一生ダイビングヘッド。~岡崎慎司(サッカー)名言集と軌跡~


新しいことに挑戦、チャレンジする人を応援したい。

私達日本人一人一人が、50cm前に一歩進むと、地球一周分に匹敵するのです。

それが、私の50センチ革命。

一人一人の個人が、一歩前に進むこと。

これが、新しい未来を生み出すのではないでしょうか。

元気になれる名言や格言、言葉や発言を「人物」にフォーカスしてご紹介いたします。

目の前にある、小さなものでも構いません。

新しい一歩を!

過去と他人は変えられない。

変えられるのは自分と未来だけです!

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Contents

■岡崎慎司(サッカー)名言集

「プロになって、日本代表になって、世界一のストライカーになる!」僕は小学生のとき、教室でそう宣言しました。だから、いまの僕を見て「夢を叶えたなぁ」と言ってくれる友だちもいます。確かに、日本代表になるという夢は叶えることができましたが、僕はまったく満足していません。

小学校4年まではディフェンダーでした。何故かFWに起用されることになったのは、たまたま同じチームのFWが引越しちゃったんですよ。それまでもセットプレーでは前に行くこともあったんで、じゃ、お前がFWな、って、そんなものでしたよ。そこでいきなりハットトリック。あの日の流れのまま来た感じですよね。

振り返れば、中学時代は県選抜にギリギリ呼ばれるくらいのレベルでしたから、日本代表に入れるなんて夢の夢でした。

全体練習が2時間だったとしたら、1時間はインサイドキックでのシュート。あとの1時間はヘディングシュート。クロスからのボールをシュートするというパターンが一番多かったです。ただしボレーシュート禁止令みたいな指令があって、『クロスは全部頭から行け』と言われました。それ以来、俺はダイビングヘッドが好きになりました。俺の今のサッカースタイルの原点はその時に育まれたんですよね。

代表で高校以来のキャプテンを任され、PKを失敗したかと思えばプレミアリーグでの今季2ゴール目が生まれた。これだからサッカー好きやわ。一喜一憂せず、どんなときも笑顔で一生懸命頑張ります!

世界に行ってサッカー観が変わりました。俺は上にいけばいくほど、そこの場所でも慣れていくタイプなんですよ。一歩一歩進んでいくのが俺のスタイルですね。エスパルスに加入して日本代表になれたのも、着実に前に進んでいける能力があるからじゃないのかな、と自己分析しているんです。

誰にも負けたくないんで。負けないためには練習するしかないし、練習すればうまくなる。ずっとその繰り返しです。

俺は、おごっていたわけではなかったんですが、ただ、監督の指摘は鋭いなと思いました。俺、みんなの前で怒られて、泣きじゃくってすごく恥ずかしかったんですが、1人になったときに『何がいけなかったのか』と反省するんですよ。俺は、言われたことを吸収してすぐにいい方向にもっていけるタイプだと思っているんです。受け入れて消化できるのは自分の長所。受け入れて消化して、よりいいものを見ていくしかないんですよね。

試合中に急に間延びすることもあるし、急にハイスピードになることもある。その展開の激しさについて行ける選手と行けない選手がはっきり区別されていく。特徴を持たない選手は苦労するな、とも思います。

体が疲れているとか、コンディションが悪いと思われた時に僕はそれを受け入れたくない。だって疲れていない人はいないから。自分自身が疲れを最大の原因にした時、成長が止まる気がする。見えるものも見えなくなると思う。

柔道の篠原信一さんが、シドニー五輪の大誤審について言ってた言葉に惹かれた。「負けはあの判定のせいじゃなく、あの判定で集中力が切れた自分の負け」って。こんな風に考えれるという事は、普段から絶対に人のせいにしないって事。僕も結果や判定を受け入れ、常に前を向いて行動していきたいと思う。

外国人の選手と勝負するには、このままJリーグで日本人と勝負をしているだけでは、何も変わらないんじゃないかと思った。海外でプレーすれば、何か違うものを得られるはずだという気持ちが強くなっていった。

同期の中でも僕が一番、先輩からいろいろと教えてもらっていたように思います。その理由は自分では分からない。でもきっと、何かを欲している、もがいているのが伝わったんだと思います。自分が上の立場になった今、壁を前に苦しんでいるように見える若い選手には、自然と声をかけたくなりますから。

僕が広い視野を持ち、パスセンスに優れ、もっと高い技術力のある選手なら、別の生き方ができたのかもしれない。だけど、僕はそうじゃない。だから、ストライカーとしてしか、生き残れない。ストライカーであることを選ばざるを得なかった。

夢を見るのは簡単です。大事なのは、夢を実現させるための目標を持つこと、そして、その目標をひとつひとつクリアすること。

いつも、「ここで一歩、二歩踏み出すことで、ボールがこぼれてくるかもしれない……」と信じて、走り続けています。苦しい時間帯に甘えてさぼってしまったら、試合が終わった後、必ず「あそこを走っておけば」と後悔することになるのがサッカーですから。

スペインへの憧れというか、強い興味がありましたね。これまでブンデスリーガとプレミアリーグで自分の価値を少しずつ高めてきて、ほかにも選択肢は当然あったと思う。でも一度しかない自分のサッカー人生で、違う自分の可能性を見てみたいと思ったんですよね。

ブンデスリーガもタフだと思うけど、もっと戦術的な役割分担がしっかりしていて、組織的でコンパクト。プレミアの激しさは、個々の能力と能力のぶつかり合い。

自分がTwitterやFacebookで呟いてる事が、同じような状況や苦しい状況に立たされている人に、何かの参考になればいいと思っています。その時、その瞬間にしか伝わらない事があると思っています。

日々の練習の中で「如何に全力を尽くす事ができるか」が凄く大事だと思う。

もちろん、1部からのオファーがあれば理想でした。ただ、マラガからオファーをもらった時に、それもアリかなって思ったんですよね。2部からスタートして、自分で這い上がって、トップリーグへの挑戦を掴み取るのもアリかなって。

自分一人ではここまで来ることはできなかったと思っています。

フォワードは、チームの勝利に直結する仕事をするポジション。わずかなチャンスでゴールを決めることが自分の評価を上げる。エゴイストになって要求することが当然だと思い至った。

削られるのも、つかまれるのも、ゴールできなくて非難されることも、ケガも、全部サッカー。

なにがいちばん大変だったかというと、”2部でプレーすること”を受け入れるのに時間がかかった点ですね。初めての2部で、ここで這い上がって1部に挑戦するための切符を掴み取るのはかっこいいと思ったし、キャリアの最後に崖っぷちから這い上がっていく姿を見せたいと思った。それは言葉にすればかっこいいんですよね。でも実際にそれを本当に受け入れてプレーするのには時間が必要でした。

僕はサッカーのサムライになりたいんです。

ドイツで暮らし始めて、日本との違いを感じる場面はたくさんあります。圧倒的に日本の方が便利ですよ。でも、「日本だったら……」と考えるとストレスばかりの生活になる。ドイツにも日本にない良いところはたくさんあります。だから、文化の違いと受け入れなければダメ。

負けは次の成長の糧になる。他人から見れば順風満帆かもしれないけど、常に負け続けてきた人生。勝ちきったあとの満足感を知らないんですよ。

無謀だという声があることも知っていますよ。でも、ゼロに近い目標でも掲げるのは自由だし、「やる」と言い続けることで達成される確率は上がると思う。それはどんな仕事でも同じですよね。

自分は追い込まれたときに燃えるタイプなので。オレよりも上がいっぱいいると感じると、それだけ昇り詰められると考える。

足元を見つめて、目の前のことに集中する。「今を生きる」という感じで、コツコツと積み重ねていくのが僕のスタイル。最初から「自分は弱い」というスタンスで臨み、自分が今やれることをやる方が力を出せる。

大切なのは、凝り固まった常識を捨てて、多種多様なプレーや選手の個性、地域の文化に順応できるかどうかです。

オレは子供のころから高い目標を立てるのが好きだった。手が届きそう、簡単に実現しそう……というのがイヤで。周りから「ムリやろ」と言われるぐらいのほうが燃えるタイプなんです。

次の日からチームメイトとくだらないことで笑いあったり、練習でどんどん声を出して盛り上げたりできるようになったんですよ。それでもう2部とかそういうのは頭から捨てなきゃいけない。それは今の自分には邪魔でしかないなって。今いるこの場所で、目の前にいるこいつらと競い合って、ポジションを掴んでやっていこう。それは今までやってきたことと何が違うのか。何も変わらないよなって。そこに2部とか関係ないんだって。変なプライドとか、やらなあかんという焦りとか、ネガティブな感情一切が吹っ切れて、ようやく言葉だけではなく本当の意味で、ここで戦う覚悟ができた瞬間でしたね。

僕は他の人の声や評価を割と気にかけるタイプ。自分だけの考えや世界で終わって、小さくまとまってしまうよりも、他人の意見がどんどん入ってきた方が、選択肢も増え、思考も柔軟になります。でも最終的には自分で自分を評価できなくてはいけないと思います。そして、自分を信じ、自身で決断しなければならないと考えています。

自分にとって、そういうジンクスを崩していくのが目標だと思っている。34歳で一度は2部でやって、でも自分で掴み取ったもの。プレッシャーというよりワクワクする。チャンスがもう一度きた。そうするために選んだ道でもあるので、乗り越えたい。1部でも二桁に到達するのが目標の一つ。でも、まずは1点取って(欧州主要リーグの)3カ国でゴールを決めるのが目標。自分のキャリアを一つずつ積み重ねたい。そういう楽しみがある。やればやるほど、自分がやってきたことが認められる。

夢を追いかけて、しぶとく生きていくのが、僕は大好きなんです。小さな課題や目標をクリアしながら、夢へ近づいていく。簡単に手にすることができないからこそ、夢というのは、大きな価値があるんです。

みんなと同じやと思うんですけど、自分のためやから頑張れるって気持ちでやってます。そういう環境にいさせてもらっていることへの感謝は常にありますが、どれだけ自分にフォーカスするか。自分の状態とか現実を受け止めたうえで今日、生きるためにどうやっていくか。そういうのはコロナの時も感じました。先が見えない中で頑張ることって、結局はその日家族と一緒にいて何を求めているかとか、いろんな課題を1つずつ乗り切ることで満足したり、毎日「これができたね」「できなかったね」を見つけて次できるようにしたりとか、少しずつ積み重ねていく楽しみを感じ、自分で超えていくしかないなと思います。どんな状況になっても。

批判されるし、非難されるし、野次も浴びるけれど、苦しんで苦しんで最後にゴール一本でそれを静まらせる快感を味わえる、M的仕事。そこが自分に合っている。

ニアサイドに飛び込んで、ダイビングヘッド!泥臭くても、カッコ悪くてもいいから、死にものぐるいでゴールを目指します。ボールは、追いかけてるヤツにだけ転がってくる―。僕はそう信じていますから。

ここまで来たら、もう、やるしかない。ガムシャラに、死にものぐるいで、ボールを追いかけるだけです。極端な言い方かもしれないけど、勝つことがすべて。いいサッカーをしても負けたら何の意味もないし、惜しい試合だったねという評価には、何の値打ちもないですから。

僕はサッカー、ヘタなんで。自分がうまいと思ったことは一度もないんで、練習するしかないんです。ただ、どんなに高く見える壁でも、乗り越えられない壁はない。もし、僕に一つだけ才能があるとしたら、それは、何があっても絶対にあきらめないという才能だと思っています。

誰にも負けたくないんで(笑)。負けないためには練習するしかないし、練習すればうまくなる。ずっとその繰り返しです。世界一にならない限り、自分自身に勝ったことにはならないんで、あきらめずに挑戦し続けます。

一生ダイビングヘッド。

■岡崎慎司(サッカー)とは?

岡崎慎司。

1986年生まれ、兵庫県宝塚市出身。

母は元テニス選手で、高校時代にインターハイにおいてダブルスおよび団体戦優勝を経験している。

三田市立けやき台小学校2年生の時に兄に影響されサッカーを始めた。

中学の時はクラブチームの宝塚ジュニアFCと三田市立けやき台中学校のサッカー部でプレーし県選抜に選ばれた。

中学卒業後は兵庫県の強豪である滝川第二高校に進学した。

1年時からレギュラーを獲得し全国高校選手権では3年の兄・嵩弘と2トップを組んでベスト4に入った。

3年目の全国大会ではキャプテンを務め、同期の木島悠、1年後輩の森島康仁と攻撃陣を形成していた。

2005年の高校卒業時、神戸と清水の2クラブから声を掛けられたが、「レベルの高いところでプレーしたい」という本人の意向から、清水エスパルスに加入。

加入当時の長谷川健太監督による評価は「FW8人の中で8番目」であった。

2006年元日の天皇杯決勝で公式戦初先発。

サテライトで着実に結果を残し、2007年シーズンにはトップチームで主にMFとして起用され、リーグ戦で5得点を決めた。

2008年シーズン序盤は途中交代での出場が多かったが、短い出場時間の中で得点をあげ、シーズン途中からはFWの軸として先発で起用されるようになり、目標としていた年間10得点を記録し、清水のエースと目されるようになった。

2008年9月にA代表に初選出され、10月9日のキリンチャレンジカップ・UAE戦にトップ下でスタメン出場しA代表初出場を記録。

2009年1月20日アジアカップ予選のイエメン戦で代表初得点を決め、6月6日のW杯アジア最終予選のアウェーウズベキスタン戦では、日本の4大会連続のワールドカップ出場を決める決勝点を挙げた。

10月8日のアジアカップ予選、対香港戦およびその約一週間後に開催されたキリンチャレンジカップのトーゴ戦ではハットトリックを記録した。

この年、代表では計16試合に出場し15得点をあげ、国際サッカー歴史統計連盟により世界得点ランキング1位に選出された。

2009年は新加入のフローデ・ヨンセンがFWの軸となり、岡崎はFWまたはサイドハーフで起用され、リーグ戦全34試合を含め公式戦41試合に出場した。

またJリーグアウォーズでは、清水からは10年振りとなるJリーグベストイレブン選出を果たした他、優秀新人賞を受賞し、新人王の受賞資格を得たが、既にプロ5年目で十分な実績を持つ岡崎の選出は物議を醸し、新人王選出基準の見直しが行われるきっかけとなった。

日本代表は2010年に入ってからは、6月4日の親善試合コートジボワール戦までのA代表全10試合のうち8試合でスタメンとして起用されたが、3月3日のアジアカップ最終予選バーレーン戦での1得点のみと結果を出せず、ワールドカップ・南アフリカ大会直前になってレギュラーからサブに降格となった。

本大会では全4試合に右サイドハーフとして途中出場し、グループリーグ第3戦のデンマーク戦では、後半42分に本田圭佑からのパスを受けてワールドカップでの自身初得点を決め、日本代表の決勝トーナメント進出に貢献した。

ワールドカップ後に代表監督に就任したアルベルト・ザッケローニが初めて指揮をとった10月8日のアルゼンチンとの親善試合では決勝点を挙げ1-0での勝利に貢献した。

2010年シーズンはJ1第2節山形戦において、後半43分にシーズン初得点をあげた直後、相手選手と交錯し肘が口を直撃して前歯二本が根本から折れ曲がり負傷退場し次節も欠場するが、リーグ戦31試合に出場し13得点を挙げた。

2011年1月17日の日本代表、アジアカップグループリーグサウジアラビア戦で代表として自身3度目のハットトリックを達成した。

この記録は三浦知良に並び歴代2位タイ。

同年3月29日に開催されたチャリティーマッチ「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」では、本田からのアシストで2点目を決めた。

2011年1月30日、ドイツ・ブンデスリーガのVfBシュトゥットガルトが推定年俸130万ユーロ(1億4500万円)の3年半契約で岡崎を完全移籍で獲得したと発表した。

同年2月17日、UEFAヨーロッパリーグ出場、ベンフィカ戦に左MFでフル出場デビュー。

2月20日、ブンデスリーガ第23節バイエル・レバークーゼン戦で先発出場し、ブンデスリーガデビューを飾った。

5月6日のハノーファー96戦では決勝点となるブンデスリーガ初ゴールを決めた。

最終節のバイエルン・ミュンヘン戦でも得点を挙げチームの1部残留に貢献した。

2011-12シーズンは、主に左MFで起用され前半戦は3得点を挙げたが、サブに回ることも多かった。

後半戦は2月に3試合連続得点を記録し、2012年2月19日のハノーファー戦で決めたバイシクルシュートがドイツのテレビ番組で2月の月間最優秀ゴールに選出された。

しかし、以降は怪我もあり2桁得点には届かなかった。2012-13シーズンは、リーグ戦わずか1得点にとどまった。

日本代表では、2013年2月6日のキリンチャレンジカップ・ラトビア戦で、三浦知良の記録を抜く日本代表最速となる代表通算30得点を突破した。

2013年6月25日、1.FSVマインツ05に3年契約で完全移籍。移籍金は150万ユーロとされる。

シーズン当初はシュツットガルト時代と同じく左サイドハーフで起用されていたが、第10節のアイントラハト・ブラウンシュヴァイク戦で1トップとしてスタメン出場すると、ドイツに渡って以来自身初のマルチゴールを記録した。

12月21日、第17節のハンブルガーSV戦では2ゴール1アシストの活躍を見せ、ブンデスリーガの公式HPでは、三度目のマン・オブ・ザ・マッチに選出された。

1月6日、ドイツ誌の『キッカー』はブンデスリーガのポジション別ランキングのFW部門で、前半戦を16試合8ゴールで終えた岡崎を8位に選出した。

4月19日、ドルトムント戦で香川真司がドルトムント時代の2011-12シーズンに記録したブンデスリーガの日本人最多得点記録となる13得点に並び、4月26日のニュルンベルク戦で日本人最多得点記録を更新。

最終節の5月10日のハンブルガーSV戦でも得点を重ね、最終的にマインツのクラブタイ記録、清水時代を含めても自身のキャリアハイとなる15点までシーズン得点を伸ばし、2013-14シーズンを終えた。

またこの活躍によってドイツオンラインメディアSPOXによる年間ベストイレブンにも選出された。

日本代表では、2014年3月5日、国立競技場改装前のニュージーランド戦で2得点をあげ、原博実を抜き歴代3位の38得点となった。

同年6月に開催された2014 FIFAワールドカップでは全試合スタメンで起用され、第3戦コロンビア戦では一時同点となるゴールを決めるも、チームは敗れグループリーグ敗退となった。

2014-15シーズンのリーグ開幕戦SCパーダーボルン07では1得点をあげてドイツ誌の『キッカー』のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。

第3節のヘルタ・ベルリン戦では2得点を決め、この得点で奥寺康彦の日本人のブンデスリーガ最多得点記録を更新した。

第25節のFCアウクスブルク戦ではシーズン10得点目を挙げ、2シーズン連続の2桁得点をあげた。

第29節SCフライブルク戦では2得点をあげるなど、最終的にリーグ8位タイとなる12得点を決めた。

日本代表では2015年3月27日、キリンチャレンジカップ・チュニジア戦でA代表90試合目の出場となり、三浦知良の89試合を上回りFWではAマッチ最多出場者となった。

2015年6月26日、イングランド・プレミアリーグのレスター・シティFCに移籍金13億円4年契約で移籍。

同年8月8日の開幕節サンダーランドAFC戦で2トップの一角として先発出場を果たすと、8月15日に行われたプレミアリーグ第2節の敵地ウェストハム戦にてプレミアリーグ初ゴールを決めた。

1月10日に行われたFA杯3回戦トッテナム戦でFA杯初ゴールをあげた。

2016年3月14日のプレミアリーグ第30節ニューカッスル・ユナイテッド戦では、前半25分に本拠地キング・パワー・スタジアムでの初ゴールをオーバーヘッドキックで決め、1-0の勝利をもたらした。

そのゴールは世界中で話題となり、イギリスメディア『BBC』のサッカー番組『マッチ・オブ・ザ・デイ』で、3月の月間ベストゴール候補に入り、ファン投票で2位にランクインした。

その後も同じポジションのジェイミー・ヴァーディと比べると得点は少ないが、豊富な運動量でチームに貢献し、英放送局『Sky Sports』は「影のヒーロー」と評価している。

5月2日に行われた試合で2位のトッテナムが引き分けたため、クラブ創設132年で初のプレミアリーグ優勝という歴史的なメンバーの一員となった。

また、岡崎にとってはJリーグ時代やブンデスリーガ時代には獲得出来なかった、初のクラブリーグタイトルとなった。

日本代表では、2016年3月29日、2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選シリア戦で日本代表では5人目となる国際Aマッチ100試合出場を達成。

2016-17シーズン、9月20日のEFLカップ3回戦チェルシーFC戦では、2得点をあげる活躍を見せるもチームは2-4の末敗れた。

10月18日、欧州CL第3節のFCコペンハーゲン戦で後半から途中出場してCL初出場を果たした。

10月22日、プレミアリーグ第9節のクリスタル・パレス戦ではシーズン初得点を決めた。

11月22日、欧州CL第5節のクラブ・ブルージュ戦ではCL初得点を決め、CLの決勝トーナメント進出に貢献した。

決勝トーナメントではベスト8に進出するも、アトレティコ・マドリード戦では2試合とも前半で交代し、チームも1-2で敗れて敗退した。

5月13日の第37節マンチェスター・シティー戦では、ボレーシュートを決めるもチームは1-2で敗れた。

2017-18シーズン、アーセナルFCとのリーグ開幕戦で新シーズン初得点を決めた。

第2節ブライトン戦にて開始52秒で先制点を決め、2試合連続ゴールを記録した。

9月19日、カラバオ・カップの3回戦・リヴァプール戦では1得点1アシストの活躍で勝利に貢献した。

12月13日、吉田麻也との日本人対決となった第17節のサウサンプトンFC戦ではお互いに先発出場し、2得点をあげる活躍を見せて4連勝に貢献した。

なお、対戦相手の吉田も1得点しており、この試合はプレミアリーグの歴史で初めて複数のアジア人選手が得点した試合となった。

前半戦で6ゴールを記録するもその後は負傷欠場が続き、2桁得点はならなかった。

2018-19シーズンでは、開幕からレギュラーを掴めなかった。

2月に就任したブレンダン・ロジャーズ監督のシステムの下では出場機会に恵まれず、シーズン終了後に契約満了によりレスターを退団すると、本人が明言した。

2019年9月4日、セグンダ・ディビシオンに所属するSDウエスカに1年契約(延長オプション付き)で入団した。

9月8日、第4節のスポルティング・デ・ヒホン戦で途中出場からスペインデビューを果たした。

9月28日、第8節のジローナFC戦で移籍後初ゴールを決めた。

2月29日、第30節のエストレマドゥーラ戦ではリーグ戦初の1試合2得点を決めた。

7月2日、第37節のラス・パルマス戦でも得点を決め、スペイン1年目で二桁得点を達成した。

7月17日のCDヌマンシア戦ではヒールキックでシーズン12点目のゴールを決めチームの勝利に貢献。

そして7月20日の最終節でスポルティング・デ・ヒホンに勝利したため首位に浮上し、セグンダ優勝を果たした。

岡崎自身はリーグ戦12得点を記録し、チーム得点王として優勝に大きく貢献。

シーズン終了後に行われたSNSでファン・サポーターが選ぶクラブ年間最優秀選手とヌマンシア戦のヒールでのゴールがウエスカ年間最優秀ゴールに選ばれた。

7月25日、ウエスカと1年間の契約延長に合意した。

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