AGC、いつも世界の大事な一部
〜独自の素材・ソリューションで、いつもどこかで世界中の人々の暮らしを支えます〜
私たちAGCグループは、幅広い素材・生産技術に基づく独自の素材・ソリューションを提供し、お客様と長期的な信頼関係を築き、お客様から最初に声がかかる存在であり続けます。
そして、お客様や社会にとって“無くてはならない製品”を提供し続け、いつもどこかで、世界中の人々の暮らしを支えます。
革新と卓越
イノベーション & オペレーショナル・エクセレンス
既成の概念や枠組みにとらわれない発想で、常に革新的な技術、製品、サービスを追求します。
常にお客様の視点に立つとともに、社会や市場の変化を予測し、潜在的・将来的なお客様のニーズに応える、新たな価値を創造し続けます。
あらゆる活動において最高の効率と品質を目指して不断の改善を行い、常に、実現し得る最高の仕事をします。
多様性
ダイバーシティ
多様な能力、個性を持った個々人を尊重し、国籍、性別、経歴にこだわらないグローバル経営を展開します。
人種、民族、宗教、言語、国籍にこだわらず、多様な文化を尊重します。
常に異なった視点・意見を尊重します。
環境
エンバイロンメント
善き地球市民として、自然との調和を目指し、持続可能な社会づくりに貢献します。
安全で健康的な職場環境の向上に努めます。
誠実
インテグリティ
高い倫理観に基づき、あらゆる関係者と透明・公正な関係を築きます。
法令や規制を厳格に遵守します。
提供するあらゆる製品・サービスについて、お客様の満足と信頼を得るための責任を全うします。
岩崎俊弥。
明治14年(1881年)生まれ。
三菱財閥2代目当主・岩崎弥之助の次男として東京府(現・東京都)に生まれた。
1891年に高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1898年に高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。
ロンドン大学に留学して応用化学を専攻。
帰国後は日本の近代化の中で大きな需要が期待される板ガラスの製造に取り組むことを決意し、1906(明治39)年にガラス器具を製造している島田孫市と共同で大阪島田硝子製造を設立。
翌1907(明治40)年島田と袂を分かち旭硝子を設立し、日本で初めて板ガラスの製造に成功した。
八穂夫人(盧高朗の六女)との間に長女・八重子、次女・淑子、三女・温子の3女をもうけた。
淑子は俊弥の兄・小弥太の養女となり、岩崎小弥太は林董の孫・忠雄を淑子の婿として迎えた。
また俊弥の死後八穂未亡人は近藤宏太郎の四男・寿男を温子の婿として迎え、八穂の婿養子となった岩崎寿男はのちに三菱自動車工業の常務を務めた。
ベンチャーキャピタルの分野で活動しているキャピタリスト・岩崎俊男は寿男・温子夫妻の長男で、俊弥の孫にあたる。
易きになじまず難きにつく。
人はやりやすいものに喜んで飛びつくが、厄介なものには背を向ける。これではとても成功はありえない。
1907年 兵庫県尼崎にて旭硝子株式会社を創立
1914年 英国向けに初めて板ガラスを輸出
1917年 本社を東京へ移転
1925年 中国に昌光硝子を設立。旭硝子初の海外ビジネスがスタート
1933年 創立25周年を記念し、財団法人旭化学工業奨励会(現旭硝子財団)を設立
1937年 東京株式取引所に株式上場
1952年 インドネシアと電解苛性ソーダのプラント輸出契約を締結
1955年 品質管理の技法をいち早く導入し、デミング賞実施賞を受賞
1956年 インドにガラス製造会社を設立。民間他社に先駆けて海外事業を展開
1957年 創立50周年を記念し、財団法人旭硝子奨学会を設立
1964年 タイの板ガラス市場に参入
1972年 インドネシアでガラス事業を開始
1981年 ベルギーのGlaverbel社を買収。欧州の板ガラス市場に本格参入
1985年 米国の自動車用ガラス事業に本格参入。
1986年 インドネシアでのクロールアルカリ事業に本格参入
1997年 ロシアのガラス市場に参入
2002年 グループビジョン”Look Beyond”を策定。カンパニー制を導入
2007年 創立100年を機にグループブランドを「AGC」に統一
2013年 “南米で最も環境にやさしい”ブラジル工場が竣工。ブラジルの板ガラス市場に参入
東南アジア地域での事業拡大を見込みシンガポールに地域統括拠点を設置
2015年 経営方針AGC plusがスタート
2016年 モロッコに自動車用ガラス生産拠点を設置
インド・ドバイに情報収集・マーケティング拠点を設置
2018年 日・米・欧のバイオサイエンス事業を統合し、AGC Biologicsとして一体運営を開始
旭硝子株式会社からAGC株式会社に社名を変更