学生にとって、受験の時期ですね!
受験が終わると卒業式。
そして、春が来ると新しいスタートを切る方も多いのかもしれません。
新しい会社、新しい学校、新しい職場、新しい職種などなど。
気持ちも新たに、さらなる成長を実現すべく、チャレンジする時期でもあるかもしれません。
今回は、学生の方向けに「様々な経験」をする重要性についてお伝えします!
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まだ寒い今日この頃ですが、あと1ヶ月もすると、徐々に暖かくなってくるかもしれません。
春は新しいことが始まる季節。
何かウキウキしますね!
個人的に春と言えば、思い出すのが故郷から上京し、大学に入った頃。
大学生活が始まるという、期待と不安。
新しい土地で、一人での生活。
何が起こるのか、何が始まるのか。
今でも、ワクワクドキドキを思い出します。
同じような境遇を迎える学生さんもいらっしゃるかもしれません。
もし、学生さんがいらっしゃいましたら、少し「学生生活経験者」として、アドバイスさせてください。
それが、「多種多様なバイトのススメ」です。
ある企業の社長のお話です。
その方は、福岡県出身。
福岡県の工業高校を卒業後、プロバンドを目指して上京。
1971年、牛丼店でバイトを始めました。
その方が、安部修仁氏。
なんと、バイトから吉野家の社長に上りつめた人です。
安部さんはバイトとしても優秀で、当時社長だった松田瑞穂氏の目にとまり、正社員に誘われます。
最初に吉野家第1号店の築地店に配属され、その後、新宿東口店の店長に抜擢されます。
当時22歳。入社してから、まだ4カ月でのことでした。
翌1972年、安部氏は正式に吉野家に入社。
順調に成長した吉野家ですが、拡大戦略が裏目に出て、1980年に倒産の憂き目に遭います。
出世し、営業部長だった安部氏は、再建中に起きた分裂騒動に巻き込まれ、有楽町店の店長に降格。
退社も考えたそうです。
しかし、セゾングループや保全管理人の増岡章三氏など再建請負人たちがそろって安部氏の求心力に目をとめます。
東京地裁が更生計画を許可し、再スタートを切った新生吉野家の経営陣の一角に、33歳の安部氏が名を連ねます。
吉野家は1987年に更生手続きを終わらせ、1990年には株式公開をして完全復活。
安部氏が社長に就任したのはその2年後。
1992年、安倍氏は当時42歳。
再建中の安倍氏の貢献は、社内外にとどろき、ついに社長に就任しています。
そしてご存知、「280円牛丼」が大ヒット。
安倍氏は合計22年間吉野家の経営を指揮しました。
安倍氏は、新卒採用を経ずに非正規雇用から叩き上げで社長に就任した人物で、東証1部上場企業で非正規雇用出身者が経営者に就いた、稀有な事例となりました。
すごいですね。
創業者でもない人が、バイトから東証一部上場企業の社長に。
驚かされます。
そしてもう一人、バイトから社長になった方がいます。
その方が、橋本真由美さん。
企業は、あの「ブックオフ」です。
ブックオフ1号店の千代田店(神奈川県相模原市)は1990年の5月2日にオープン。
橋本さんが入社したのはその直前の4月17日。
働き始めたころはなんと時給600円のパートタイマーでした。
2人の娘がそれぞれ高校生、中学生になり、今後必要になる学費の足しにしようと思って軽い気持ちで始めた、専業主婦だったんですね。
当時41歳。
でも、仕事が好きになった橋本さん。
あの有名なキャッチコピー「お売りください!」は、橋本さんのアイディアだったそうです。
仕事ぶりが認められ、入社2年目でパートのまま店長へ。
その後、自ら「私、社員になります!」と創業者坂本孝氏へ言いに行ったそうです。
創業者坂本氏は、「このおばさん何言ってるんだろう?」という反応だったそうです。
でも、ついに正社員にしてもらいます。
ちなみに、坂本孝氏は、かの有名な「俺のレストラン」「俺のイタリアン」の創業者でもあります。
坂本氏の信頼を得、橋本氏は入社4年後の1994年には取締役に就任。
2003年の常務取締役就任を経て、2006年に代表取締役社長兼COOに就任しています。
店舗数は700店舗を超え、2004年3月東京証券取引所市場第二部上場を経て、2005年3月東京証券取引所市場第一部に上場するに至ります。
残念ながら2007年に発覚したグループぐるみの不正会計問題において代表取締役社長を退任するも、2018年9月まで取締役に就任し、現場を引っ張ってきました。
でも、すごいですね。
41歳、時給600円の主婦パートが、東証一部上場企業の社長に就任できた事実。
バイトでも「自分の道」を見い出せることができる事例かもしれません。
アルバイトから社長の話はまだまだあります。
例えば、ジャストシステムの元代表福良伴昭氏もアルバイトから社長に就任しています。
徳島大学歯学部在学中、ジャストシステムでアルバイトをしていた友人に誘われ、大学に籍をおいたままジャストシステムに入社し、アルバイトの身分ながら主力プログラマの一人として活躍。
日本語ワープロの新規開発に携わり、NECのPC-100用のワープロソフトコンペで採用される、『一太郎』の前身に当たる『JS-WORD』の開発ではメインプログラマを務めました。
株式会社幻冬舎代表の見城徹氏もそう。
新入社員として入った廣済堂出版を辞め、文芸の編集者を志し、角川書店でアルバイトを始めたという経緯があります。
五木寛之、石原慎太郎、水上勉、有吉佐和子などの作家を開拓、角川書店を飛躍的に拡大させた後、「幻冬舎」を設立しています。
そして、あの世界の建築家、安藤忠雄氏もそう。
サラリーマンをすぐ辞め、建築設計事務所でのアルバイト経験と独学で建築士試験に合格、その後に個人事務所を設立しています。
学生の本業は勉学。
ですが、ある意味、社会人予備軍でもあります。
学業の合間に、時間があるなら、可能な限り、視野を広げる時間を持ってほしい、と思っています。
バイトの定番、コンビニや家庭教師だけではなく、様々な業種業界を経験してほしい。
例えば、農業や林業、漁業、メーカーや、製造業もそう。
もちろん、ITやベンチャー企業、新しい産業も経験してほしい。
世の中には、思いもよらない業界や事業があるものです。
世の中は広い、地方や海外だってある。
学生時代だからできること、今だからできることにチャレンジしてほしい、と思っています。
バイトだけではありませんが、人生は「ヒトとの出会い」が人生を決めることがあります。
多くのバイトを経験することで、「多様なヒトとの出会い」も可能性を広げます。
バイト仲間もそう。
先輩や後輩もそう。
一緒に働いた仲間が、一生の親友になることだってあります。
その企業の経営者にも巡り合えます。
特に創業者や経営者の中には、多くの人生経験を持っている方々が多いものです。
その後の人生のメンターとなってくれることすらあるのです。
私が経験してきた限り、意外に、経営者は「人」をよく見ているものです。
一人一人の「能力」や「人間性」など、よく見ています。
特に「人間性」。
優れた経営者は、肩書や学歴、成績などでは、あまり評価しない方が多かったように思います。
博士号を持っていようが、資格があろうがなかろうが、学生であろうが、あまり関係ない。
肩書では判断しない、「超越した視点」を持っている方が多かったように思います。
また、むしろ、そういった「人を見る目に優れた」経営者のほうが、成功する可能性が高かったように感じます。
吉野家の安部さん、ブックオフの橋本さんも、恐らく、そういった「伯楽」がいたのでしょう。
「一緒に仕事しないか」という声がかかることもあるのです。
もちろん、こういったケースはレアケースですが、出会いは多いに越したことはりません。
「ヒトとの出会い」は、バイトにおける最大の効用である、とも言えそうです。
私が、なぜ、多種多様なバイトを進めるのか、その理由は様々な「経験」できるからです。
自分の好き嫌いも理解し、得手不得手も理解できます。
そして何といっても、バイトは「社会の縮図」。
今後の人生は、バイトで経験したような「社会」が、続いていきます。
競争社会もそう。
人間関係も。
様々な価値観があり、ブラックもあれば、ホワイトもある。
クローズドな職場もあれば、明るい職場もあります。
その「社会」で、自分はどの道を選択し、貫いていくのか。
できるだけ早く、そしてできるだけ多くの「試行錯誤」の経験をしてほしい。
バイトの対価は、お金でもありますが、貴重なのは「経験」です。
学生時代に、試行錯誤しないで、いつ試行錯誤するのでしょうか。
バイトは、すべてどの職種でもマッチする人もいれば、どれにもマッチしない人もいるでしょう。
でも。
だからこそ、自分が見えてくる。
自分とは何者なのか。
何が好きで、何が嫌いなのか。
何が得意で、何が不得手なのか。
それは、様々な経験をするからこそ、人生を立体的に理解できる。
他者との関係で悩むからこそ、自分の能力の限界が見えてくるからこそ、自分というものが、少しづつ見えてくるものではないでしょうか。
このような意味では、バイトは「社会」と「自分」を理解するうえで、貴重な経験ではないでしょうか。
今の就職活動は、インターン制度もありますし、多くの職場も経験できます。
できる限り、多くの職場・職種を経験し、自分というものをしっかりと見つめてほしいと思います。
人生は3万日の旅です。
どんな人生を送っても、誰もが限られた人生です。
ならば、自分が自ら選んだ人生を貫くことが、一番ではないでしょうか。
楽しいことばかりではない人生。
でも、他人にとって楽しいことじゃないのに、自分にとっては楽しいこともある。
努力だって、成長だって、楽しいこともある。
何かに集中し、没頭し、我を忘れるくらい熱中できるものがあるはずです。
何を軸に、何を大事に、自分の人生を創り上げるのか。
いまだから、経験できることがあるのではないでしょうか。
世の中には、思いがけないほど、多くの仕事があり、多くの職種があり、多くの事業があります。
もちろん、今は存在しない事業を、自ら創り上げることだってできる。
だからこそ、できるだけ早い時期に、様々な経験を積んでほしい。
もちろん、バイトだけに限りません。
ボランティアや旅行だってそうです。
場合によっては起業だって、選択肢。
その様々な経験は、必ず、その後の自分の人生にフィードバックされます。
限りある人生、限りなく広い世界。
自分の人生を、より早い時期に確固たるものにしてほしい。
多くの経験が、ワクワクする人生を創り上げるのかもしれません。
バイトを通じて人生を創った方々の名言を贈ります。
大学時代、イベントスタッフのアルバイトに熱中していました。コンサートやライブの会場設営です。自分たちがゼロから携わって、ステージにアーティストが来て演奏して、それを見て喜んだり感動して泣いている人がいて。ああ、人の心を動かす仕事って面白いなと。このバイトを通じて、僕もできたら人の心を動かす仕事をしたいなと思うようになりました。
亀井智英「トーキョー・オタク・モード」会長
学生時代、様々なアルバイトを経験しました。組織の一員として働き、お金をいただくとはどういうことかを学ぶ貴重な機会だったと思い出されます。また、そこで働く従業員、来店されるお客様、さらには地域と仕事との関わりなどを主観的な目で見るチャンスにも恵まれ、歯科の世界とは異なる価値観を得ることができました。そこで体感したことが、現在の経営の仕事にも大いに生きているように思います。
三国大吾/医療法人社団「大伸会」理事長
学生時代、8万円のギターが欲しくなってマクドナルドでバイトを始めたところ、おもしろさにすっかりはまってしまって。マネージャーまでやらせてもらいました。バイトをやっていた5年間で、お金をもらいながら商売の勉強をさせてもらったような感じです。
須田健太郎「フリープラス」社長
昔、印刷工場でアルバイトをしていたころから、自分は「何かを創造する企画肌」だと思っていました。だからこそ商社マンを目指していた部分もあったのですが、結果的に印刷業界に戻ったことで一つの事業モデルができあがったのです。印刷業と商社機能をミックスしたSP・販促の業態です。
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