新しいことに挑戦、チャレンジする人を応援したい。
私達日本人一人一人が、50cm前に一歩進むと、地球一周分に匹敵するのです。
それが、私の50センチ革命。
一人一人の個人が、一歩前に進むこと。
これが、新しい未来を生み出すのではないでしょうか。
元気になれる名言や格言、言葉や発言を「人物」にフォーカスしてご紹介いたします。
目の前にある、小さなものでも構いません。
新しい一歩を!
過去と他人は変えられない。
変えられるのは自分と未来だけです!
Contents
■原晋(陸上・駅伝・マラソン・青学監督)名言集
私は実業団時代に選手として、存在価値を認めてもらえなかった。その悔しさをバネに、原という男に仕事をさせたら、ちゃんとやると証明したかった。
大学時代、1、2年はパチンコと飲み会に明け暮れ、3年で日本インカレ5千メートル3位という結果こそ残したものの、希望した実業団からは門前払い。中国電力では捻挫をきちんと治療せず、監督とは衝突してばかり。結局、大学でも実業団でも覚悟の度合いが足りなかったのだと思います。高校進学のときのように、覚悟を持って自ら選んだ進路ではなく、他人に言われ、なんとなく決めた道ではいけなかったんです。
私は営業マン時代にいろいろな会社を訪問する機会があり、それらの会社が掲げる社訓をたくさん見てきました。学んだのは、「長いのはダメ」ということです。長い社訓は、理解するのにも覚えるのにも時間がかかります。それでは結局、浸透しない。そう思い、様々なフレーズを考える際には、短くわかりやすくすることを心がけています。
空調機器の省エネを実現するエコ・アイス(氷蓄熱式空調システム)を小学校に売り込んだとき。そもそも小学校には夏休みがあって、夏本番の時期にはエアコンを使わない。そんな相手にどうやってエコ・アイスを売ったかというと、エコロジーについて子どもたちに知ってもらうための「教育資材」として提案したんです。屋上には太陽光パネル、地上にはエコ・アイスを取り付け、節電効果をグラフで目に見えるようにするとともに、さらに私がエコに関する出前授業をするという話を持ちかけたところ、中国電力管内ではじめて小学校に導入してもらえることになりました。私の営業の極意は、自分のメリットだけでなく、相手にとってどんなメリットがあるかを考えて提案することにあります。要は、「ウイン・ウイン」の世界です。
「青学陸上部の長距離監督にならないか」と声をかけられた私は、会社を辞めて退路を断ち、広島から妻と2人で上京しました。当時の青学陸上部は箱根駅伝出場など程遠い弱小チームで、決して意識の高いメンバーが集まっていたわけではなかった。そんな学生たちに毎月、目標を立てさせ、達成する方法を考えさせ、A4用紙に書かせました。月末に達成度を自己評価させて、反省点と課題点を明らかにし、翌月の目標につなげる。その積み重ねが小さな成功体験を生み、学生は成長する楽しさを味わった。すると「もっとやりたい」という自主性が生まれます。
通常、陸上界で頑張った方が監督になるのが一般的な流れだと思うんです。だけど、私は10年間、普通のサラリーマンをしていました。世の中があって陸上界があることを知っている。世の中を経験させていただいたことが、今、陸上界で新しい風を吹かせていることにつながっている。私にすれば、普通のことをやっているだけなんですけどね。
私はいつでも、みんながハッピーになる選択をします。上下関係にこだわるより、もっと本質を議論し、世羅高校が勝つために、先ざきの予測を立てて今やるべきことを考える、それが大事だと信じていました。際立った選手のいない私たちの学年は監督から『駄馬軍団だ』と言われてね。だから、チームの体制づくりから始め、自分たちでルールを決めて練習に励んだのです。
成果を得るにはまず基礎を身に付ける必要がある。陸上競技にとって、規則正しい生活は、数学でいえば四則計算のようなもの。
就任した当初は怒ったこともありましたけど、今は怒るよりも諭すことが多くなりました。チーム全体を俯瞰で見ているのは監督ですから、感情的に怒るよりも言葉でじっくり諭したほうが部員の心に響くものです。
私の理想は、監督が指示を出さなくても部員それぞれがやるべきことを考えて、実行できるチームです。つまり、指示待ち集団ではなく、考える集団。言葉にするのは簡単ですが、考える集団をつくるには、土壌づくりと同様に時間が必要です。私が最初に取り組んだのは、「相談できる人」に育てることです。相談するとはどういうことかを部員に教えることから始めました。
今の若い子は私たちの世代より頭がいいので、監督が「教えてやる」という態度は通用しません。いくらでも情報を得られる世代ですからね。たとえば私がサッカーの指導者で、古典的な戦術を教えても、選手たちはネットで欧州のリーグで使われている最新の戦術を調べられます。監督の仕事は教えるのではなく、選手の意識づけ、動機づけを行うことなのです。
暗いは暗い子で、それが一つの特徴だと思いますので、逆にこちらが明るくさせるように指導教育をすればいい話だと思います。
「こんな練習をしたい」と提案してきた選手に、ハナから「そんな練習はダメだ」と言ってしまえば、もう二度と自分から提案することはないでしょう。私自身、自分の情報だけで指導していては、私のキャパシティ以上の組織にはならないと思っています。だから、選手からの提案はよく聞き、「なるほど、そうだよね」とまずは肯定するようにしています。それから、「でもね、これこれこういう理由で、半年ぐらい様子を見てから始めたほうがいいと思うけれど、どう思う?」といったやり取りをします。
日本の教育自体が100点を満点にして、これができなかった、あれができなかった、これこれダメだった60点、じゃぁ40点どう埋めるか…、本来私嫌いですね。
古い常識を打ち破り、強いチームを作るコツは同じベクトルを共有すること。私の指導方針の柱の一つが「考える集団を作る」こと。指導者が提示する目標や練習メニューに従わせるのではなく、選手自身が個人とチームの目標を設定し、やるべきことを決め、グループで話し合う。ベクトルを共有し「強くなるために、何をするべきか」を自ら考え、取り組めるようになれば、結果はおのずとついてくる。
個別練習を週に3回取ることで毎回異なる状況下で走る。陸上選手にとっては自ら考え戦略を練ることが可能になる。
人間は生まれも育ちも不公平だが、たったひとつ公平なものがある。それは、1日24時間という有限で貴重な「時間」という資源だ。時間をいかに有効活用するか。時間との戦いである陸上競技での勝敗はこの1点で決まる。
ときには業界の常識を疑うことも必要。選手時代、やみくもにグラウンドを走っている選手が「練習熱心」「真面目」と賞賛され、私のように「今日は疲れがピークに来ているから、早めに切り上げよう」といった思考を持つ人間は、「要領のいいヤツ」といった烙印を押されたものですが、いまだに気合と根性論の練習法がまかり通っている。でも、練習の目的を理解しないまま、ダラダラと長時間走っても、結果を出せるわけがない。これはビジネスも同じ。
業界という小さな世界に固執して、大きな世界の流れを直視しないと、時代遅れどころか手遅れ。新しい発見やアイデアは外と交わることで生まれます。
16人の学生は8学部に在籍して、12都道府県、15校の出身者からなる。強くなりたいと青学の門をたたいてくれた。それに幼稚園から大学まで青学がワンチームで戦っている。箱根を通じて証明したい。
私はグラウンドで選手たちに背中を向けていても、走る足音を聞くだけで『どの選手』で『今、どんなコンディション』なのか、ハッキリ区別できますよ。“嗅覚”を研ぎ澄ますことで選手の変化を早目に察知し、事故やトラブルを未然に防ぐ。企業の管理職に求められる危機管理能力と同じです。
まず変える必要があるのは、中高ジュニアがやっている体操(補強運動、ストレッチ)です。陸上競技のための体操がずいぶん進化しているのに、中学校や高校でやっているのは昔と変わっていない。さすがにウサギ跳びはなくなりましたが、腕立て、腹筋、背筋といった補強運動を陸上部でもサッカー部でも同じようにやっているのはおかしいですよ。陸上に関して言えば、やればやるほどダメなのが腕立て伏せ。肩甲骨まわりの筋肉を鍛えると、ロボットみたいな腕の振りになる。本来やるべきなのは、腕がスムーズに振れるようになるための体操なのです。試合で監督が「腕をもっと振れ?!」と声援を送っているのに、日ごろの練習では腕の可動域を狭くする真逆のトレーニングをさせているとしたら、それは変えるべきなのです。
1年生で入ってきたときの表情と4年生になっての表情は変わってきます。なんでかというと、この寮生活の中で、心理学の言葉で言えば「心理的安全性」が担保されてるから。「なんでも話していいんだよ」という空気を、十数年かけてつくってきました。そういう組織形態の中で育ててきた子どもたちが、いきいきと自分の言葉を発する。そこに私が意欲をかきたてるような言葉のトリックを使って、学生たちの心の扉を開かせるんです。
知らないものは知らないといけない。理解してないやつには理解させないといけない。やらないやつにはやらせないといけない。定着してないやつには定着させないといけない。さらに、それをチーム内で先輩が後輩に伝えていかないといけない。この5段階の論法で物事がすべて成り立ってるのが、私の頭の構造なんですね。知らないものを知ることから始まるわけだけど、それを監督だけが伝えるのではなく、先輩から後輩に知らせてあげる必要があるんです。
監督が絶対でそれに従って師匠と弟子という関係だった。とくに長距離界ではそれが指導スタイルの定番だったんですよ。それを私が覆して、「明るさっていいことなんだ」「話をして提案するのはいいことなんだ」「選手自身が自立することはいいことなんだ」ということを唱えていった。その中の着眼点の一つがこの「○○大作戦」です。なんでそんな作戦名をやったかというと、明るさを出すため。一つの目標やシンボリックなものをつくる。理念というものがないと組織は進まないわけですよ。その1年間の理念というのもあるけど、箱根前の状態を一つのキーワードで表して、その直前に掲げた理念の下、チーム一丸となって戦っていく。
日本の社会には、異質なことを言うと仲間外れにされる、みんなと歩調を合わせなければという風潮がありますが、私は自分を表現して華やかに舞うのは、決して悪いことではないと思うんですよ。
先日の練習でも、まだ苦しくない段階のはずなのに、苦しそうな顔で走っている選手に、「そんな顔でテレビに映ったらモテないぞ。せっかくのイケメンも台無しだ。笑って走れ」と指導しました。これにはちゃんと理由があって、苦しい顔で走っていると、スパートするタイミングで一気に力が入らないのです。常に手を「グー」の状態にして力を入れていたら、肝心な時にさらに力を入れられなくなります。だから、苦しそうな表情で走らない方がいい。その論理をそのまま伝えるより、「モテないぞ」と言われた方が、選手はビクッとして直そうと思いますよね。誰しもモテないより、モテた方がいいですから。そうした「自分を突き動かす動機」が見つかれば、自主性が生まれ、三日坊主が防げます。
インターネットの発達で、ある意味で人は時間にルーズになった。スマートフォンのアプリを立ち上げれば、時間はいくらでも湧いて出るように錯覚してしまう。でも、現実の「時」は二度と取り返せない。機械式時計の針は刻一刻と流れていく時間の価値を、私たちに教えてくれる。
僕はスポーツはある種のエンターテイメント性もあると思ってるんですよ。見てる人にさわやかさを伝える。ポジティブとネガティブだったら、ポジティブゾーンをお見せしたい。なんで競技中に楽しいことがダメなんでしょう、なんで笑っちゃダメなんですかって思いますね。やっぱり世の中楽しければこっちもテンション上がるし、頑張ろうと思えるじゃないですか。正と負があるとして、楽しいことが正、苦しいことや暗いことが負としましょう。じゃあどっちを伸ばすんですかってなったときに、正の方を伸ばすのが人間本来の考え方じゃないかって僕は思うんですよ。
陸上界は欲を我慢して、負に耐えるという手法をつかって長距離をやってきました。なにが苦しいんですか。走ることが競技の種目であって、それを苦しいという発想がおかしいでしょ。好きで陸上部に入って、何で評価されるかっていうと、走ることしかないんですよ。じゃあそれって楽しまないと損でしょ?
(ハイ、ハイしか言わない生徒は?)ダメですね。思考回路が止まっていますよね。自分で喋ることによって責任感が生まれると思うんですよね。やらされた感ではなくて。
レースで1分1秒を気にするのに私生活で1秒を無駄にするのはおかしい。
どんな小さなことでもいいので成功体験を作ってあげることですね。
その子の特徴を把握してあげることが大切だと思うんです。
“個”の色合わせて緑になれ。
強いチームをつくる上で、まず必要なことは業界の常識を疑うこと。
そもそも人間は明るい方がいい。
伸びる人間には『覚悟がある』。
答えは出さずに出るまで待つ。
0.1秒も負けは負け。
勝つ為には泥くさいことを積み重ねていかなければならない。
■原晋(陸上・駅伝・マラソン・青学監督)とは?
原晋。
陸上競技指導者(主に駅伝競走・長距離走・マラソン)。
瀬戸内の古い港町である広島県三原市糸崎町松浜東の出身。
小学生の頃から、ソフトボールは4番でピッチャー、相撲は主将と運動万能であった。
小2の頃、漁港で遊んでいる時に不慮の事故で足複雑骨折、長期入院。これを機にリハビリを兼ね町内をジョギング始めた。
中学校に入学後、野球部に入部するか迷った様子であったが、幼稚園から彼を知る近所の同級生の勧めもあり、陸上部に入部し長距離走を始めた。
中学1年生のマラソン大会では上級生を抑え校内1位。
中学3年生の県総体1500m競走では惜しくも2位。
進学した広島県立世羅高等学校3年生時の1984年には、主将として全国高校駅伝競走へ総合2位に貢献(優勝:報徳学園高校)。
世羅高校OBが監督を務めていた中京大学に進学し、3年時に日本インカレ5000メートル3位。
1989年、郷里の中国電力に入社し、陸上競技部の創設に参加。
1993年には主将として全日本実業団駅伝初出場に貢献した。
しかし、故障が原因で入社5年目の1995年に27歳で選手生活を引退、その後は10年間中国電力でサラリーマン生活を送る。
同期が本社で活躍する中、配属されたのは支店の下の山口県徳山市(現・周南市)の営業所。
ここで蓄熱式空調システム「エコアイス」を社内で一番売り上げて評価を上げ、新規事業を立ち上げた。
この間、中国電力陸上競技部は坂口泰監督の手腕と有力選手の加入により実業団トップチームへの道を歩む。
箱根駅伝の出走経験や出場校OBではなかったが、原が36歳のとき母校・世羅高校の関係者から紹介を受け、2004年に中国電力を突如退職ののち、青山学院大学・陸上競技部監督に就任した。
青学大・陸上監督就任から間もない頃、弱小チームの為、選手のスカウティングには苦労した。
「箱根駅伝に3年で出場、5年でシード権、10年で優勝争い」と宣言したため、就任3年目の2006年予選会での16位惨敗に大学幹部から「話が違う」と責められ、長距離部門も廃部寸前になった時期もあった。
しかし、就任5年目の第84回箱根駅伝(2008年)で学連選抜連合の監督としてチームを総合4位に導くと、箱根駅伝出場を目指す大学の強化支援もあって、第85回(2009年)記念大会に於いては、史上最大のブランクとなる33年ぶりに同陸上部を箱根駅伝出場に導いた(22位)。
第86回箱根駅伝(2010年)大会では8位に躍進させ、41年ぶりのシード権獲得をもたらす。
第87回箱根駅伝(2011年)の復路ではアンカーの10区において、青学大を含めた合計4校がゴール直前迄熾烈なシード権争いを展開。
結果8位の日本体育大学とは1秒差の9位で、2年連続でシード権獲得となった。
第88回箱根駅伝(2012年)では、往路・復路共に7位ながら、青学大として当時最高位となる総合5位に入った。
2012年10月、第24回出雲駅伝では青山学院大学として「三大大学駅伝」で初めての優勝を達成する。
第89回箱根駅伝(2013年)でも初優勝が期待された。
だが往路は6位だったものの、復路では9位に下がって総合8位に終わり、箱根駅伝初制覇はならなかった。
2013年10月の第25回出雲駅伝は5位、同年11月の第45回全日本大学駅伝は6位に終わった。
2014年1月の第90回箱根駅伝では往路5位・復路6位の総合5位と、前々回と同じ最高順位タイに留まった。
続く同年11月の第46回全日本大学駅伝は3位だった。
2015年1月の第91回箱根駅伝では、往路・復路共に首位でゴールインし、青山学院大として念願だった史上初めての箱根駅伝・総合優勝へついに導いた。
2015年10月に第27回出雲駅伝で3年ぶり2回目の優勝も、同年11月は第47回全日本大学駅伝で2位。
2016年1月の第92回箱根駅伝では、2年連続して完全優勝に導いた。
2016年2月のリオデジャネイロ五輪・男子マラソン選考会を兼ねた東京マラソン2016では、日本有力選手が相次いで優勝争いから脱落する中、当時・青学大2年生の下田裕太が10代マラソン日本記録を更新する2時間11分34秒で総合10位(日本人2着)、青学3年生の一色恭志も11秒遅れの2時間11分45秒で総合11位(日本人3着)と二人共に大健闘。
2016年10月、第28回出雲駅伝で2年連続3回目の優勝を皮切りに、同年11月の第48回全日本大学駅伝でも同大会初優勝。
2017年1月の第93回箱根駅伝で完全優勝による3連覇と、青学大としても歴代初の「大学駅伝三冠」を達成する。
2017年4月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科・トップスポーツマネジメントコース(修士課程1年制)に入学。
だが2017年10月の第29回出雲駅伝は2位、同年11月の第49回全日本大学駅伝も3位に終わり、2年連続の大学駅伝3冠は成らなかった。
2018年1月の第94回箱根駅伝・往路でも東洋大学に先を越され、36秒の差で往路2位と4年連続での箱根駅伝・往路優勝を逃す。
それでも、復路6区で先頭の東洋大を逆転して以降は完全独走となり、結果史上4校目の箱根駅伝・総合4連覇を達成した。
2018年3月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科卒業。
2018年10月の第30回出雲駅伝で2年ぶり4回目、及び同年11月の第50回全日本大学駅伝でも2年振り2回目の優勝をそれぞれ達成。
2019年1月の第95回箱根駅伝では、総合5連覇と2年振り2回目の大学駅伝3冠が期待された。
往路の2区は8位と出遅れたものの、3区で一時は首位に立った。
ところが4区で東洋大と東海大学に追い抜かれて3位に落ち、5区の山登りでも3校に次々かわされてしまう。
青学大は往路6位に沈み、往路首位の東洋大はと5分30秒の差、往路2位・東海大にも4分14秒差をつけられる厳しい状況となった。
翌日5年連続での復路優勝は果たしたが、総合優勝の東海大とは3分41秒の差で、青学大の箱根駅伝総合連覇は惜しくも「4」でストップと成った。
2019年10月14日開催の第31回出雲駅伝では5位、同年11月3日開催の第51回全日本大学駅伝でも2位と、両駅伝共に昨年に続く2連覇を逃した。
2020年1月2日開催の第96回箱根駅伝・往路は、最初の1区で7位とやや出遅れたが、2区で首位に立つ。
3区では2位に下がるも、4区では吉田祐也の区間新記録達成で再び首位に。
5区の山登り区間も無難な走りで、青学大チームとしては3年ぶり4度目の往路優勝、及び5時間21分16秒の往路大会新記録を達成。
翌1月3日の復路でも、6区の山下り区間から最後の10区まで一度も首位を譲らずに独走状態のまま、2年振り5度目の総合優勝、及び10時間45分23秒の大会新記録で圧倒的な勝利を成し遂げた。