「ANAホールディングス株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『美土路昌一』/沿革・歴史など~

「ANAホールディングス株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『美土路昌一』/沿革・歴史など~

 

「ANAホールディングス株式会社」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

 

 

「ANAホールディングス株式会社」の経営理念

 

 

安心と信頼を基礎に、世界をつなぐ心の翼で夢にあふれる未来に貢献します

 

 

 

「安心と信頼」はANA グループとお客様との約束であり、経営の根幹に位置づけられる私たちの責務です。

エアライン事業を中核とするANAグループは、「挑戦し続ける」「強く生まれ変わる」「いつもお客様に寄り添う」気持ち、 「心の翼」をもって、永続的にこれからの社会の発展に貢献し、「夢あふれる未来」創りの一翼を担っていきます。

 

 

 

 

 

「ANAホールディングス株式会社」のグループ経営ビジョン

 

 

 

ANAグループは、お客様満足と価値創造で世界のリーディングエアライングループを目指します

 

 

ANA グループは日本発のエアライングループとして、2機のヘリコプターからはじまり、今やアジアと世界の国々をつなぐ エアライングループとなりました。

私たちが次に目指していくのは、数あるエアライングループの中からお客様に選ばれ、世界をリードし続ける確固たる地位を築くことです。

お客様の満足を高め、ひとつでも多くの笑顔を生み出し、様々な価値の創造を通じて自立した強い企業として発展していきます。

経営から社員まで一人ひとりが力を合わせ、グループ全ての事業活動において、より一層高い品質を追求し続けることで、この目標を必ず実現します。

 

 

 

 

 

 

「ANAホールディングス株式会社」のグループ行動指針

 

 

 

私たちは「あんしん、あったか、あかるく元気!」に、次のように行動します。

 

 

安全(Safety)

安全こそ経営の基盤、守り続けます。

 

お客様視点(Customer Orientation)

常にお客様の視点に立って、最高の価値を生み出します。

 

社会への責任(Social Responsibility)

誠実かつ公正に、より良い社会に貢献します。

 

チームスピリット(Team Spirit)

多様性を活かし、真摯に議論し一致して行動します。

 

努力と挑戦(Endeavor)

グローバルな視野を持って、ひたむきに努力し枠を超えて挑戦します。

 

 

 

 

 

 

「ANAホールディングス株式会社」の創業者・創立者『美土路昌一』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

 

 

美土路昌一(ANA創業者)

 

 

 

美土路昌一。

明治19(1886)年、岡山県苫田郡一宮村(現・津山市)中山神社(一宮)の社家の長男として生まれました。

 

教育に熱心な母の教えで、幼い頃から「論語」などの漢学の素養を身に付けました。

旧制津山中学校(現在の県立津山高等学校)に合格し、その頃から新聞記事や雑誌を熱心に読み始め、小説を雑誌社に投稿するなど、文学の世界にのめり込んでいきます。

 

「中学卒業後は医学の道に進むように」と考えていた父を説得し、文学を学ぶため早稲田大学英文科に進学します。

しかし、かねてから美土路家の家計が苦しくなっていたこともあり、学問を断念せざるを得なくなりました。

 

明治40(1907)年に早稲田大学を中退した美土路は、志望していた新聞記者になるため、大阪の朝日新聞社に勤めていた同郷の旧加茂町出身者のつてをたどり、翌年1月、東京の朝日新聞社に入社して記者になります。

 

明治43(1910)年、飛行機の日本初飛行を取材したことで、空への関心が芽生えます。

1914年8月に日本が第一次世界大戦に参戦すると、従軍記者として青島攻囲軍に参加。

 

その後、ニューヨーク特派員、通信部長などを歴任。

朝日新聞社は取材の手段としていち早く飛行機の利用を開始し、昭和8(1933)年、美土路は航空部長に就任しました。

 

昭和10(1935)年、取締役就任。

昭和12(1937)年、常務取締役美土路は、英国王の戴冠式を機に、純国産の社機・神風号を使った親善と記録挑戦のための飛行を企画します。

 

このとき、東京~ロンドン間を4日間かけて飛び、所要時間94時間17分56秒(実飛行時間51時間19分23秒)の世界記録を樹立。

1940年8月編集総長に就任。

 

美土路に京城日報社長への転出を命じた社長村山長挙との対立から1945年4月常務取締役を辞任して顧問となり、岡山に戻るが、敗戦後、元朝日新聞航空部次長中野勝義とともに、航空関係者の失業救済組織「興民社」を設立し会長。

 

しかし、日本が第2次世界大戦で敗戦。

1948年、公職追放となる。

 

追放解除後の1952年、国内民間航空が再開されると日本ヘリコプター輸送株式会社を設立して社長となり、極東航空と合併して、その後1957年12月全日空の初代社長に就任。

その後1961年11月に同郷の元官僚の岡崎嘉平太に社長の座を譲り、同社会長、相談役に退いていたが、朝日新聞社の内紛「村山事件」1964年11月で朝日新聞社社長となる。

 

1973年5月11日、86歳で死去。

 

 

 

 

 

美土路昌一(ANA創業者)の名言・考え方

 

 

 

 

何ごとも、まず相手のことを考えよ。

 

 

 

一歩退って人に接せよ。

 

 

 

顧みて自分の在職中約40年の最後の10年間は、実にこれらの桎梏(しっこく)と業火の苦しみの両面であった。今になって往時を振り返ってみると、元より軍ファッショの国を誤ったことを痛嘆久しうするが、この非常の時に、全新聞記者が平時に於て大声叱呼した言論自由の烽火(のろし)を、最も大切な時に自ら放棄して恥じず、益々彼等を誤らしめたその無気力、生きんが為めの売節の罪を見逃してはならぬ、そしてその群の中に自らも首脳部の一人としてありながら、死支度も白装束も役に立たず、唯碌々としてその間何の働きも出来ず、今徒らに軍の横暴のみを責めている自分に対し、深く反省し自責の念に堪えないのである。言論死して国遂に亡ぶ、死を賭しても堅持すべきは言論の自由である。

 

 

 

 

 

水流先を争わず。

 

 

 

興民社の事業を続けることによって、翼をなくした飛行機野郎たちを生き延びさせ、日本の航空技術を温存させることにはある程度成功しましたが、彼らを大空に帰してやる事業はまったくこれからです。今日の私にとっての生きがいは、日本の大空を再び飛び回る飛行機野郎たちの喜々とした姿を見ることです。

 

 

 

 

「和協」

 

 

 

「現在窮乏、将来有望」

 

 

 

 

 

「ANAホールディングス株式会社」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

 

1952年(昭和27年) 12月 第2次世界大戦により壊滅したわが国の定期航空事業を再興することを目的に、日本ヘリコプター輸送株式会社(資本金1億5千万円)を設立

 

1953年(昭和28年) 2月 ヘリコプターを使って営業開始

 

1953年(昭和28年) 5月 不定期航空運送事業免許取得

 

1953年(昭和28年) 10月 定期航空運送事業免許取得

 

1953年(昭和28年) 12月 東京-大阪間の貨物輸送を始めとして逐次営業路線を拡大

 

1955年(昭和30年) 11月 ダグラスDC-3型機導入

 

1957年(昭和32年) 12月 社名を全日本空輸株式会社と変更

 

1958年(昭和33年) 3月 極東航空株式会社と合併(新資本金6億円)

 

1960年(昭和35年) 7月 バイカウント744型機導入

 

1961年(昭和36年) 6月 フレンドシップF-27型機及びバイカウント828型機導入

 

1961年(昭和36年) 10月 東京、大阪証券取引所市場第二部に上場

 

1963年(昭和38年) 11月 藤田航空株式会社を吸収合併(新資本金46億5千万円)

 

1965年(昭和40年) 3月 ボーイング727型機導入

 

1965年(昭和40年) 7月 オリンピアYS-11型機導入

 

1969年(昭和44年) 5月 ボーイング737型機導入

 

1971年(昭和46年) 2月 国際線不定期便運航開始(東京ー香港)

 

1972年(昭和47年) 8月 東京、大阪両証券取引所市場第二部から市場第一部に上場

 

1973年(昭和48年) 12月 ロッキードL-1011型機導入

 

1974年(昭和49年) 3月 日本近距離航空(株)(エアーニッポン(株))設立

 

1978年(昭和53年) 9月 日本貨物航空(株)を設立(平成17年8月 経営より離脱)

 

1978年(昭和53年) 12月 フランクフルト証券取引所に上場

 

1978年(昭和53年) 12月 ボーイング747型機導入

 

1983年(昭和58年) 6月 ボーイング767型機導入

 

1985年(昭和60年) 10月 国内線累計旅客数3億人を達成

 

1986年(昭和61年) 3月 国際定期便を運航開始(東京ーグァム)

 

1990年(平成 2年) 11月 ボーイング747-400型機導入

 

1991年(平成 3年) 3月 エアバスA320型機導入

 

1991年(平成 3年) 10月 ロンドン証券取引所に上場

 

1992年(平成 4年) 10月 国内線累計旅客数5億人を達成

 

1994年(平成 6年) 9月 関西国際空港への乗入れ開始

 

1995年(平成 7年) 12月 ボーイング777型機導入

 

1998年(平成10年) 3月 エアバスA321型機導入

 

1999年(平成11年) 10月 航空連合スター アライアンスに加盟

 

2001年(平成13年) 1月 (株)エアージャパン国際線定期便の運航開始

 

2001年(平成13年) 4月 (株)エアーニッポンネットワーク(現 ANAウイングス(株))設立

 

2002年(平成14年) 12月 創立50周年

 

2003年(平成15年) 3月 ANAグループ航空会社 国内線・国際線 累計旅客数10億人を達成

 

2004年(平成16年) 8月 エアーネクスト(株)(現 ANAウイングス(株))設立

 

2004年(平成16年) 11月 中日本エアラインサービス(株)(エアーセントラル(株)に商号変更、現 ANAウイングス(株))を子会社化

 

2005年(平成17年) 2月 中部国際空港(セントレア)乗入れ開始

 

2006年(平成18年) 3月 国際線就航20周年

 

2008年(平成20年) 6月 ボーイング737-800型機導入

 

2008年(平成20年) 7月 ボーイング767-300BCF(ボーイング・コンバーテッド・フレイター)導入

 

2010年(平成22年) 7月 (株)エアージャパン(存続会社)、(株)ANA&JPエクスプレスを合弁

 

2010年(平成22年) 10月 (株)エアーニッポンネットワーク(存続会社 ANAウイングス(株)に商号変更)、エアーネクスト(株)ならびにエアーセントラル(株)の3社を合併

 

2011年(平成23年) 3月 国際線就航25周年

 

2011年(平成23年) 11月 ボーイング787型機導入

 

2012年(平成24年) 4月 エアーニッポン(株)を吸収合併

 

2013年4月 持株会社制に移行し、商号をANAホールディングス株式会社と変更

 

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