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真矢ミキの「大切な」言葉たち~真矢ミキの名言・人生・生き方など~


真矢ミキの「大切な」言葉たち

宝塚で鍛えられたおかげで、今も忠告や批判を素直に受け止められているな、と感じます。退団後にこそ、伝統のありがたさを実感しています。

今の仕事が何か違うと思っても、その状況の中で自分のポジションを探してみる。そうすると必ず何かがみえる。

未完成だから、新しいことにチャレンジできる。

私は(宝塚で)男として育ったので、美を意識するというよりは、舞台に出るための体力のことばかりを考えていた。

私に優れたところがあるとすれば、それは決して「あきらめない」こと。

宝塚歌劇団を退団した後、元男役の私にやってくる役というと、ハイヒールでカツカツと歩くようなバリバリのキャリアウーマン役がほとんどでした。だから撮影以外のところでもそういう女性でいなきゃいけないと、常に気を張っていたんです。それがこの朝の番組によって、私のダメなところも全部放送されるようになった(笑)。すると以前とは違う、人間味のある役のオファーが急に増えたんです。それは本当にありがたいことですし、意外なことでしたね。大人になってから勇気を出して一歩踏み出すと、逆に開眼することがあるんだなって。あのまま番組をやらないでドラマだけをやっていたら、今頃、全然違うタイプの女優になっていたでしょうね。

男役が舞台で輝くのは、それを引き立てる娘役のおかげ。だから、娘役は大変なんです。お客様が夢を見るには、娘役の役割がとても重要です。

各ジャンルの方によって切り口が違うんですよね。それで、全部自分が出ようとするのではなく、できる人ができることをやればいいんだと思うようになって…。若い頃だったら、自分の打ち出しが弱いんじゃないかとか、楽して仕事をしていないか、と思いがちだったけれど、今は、自分以外のそれぞれの分野のプロフェッショナルの方たちが、突き進んでくれたらいいんじゃないかな、と思うようになりましたね。

役者の仕事は、演技を通じて人の心を動かしていくこと。明日への希望を感じてもらえる女優を目指して、挑戦を楽しんでいこうと思います。

一生が終わるころに、納得いくシーンが1つや2つあれば良いんじゃないかと思うくらい、そんなに簡単な世界ではないんです。私も最後の最後の生きている日までそういうのを追い求めると思うんです。納得なんかいかない。でもそれがロマンと言うか、また夢を見たくなるというのがあるんです。だから役者を頑張れるんですよね。

大人になるととかく型にはめたくなって、『いえ私は大丈夫です』なんて言いがちなんだけど、そうじゃなくて、逆に自分の中についた余計なものを削ぎ落としていきたい。大人になっても、『こんなくだらないサビがまたついちゃった』なんて笑いながら、自分の力で落としていきたいな。人生の後半は、そんな気持ちで生きるのはどうだろうって、今思っていますね。

落ち込むときもありますよ。毎日、紆余曲折ありますよね。でも、大人になると、対人関係でも、自分を変えてみようかな、と思うときもあって…。そうしたら、すごくいい関係になれたんです! 自分って、変わろうと思ったら変われるんだな、って思いましたね。

人が導いてくれた偶然性も大事にしていますね。私、逆らわないことにしているんですよ。やってきた波には乗ってみる。親が転勤族だったからかもしれないけど、郷に入れば郷に従ってきた。好きな言葉は、『流れる水は濁らない』。仕事の仕方も流動的でありたいと思うし、毎日同じ仕事をするよりは、違う仕事をしたほうがいい。水みたいに生きたいんです。

真矢ミキとは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

真矢ミキ。

旧芸名・真矢みき。本名、西島美季(にしじまみき)、旧姓、佐藤。

父方の祖父、佐藤宇吉は山形県庄内町廻館の大店呉服店の跡取りで、低価格運賃を売りにしたバス会社を設立した人物。

祖父は生来の放蕩癖と世界大恐慌が原因で真矢の父が4歳の時に彼の方から離縁を言い渡した。

真矢の父は貧しい生活の中、自ら働いて大学の進学資金を稼ぎ、進駐軍譲りの英語力を買われ民航空運公司に入社、その後、KLMオランダ航空のディスパッチャーを経て設立直後の東亜航空、最終的には日本エアシステムの重役へ、と航空業界を渡り歩いた。

母方の実家は現在の大成建設の下請けとして日本の鉄筋コンクリート造りの創成期から鉄筋コンクリート専門の工務店をしており、横浜競馬場などを建設している。

真矢は4歳まで広島市で育ち、父親の転勤により各地を転々、中学校卒業まで8回転居した。

中学校の三年間が大阪府豊中市育ち。

「日舞を習いたい」と中学時代から宝塚コドモアテネに通う。

大地真央への憧れから豊中市立第二中学校卒業後、1979年に宝塚音楽学校に入学。

1981年、67期生として宝塚歌劇団に入団。

入団時の成績は21番。

同期には女優の北原遥子、黒木瞳、涼風真世、毬藻えり、幸風イレネ、梨花ますみがいる。

初舞台当初から注目を集め、歴代花組トップスターに勝るも劣らぬ個性派スターとしての道を歩み、特に1992年から1995年にかけては2番手ながらトップである安寿ミラとほぼ同等な扱いを受け、芝居・ショーともに活躍。

安寿との男役同士のコンビは当時呼び物となった。

1995年、安寿の退団により『エデンの東』で花組トップスターに就任。

相手役には純名里沙。

純名の退団後は千ほさちを相手役に迎えた。

長髪のヘアスタイルやナチュラルな舞台メイク、独特の着こなしや、退団直前につんく♂プロデュースによる日本武道館でのソロコンサートの開催、篠山紀信撮影による写真集の出版など、宝塚に新しい風を積極的に吹きこみヅカの革命児とまで言われた。

1998年10月5日、『SPEAKEASY』東京公演千秋楽をもち宝塚歌劇団を退団。

宝塚退団後に鳴り物入りで芸能界入りしたが、38歳のときに事務所から戦力外通告。

どん底を経験する。

知人からリクルートスーツを借り、自ら『踊る大捜査線』のオーディションを受けた。

そして、2003年、このオーディションを這い上がり、念願の芸能界復活を果たした。

2008年7月1日にブログでバレエダンサーの西島千博と結婚することを発表、2009年4月4日、明治神宮で挙式。

2009年には第20回日本ジュエリーベストドレッサー賞を受賞。

2011年には第28回ベストジーニスト2011協議会選出部門を受賞。

2012年、踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望の沖田仁美役で出演。

2013年、第7回アンチエイジング大賞受賞。

2015年から白熱ライブ ビビット司会に抜擢。

2016年、『ドラマティック古事記?神々の愛の物語?』で夫の西島と初共演を果たす。

2016年、ネイルクイーン 2016・協会特別賞受賞。

2017年、「高等学校卒業程度認定試験」合格。

2019年、Diner ダイナー、無礼図(ブレイズ)役で出演。

arashidaisuki