「株式会社クボタ」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『久保田権四郎』/沿革・歴史など~

「株式会社クボタ」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『久保田権四郎』/沿革・歴史など~

 

「株式会社クボタ」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

 

「株式会社クボタ」の企業理念(クボタグローバルアイデンティティ)

 

 

世界の明日のために、クボタができること

 

1890年の創業以来、食料・水・環境に関わる地球規模の課題解決に取り組むクボタグループの企業姿勢、社会との約束、使命を表明します。

 

 

 

「株式会社クボタ」のスピリッツ(私たちの精神・姿勢)

 

一、総合力を生かしすぐれた製品と技術を通じて社会の発展につくそう

 

一、会社の繁栄と従業員の幸福を希ねがって 今日を築き明日を拓ひらこう

 

一、創意と勇気をもって未知の世界に挑戦しよう

 

 

1890年、19歳で鋳物業を開業したクボタグループの創業者・久保田権四郎。

「やればできる」「失敗を恐れるな」の信念で日本で初めて水道管の国産化や農業の機械化を実現し、社会の発展に貢献してきました。

「国の発展に役立つ商品は、全知全霊を込めて作り出さねば生まれない」

「技術的に優れているだけでなく、社会の皆様に役立つものでなければならない」

クボタグループは、この創業者の信念とともに3つのスピリッツを継承し、グローバルに事業を推進、真に社会から親しまれ求められる企業グループで在り続けます。

 

 

 

「株式会社クボタ」のブランドステートメント(私たちの約束)

 

 

「For Earth, For Life」 ─

クボタグループは、美しい地球環境を守りながら、人々の豊かな暮らしを
これからも支えていくことを約束します。

 

 

 

 

「株式会社クボタ」のミッション(私たちの使命)

 

 

人類の生存に欠かすことのできない食料・水・環境。

 

クボタグループは、優れた製品・技術・サービスを通じ、豊かで安定的な食料の生産、安心な水の供給と再生、快適な生活環境の創造に貢献し、地球と人の未来を支え続けます。

 

世界は今、人類が生きていくために不可欠な食料・水・環境の分野で多くの課題を抱えています。

それらは個別の問題ではなく、すべてが密接に結びついています。

人口の増加は、環境に大きな影響を与え、水資源に問題をもたらし、食料の供給不足へとつながっていく。

クボタグループは、食料・水・環境を一体のものとして捉え、その課題解決に貢献します。

 

 

 

クボタ・グローバル・ループ=「食料・水・環境」の関係

 

「食料」「水」「環境」は個別のテーマではなく、密接に結び付いたテーマ

 

 

 

 

 

 

「株式会社クボタ」の創業者・創立者『久保田権四郎』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

 

久保田権四郎(クボタ創業者)

 

 

久保田権四郎

1870年10月3日に大出権四郎氏(当初名)は、瀬戸内海に浮かぶ因島の大浜村(現:広島県尾道市因島大浜町)の貧しい農家の末子として生まれました(1900年に懇望されて久保田家の養子となり、久保田性となる)。

 

家は貧しく、晴れ着や小遣い銭がないために村の祭に行くこともできなかった。

当時、小学校は村のお寺に置かれていましたが、久保田氏は毎日通うことはありませんでした。

 

瀬戸内海を通る蒸気船に憧れ「いつかはあんな大きな船をつくる鍛冶屋に」と願った。

手先が器用であり、立身出世して親孝行したいと思い、若くして西洋鍛冶屋になることを目指していました。

 

14歳の時に大阪に出て「ここかしこと頼みまわって」鋳物を製造する黒尾製鋼に小僧として住み込んでいます。

朝は6時から夜は10時までという厳しい徒弟修業は3年半に及びましたが、鋳物師となった久保田氏は日給25銭で塩見鋳物に移り、さらなる鋳物技術の研鑽に努めました。

 

風呂は行水ですませ、髪は自分で切るといった節約に節約を重ねた。

節約して資金を貯め1890年、19歳の時早くも大阪市南区(現中央区)に「大出鋳物」を創業し、秤の分胴などを製造した。

 

この前後に父、母を亡くし余り親孝行は出来なかったが仕事に打ち込んだ。

久保田氏を物心両面で支えてくれたのが久保田燐寸機械製造所の久保田藤四郎氏です。

 

跡継ぎのいない久保田夫妻は懸命に仕事に励む久保田氏の人物を見込んで養子になることを懇望。

久保田氏は燐寸機械製造は継承しないことを条件に、養子縁組を承諾、久保田姓を名乗るようになり、1897年に大出鋳造所は久保田鉄工所に改称しています。

 

当時、横浜や大阪、東京などでコレラなどの伝染病対策として水道設備の整備が進められていましたが、問題は国内で使う水道管を外国からの輸入に頼っていることで、何とか国産化できないかというのが国を挙げての課題となっていました。

1893年、権四郎も独力で鋳鉄管の研究・製造に着手。

 

多くの事業者がこれに取り組み撤退していく中、不撓不屈の精神で研鑽を続け、回転式丸堅込鋳造法などの発明により1897年、国産初の直管の鋳鉄管製造に成功、1900年には実用化に成功し国益に大きく貢献した。

のち外国産にも劣らぬ品質の鋳鉄管を大量生産する事にも成功し、大阪や東京の水道管・ガス管に大量に使用され会社発展の基礎となった。

 

“日本の水道管の歴史はクボタの歴史”ともいわれる。

この後、紡績機械、工作機械、農作機械、発動機なども手掛け事業を拡大。

 

さらに満州久保田鋳鉄管、尼崎製鉄などの設立で事業の多角化を推進した。

草創期の自動車製造にも乗り出し1919年、「実用自動車製造株式会社」を設立。

 

しかし成果が得られず1926年、国産工業(現;日立金属)の子会社「合資会社ダット自動車商会」と合併し「ダット自動車製造株式会社」となり、この会社は日産自動車の母体となった。

戦後は会社再建の途中、高齢の為1949年、社長を退き相談役となり1959年、89歳の天寿を全うした。

 

生涯に得た特許は70件、実用新案は150余件にものぼる発明家でもあった。

1923年紺綬褒章、1928年緑綬褒章、1953年、藍綬褒章。

 

1943年勲五等瑞宝章、1959年正五位勲三等旭日中綬章。

 

 

 

 

 

久保田権四郎(クボタ創業者)の名言・考え方

 

 

 

自分の魂を打ち込んだ品物を作りだすこと、又其の品物には正しき意味に於ける商品価値を具現せしむること。

 

 

 

国の発展に役立つ商品は、全知全霊を込めて作り出さねば生まれない。

 

 

 

技術的に優れているだけでなく、社会の皆様に役立つものでなければならない。

 

 

 

外国人にできることが、日本人にでけんはずはない。

 

 

 

 

 

 

「株式会社クボタ」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

1890年
鋳物メーカーとして創業。衡器用鋳物・日用品鋳物の製造開始。

 

1893年
水道用鋳鉄管の製造開始。1917年に尼崎工場を開設し生産設備を移転。

 

1897年
「大出鋳造所」を「久保田鉄工所」に改称。消火栓・制水弁など水道用付属品の製造開始。

 

1922年
「農工用石油発動機」、「節炭機」(廃ガス利用による省エネ装置)、「耐熱鋳鉄」の製造開始。

 

1930年
商工省が「クボタ石油発動機」を優良国産品に選定。

 

1939年
株式公開。各工場に「技能者養成所」を設置。

 

1947年
「耕うん機」を開発、製造・販売開始。

 

1953年
「株式会社久保田鉄工所」を「久保田鉄工株式会社」に社名変更。
「久保田建機株式会社」設立、建設機械業界へ進出。「パワーショベルなど建設機械」「船用甲板補機」の製造開始。

 

1955年
企業スローガン「国つくりから米つくりまで」制定。

 

1957年
住宅建材分野に進出。「住宅用建材カラーベスト」の製造開始。

 

1960年
国産初の「畑作用乗用トラクタ」を開発・商品化。わが国初の海外水道工事(プノンペン市)を受注・竣工。

 

1962年
「水処理事業部」新設、環境整備事業へ本格参入。「水田用トラクタ」の製造開始。

 

1963年
「自動販売機」の製造開始。

 

1964年
「都市ゴミ焼却プラント」の製作開始。

 

1969年
新企業スローガン「ゆたかな人間環境つくり」制定。「コンバイン」の製造開始。農作業機械化の一貫体系を完成。

 

1970年
「環境装置事業部」新設。

 

1972年
ゴミ焼却炉分野へ本格参入。米国に「クボタトラクタコーポレーション」を設立。米国トラクタ市場に本格的に進出。

 

1975年
「下水事業部」発足。

 

1980年
エジプト・シェルケア州より「灌漑システム」受注、砂漠の緑化に取り組む。新スローガン「技術で応えるたしかな未来」制定。

 

1984年
技術テーマ「Hu-Tech(ヒュー・テック)」制定。

 

1986年
「電子基盤」「ハードディスク」「ラジコン芝刈機」の製造開始。

 

1989年
砂漠緑化プロジェクト「サヘル・グリーン・ベルト計画」「グリーンアース計画」に参画。

 

1990年
創業100周年。「株式会社クボタ」に社名変更。新コーポレート・シンボルとVI(ビジュアル・アイデンティティ)システムを展開。国際花と緑の博覧会に噴水・裂水装置「アレフ」を共同出展。

 

1992年
新スローガン「美しい日本をつくろう。」制定。廃棄物を燃料とする高効率ごみ発電施設付き焼却炉の研究開発に着手。クボタの寄付を基金として東京大学工学部に「国際環境計画講座」が開設。

 

1993年
21世紀に向かっての経営指針「創業2世紀ビジョン」を発表。

 

1995年
法や条例より厳しい基準での環境保全と継続的な環境改善をはかるために「環境監査制度」をスタート。

 

2001年
国内全事業でISO14001認証取得。

 

2002年
産業用エンジンが累計生産台数2000万台達成。

 

2005年
トラクタが累計生産台数300万台達成。

 

2006年
クボタグループの社是・経営理念・行動憲章・行動基準を制定。新企業スローガン「社会の底力(メインスローガン)」「水と土と空と、人のために。(サブスローガン)」「美しい日本をつくろう。(サブスローガン)」を制定。

米国で新インプルメント工場が竣工。
(クボタ インダストリアル イクイップメントコーポレーション(KIE))

 

2008年
社会貢献活動「クボタeプロジェクト」スタート。

 

2009年
タイで日系企業初のトラクタ生産工場が竣工。
(サイアムクボタトラクタ)

 

2010年
環境省より「エコ・ファースト企業」に認定。

タイでコンバイン生産開始。
(サイアムクボタコーポレーション)

中国にポンプ製造・販売会社を設立。
(安徽久保田三聯ポンプ有限公司)

 

2011年
中国地域統括会社を設立。

「エコプロダクツ認定制度」の運用開始。

サウジアラビアで鋳鋼製品工場が竣工。
(クボタサウジアラビアカンパニー有限責任会社)

中国に建設機械工場が竣工。
(久保田建機(無錫)有限公司)

香港に日本米の輸入精米販売会社を設立。
(久保田米業(香港)有限公司)

 

2012年
クバンランド社をM&Aにより子会社化。
中国にエンジン生産拠点を設立。
(久保田発動機(無錫)有限公司)

世界共通の企業理念「クボタグローバルアイデンティティ」、ブランドステートメントロゴの制定。

水処理エンジニアリング会社を完全子会社化しクボタ化水を設立。

 

2013年
タイに部品調達会社を設立。
(Kubota Procurement & Trading (Thailand) Co.,Ltd.)

米国に中型トラクタ生産工場を設立。

日本産米の輸入精米販売会社をシンガポールに設立。
(Kubota Rice Industry(Singapore)PTE Ltd.)

 

2014年
フランスに大型畑作用トラクタの生産会社を設立。
(クボタファームマシナリーヨーロッパS.A.S.)

 

2015年
インドで現地ニーズに適合した多目的トラクタの市場投入。
米国の生産拠点が小型トラクタ等の累計生産100万台を達成。

 

2016年
グレートプレーンズマニュファクチュアリング社をM&Aにより子会社化。
タイに農業機械の研究開発拠点を開設。
米国に水・環境分野の研究開発拠点を開設。

 

2017年
欧州統括会社を設立。

 

未分類カテゴリの最新記事

error: Content is protected !!
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。