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道徳を忘れた経済は「罪悪」、経済を忘れた道徳は「寝言」である。

渋沢栄一氏はご存知でしょうか。

日本資本主義の父と呼ばれています。

渋沢栄一氏が立ち上げた企業、事業は500以上と言われています。

第一国立銀行(みずほ銀行)、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙、日本郵船、日本鉄道(現・JR東日本)、東急電鉄、太平洋セメント、帝国ホテル、東京証券取引所、日本経済新聞社、アサヒビール、サッポロビール、東洋紡績、清水建設、川崎重工業など、今でも名だたる企業も渋沢栄一が携わっています。

今回は明治維新後の日本の経済を主導した希代の天才実業家、渋沢栄一氏についてお伝えします!


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Contents

渋沢栄一とは?

500以上の企業、事業を立ち上げた日本最大級の起業家渋沢栄一氏

この天才の経歴、どのようなものだったのでしょうか。

見てみましょう。

1840年、武蔵国榛沢郡(埼玉県深谷市)の渋沢家に長男として生まれます。

渋沢家は、藍玉(染料)の製造販売や養蚕、米、麦、野菜の生産も手がける豪農でした。

1861年に江戸に出て儒学者、海保漁村の門下生となり、やがて尊皇攘夷の思想に目覚めます。

討幕思想に感化された渋沢は高崎城乗っ取りや横浜焼き討ちを計画するも、家族の反対もあり直前で中止。

その後、江戸遊学時代に交際のあった一橋家家臣平岡円四郎の推挙により、一転、徳川幕府一橋慶喜に仕えることになります。

すごいですね、討幕派から幕府側へ転身します。

この思考の切り替え方、決断力、行動力。

一人の人生で500事業を生み出す男は、このスピード感が普通の人と違うのかもしれません。

感じる心と、行動力

渋沢栄一は一橋慶喜に出仕して領内の産業振興と一橋家財政の強化を図ります。

その後、一橋慶喜が徳川第十五代将軍になったために、渋沢自らも幕臣となり、陸軍奉行支配調役を拝命します。

その際、渋沢は大きな転換期を迎えます。

それが海外視察。

1867年、27歳の時、慶喜の命でフランスヘの視察に参加。パリ万国博覧会、ほかヨーロッパ各地でその社会経済制度や科学技術、先進的な産業・軍備を見学。

渋沢はヨーロッパで約2年間を過ごし、世界の最先端を行く自由主義・資本主義社会に触れ、感銘し吸収しました。

その後、帰国した渋沢は数多くの民間企業設立に尽力します。

渋沢の凄いところは、その感性と行動力です。

鎖国、階級社会にある日本の幕臣が、自由主義・資本主義を理解し、実行することは通常考えられません。

時代を読む感性、そして行動力、渋沢のすごいところではないでしょうか。

資本主義日本を創ったベンチャーキャピタリスト、渋沢栄一

ヨーロッパ視察中の1867年11月、主君の徳川慶喜は大政奉還、事実上明治維新がなされます。

渋沢は明治新政府から帰国を命じられ、静岡に謹慎していた慶喜と面会し、慶喜より「これからはお前の道を行きなさい」との言葉をいただきます。

1869年、フランスで学んだ株式会社制度を実践するため、静岡に商法会所を設立するも、明治新政府の要職にあった大隈重信の紹介で大蔵省に入り、井上馨の右腕として活躍します。

渋沢は大蔵官僚として、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わり、大蔵官僚トップに上り詰めます。

しかし、予算編成を巡って、国家財源を軍備中心に進める大久保利通や大隈重信と対立し、1873年に井上馨と共に退官。

退官後、官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行(現みずほ銀行)の頭取に就任します。

ここからが渋沢の怒涛のベンチャー魂が発揮されます。

その年、渋沢栄一氏33歳

第一国立銀行を軸に、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙、日本郵船、日本鉄道(現・JR東日本)、東急電鉄、太平洋セメント、帝国ホテル、東京証券取引所、日本経済新聞社、アサヒビール、サッポロビール、東洋紡績、清水建設、川崎重工業など500以上の企業、事業の立ち上げに携わります。

ここで渋沢の優れた戦略が垣間見れます。

一人の人間が、500もの事業を立ち上げるのは至難の業です。

渋沢は事業を立ち上げるための「仕組み」を導入します。

つまり、事業単体を一つずつ作るのではなく、商業会議所・銀行集会所などの経済界の組織作りに関与し、業界の指導的役割となる組織運営に注力します。

そして、資金

渋沢は第一国立銀行、そして東京証券取引所という、資本主義の根幹を担う組織を立ち上げ、資金を工面し産業創造の礎を構築していったのです。

まさに、国を創ったベンチャーキャピタリストではないでしょうか。

元祖社会起業家、渋沢栄一

明治維新後、多くの産業が立ち上がり、様々な財閥が台頭します。

渋沢以外、他の有力民間人は財閥を立ち上げていきました。

三井高福・岩崎弥太郎・安田善次郎・住友友純・古河市兵衛・大倉喜八郎などといった他の明治の財閥創始者はそれぞれ財閥を立ち上げていきます。

宿敵と言われる岩崎弥太郎も三菱財閥を立ち上げます。

しかし、渋沢は財閥を形成しませんでした。

渋沢は私利私欲を嫌い、あくまで社会還元を考え方を大切にしていたからです。

また、渋沢が他の財閥創始者と違うところ、その最たる部分は社会事業に注力したところでもあります。

渋沢が立ち上げた産業の多くは生活に不可欠なインフラ事業でした。

金融から始まり、鉄道やガス会社などです。

それだけではありません。

渋沢は社会事業そのものにも注力しています。

渋沢は教育や医療・福祉の充実、国際交流の発展など、およそ600もの団体・事業の設立や運営に尽力しました。

そして多くの私財も投入しています。

例えばですが、養育院の院長を務めたほか、東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会の設立などに携わり、財団法人聖路加国際病院初代理事長、財団法人滝乃川学園初代理事長、YMCA環太平洋連絡会議の日本側議長なども務めています。

教育分野では商法講習所(現一橋大学)、大倉商業学校(現東京経済大学)、学校法人国士舘の設立に協力したほか、二松學舍大学の第3代舎長に就任、同志社大学(創立者・新島襄)への寄付金の取り纏めに関わっています。

さらに女子の教育の必要性を考え、伊藤博文、勝海舟らと女子教育奨励会を設立、日本女子大学校・東京女学館の設立に携わっています。

教育や医療・福祉だけではありません。

国際交流では、日本国際児童親善会を設立し、日米の国際交流にも尽力、1931年には中国で起こった水害のために、中華民国水災同情会会長を務め義援金を募りました。

関東大震災が発生した際には、大震災善後会副会長となり寄付金集めなどに奔走しています。

また地方経済にも尽力しています。

関西の京阪電鉄、三重県の三重紡績(後に大阪紡績と合併)、福岡県の若松築港(現・若築建設)、青森県の三本木開墾(現在は農水省が事業を継承)といようような地方企業の設立など、地方経済にも広く関与しています。

すごいですね。

日本の明治の人たちの先見の明、高い視座、行動力。

驚かされます。

現代経営学の発明者と称されるピーター・ドラッカーは、渋沢について、以下のように語っています。

「率直にいって私は、経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物の中で、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。彼は世界のだれよりも早く、経営の本質は『責任』にほかならないということを見抜いていたのである」

日本独特の思想「経済」と「道徳」の融合

民間事業500以上、そして社会事業600以上に携わってきた渋沢栄一氏。

何といっても渋沢の真骨頂は「経済」と「道徳」の融合した部分です。

渋沢が関与した民間企業には、脈々とその精神が受け継がれている、そう感じます。

これは渋沢が持つ「私利を追わず公益を図る」という信念がそうさせているのかもしれません。

渋沢は、私利私欲ではなく公益を追求する『道徳』と、利益を求める『経済』が、事業において両立しなければならないと考えました。

「道徳経済合一」の理念です。

渋沢はこの思想を大切にし、後継者にも固く戒めています。

渋沢の立ち上げた企業、その多くは「道徳経済合一」の思想が反映され、今の私たちの生活を支えています。

まさにソーシャルベンチャーの原点ではないでしょうか。

個人的には、この渋沢の思想は昭和の名だたる経営者にも受け継がれている、そう感じています。

例えば、パナソニック創業者の松下幸之助氏、京セラやau創業者の稲盛和夫氏などです。

「利益優先」「効率優先」このような企業は、世界に数多く存在します。

IPOすること、一攫千金が最大の目的、そのような企業も数多くあります。

それでよいのでしょうか。

「経済と道徳の融合」。

相反することが多い、非常に難しいテーマですが、これは日本が持つ希少な価値の一つではないでしょうか。

最後に

「経済」と「道徳」を融合した日本的経営を形作ってきた名言を贈ります。

論語(義・倫理)とソロバン(利益)というかけ離れたものを一つにするという事が最も重要なのだ。論語とそろばんは両立する。
渋沢栄一

働き一両、考え五両、見切り千両、無欲万両
上杉鷹山

最も社会に奉仕する企業がもっとも利潤を上げる
立石一真/オムロン創業者

道徳を忘れた経済は、罪悪である。経済を忘れた道徳は、寝言である。
二宮尊徳

arashidaisuki

2,000社以上訪問してきた東証一部上場企業のベンチャーキャピタリストです!「新しいことに挑戦する人を一人でも増やしたい」をフィロソフィーとして、元気や勇気を贈ります!元気になれる「ベンチャーブログ」と様々なニュースや為になる記事の「コラム」の二種類で更新していきます!

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