私たちは、新しい価値の創造を通じ、社会からの期待に応え、一人ひとりが輝く豊かな世界の実現を目指す。
Follow Your Heart
一人ひとりが、自分に素直に、自分で決める、自分らしい人生。本当に大切なことに夢中になれるとき、人や組織は、より良い未来を生み出せると信じています。
まだ、ここにない、出会い。
より速く、シンプルに、もっと近くに。
私たちは、個人と企業をつなぎ、より多くの選択肢を提供することで、「まだ、ここにない、出会い。」を実現してきました。
いつでもどこでも情報を得られるようになった今だからこそ、より最適な選択肢を提案することで、「まだ、ここにない、出会い。」を、桁違いに速く、驚くほどシンプルに、もっと身近にしていきたいと考えています。
新しい価値の創造
世界中があっと驚く未来のあたりまえを創りたい。遊び心を忘れずに、常識を疑うことから始めればいい。良質な失敗から学び、徹底的にこだわり、変わり続けることを楽しもう。
個の尊重
すべては好奇心から始まる。一人ひとりの好奇心が、抑えられない情熱を生み、その違いが価値を創る。すべての偉業は、個人の突拍子もないアイディアと、データや事実が結び付いたときに始まるのだ。私たちは、情熱に投資する。
社会への貢献
私たちは、すべての企業活動を通じて、持続可能で豊かな社会に貢献する。
一人ひとりが当事者として、社会の不に向き合い、より良い未来に向けて行動しよう。
江副浩正。
1936年(昭和11年)6月、江副良之、マス子の長男として母親の郷里の愛媛県越智郡波方村(現在の今治市)に生まれた。
父・良之は教師。
良之の最初の赴任校、今治実科高等女学校の教え子が浩正の実母マス子(旧姓菊川)である。
江副一家はその後、大阪市天王寺区上本町八丁目に移ったが、戦災によってこの家を失い、豊中市末広通二の二の借家に移転した。
豊中市立克明小学校から甲南中学・高校に進学。
当時、甲南に通う生徒は、高級住宅地の芦屋、御影に邸宅を構える資産家の子弟か、中流以上の家庭の子弟が大半で、数学教師の息子にすぎない江副のような生徒は、きわめて少数派の部類に属していた。
江副は勉強でもスポーツでも飛び抜けたところはなく、同級生の間に印象らしい印象を残していない。
江副以外は医大を目指す受験生ばかりで、東大受験を有利に運ぶため英語より受験生が少なく、問題も易しかったドイツ語を選択した。
このような行動をする生徒は異例中の異例だった。
江副の東京大学合格は甲南の同級生たちの間でしばし話題となった。
大学在学中に財団法人東京大学新聞社に入る。
江副氏は学内の掲示板に貼ってあった、ある企業の就職説明会の広告を目にする。
それを見た江副氏は「これは、学生新聞に載せたら効果があるに違いない」と、すぐに学内掲示板に貼ってあった企業の人事課を訪ね、広告を取ってきたのです。
企業向けの営業を覚えた江副は、リクルートの前身である株式会社大学広告を設立。
起業時には、東京大学新聞編集部の先輩である森稔が経営する賃貸ビル「第2森ビル」の屋上に仮設事務所を借りて事業を行った。
大学時代の先輩である芝浦順氏が留学先のアメリカから送ってきた就職情報ガイドブック『キャリア誌』に注目。
履歴書の書き方、面接の受け方といった就活指南の記事があり、その後に企業の求人広告が1社あたり2ページと大きなスペースで紹介されており、多数の企業が掲載されていました。
そのインスピレーションを頼りに、新聞広告ではなく自社で情報誌を発刊しようと『企業への招待』という求人情報誌を発行。
「就職先を自分の意思で選ぶ」という新たな価値観を提案、『企業への招待』(リクルートブックの前身)は求人広告という業界の地位を大きく向上させた。
リクルートの創業10周年記念には、返済不要の奨学金制度、リクルートスカラシップを創設した。
その後、転職、不動産、旅行、中古車情報などに進出し、さらに入社模擬試験や各種セミナー、海外ツアー、スキー場開発、農場経営にまで経営を多角化した。
営農事業のリクルートファーム(鹿児島県、後に岩手県)、 リゾート施設の安比総合開発株式会社(安比高原スキー場)、 住宅デベロッパーの環境開発株式会社(後のリクルートコスモス)などを設立している。
「38歳定年制」に代表される人事政策も行った。若いうちに転職を勧めるため、38歳までは他の企業では考えられないほどの退職金を払っている。
また、社員一人ひとりが、起業家としての自覚を期待され、その代表的なものが、「ニューリング」と呼ばれる新規事業提案制度も実施した。
さらに、会社の中に小さな会社をつくる”プロフィットセンター(PC)制を導入。30歳前後の社長(課長)を中心に社内で小さな会社が互いに切磋琢磨し、競争を続ける仕組みを構築した。
1988年(昭和63年)、いわゆる「リクルート事件」が発覚、国会での証人喚問に召喚された。
同年、リクルート会長を退任。
1989年(平成元年)2月に贈賄容疑で逮捕され、贈賄罪で起訴。
担当検事からは「壁を向いて立っていろ」等の屈辱的な取り調べを受ける。
リクルート事件における東京地裁での公判回数は322回であり、東京地裁での公判回数としては歴代1位である。
検察側が提出した江副の供述調書に対して弁護側がことごとく違法性を主張することなどを始め、検察・弁護双方が争点が大きくなり、市販の解説書を読めば分かることまで証人尋問を求めるなど、公判が紛糾したためである。
判決では大小53に上る争点について書かれた。
2003年(平成15年)に東京地裁にて懲役3年執行猶予5年の有罪判決を受け、被告人・検察とも控訴せず同判決は確定。
1992年(平成4年)、ダイエー(現・イオン)はリクルート株の約10%を取得して傘下に収めた。
1971年(昭和46年)にヴィンチェンツォ・ベッリーニの『ノルマ』を観て以来のオペラ愛好家でもあり、2001年(平成13年)からオペラの興行団体「株式会社ラ ヴォーチェ」の代表を務める他、新国立劇場東京オペラシティの支援に尽力している。
2013年(平成25年)2月8日に東京都内で死去、享年76。
2位になることは我々にとっては死。
わからないことはすべて、お客様に聞けばいい。
すべてが広告であっても、興味を持って読まれるものであれば、スポンサーは必ずつくはずだ。
私が足らないところが多かったから、みんなが助けてくれた。それで、みんなで力を合わせてやろうという共通認識が根づいた。
大切なことは、自分の意見を持ってお客様の意見を聞く姿勢。自分の意見を持ってお客様に聞かなければ、お客様の本当の声を聞き取ることができない。こちらの考えとお客様との意見の間に本当の答えがある。
一つのものを二にも三にも拡大して活用できる経営資源は人的資源である。起業家は人の能力を精一杯引き出す力を持たなければならない。
人のやらないことをクリエートして、時流に乗るのがわたしの流儀。
人と同じことをやってもまったく無意味だ。人のやらないことをやるべきだ。そして人が欲しくても手に入れることができないものを売ったら必ず成功する。
求人広告は産業構造を変える
自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ。
1.誰もしていないことをする主義
2.分からないことはお客様に聞く主義
3.ナンバーワン主義
4.社員皆経営者主義-起業家の集団
5.社員皆株主
6.健全な赤字事業を持つ
7.少数精鋭主義
8.自己管理を大切に
9.自分のために学び働く-遊・学・働の合一を理想とする
10.マナーとモラルを大切にする
<第1章>
マネジメントの才能は、幸いにも音楽や絵画とは違って、生まれながらのものではない。経営の才は、後天的に習得するものである。それも99%意欲と努力の産物である。その証拠に、10代の優れた音楽家はいても、20代の優れた経営者はいない。
<第2章>
マネージャーに要求される仕事には、際限がない。より高い効果を上げるマネージャーは、要求されている様々な仕事のうち、一番大事なことから手がける。仕事を受付順に勧めるような人は、優れたマネージャーとは言えない。目の前にある仕事の中で、一番大切なものは何かをいつも考えていなければならない。
<第3章>
社内にしか人間関係を持たないマネージャーがいる。こういう人が会社を動かそうとするようでは、会社はいずれ滅んでゆく。会社もまた、社会の一組織体であるから、社外の人々と良い関係を保つことが不可欠である。
<第4章>
“上の方で決まったこと”をそのままメンバーに事務的に伝えるマネージャーは、メンバーからの信頼と支持は得られない。経営の方針や義務のルールは、マネージャー自身がまず自らのものとしなければならない。そのためには、疑問などがあれば十分解決しておくこと。その上で、自らの方針、考え方を交えて、メンバーに向かうことが大切である。
<第5章>
メンバーをよく理解しようとすることもマネージャーにとって大切なことである。それよりもっと大切なことは、マネージャー自身の方針、考え方、人格までもメンバーに理解させることである。マネージャーとメンバーとのよい人間関係は、深い相互理解から生まれる。
<第6章>
優れたマネージャーは、人に協力を求める時、”彼との個人的な親しさ”によってではなく、”仕事を良いものにするためには誰に頼むのがベストであるか”という観点からこれを行う。誰とでも一緒に仕事ができるようにならなければならない。
<第7章>
マネジメントに携わる人は、2つ以上のことを同時に進められる人でなければならない。ひとつの仕事に熱中している時は、他の仕事に手がつかない、といったタイプの人はスペシャリスト向きで、マネージャーには向かない。
<第8章>
「1,000人分のパーティの招待者宛名を書き上げ、発送するのに、ひとりでやれば10日は必要。10人でやれば何日かかるか?」算数では答えは1日だが、経営の現場では10人でやっても10日かかることもある。人が増える時には、手順を変えるなり、仕事のしくみを変えてゆく必要がある。
<第9章>
会議の目的がわからなくて、会議の能率を下げる人がいる。この会議を何のために開いているのか、自分の役割は何か、どのように勧めれば会議が効率的になるか、マネージャーはこれらのことをよく把握する必要がある。会議の効率を上げる人と、下げる人では、マネジメントにおいて大きな開きがある。
<第10章>
マネージャーの任務は高い業績を上げることにある。そのために、メンバーを動かす権限が与えられている。仕事を離れたところでマネージャーが権限を行使することは許されない。
<第11章>
経営者が数字に弱ければ、会社は潰れる。仕事への熱意は十分あっても、数字に弱い人は優れたマネージャーとは言えない。
<第12章>
マネージャーには、コンピュータという有能な部下を使いこなす能力が必要である。コンピュータを駆使して仕事を効率的にすすめるためには、コンピュータに関する知識・技能を自らのものとし、同時に日常的に自分自身の手で動かしていなければならない。コンピュータを使えない人は、いずれマネジメントの一員にとどまれなくなる。
<第13章>
与えられた時間は、誰にとっても同じだ。人が大きな成果をあげるか否かは、その人がいかに時間を有効に使うかにかかっている。経営者は、効果的な時間の遣い方を知っていなければならない。
<第14章>
「政治家には嘘が許されるが、経営者には嘘は許されない」とは水野重雄氏の言葉である。経済活動はお互いの信頼関係が基盤となっている。1度不渡りを出した経営者が再起することはまれである。
言葉や数字に真実味が感じられないマネージャーは、周囲から信頼を得られない。
<第15章>
自分のメンバーを管理するにはさして苦労はしないが、上長にはどのように対処すればよいのか、と苦労する管理者が多い。しかし、この問題は自ら積極的に働きかけることで解決して欲しい。相互理解を深めること。そして上長の強みはそれを活かし、弱みはカバーしてゆくことによって仕事はなめらかにすすんでゆく。
<第16章>
“忙しすぎて考えるための時間がない”、”マネージャーはもっと思索に時間を割くべきである”と主張する人がいる。しかし、仕事と思索を分けて考えることは、あまり意味がない。なぜなら、仕事を前に進めるアイディアや活力の源泉は仕事そのものの中にあるからである。
<第17章>
業績と成長は不可分であって、高い業績なくしてマネージャーの成長はありえない。マネージャー自身の高いモチベーションが業績を生み、成長を実現するのである。
<第18章>
“もっと期限が先ならば”、”もっと人がいれば”、”もっと予算がおおければ・・・いい仕事ができるのに”と嘆くマネージャーもいる。マネジメントとは、限られたヒト・モノ・カネ・そしてタイムをやりくりし、それぞれの最大活用を図ることである。経営の成果は常に、それに投入された経営資源(ヒト・モノ・カネ・タイムなど)の量との関係で計らねばならない。
<第19章>
我社は永遠の発展を願っているが、それは後継者たちの力のいかんにかかっている。後継者の育成も、マネージャーの大切な仕事である。自分が脅威を感じるほどの部下を持つマネージャーは幸せである。
<第20章>
仕事の上では、”したいこと”、”できること”、”なすべきこと”の3つのうち、どれを優先させて行動すべきであろうか。”できること”から手をつけるのは堅実なやり方ではあるが、それのみでは大きな発展ははかれない。”したいこと”ばかりでも問題だ。将来のため、メンバーに今何をすべきかを見出させ、それが例え苦手なこと、難しいことであっても挑戦的に取り組んでゆく風土をつくることがマネージャーには求められている。
1.若い人材を集め、目標を共有し事業を進めよ
2.人材を集めるためにまず自らを磨け。誰よりも熱心に働くべし
3.企業は人なり。メンバーをよく知り、”誰に何をどこまで任せるべきか”が重要
4.日本初の事業が創業者利益を得られるからよい
5.変化する社会の要請に応えるものか自らに問い、他人にも問い続けよ。社会の要請に応えない事業は続かない
6.多くの資本を必要としない事業からスタートせよ。資本の必要な事業は大企業のやる事業だ
7.時間を有効に使うべし。仕事は優先順位をつけて優先すべき仕事から手を付ける
8.失敗を恐れるな。人は起業をすれば失敗するもの。だがそれはチャンスだ
9.若く、かつ就職せずに起業せよ
10.学歴や学業の成績は不要
11.経営哲学を社員と共有せよ
12.コミュニケーション能力を高めること
13.話し上手であるとともに、「聞き上手」でもあれ
14.倫理観をもつこと。倫理観のない起業家は破綻する
15.健全なる精神は健全なる身体に宿る。健康であれ
16.政治家とは一定の距離を保っておくこと
17.コアビジネスに専念すること。本業ではないビジネスを安易にやらない
18.人的資源の活用で2倍にも3倍にも出来る。人の能力を精一杯に引き出すことが大切
19.起業家は自分の考えが正しい、というところから出発するが、それを決めるのは顧客である
20.若くなくとも起業で成功する人間はいくらでもいる
1)君はピカピカの新入社員として注目されている。注目されている間は大きな機会が開かれていると考え、自ら積極的に働きかけよ。時が経ち注目されなくなってから働きかけても、周囲はなかなか振り向いてはくれない。
2)学校と企業とは全く別の世界と考え、今日を区切りとし、今まで学んだことはひとまず棚上げし、一から学ぶ姿勢を持て。企業において「失敗は成功の母」という言葉ほど、教訓に満ちた格言はない。1度失敗すれば2度と同じ失敗はしないものだ。失敗を恐れぬ勇気を持て。ブリッ子よりダサイ人間の方がよく伸びる。
3)新入社員は会社にとっては扶養家族である。一日も早くなくてはならぬ人間になって欲しい。会社が君に期待しているのは、我々の共同の目標に対して君が自ら進んで貢献することだ。それも「まあまあ」、「ほどほど」といったレベルではなく、精一杯の貢献である。
4)目標を大きく持て。志が小さければ人間も小さくなる。この会社の社長になるという志を持ってもらえれば嬉しい。そういう人間が多ければ多いほど良い会社になる。社長は勿論女性でもいい。女子社員もこの会社を結婚までの仮の住まいといった考えを持たないで欲しい。ドラッガーいわく「人はその掲げる目標までしか伸びない」。
5)今日すべきことは明日に延ばすな。明日に延ばすことは人に迷惑を掛けるか、機会を逸するかのどちらかである。総ての仕事をその日のうちに片づけ、毎日空身となって眠れ。明日になって何をするのかを考えるのではなく、良い明日とする為に今日何をどこまでやるかが大切なのである。
6)上司・先輩の話を聞くときは鵜呑みにするな。質問を心がけよ。疑問を持ち、議論をし、そして理解出来ればそれは間違いなく実行出来る。会議に列席すれば必ず発言すべし。意見がなければ質問でも良い。会議で一言も発言しない存在感の薄い人間になるな。
7)ビジネスはbusy(忙しい)とness(事)の結合語である。ビジネスマンは忙しい人。永いビジネスマン生活で大切な事は健康管理である。身体の調子が悪ければ気力も萎える。朝10分早く起きて朝食を必ずとること。室内ゲームよりスポーツを。それも汗の出るスポーツを。思いっきり汗を出せばストレスはすべて解消。
8)企業は人生の学校である。あらゆる場面で向上心を失わないでいること。君自身の成長はいかなる場面でも君自身の姿勢と努力の結果である。周囲は君に対して刺激を与えるに過ぎない。至るところに師を見つけよ。論語にも「3人行けば必ず我が師あり」とある。
9)社内だけではなく社外に友を持て。外飯、外酒を心がけよ。同窓会には努めて出席せよ。社内だけしか通用しない人間になるな。良き社員であると同時に良き社会人であることを心がけよ。
10)君は近いうちに気の合わない人間に出くわすだろう。あいつとは気が合わない、あの人はどうも苦手だ、等という心を持つことは自分の居場所を狭くする。誰に対しても「彼も人なり、我も人なり」と、広い心を持って接するように。
11)君はいつか、仕事や人間関係に於いて失望したり落胆することがあるだろう。失望と落胆とは長い人生につきものである。大事なことは、失望を希望に、落胆を奮起に変える、人生に対する前向きの姿勢である。いつもピンチをチャンスに変える努力を重ねれば、君の熟年時代は素晴らしいものになるはずだ。
12)君は隠れた大きな力の持ち主である。まず君自身が持っている隠れた力を自覚することだ。そしてその力をいかに表に出すかである。問題は勇気である。勇気を出せ。いつの場合も引っ込み思案は敵、積極果敢は味方。
1.自分より優秀な奴を採用しろ
2.リクルートに入りたいヤツではなく、リクルートとして採りたいヤツを採れ
3.熱くリクルートについて語れ
4.本音の仕事観を語れ
5.入社動機はドラマチックに語れ
6.自分一人ではなく周囲を巻き込め
7.大胆に口説け
8.採用は営業だ
1960年 大学新聞広告社設立
1963年 「株式会社日本リクルートセンター」に社名変更
1971年 株式会社リクルートコンピュータプリント(現・株式会社リクルートコミュニケーションズ)設立
1977年 株式会社人材情報センター(現在・株式会社リクルートキャリア)設立
1982年 株式会社リクルートフロムエー(現・株式会社リクルートジョブズ)設立
1984年 社名を「株式会社リクルート」に変更(現・株式会社リクルートホールディングス)
1985年 G7ギャラリー(現・クリエイションギャラリーGB)オープン
1987年 株式会社関西リクルート人材センター(現・株式会社リクルートキャリア)設立
1989年 株式会社人事測定研究所(現・株式会社リクルートマネジメンドソリューションズ)設立
1980年代「とらばーゆ」「フロム・エー」「カーセンサー」「B-ing」創刊
1990年 株式会社リクルートプラシス(現・株式会社リクルートオフィスサポート)設立
1992年 株式会社フロムエー関西(現・株式会社リクルートジョブズ)設立
1994年 株式会社リクルート北海道じゃらん設立
1998年 株式会社リクルートエイブリック(現・株式会社リクルートキャリア)設立
株式会社東海カーセンサー(現・株式会社リクルート東海カーセンサー)設立
1999年 株式会社北海道カーセンサー(現・株式会社リクルートカーセンサー)設立
株式会社九州カーセンサー(現・株式会社リクルート西日本カーセンサー)設立
1990年代「ケイコとマナブ」「ガテン」「ゼクシィ」「タウンワーク」「じゃらん」創刊
2000年 株式会社リクルートフロムエーキャスティング設立
2001年 株式会社リクルート・エックス(現・株式会社エグゼクティブエージェント)設立
2002年 株式会社リクルートメディアコミュニケーションズ(現・株式会社リクルートコミュニケーションズ)設立
2003年 株式会社リクルートHRマーケティング、株式会社リクルートHRマーケティング関西、株式会社リクルートHRマーケティング東海(現・株式会社リクルートジョブズ)設立
2004年 株式会社リクルートマネジメントソリューションズ設立
株式会社リクルートキャリアコンサルティング設立
2005年 株式会社広報社(現・株式会社リクルート北関東マーケティング)株式取得
株式会社メディアシェイカーズ設立
株式会社日本医療情報センター(現・株式会社リクルートメディカルキャリア)株式取得
2006年 株式会社ホームプロ株式取得
株式会社リクルートインキュベーションパートナーズ設立
亜潤投資管理諮詢(上海)有限公司(現・上海艾杰飛人力資源有限公司)設立
株式会社リクルートコミュニケーションエンジニアリング設立
株式会社ゆこゆこ株式取得
2007年 株式会社ジョブダイレクト株式取得
株式会社セプトの分社型分割される新会社の株式取得(現・株式会社リクルート西日本カーセンサー)
株式会社ブログウォッチャー設立
株式会社シーナッツ設立
株式会社フロムエーキャリア設立
ユメックス株式会社株式取得
2008年 株式会社リクルートゼクシィなび設立
株式会社リクルートスタッフィングクラフツ設立
2009年 株式会社働きがいのある会社研究所設立
Good Job Creation (Asia) Ltd. (現・RGG HR Agent Hong Kong Limited)株式取得
株式会社リクルート沖縄じゃらん(現・株式会社リクルートライフスタイル沖縄)設立
2000年代「ホットペッパー」「住宅情報タウンズ」創刊
2010年 株式会社ごちまる設立
株式会社ニジボックス設立
2011年 株式会社ビズアイキュー設立
RGF HR Agent India Private Limited (現・RGF Select India Private Limited)設立
RGF HR Agent Vietnam Co., Ltd.設立
2012年 グループガバナンス体制変更により、株式会社リクルートアドミニストレーション(現 株式会社リクルート)設立
2013年 Bo Le Associates Group Limited株式取得
NuGrid Consulting Private Limited(現・RGF Executive Search India Private Limited)株式取得
Movoto LLC株式取得
2014年 RGF HR Agent Recruitment (Thailand) Co., Ltd.設立
合同会社RGIP設立
株式会社リクルートホールディングス東京証券取引所市場第一部上場
2015年 Quandoo GmbH株式取得
Hotspring Ventures Limited株式取得
Recruit Institute of Technology, Inc.設立
2017年 株式会社ヒューマンキャピタルテクノロジー設立
Trust You GmbH株式取得
2018年 株式会社リクルート設立(株式会社リクルートアドミニストレーションから商号変更)