恋するように仕事をする。
「自分を磨く」とは、センスを磨くこと。
お客様のわがままからヒットの花が咲く。
結婚適齢期だった20代は、母が経営していた洋裁学校を手伝うのと、自分の夢であるブライダル事業の二足のわらじで、目が回るほどの忙しさ。
色々なファッションがある中でブライダルに特化するというのは、ビジネス的には損なことなんです。
花嫁のためなら、とにかくなんでもやる。それが私たちの歴史。
家庭といっても、夫婦に限らず、ご両親であっても親戚であっても、心の支えとなる家族の存在があってこそ、クリエーターとしてより力が発揮できると思うのです。
花嫁に「ノー」を言わないこと。それは社訓でもあるのです。
もしも、あなたが夢とほど遠い現実を生きているなら、それはチャンス。夢のパワーを自分の中に溜め込み、高めるための準備期間なのです。辛い現実の中で夢を抱き続けてきた私が言うのですから、間違いはありません。
世界基準の女になる。
和装婚がほとんどでウエディングドレスを着る方が3パーセントしかいなかった46年前の日本で、先を見越し、ウエディングドレス専門の事業を手がけた起業家(パイオニア)などと紹介されることが多いのですが、とんでもありません。その3パーセントの方々が気の毒で、何とか役に立ちたいと社会事業のつもりで始めたというのが本当のところです。
万年少女ってあだ名が付いてるの。
「才能」とは英語でギフト、贈り物という意味があるように、『神がその人に与えた贈り物』です。しかし、「センス」は神からの贈り物ではありません。
お嫁さんが自分の妹だと思ってやってる。一生に一度だから失敗は許されない。
多くのカップルの結婚式をお手伝いしてきましたが、私自身の結婚は42才の時。
婚姻率が下がって、地味婚、ナシ婚…。もうお手上げよ。
挑戦していく「未来志向」の仕事、これこそ私自身がデザインしなければならないと思っています。
ドレスによって女性が魔法のように綺麗になれたらといつも願っています。
夢はお城のように ビジネスは岩のように。
行き詰まったら、自分で道をつくればいい。
夢と現実の間に橋をかける。
桂由美。
ブライダルファッションデザイナー、実業家。
本名:結城 由美(旧姓:満生)。
式会社ユミカツラインターナショナル社長、株式会社桂由美ウエディングシステム社長、一般社団法人全日本ブライダル協会会長、全米ブライダルコンサルタント協会名誉会員、アジアブライダル協会連合会会長、NPO法人地域活性化支援センター理事、アジア・クチュール協会創立メンバー。
1932年、東京生まれ。
おとぎ話や絵本が好きで、戦時中でも白馬の王子様や美しいお城が現れる世界が頭の中を占めていたという。
母は洋裁学校を営んでおり、長女である由美に家業を継いでほしかったらしいが、「洋裁が苦手なので全くその気はなかった」という。
一時期演劇にのめりこむが、才能の限界を感じるようになり、芥川比呂志の言葉もあって大学進学を決意。
共立女子大学卒業後、フランスへ留学。
「Les Ecoles de la Chambre Syndicale de la Couture Parisienne」でデザイン、クチュール技術を学ぶ。
留学した際、ウェディングドレスに身を包んだ花嫁の姿を見て、ブライダルに特化したデザイナーになることを決意。
1964年日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動開始。
日本のブライダルファッション界の第一人者であり、草分け的存在。
美しいブライダルシーンの創造者として世界22カ国の各国首都でショーを行うイベントを通じてウエディングに対する夢を届け続け、ブライダルの伝道師と言われる。
数々の有名人婚礼衣装デザインも手掛けている。
1993年に、ローマ法王へ祭服を献上。3か月後の復活祭で着用される。
1999年、東洋人初のイタリアファッション協会正会員となり、2003年からは毎年パリオートクチュールコレクションに参加。
2005年、YUMI KATSURA PARIS店をパリのカンボン通りシャネル本店前にオープン。
2011年10月ニューヨークにてユミカツラニューヨークを発表、販売を開始するなど世界的な創作活動を展開。
非婚化・少子化に歯止めをかけようと、地域ぐるみでカップルを祝福する「ふるさとウエディング」の提唱、「恋人の聖地」制定、「プロポーズの言葉コンテスト」なども行っている。