わが社は、「愛の精神の実践」を経営の基本とし、人々の幸福と生活の向上に寄与する。
1.われわれは、人の力、技術の力、マーケティングの力を結集して、日々の暮らしに役立つ優良製品を提供する。
2.われわれは、創業以来の伝統である「挑戦と創造の心」を大切にし、事業の永続的発展に努める。
3.われわれは、企業を支えるすべての人々に深く感謝し、誠意と相互の信頼をもって共栄をはかる。
小林富次郎。
嘉永5年(1852年)生まれ。
武蔵国北足立郡与野町(現・埼玉県さいたま市中央区)出身。
4歳のとき、父母の郷里の越後国中頸城郡柿崎村直海浜村(現・新潟県上越市柿崎区直海浜)に戻り、16歳まで家業である酒造業と漁業に従事した。
しかし酒蔵が経営不振に陥り、1877年(明治10年)に上京し石鹸工場「鳴春舎」に同郷の仲間と共に入社し、石鹸事業に携わっていた1888年(明治21年)11月4日、多聞教会で長田時行より洗礼を受けキリスト教に入信した。
1891年(明治24年)に起業し、宮城県石巻でのマッチ製造など、いくつかの事業を手がけるが失敗。
絶望して自殺しようとするが、長田牧師が贈った聖書の言葉(ヘブル書12章11節)で思いとどまる。
その後、東京神田柳原河岸の地に石鹸および燐寸の原料取次ぎの「小林富次郎商店」を開設。
本郷教会(現・弓町本郷教会)に転会して、海老名弾正牧師を終生支えることになった。
海老名牧師から歯磨き粉の製造方法を聞き、これを研究して1893年(明治26年)3月に「獅子印ライオン歯磨」を発売した。
事業の成功後、アメリカの石鹸会社である「カーク商会」の事例を参考にして積極的に慈善事業を展開し、岡山孤児院などの施設開設に努めた。
養子の喜一は2代目富次郎を名乗り、ライオンの名誉会長となった。
1910年(明治43年)、胆石症のため死去。
人のため世のため役立つ仕事
人の頭たらん者は、かえって人の僕となるべし ── これは会社であれ国家であれ、その首領たる者の深く心得るべき奥義なり。
1891年(明治24年)10月30日 (ユリウス暦:10月18日) – 初代小林富次郎が東京・神田に小林富次郎商店を創業。
1899年(明治32年) – 大阪支店開設。
1908年(明治31年)- 匿名組合小林商店に改組。
1910年(明治43年)
名古屋支店開設。
合資会社ライオン石鹸工場を設立。
1918年(大正7年)9月3日 – 株式会社小林商店に改組。
1919年(大正8年)8月1日 – 石鹸部門を分離し、ライオン石鹸株式会社を設立。
1940年(昭和15年)9月11日 – ライオン石鹸株式会社をライオン油脂株式会社に改称。
1949年(昭和24年)2月1日 – 株式会社小林商店をライオン歯磨株式会社に改称。
1971年(昭和46年) – 墨田区本所にライオン歯磨の新社屋(現在の本社社屋)、墨田区横網にもライオン油脂の新社屋(現在の東京オフィス)がそれぞれ竣工。
1975年(昭和50年) – ニチバンから海外の絆創膏ブランドであった「サビオ」の日本国内での販売権を譲り受け、新規に発売(現在は絶版)。
1980年(昭和55年)1月1日 – ライオン歯磨とライオン油脂が対等合併し(新)ライオン株式会社発足[注 1]を記念して、「ゆく年くる年」の放送後、午前1時からTBSが制作幹事となり全民放テレビ局(びわ湖放送除く)に向けて1社提供番組「ライオンスペシャル・’80年未来をこの手に!」が放送された。この番組のCMから、企業スローガンが「おはようからおやすみまで、暮らしをみつめる」となる。
1985年(昭和60年) – 藤沢薬品工業(現:アステラス製薬及び第一三共ヘルスケア)の家庭用品事業(パイプマン・ピコレット・油っ固)を譲受。
1991年(平成3年) – 創業100周年を機にコーポレートアイデンティティ導入、ライオンの雄叫びシルエットを用いたカタカナの「ライオン」ロゴから、現在の緑色の「LION」ロゴに変更(この際、企業スローガンを「いつも暮らしの中に」に改訂)。雄叫びシルエットを用いたロゴは現在も正式な社章・社旗として使用されている。
1993年(平成5年)3月16日 – 紫外線防止対策で髪のUVダメージを防ぐヘアケア「レイブロック (RAY BLOCK) UVシャンプー&リンス」を発売。
1996年(平成8年) – ホームページ開設。通産大臣(現:経済産業大臣)表彰「消費者志向優良企業賞」を受賞。
2001年(平成13年) – 創業110周年を機に、企業スローガンを「あしたに、あなたに」に改訂。
2003年(平成15年) – 「マコーミック」ブランドの販売権をミツカンに譲渡。
2004年(平成16年) – 韓国のCJグループの生活用品部門を譲り受け、韓国での商号をCJライオンとする。
2004年(平成16年)- 藤重貞慶が代表取締役社長に就任する。
2004年(平成16年)12月29日 – 中外製薬の一般用医薬品・医薬部外品(グロンサン・グロモント・新中外胃腸薬(現在のスクラート胃腸薬)・バルサンなど。一時期米MSD社との合弁会社から発売していたことがある)の製造・販売権等を譲受、ただし事業として重複する外用鎮痛消炎薬は譲受せず(「ゼノール」は大鵬薬品工業が譲り受ける)。
2006年(平成18年) – 子会社ライオンビルメンテナンス株式会社の全株式を日本管財株式会社に譲渡。社名は管財ファシリティ(現:日本管財サービス)となる。
2007年(平成19年) – 第16回地球環境大賞を受賞。
2007年(平成19年)7月31日 – ブリストルマイヤーズ・ライオン(ブリストル・マイヤーズスクイブとの合弁)から、「バファリン」と「エキセドリン」の商標権を譲受。
2008年(平成20年)6月24日 – 環境省の「エコファースト制度」に認定。
2011年(平成23年) – 創業120周年(同年10月30日)を迎え、2分 = 120秒という当社の中では最も長い、企業イメージCM「タイムスリップ家族」編を制作。雑誌「東京グラフィティ」とのコラボ企画で、内容は昔の写真から現在の人物が昔と似た衣装で登場するというものである。中には上記における旧式のロゴや、同社製品の新旧対比の写真、さらに本物のライオンが登場する場面もあった。
2012年(平成24年)1月1日 – 前述の創業120周年を機に企業ステートメントを定め、同時に企業スローガンを「今日を愛する。(英語版では「life.love.」)」に改訂。
2015年(平成27年) – 完全子会社の一方社油脂工業株式会社に、化学品事業を会社分割により承継。同時に一方社油脂工業株式会社はライオン・スペシャリティ・ケミカルズ株式会社(初代)を吸収合併し、ライオン・スペシャリティ・ケミカルズ株式会社(2代目)に商号変更。
2017年(平成29年) – 韓国の子会社であるCJライオンを完全子会社化の上で、商号をライオンコリアに変更。
2018年(平成30年)12月28日 – 「バルサン」の商標権・製造権・販売権並びにライオンパッケージング株式会社の全株式をレック株式会社へ譲渡。同時に殺虫剤事業から撤退(但し、氷殺ジェットの自主回収業務は継続)。
2019年(令和元年)7月31日 – 資生堂の子会社である資生堂薬品の皮膚用薬ブランド「フェルゼア」と「エンクロン」に係る知的財産権等を譲受(「フェルゼア」は乾燥肌治療薬のみで、入浴剤などのボディケアは譲受せず)。
2020年(令和2年)8月31日 – 2023年春、本社を東京都墨田区から日本郵政不動産が台東区蔵前で着工した大型複合施設「蔵前一丁目開発事業」のオフィス棟に移転すると発表。