「株式会社T&Dホールディングス」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者・中興の祖『喜田哲弘』『広岡浅子』/沿革・歴史など~

「株式会社T&Dホールディングス」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者・中興の祖『喜田哲弘』『広岡浅子』/沿革・歴史など~

 

「株式会社T&Dホールディングス」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

 

「株式会社T&Dホールディングス」のグループ経営理念

 

 

 

Try & Discover(挑戦と発見)による価値の創造を通じて、人と社会に貢献するグループを目指します。

 

 

 

 

「株式会社T&Dホールディングス」のグループ経営ビジョン

 

 

お客さまからの視点

私たちは、最優の商品・サービスの提供により、お客さま満足度のトップを目指します。

 

 

株主・投資家・市場からの視点

 

私たちは、成長に向けた新たな挑戦により、安定的・持続的に企業価値を向上させ、確固たる存在感のある保険グループを目指します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「株式会社T&Dホールディングス」の創業者・創立者・中興の祖『喜田哲弘』『広岡浅子』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

 

喜田哲弘(T&D中興の祖)

 

 

喜田哲弘。

1953年生まれ、大阪府富田林市出身。

 

大阪府立高津高等学校を経て、慶應義塾大学法学部卒業。

1976年(昭和51年)大同生命保険入社。

 

1999年(平成11年)企画部長、翌2000年7月、取締役。

2003年常務取締役。

 

2010年(平成22年)代表取締役社長。

2015年(平成27年)4月、大同生命などの持株会社T&Dホールディングスの代表取締役社長、同年藍綬褒章受章。

 

2018年(平成30年)4月、代表取締役会長。

2020年6月、T&Dホールディングス顧問。

 

 

 

 

喜田哲弘(T&D中興の祖)の名言・考え方

 

 

 

独善的にならず、外の目を意識すること。いまIRで海外投資家に説明に回っているが、外側から話を聞かせていただくことが我々にとって大切な視点の一つになっている。多様な視点の必要性は、昔から意識してきた。24歳のとき、約40社から人を集めたファイナンス会社に出向した。私のようにとにかく元気が取り柄の生保マンもいれば、冷静に数字を見る銀行の方もいた。同じ仕事でも、さまざまなアプローチがあることがわかり非常に勉強になった。そのころから自分の常識だけでものを見ないことを心がけてきた。

 

 

 

 

 

私は提携協議のフロントに立ってまとめあげるよう指示された。苦労したのは、株式会社化の手続きだ。持ち株会社をつくるには、まず相互会社である両社を株式会社にする必要がある。いまでこそ珍しくないが、相互会社から株式会社になったのは私たちが初めて。法的に未整備で、上場のルールも変えてもらわねばならなかった。金融庁や東証と議論を重ねて、何とか実現にこぎつけた。

 

 

 

 

 

 

人口減少、低金利の継続という“不都合な真実”はあるが、海外の生保を買収する戦略より、国内を基盤に成長を目指す戦略でやっていく。我々のコアとなるマーケットは、今後も十分に伸びる可能性を秘めている。実際、大同生命の主なお客様である中小企業では社長の高齢化が進んでいるが、病気などによる一時離職のリスクに備える商品をリリースしたところ、ヒットした。太陽生命も、主婦層を中心にアプローチしつつ、ご主人やお子さんたちに必要な商品を提案して成功している。新しいマーケットがまだつくれる証拠。

 

 

 

 

 

 

 

我々はブティック型経営が基本だが、専門店化しすぎているところはある。そこで今春から太陽生命のこども保険を大同生命のお客様に提案したり、逆に大同生命で人気のある長期保障の定期保険を太陽生命のお客様に販売するなど、クロスセルを進めている。どちらも年間の目標を3カ月で突破して好調だ。大切なのは、「風に聞け、波に学べ」。ヨットは風や波を見て一歩先を読み、操縦する。経営も同じ。環境は荒れるかもしれないが、臨機応変に成長スピードを加速させていきたい。

 

 

 

 

 

本当に顧客本位の営業をしないと勝ち残れない。

 

 

 

 

 

出迎え三歩、見送り七歩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<参考>広岡浅子(大同生命創始者のひとり)

 

 

 

広岡浅子。

1849年生まれ、東京府麻布区(現・東京都港区)出身。

 

三井高益四女。

ドラマ『あさが来た』のヒロインのモデルとなった。

 

明治を代表する女性実業家であり、豪気・英明な天性から「一代の女傑」と称えられた。

幼い頃より裁縫や茶の湯、生け花、琴の稽古などよりも、四書五経の素読など学問に強い興味を持つが、「女に教育は不要」という当時の商家の慣習は固く、家人から読書を禁じられる。

 

9歳で父親が没し、35歳の高喜が家長となる。

17歳(数え年、以下同様)で鴻池善右衛門と並ぶ大坂の豪商であった加島屋の第8代広岡久右衛門正饒(まさあつ)の次男・広岡信五郎と結婚。

 

嫁いだ後も、主人は手代に任せて業務に関与しない商家の風習に疑問と限界を感じ、簿記や算術などを独学するようになる。

20歳で明治維新の動乱を迎え、家運の傾いた加島屋を救うため実業界に身を投じ、夭逝した正饒の長男に代わり加島屋当主となった第9代広岡久右衛門正秋(信五郎の弟)、夫の広岡信五郎と共に、加島屋の立て直しに奔走する。

 

1884年(明治17年)頃から炭鉱事業に参画。

筑豊の潤野炭鉱(福岡県飯塚市、後の製鐵所二瀬炭鉱)を買収、開発に着手。

 

単身炭鉱に乗り込み、護身用のピストルを懐に坑夫らと起き伏しを共にしたと伝えられている。

男もためらうような冒険的事業に敢えて乗り出したので、しばしば狂人扱いされたという。

 

1888年(明治21年)に加島銀行を設立。

続いて1902年(明治35年)に大同生命創業に参画するなど、加島屋は近代的な金融企業として大阪の有力な財閥となる。

 

これらの活躍により、広岡浅子は鈴木よね、峰島喜代子(尾張屋銀行、峰島合資会社の経営者)らと並び明治の代表的な女性実業家として名を馳せる。

広岡家、実家の三井家一門に働きかけ、三井家から目白台の土地を寄付させるに至り、1901年(明治34年)の日本女子大学校(現・ 日本女子大学)設立に導く。

 

日本女子大学校の発起人の一人であり、創立当初の評議員となる。

また夫(広岡信五郎)は女子大学校の創立委員の一人である。

 

 

 

 

 

 

 

 

<参考>広岡浅子(大同生命創始者のひとり)の名言・考え方

 

 

 

 

私は遺言はしない。普段言っていることが、皆遺言です。

 

 

 

 

 

男子も尚企てざる冒険的事業を敢て為したので、狂気扱ひにせられたことも度々でありました。

 

 

 

 

 

 

人間、何が幸いするか分かりまへん。こないな目に遭わなんだら、おそらく気いつかずに終わったと思いまっせ。万屋さま、さまどす。

 

 

 

 

 

これまでに倒産したとこは負けや。他人のせいやない。時代に乗り遅れて手も打てなんだのやろ。商いは、自力で勝つしかない。

 

 

 

 

 

 

 

貧しい人々の救済に働こうとするならば、自ら貧しい人々の生活に入り込んで、その生活の有様を見てきてはじめて、彼らを救う方針が立つのです。

 

 

 

 

 

日本の現在のもっともたいへんなところは経済です。富を得ることが必要です。富を得るには倹約よりも生産事業を起こすことが必要になります。

 

 

 

 

 

成功の秘訣は、その人に情熱があるかどうかにかかっている。

 

 

 

 

 

 

 

何でも初めから無理と思ったら、結果もそのようになります。無理でも目的を立てて、どうしたら完遂できるか、焦点を絞っていくことが大切です。

 

 

 

 

 

 

どうせ死ぬのなら、ひと戦してからや。

 

 

 

 

 

 

七転び八起き以上の“九転び十起き”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「株式会社T&Dホールディングス」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

 

 

1893(明治26)年 5月
太陽生命 創立
(創立当時の名称は名古屋生命保険株式会社)

 

1902(明治35)年 7月
大同生命 創立
(朝日生命、護国生命、北海生命の3社が合併、創立当初は株式会社)

 

1947(昭和22)年 7月
大同生命 相互会社として再発足

 

 

1948(昭和23)年 2月
太陽生命 相互会社として再発足

 

 

1999(平成11)年 1月
太陽生命、大同生命 全面的な業務提携を発表

6月
グループ名称を「T&D保険グループ」に決定

10月
国内投資顧問会社の合併(T&D太陽大同投資顧問(株))

生命保険に関する確認業務の統合(T&Dコンファーム(株))

 

 

2001(平成13)年 10月
太陽生命、大同生命が共同でT&Dフィナンシャル生命(旧東京生命)の株式を取得

システム部門の統合(T&D情報システム(株))

 

 

2002(平成14)年 4月
大同生命 株式会社に組織変更
東京証券取引所・大阪証券取引所に上場

7月
T&D太陽大同投資顧問と大同ライフ投信の合併(T&Dアセットマネジメント(株))

8月
リース事業の統合(T&Dリース(株))

 

 

2003(平成15)年 4月
太陽生命 株式会社に組織変更 東京証券取引所に上場

 

 

2004(平成16)年 3月
太陽生命、大同生命上場廃止

4月
株式会社T&Dホールディングスを設立、東京証券取引所・大阪証券取引所に上場
(太陽生命、大同生命、T&Dフィナンシャル生命はT&Dホールディングスの完全子会社となる。)

事務サービス会社の合併(T&Dカスタマーサービス(株))

 

 

2006(平成18)年 7月
グループ4社(T&Dホールディングス、太陽生命、大同生命、T&Dフィナンシャル生命)の本社機能およびT&Dアセットマネジメントを集結・移転

 

 

2007(平成19)年 1月
T&Dホールディングスが日本ファミリー保険企画(株)(ペット&ファミリー少額短期保険(株))を子会社化

3月
T&DホールディングスがT&Dアセットマネジメント(株)を直接子会社化

 

 

2016(平成28)年 1月
グループ3社(T&Dホールディングス、太陽生命、大同生命)の本社機能を東京都中央区日本橋に移転

 

 

2019(平成31)年 4月
ペット&ファミリー少額短期保険(株)が損害保険会社へ移行。社名を「ペット&ファミリー損害保険(株)」に変更。

 

 

2019(令和元)年 7月
T&Dユナイテッドキャピタル(株)の事業開始

 

 

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