技術を練磨し科学的管理を実践し独自の製品を供給して文化の発展に貢献し信用の蓄積につとめ会社の発展と協力者の共栄をはかりこれをよろこび感謝する人びととともに運営する
“Innovator in Electronics”は、国内外のムラタグループ社員全員が共有するスローガンで、新市場、新商品、事業領域を拓いていくための理念でもあります。
その意味は「エレクトロニクスの改革者」。
創業50年を機に社是の理念を展開して策定されたこのスローガンには「エレクトロニクス産業のイノベーションを先導していく存在でありたい」という思いをこめています。
また、社員一人一人が「改革者」(Innovator)として、自らの仕事を変革 (Innovate) していく姿勢を求めています。
環境や社会への貢献を真摯に考え、Innovatorとして、行動を起こします。
ムラタは”Innovator in Electronics”をスローガンに、時代とともに多様化していくニーズにお応えし、独創的な製品や技術を通じて社会に貢献していきます。
ムラタは1944年に京都で創業以来、さまざまな技術、製品を創出し、グローバル企業へと成長しました。
ロゴマークには、これまでの成長を支えてきたムラタの理念が表現されています。
中央の”R”の大文字は、Research (研究) の頭文字「R」にかけて、R&Dや新技術、イノベーションにかけるムラタの熱い思いを表しています。
村田昭。
京都府京都市東山区泉涌寺生まれ。
父親が陶器店を営む。
父は石川県から京都市内の泉涌寺地区に移住し,碍子の製造業を営んでいた。その町工場は従業員6~7人の小さなもので,自前の窯もなく共同の窯の一部を借りて焼いていた。
昭は幼い頃から病弱でいろいろな病気に悩まされていたが,京都市立第一商業学校2年生の13歳の時、当時不治の病と恐れられた肺結核にかかり、病状が悪化し中退を余儀なくされた。
家業に専念。
健康を回復した昭は父の仕事を助け,何とか事業を拡大したいという思いから,得意先を開拓しては,と父に進言したところ,「事業を大きくしたら,他所さんの得意先へ注文を取りに行くことになる。そうすると当然今買っておられる価格より安くしないと注文がとれないから,それでは今まで納めていた同業者は困るし,こちらも儲からないではないか。そんな馬鹿なことを考えるな」と叱られた。
その代わりに,同業者と競合しない新しい製品分野であればよい,という父の了解をとって特殊磁器に取り組んだことが,今日の村田製作所の事業の核であるファインセラミックス応用製品へと展開するきっかけとなる。
まず昭は,化学用の焼物に取り組もうと思い,京都大学冶金教室の父の友人を訪ねた。
実験室では各種の化学磁器が使われていたが,ルツボをブンゼンバーナーで熱する時にルツボを載せる焼き物がよく割れて困っているということを知り,鼓型マッフル炉を考案し,実用新案を取得した。
この製品は京大の研究者たちの紹介で関西の冶金関係の研究室に販売したが,どこでも喜ばれたものの研究室用で量も少なく,その上壊れないため大きな商売にならなかった。
新しい焼物はないかと調べていたところ,『特殊窯業品』3や『高周波絶縁物』4という本から,熱膨張の小さいコージライト,ムライト,アルミナ磁器,高周波で使用しても損失の少ないステアタイト磁器や高誘電率のチタン磁器などの新しいセラミックスを知った。
さっそく京都の伏見にあった商工省陶磁器試験所5を訪ねて教えを請い,ムライト磁器の生産に取り組んだ結果,住友電工からイゲタロイの焼入用マッフル炉材を受注した。
しかしこれも注文数が少なく商売にはならなかった。
当時の京都では,このような新しい特殊磁器を手掛けたのは,おそらく村田昭だけであったであろう。
ある時,当時京都を代表する大企業の島津製作所の担当者から,寸法上難しい,飛行機の速度計のピトー管の部品焼き物の相談があった。
昭は父を説き伏せ,苦労の末にこの部品を完成させた。
これが契機となり,島津製作所の各部門を紹介してもらうことができた。
島津製作所は科学機械,各種計測器,X線装置,電気炉等,非常に幅広い製品を作っていたが,それらに用いられる碍子を一手に製作するようになり,村田昭は碍子製造で独りだちができるまでになった。
1944年(昭和19年)10月、村田製作所を創業する。
1950年(昭和25年)、法人化の後、京都大学との「産学協同」で酸化チタンコンデンサの開発に成功。
セラミック半導体や通信機用フィルタを次々に開発し、通信機やテレビ向けなどの電子部品事業を拡大、チタンコンデンサの主力メーカーとして一大シェアを掌握した。
高度経済成長が始まりラジオに白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の「三種の神器」が加わり業容は急拡大、村田昭は工場増設に追われつつ長岡京市の「村田技術研究所」に巨費を投じて開発体制を増強し、世界初のセラミック半導体・圧電セラミックスなど新分野への布石を打った。
1960年(昭和35年)代にはアメリカのGMより受注するなどいち早く海外に進出し、1973年(昭和48年)には日本の電子部品メーカーで初めてアメリカ合衆国内に工場を設立。
1965年には輸出が売上高の3分の1に到達、1985年プラザ合意で円高に突入するとセットメーカーに従い海外現地生産シフトを加速した。
シンガポールでも日本企業初の株式上場を果している。
京都を代表する大企業の創業者として活躍した。
これだけの実業家でありながら、財政界にはほとんど顔を出さず、本業一本で生涯を全うした。
1991年(平成3年)、70歳になったのを機に、長男の村田泰隆に社長を譲り会長に就任。
1995年(平成7年)からは名誉会長に就任し、その間は日本電子材料工業会会長なども歴任した。
セラミック業界への多大な貢献から、1998年(平成10年)にアメリカ合衆国セラミックソサエティーの名誉会員称号を受賞している。
2006年(平成18年)2月3日、肺炎のため京都第二赤十字病院で死去。享年84。
技術者でも商人でもない私がここまでこれたのは、人に恵まれたからである。私の半生は多くの方々との幸運な出会いと、温かいご援助に支えられ続けた賜物なのである。
社長に自由にものを言える会社の雰囲気が、経営にとって一番大切なことだ。
事業家としての私の人生を振り返ると、まさに運・鈍・根そのものだった。私にあったのは幸運と遇直さと根気だけ。苦しい時には必ず助けてくれる人が現れた。事業家に一番大切なものは、遇直なまでの誠意である。
1944年10月 村田昭が京都市中京区で個人経営の村田製作所を創業
元染物工場を借りて工場として創業。元々はがいしなどの陶器製品を製造する町工場であった。
1950年12月 (株) 村田製作所に改組、資本金100万円
1955年3月 研究部門を (株) 大宮技研として創業の地に設置
1956年6月 (株) 村田技術研究所に改称
1956年8月 長岡京市に移転
1961年2月 本社を長岡京市に移転
1962年3月 (株) 村田技術研究所を吸収合併
1962年9月 滋賀県東近江市に現八日市事業所を建設し操業開始
1962年10月 第一回プラント輸出 (旧ソ連向第一次)
1963年3月 大阪証券取引所市場第二部と京都証券取引所 (01年閉鎖) に株式を上場
1963年3月 ニューヨーク駐在員事務所開設
1965年5月 販売会社 (現 販売会社 Murata Electronics North America, Inc.) に改組
1969年12月 東京証券取引所市場第二部に株式を上場
1970年2月 東京・大阪とも第一部に上場
1972年12月 シンガポールに生産・販売会社 Murata Electronics Singapore (Pte.) Ltd.を設立
1973年1月 米国ジョージア州に生産会社 Murata Manufacturing Co., Inc. (現 販売会社 Murata Electronics North America, Inc.) を設立
1973年10月 中国・香港に販売会社 Murata Company Limited (村田有限公司) を設立
1975年11月 ヨーロッパ駐在員事務所を開設
1978年4月 法人 (現 販売会社 Murata Elektronik GmbH) に改組
1976年8月 シンガポール証券取引所上場
1978年11月 台湾の生産・販売会社 現 Taiwan Murata Electronics Co., Ltd. (台湾村田股?有限公司) を買収
1980年9月 カナダの多国籍企業に資本参加
1981年3月 経営参加 同社 子会社 現 販売会社 Murata Elettronica S.p.A. (イタリア) 子会社 現 販売会社 Murata Electronique SAS (フランス) 及び米独の生産子会社を当社直轄事業下に配置
1982年9月 電気音響 (株) に資本参加1989年4月 吸収合併
1980年12月 大韓民国ソウル市にソウル支店 (現 販売会社Korea Murata Electronics Company, Limited (韓国村田電子株式会社) ) 開設
1982年6月 イギリスに販売会社 現 Murata Electronics (UK) Limitedを設立
1985年5月 ブラジルに販売会社 Murata Eletronica Do Brasil Ltda.を設立
1987年7月 滋賀県野洲市に野洲事業所を開設
1988年9月 タイに生産・販売会社 Murata Electronics (Thailand), Ltd.を設立
1988年11月 神奈川県横浜市緑区に現横浜事業所を開設
1989年12月 オランダに販売会社 Murata Electronics (Netherlands) B.V.を設立
1990年6月 マレーシアに販売会社 Murata Trading (Malaysia) Sdn. Bhd.を設立
1990年7月 ブラジルに販売会社 Murata World Comercial Ltda.を設立
1991年6月 村田泰隆 社長就任、村田昭 会長就任、村田治 副会長就任
1993年5月 マレーシアに生産・販売会社 Murata Electronics (Malaysia) Sdn. Bhd.を設立
1994年7月 中国・北京市に生産・販売会社 Beijing Murata Electronics Co., Ltd. (北京村田電子有限公司) を設立
1994年12月 中国・江蘇省無錫市に生産・販売会社 Wuxi Murata Electronics Co., Ltd. (無錫村田電子有限公司) を設立
1995年5月 中国・上海市に販売会社 Murata Electronics Trading (Shanghai) Co., Ltd. (村田電子貿易 (上海) 有限公司) を設立
1995年6月 村田昭 名誉会長就任、村田治 会長就任
1997年3月 タイに販売会社 Thai Murata Electronics Trading, Ltd.を設立
1998年3月 フィリピンに販売会社 Murata Electronics Philippines Inc.を設立
1999年3月 東京都渋谷区に東京支社を開設
1999年7月 中国・広東省深?市に販売会社 Murata Electronics Trading (Shenzhen) Co., Ltd. (村田電子貿易 (深?) 有限公司) を設立
1999年 8月 中国・天津市に販売会社 Murata Electronics Trading (Tianjin) Co., Ltd. (村田電子貿易 (天津) 有限公司) を設立
2002年7月 メキシコに販売会社 Murata Electronics Trading Mexico, S.A.de C.V.を設立
2004年8月 オランダにヨーロッパ統括会社 Murata Europe Management B.V.を設立
2004年10月 本社を現在地に移転
2007年6月 村田恒夫 社長就任、村田泰隆 会長就任
2005年6月 中国・広東省深?市に生産・販売会社 Shenzhen Murata Technology Co., Ltd.を設立
2005年12月 中国・上海市に中華圏の販売統括会社 Murata (China) Investment Co., Ltd.を設立
2006年4月 Murata Electronics North America Inc.がSyChip, Inc.を買収
2007年2月 Murata Electronics Singapore (Pte.) Ltd.がインドに事務所 Murata Electronics Singapore (Pte.) Ltd. India Liaison Officeを開設
2007年4月 中華圏の販売統括会社 Murata (China) Investment Co., Ltd.にデザイン&エンジニアリングセンターを設立
2007年8月 中国・広東省深?市に生産会社 Murata Electronics Plant Shenzhen Co., Ltd.を設立
2007年8月 アメリカ合衆国のC&D Technologies, Inc.のPower Electronics事業部 (現 生産・販売会社 Murata Power Solutions, Inc.) 他17社を買収
2007年10月 Murata Electronics Singapore (Pte. ) Ltd.がベトナムに事務所Representative Office of Murata Electronics Singapore (Pte. ) Ltd. in Hanoi を開設
2007年10月 本社敷地内に研究開発新棟竣工