体質に対する考え方、毅然とした態度は、組織全体に及びます。
やはり経営者トップの考え方は非常に重要かもしれません。
組織に影響力がある人が、その体質についてどう考えているのか、非常に重要なポイントではないでしょうか。
組織が猿山であるとならば、「善」も、「悪」も、やはりリーダーが、その「空気」を醸成するものかもしれません。
トップが「悪意あるモラハラ」に対する、その言動。
多くの社員が見ています。
生物の本質は、生存競争であり、弱肉強食。
アメリカの映画では、地球外生物が地球に来た時、人間を駆逐する、というストーリーが圧倒的です。
生物は強者が、弱者を根絶するストーリー。
私たち人類の歴史もそう。
15世紀、コロンブスがアメリカ大陸に進出した時、ネィティブアメリカンを排除した歴史。
オーストラリアのアボリジニ、アフリカ大陸や南米もそう。
北海道のアイヌや沖縄の琉球人もそうかもしれません。
強いものが支配し、弱いものを駆逐する。
生存のための殺し合いが「生活の一部」であった時代であれば、当然かもしれません。
目には目を、歯には歯を。
やられたらやり返す。
生きるために、殺す。
動物の生存本能かもしれません。
しかし、大事なのは、ここからです。
まずもって、生物の一部である「人」は、生存本能という「いじめ」という側面を持っていることをまず理解することが重要かもしれません。
そのうえでどうするのか。
その事実が前提であり、だから、どうするのか。
議論は、ここからかもしれません。
私たちは猿から進化したのかもしれません。
いわば猿です。
でも、21世紀。
猿のままでいいのでしょうか。
本能欲求に負けたままでいいのでしょうか。
人を殴っていいのなら、殴られて当たり前です。
他人から不幸にされたくないなら、自分も他人を不幸にしてはならないはずです。
「人間」は人の間と書きます。
人の間に生きるのかもしれません。
人と人の間に生き、他人の立場に立つ「想像力」も手に入れたはずです。
であるならば、いつまでも隣人を殺し合うという考え方ではなく、自分も、相手も、多くの人たちも、お互い死なない方法を選択すべきではないでしょうか。
それが「共存」かもしれません。
共に成長し、共に楽しむ存在にしたいものです。
それが教養ある、英知ある道徳的人格者「人間」なのかもしれません。
名言を贈ります。
子供のいじめ問題で、テレビ番組のコメンテーターや記者が「弱いものいじめは卑怯だと、子供たちにもっと教えるべきだ」とごもっともな意見を言うのを聞くたびに、なんとなく釈然としない気分になる。なぜなら、子供のいじめ問題は、大人社会の縮図。大人の方がもっと卑怯なことはやっていないか?と思ってしまう。
河合薫/社会健康学者
他人の価値観や尊厳を否定するという意味において、いじめと戦争は同じ。互いに許し合えば、平和がやってくるはず。
日野原重明/聖路加国際病院元理事長
私は、リスペクトの態度があれば、夫婦間のドメスティック・ヴァイオレンス(DV)、親子間の虐待、組織内のパワハラ、セクハラ、モラハラなどは根源から絶つことができると信じています。人間関係のリスペクト不足が、このような尊厳を省みない対応を生んでいると思っているからです。
岩井俊憲/ヒューマン・ギルド創業者
私は、子供の頃、両親から「曲がったことをするな」「卑怯なまねはするな」「正直であれ」「弱い者いじめをするな」「人様に迷惑をかけるな」「負けて泣くな」「姿勢を正しくせよ」など、繰り返し教わった。結果として私自身はいままでの人生で、それを守り、オープン、フェア、クリアに戦ってきたし、生きてきたつもりである。
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