府中に世界企業?!

府中市にある五藤光学研究所はご存知でしょうか。

1959年に国産初のレンズ投映式プラネタリウムを開発した会社で、世界屈指のプラネタリウム開発・製造会社なんです。

なんと世界シェア40%近くを誇っているそうです。

 

 

 

 

株式会社五藤光学研究所とは?

 

 

株式会社五藤光学研究所は、プラネタリウム、大型映像投影機および天体望遠鏡の製造会社。

主力商品のプラネタリウムにおいて世界シェアの約40%、国内シェアの約66%を占めるトップメーカーです。

プラネタリウム、アストロビジョンやウルトラ70など大型映像投影機用の映像作品も制作。

映像を映し出す装置だけでなく、映像や音などを制御する際に使う制御盤、3DCGなどの映像データを処理するコンピュータ機器など、プラネタリウムを楽しむために必要なもの一式をシステムとして提供しています。

 

それ以外にも、プラネタリウムで映す番組など、コンテンツも制作、さらに最近では、仙台市天文台、盛岡市子ども科学館、北九州市立児童文化科学館といったプラネタリウム施設の運営・支援まで手がけています。

 

 

 

 

 

五藤光学研究所の特徴・強み

 

 

■ ハイブリッド・プラネタリウム

 

光学式プラネタリウムと全天周デジタル映像システムが渾然一体となって体系化されたシステムで、光学式投映機による精細な表現力と全天周デジタル映像システムによる迫力ある映像を融合した、五藤光学研究所の次世代プラネタリウムです。

現在では、1億4000万個を超える恒星の投映を実現する「ケイロンⅡ・ハイブリッド」のほか、高輝度LED光源を採用した「パンドラ・ハイブリッド」「クロノスⅡ・ハイブリッド」を開発し、国内外に納入しています。

 

■ 大型望遠鏡

 

1923年、天体望遠鏡メーカーとして創業以来、より遥か遠くの宇宙を伝えるため、大型望遠鏡を開発・製造しています。

光学設計、レンズ研磨は「ものづくり」で培った長年の技術力で優れた品質を生みだしています。

 

 

■ ドーム映像(展示・博覧会映像)

 

 

1970年の大阪万博で世界初の全天周映像を実現以降、ドーム映像にとどまらず、特殊な形状のスクリーンや高解像度が求められる特殊な映像空間を手がけています。

ドームスクリーンに映像を継ぎ目なく投映する映像技術は40年以上にわたる展示・博覧会映像のノウハウの蓄積は、様々なプロジェクトにも対応が可能です。

 

 

 

 

 

創業者・五藤齋三とは?

 

 

株式会社五藤光学研究所の創業者は五藤齋三氏。

その家系は、代々土佐山内家(山内旧侯爵家)の家老職を勤めた家の分家にあたります。

本家は高知県安芸の城主であり、現在でもその末裔のご自宅が高知城の堀端に現存しています。

本家初代の弟である五藤三郎右衛門から数えて十二代目が五藤齋三氏です。

齋三氏が十九歳となる明治四十三年(1910年)、ハレー彗星が地球に最接近しました。

 

その当時、まだ〝天文〟は特殊な学問ではあったものの齋三氏は異常なまでの興奮を覚えて〝天文〟に興味を示したそうです。

そしてある日、書店で『星学(須藤伝次郎著)』を発見し、一生懸命にむさぼるように読んだといわれています。

その後、様々な仕事を経験した後、大正八年(1919年)に日本光学株式会社に入社。

その後、大正十五年/昭和元年(1926年)に日本光学を退社し、9月1日、小型天体望遠鏡の製造会社として株式会社五藤光学研究所を創立しました。

 

世田谷区三軒茶屋自宅に於いて個人経営として創業。

有効径25mm焦点距離800mm単レンズの屈折望遠鏡を発売。

当時高価であった天体望遠鏡を一般に普及させるために、齋三は全国の師範学校の校長や理科の先生、天文台などの職員に問い合わせを行い、当時の値段で30円~40円で販売することにしたため、口径三十ミリの単レンズを二十五ミリ(1インチ)にして、鏡筒はボール紙に白ペンキを塗った簡単なものだったそうです。

1963年(昭和38年)現在の府中市(東京都府中市矢崎町4丁目16番地)に移転し、現在に至っています。