永守重信氏はご存知でしょうか。
そうです、かの有名な日本電産株式会社創業者です。
日本電産は、精密小型モータの分野で世界トップレベルの企業。
永守重信氏が、1973年に3人の仲間と共に、4人の創業メンバーで事業を興しました。
2014年度に1兆円を突破した売上高は、1.5兆円目前。
社員も10万人を超え、日本国内でも屈指の大企業に育て上げました。
今回は日本電産創業者、永守重信氏から学ぶ、ベンチャー企業成長の秘訣についてお伝えします!
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今や長者番付にものる、永守重信氏。
永守氏の幼少期は恵まれなかったようです。
中学2年生のときに父親が亡くなり、貧しい中、母親は毎日一生懸命働いていたとのこと。
母親の寝顔を見たことがない、というほどのハードワークを毎日こなしていたそうです。
永守氏は中学を出たら働けとも言われていたそうですが、成績が優秀であった永守氏の将来を案じ、中学校の先生が説得していただき、工業高校に通うことができたそうです。
学費がなくても通えた職業訓練大学校(現在は職業能力開発総合大学校)に進むことができ、高校、大学校と7年間、勉強に励んだそうです。
この職業訓練大学校で大きな出会いがありました。
それが、モーター研究の権威であり、恩師でもある見城尚志先生。
モーター研究の権威から直々に教わることができたことが、日本電産創業に結び付きます。
1973年(昭和48年)7月23日、京都市において、日本電産を仲間4人と創業、永守氏当時28歳。
仲間は、遠藤峰世(27歳)、田辺道夫(26歳)、小部博志(24歳)の3人。
まさに「たった4人の船出」でした。
起業に反対だった永守氏の厳しい母親は「人の倍働けるなら、会社を作ってもいい」と許してくれたそうです。
日本電産は、これまではPCのHDD用精密小型モータを軸に成長してきました。
しかし、iPadなどHDDを内蔵していないタブレット型PCが急激に売れ行きを伸ばし、従来型PCのシェアを奪い始めます。
タブレットの出現で、日本電産のHDD用モーター事業は大打撃を受けます。
先を見据えた永守氏は小型モーターから脱却、「家電・商業・産業用」と呼ぶ中型モーターや、電気自動車の普及を見越した車載モーターの分野へ、大きく舵を切りました。
中型から大型モーター分野へのかじ取りは、「ロボット時代」、「電気自動車時代」を見据え、さらなる成長を実現してきました。
永守氏と言えば、M&A。
つまり、企業買収ですね。
永守氏は次なる成長を目指し、1980年代からM&Aを始めます。
多くの企業が「自前」主義を貫く中、米企業で使われているM&Aは、多くの日本企業が二の足を踏んでいる最中、永守氏は積極的に動きます。
既に、2000年以降は海外企業のM&Aを実施。
現在に至るまですでに50社を超える買収を実施し、しかも、すべての企業を立て直し、収益化に結び付けています。
永守氏はM&Aに以下、3つの条件を掲げています。
まずは価格。
価格の算定の基準を明快にし、決してそれ以上の価格では買わない。
関西の商人らしく、当たり前だが、高い買い物はしない主義は徹底しています。
次は重要なのがPMI(Post Merger Integrationの略。M&A成立後の統合プロセスを指す)。
実際の経営は、その既存の経営者が実施していけるかどうかです。
日本電産の強みは、意識改革部分。
あくまでも日本電産は株主と言う立場からその会社の経営に関わるという手法です。
日本電産には詰め物買収と言う考えがあります。
例えば、城には大きな石垣がありますが、その石垣の大きな石の間に細かい石がいっぱい詰まっています。
強固な石垣のためには、この小さな石が重要。
この小さな石にあたる会社を2、3社買うのが「詰め物買収」です。
本業のモーター事業とシナジーがあり、さらにそのシナジーをより強固にするために、買収企業と抱き合わせで、取引先を合わせて買収する手法を進めています。
ある意味、石橋を叩きながら、手堅い手法と言えるのかもしれません。
だからこそ、50社以上の企業を買収しても、失敗がない、黒字化を実現することができるのかもしれません。
尽く、M&Aした企業が黒字されていく、黒字量産企業、日本電産。
その秘訣は何でしょうか。
それは「先見性」。
例えば、東芝から買収した芝浦電産(現日本電産テクノモータ)。
もともと家電用モーター企業でしたが、エアコンの省エネ化に強みがあります。
その強みを活かせたのが、中国。
特に中国では省エネエアコンに補助金が出ることが分かっていたので、この需要をうまく取り込めたことが大きな勝因でした。
そして、クルマ分野もそうです。
HONDAから買収したエレシスは自動運転、自動停止の技術を持った企業。
自動車の自動運転化が時代の流れで成長が見込まれます。
さらに、自社とのシナジーもそうです。
ハンドルはすべてモーターが回しますし、ブレーキもモーターが掛けます。
電気自動車時代では、モーターには制御装置が必ず付くことが分かっていました。
クルマ分野としては、日本電産コパルもそうです。
もともと、カメラのシャッターの会社でしたが、その技術はクルマ用のカメラに使われ始めて、新しい成長を迎えています。
日本電産のM&Aは、モーターという軸を中心に、意味のない買収はしていません。
例えば、風力発電分野。
以前にアンサルド・システム・インダストリーという風力発電用の貯蔵技術を持っている会社を買収、その発電機事業を強固にするために、2017年、世界一の発電機メーカー米エマソンから、フランスと英国の事業を1200億円規模で買収しています。
そしてプレス機分野もそうです。
最初に買収した日本電産シンポは、プレス機の会社でしたが、米国ミンスター・マシン・カンパニーを買収し、続いて、スペインのアリサと装置メーカーのヴァムコを買収してプレス機関係の会社をラインナップ。
もともとプレス機はサーボモーターの応用技術です。
モーター分野という軸は逸脱しておらず、新たな市場開拓においてM&Aを効率よく進めています。
まるでパズルを組み立てているようにも見えます。
50社以上のM&Aは、こうして出来上がってきたのです。
10兆円企業という「大ホラ」を目標に、M&Aで進めていく道筋を進めながらも、永守氏は新たな動きに出ています。
それが、大学運営!
昨今問題となっているのが、人材不足。
2030年に10兆円企業を目指す日本電産には、必要不可欠な優秀な人材。
ここ数年、日本電産は新卒者500人以上採用していますが、2020年では1,000人以上の新卒者を採用する必要性が出てきています。
しかし、少子化を背景に人材不足がすすみ、中でもモーター分野の研究者は圧倒的に不足しています。
行動力のある永守氏は、2018年3月より、京都学園大学で理事長となりました。
永守氏は工学部と工学研究科の校舎建設などの費用100億円強を個人で寄付。
2020年にモーターの研究に特化した工学部を新設し、電気自動車やドローンなど新しい分野に対応したモーターの技術者を育成する予定です。
学校名も変更、2019年4月より京都学園大学は、「京都先端科学大学」に変更する予定となっています。
凄いですね、大学改革も、M&A手法そのものを実践している、そんな印象もあります。
経営難となっている全国の大学にも、新しい動きが出てきそうな、まさに、ベンチャー魂を見せつける、大きな動きかもしれません。
永守氏の大学運営、まさに驚きでした。
しかし、永守氏を見ていると、その人間性臭さが際立っています。
その視点から見ると、永守氏の本質的強みは、まさに「人材育成」にあるのかもしれません。
永守氏が大学運営に乗り出すことは、ある意味、その強みを生かすことにつながるのではないでしょうか。
その人材教育における、永守氏の理念、その一つが「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」です。
「スピードと徹底」の日本電産流カルチャーは、この理念から生み出されたものかもしれません。
日本電産のスピード感覚はハンパなものじゃない、とよく聞かれます。
見積作成から納品、クレーム処理に至るまでの速さは同業他社と比べ物にならないとも言われています。
また、「目標」に対するその姿勢も徹底されているそうです。
顕著なものでは営業現場。
「目標」を未達にしないための準備を重ね、週次管理も徹底。
未達の可能性があれば、事前にそのリカバリーを常に考え、早め早めの対策を実施していきます。
日本電産流カルチャーの「スピードと徹底」は、事前に対策を練ることと、強い熱意から生み出されているのかもしれません。
日本電産はもともと、「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」という熱い社風が一つの文化でした。
ある意味、残業を重ねる「長時間」企業文化でもあったようです。
ところが、昨今、社会的にブラック企業問題が浮上します。
永守氏の時流を掴む、その鋭い感覚は、自ら企業改革を進めます。
それが残業ゼロ改革。
長時間労働から脱却し、生産性を向上させることで、事業成長を維持させる方向に舵を切ります。
この柔軟性が永守氏の真骨頂かもしれません。
今まで50社以上のM&Aを実施、そのすべての企業を立て直し、見事グループ全体でも増収増益を実現させている永守氏。
買収する企業の多くは赤字企業です。
赤字企業は、当然今までの仕事の進め方を大きく変える必要が出てきます。
いわゆる企業改革の必要性です。
そのためには、そこで働いている社員の意識改革も非常に重要となります。
多くの場合、「変化」を嫌う従業員は反発心を持っているものです。
百戦錬磨、永守氏。
買収した企業に初めて行ったとき、意識改革のために、このように話すようです。
「今日、あなた方、初めてお会いしました。だから今、私を信用してくれと言っても、できませんね。でも1年だけ私の言うことにだまされてくれませんか」
すごいですね。
いきなりのカウンターパンチ。
でも、実績を持っている永守氏だからこそ、こんな言葉が言えるのかもしれません。
たった4人の会社から10万人以上の企業グループに育て上げた永守氏。
なぜ、これほどまで成功できたのでしょうか。
私個人の見解では、その答えは「変化」だと思っています。
強い信念を持ちつつも、その柔軟性に成功があるような気がします。
永守氏は創業当時、365日24時間働き続けてきました。
まさに、気合と根性運営。
ところが、時代の変化に柔軟に合わせます。
それが、生産性向上、残業ゼロ方針。
従来の長時間労働はすでに、「価値」と「知」にシフトさせています。
そして、事業領域。
小型モーターから、中型・大型モーターへの事業転換を図ります。
時代背景、そして日本電産の市場の立ち位置を客観的に鑑みて、次なるステージに引き上げていきます。
さらに、成長戦略。
自前主義からM&Aへ大きく舵を切っています。
「時間」や「技術」を買収し、永守氏の「人材育成」という強みを最大限生かし、「目標」を達成させています。
いずれをみても日本電産は、そして永守氏は、「変化」し続けてきました。
大学運営という新しい挑戦もそうかもしれません。
強い「信念」と柔軟な「変化」。
一代でグローバル企業を作り出す人たちに共通する部分かもしれません。
最後に永守氏の名言を贈ります。
貧しい農家で育っただけに、私は社員の誰よりも人の苦しみを知っています。一般の従業員がどれだけ解雇を心配しているかもよくわかります。だから、そんな恐ろしいことを私は絶対にしません。堀を埋められ城壁を壊されても、雇用だけは守り抜きます。当社にとって雇用は「天守閣」なのです。
起業の時に考えたのは、どうしたら今から勝てるかということでした。大会社と比べて、ヒト、モノ、カネのどれをとっても勝てるものはありませんでしたが、1つだけ平等なものがありました。それは1日24時間ということ。時間だけは平等でした。それなら普通の会社が1日8時間しか働かないところを我々は倍働こうということです。それで競争相手の半分の納期を実現しました。
意思決定を先延ばししてはダメな理由は、ビジネスが「時間軸」の戦いに入ったからです。メーカーにとって、もはや品質がいいことは当たり前。すると残る戦いは、コストと時間軸の2つになってきます。ただし、コストは開発や生産のリードタイムを短くすれば安くなります。つまり、戦いの勝敗は時間軸によって決せられるようになっているわけです。
私も以前から頼まれていたんですが、自分の会社を放置してよその社外役員はできないのでお断りしておったんです。ただ今回は、孫さんの大胆な経営を勉強させてもらおうかと。
(ソフトバンクの社外取締役を引き受けた理由について)
この数年で3社ほど100年以上の歴史がある会社を買いました。実際に買ってみると、大事なことが3つあると気付きました。
それがこれです。
・長期的な視点に立つこと。
・ビジネスポートフォリオを絶えず変えなければいけないということ。
・マンネリに陥らないように頭を切り換えること。
「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」を社員に浸透させるのも、働き方の大転換を図るのも、基本は同じ。トップ自らが実行してこそ、組織に広がる。
創業間もない頃、出張先の米国で体調を崩して病院に運び込まれた。医師に「具合はどうか」と聞かれて、「良くない」と答えた。私がベンチャー企業の社長だと知ったその医師は、「ベンチャー企業の経営者が、そんな弱気ではダメだ。ファイン(大丈夫)と答えなさい」と言った。ベンチャー企業の経営者としてビジネスを成功させるには、態度も言葉も性格も消極的ではダメだということを改めて学んだ。
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