新しいことに挑戦、チャレンジする人を応援したい。
私達日本人一人一人が、50cm前に一歩進むと、地球一周分に匹敵するのです。
それが、私の50センチ革命。
一人一人の個人が、一歩前に進むこと。
これが、新しい未来を生み出すのではないでしょうか。
元気になれる名言や格言、言葉や発言を「人物」にフォーカスしてご紹介いたします。
目の前にある、小さなものでも構いません。
新しい一歩を!
過去と他人は変えられない。
変えられるのは自分と未来だけです!
Contents
■桃田賢斗(バドミントン)名言集
その人の性格がプレーに出る。
前は自分のことしか考えていなかったというか、自分が凄いんだ、自分が勝ったんだっていうふうに思ってたんですけど、今は本当にバドミントンをやらせて頂いていることにも感謝しています。
応援が本当に自分のエネルギーになっている。
昨年は勢いでの優勝でしたが、今年は第1シードとして相手の勢いを1試合、1試合感じながらの試合でした。それら全部をしっかり跳ね返せたことがうれしかったですし、苦しいときの“桃田1本!”という応援に後押しされた思いもありました。それで泣くはずではなかったのに泣いてしまいました。
ちゃんと自分と、バドミントンと向き合って世界のトップと対等に戦いたいと思った。
柔らかいショットはインドネシア人特有のものだと思うけど、いろんな発想とか、いろんなショットがあって。コーチの球を受けている時は『こんなショットもあるんだ』と驚くことだらけでした。それを真似するようになって自分のプレイの幅が広がったし、毎日新鮮な気持ちでバドミントンができていました。
コートの外の立ち振る舞いだったり、バドミントンだけじゃなくて、人としての強さもしっかり備わっていけたら競技力も向上していけるかな。
ランキングを落としたくないという気持ちから、大事にいっちゃっている時は多い。どこかで払拭しないといけない、と思っているところもある。堅実にいき過ぎると攻め込まれてしまう。今のスタイルは少しずつ変えて、少し攻撃的にしていきたい。
リスクを冒すプレーも必要。
今までフィジカルより技術で勝負していた。でも真剣に自分と向き合って苦手なこともやろうと思った。
自分の強みは負けず嫌い。
そのショットだけの練習はしていない。想像力、探究心。練習の中でここに打ったら、こう返ってくるとか考える。考えて楽しめている。データ分析はあまり見ないし、ノートもつけていない。直感でプレーするタイプです。
今も時間があれば走って体を鍛える。試合に負けると、納得するまで、1時間ランニングマシンで走り続けることもある。
競技をできることもそうだし、何不自由なく生活できるのは周りの人がいてこそ。それに気づいて感謝する気持ちが強くなった。
みんなが集中する緊張感の中で自分がどれだけパフォーマンスを出せるか。
今までは走るとかきつい練習はとにかく嫌いだったけど、そういうところから逃げていくのが自分の弱さだと思った。業務をやって、NTT東日本がどういう仕事をしているのかも知らなかった。その姿勢が変わったのが一番大きい部分。簡単に負けるわけにもいかないし、しっかり責任を果たそうと思う気持ちの強さは、自分のことしか考えられない選手よりは、はるかに強い。
今の自分は感謝や恩返ししたいという気持ちが力になっている。目標はオリンピックとか、どの大会とかいうものではない。まず、応援される選手になりたい。
自分はネガティブになっていて、あまり人と会いたくなかったが、周りは普通に接してくれた。会社に行った時も『してしまったことはしっかり反省して、また次頑張れ』と声をかけてもらって。ありがたかった。
信頼を取り戻すには中途半端ではダメ。
“感謝”はこの1年間ずっと言っている。これは当たり前のようで、当たり前にするのが難しい。ずっと口に出していきたい。
1試合、1試合の積み重ね。
自分はやっぱりバドミントンが好きなんだと再確認することができた。だから、辞めることは一度も考えなかった。
相手がどんな強い気持ちで来ても、「かかってこいよ」と押し返す。
今の僕は日々進化しています。前よりも今の自分の方が強いと思うし、もっと進化できると思っている。
リオ五輪の直前で、応援してくれた人の気持ちを裏切ってしまい、今でも申し訳ないという思いはある。(処分期間は)人として成長させてくれた時間だった。「頑張れよ」という言葉に支えられたし、応援してくれる人のおかげで頑張れていることに気づいた。自分にしかできないこともある。ここから学んで反省して、応援される選手になりたい。
落ちるところまで落ちたので、あとは前に進んでいくだけ。
全力でトライすることが自分の力になると思う。
つらい時に支えてくれた方々、バドミントンができる環境を作ってくれた方々との思い出がこみ上げてきて、しばらく動けませんでした。
最後の最後、体力的にも精神的にもきつかった中、苦しいときに自分を支えてくれた方々への感謝が、自分を奮い立たせてくれました。
感謝の気持ちを忘れず、1試合ずつ、自分らしく戦う。
感謝の気持ちを表現するには、今日のこの日が、ゼロからのスタートです。
■桃田賢斗(バドミントン)とは?
桃田賢斗。
1994年生まれ、香川県三豊郡三野町(現:三豊市)出身。
名前の由来はアメリカのコミック『スーパーマン』の主人公クラーク・ケントで、世界で一番強い人になるようにと名付けられた。
三豊市立吉津小学校1年生の時、姉が所属していた三豊ジュニアのコーチに誘われたのをきっかけにバドミントンを始める。
6年生の時に全国小学生選手権シングルスで優勝。
第5回日本バドミントンジュニアグランプリで香川県チームの一員として団体優勝。
福島県富岡町立富岡第一中学校3年生時の2009年、全国中学校バドミントン大会で優勝。
全日本ジュニアバドミントン選手権大会でベスト4に入り、男子選手としては史上初めて中学生で全日本総合選手権の予選に出場した。
福島県立富岡高等学校進学後は2年生時の2011年に台湾の桃園県で開催された世界ジュニア選手権男子シングルスで銅メダルとなった。
同年の全日本総合選手権では実業団選手を破り、初めて準々決勝まで進出し、第一人者の田児賢一と初対戦して敗れた。
2012年、アジアユース選手権男子シングルス金メダルを獲得し、団体戦との2冠を達成。
8月にインターハイ男子シングルスで初優勝。
千葉ポートアリーナで10月に開幕した世界ジュニア選手権では団体戦で銀メダル。
個人戦男子シングルスでは日本勢で初めてジュニア世界一に輝いた。
その後、高校卒業までにオーストリアで開催された国際大会などで優勝し、世界ランキングは50位まで浮上した。
2013年、高校卒業し、田児が所属するNTT東日本に入社。
同年の全日本社会人バドミントン選手権大会に初出場して初優勝を達成した。
国際大会では、11月の中国オープンにおいてBWFスーパーシリーズプレミアの大会で自身初のベスト4入り。
12月の全日本総合選手権では初めて準決勝に進出した。
2014年5月、桃田は日本代表の一員としてトマス杯に初出場し、出場したシングルス5試合すべてに勝利して日本の初優勝に貢献した。
2015年3月の全英オープンでは準々決勝で林丹(中国)と初めて対戦して敗れた。
4月のシンガポールオープンではBWFスーパーシリーズの男子シングルスで日本人男子選手初となる優勝を果たした。
世界ランキングは10位から7位となる。
6月のインドネシアオープンスーパーシリーズプレミアでは、プレミア大会で日本人男子選手初の優勝を達成。
大会後、6月18日付世界ランキングで自己最高の4位となる。
8月にジャカルタで開催された世界バドミントン選手権には第4シードで出場。
1回戦から準々決勝までの全4試合をストレート勝ちで準決勝に進出。
準決勝では世界ランキング1位で第1シードの諶龍(中国)にストレートで敗れたが世界選手権の男子シングルスで日本初となる銅メダルを獲得した。
8月20日付世界ランキングで自己最高を更新する3位となった。
12月の全日本総合選手権は2年連続で決勝戦で佐々木との対戦となり、2-0(21-17、21-9)で初優勝を果たした。
同月ドバイで開催されたスーパーシリーズファイナルズではグループリーグ3連勝すると準決勝もヨルゲンセンを下して決勝に進出。
決勝でもビクター・アクセルセン(デンマーク)を2-0(21-15、21-12)で破り、日本人で初めてスーパーシリーズファイナルズのシングルスで優勝した。
2016年4月、インド・オープン決勝でアクセルセンを下してスーパーシリーズで今季初優勝し、4月7日付世界ランキングで自己最高を更新する2位となった。
同日、桃田を含むNTT東日本選手が東京都内の違法カジノ店にて賭博をしていたことが判明し、桃田は出場中だったマレーシアオープンを棄権して急遽帰国し、8日に開かれた記者会見で同僚の田児賢一とともに謝罪した。
これを受けて 日本バドミントン協会は10日に緊急理事会を開き、桃田を日本代表選手指定から外したうえで無期限の競技会出場停止処分とし、リオデジャネイロオリンピックに推薦・派遣しないことを正式に決定した。
翌11日にNTT東日本も男子バドミントン部と賭博に関わった選手に対する処分を発表し、男子バドミントン部を半年間の対外活動自粛、桃田を出勤停止30日とした。
2017年5月、違法賭博による無期限出場停止処分が解け、約1年ぶりの復帰戦となった日本ランキングサーキット大会に出場。
決勝で上田拓馬を破り優勝した。
7月には自費で国際大会に復帰。
復帰初戦のカナダオープンで準優勝すると、その後の国際大会で5大会連続優勝を果たした。
9月の全日本社会人選手権でも3連覇中だった坂井一将を破り優勝。
12月の全日本総合選手権は準々決勝で優勝した武下利一に敗れたが、国内外の大会で好成績を残していること、武下に対してもシーズン2勝をあげていることが評価され、バドミントン日本A代表への復帰が決定した。
2018年は3月にベトナムインターナショナルで優勝。
ノーシードで出場した4月のアジア選手権で初優勝を果たした。
日本が準優勝した5月のトマス杯も日本代表の一員として出場し、ビクター・アクセルセン戦や諶龍戦を含み自身が出場した試合は全勝した。
BWFワールドツアー(2018年よりスーパーシリーズに代わり開催)のマレーシアオープン(スーパー750)は決勝でLee Chong Wei(マレーシア)に敗れて準優勝。
インドネシアオープン(スーパー1000)は準決勝でリー・チョンウェイ、決勝で世界ランキング1位のビクター・アクセルセンを2-0(21-14、21-9)で破って優勝した。
世界ランキングは急上昇し、8月の世界選手権(中国・南京)はシングルスで日本男子初の金メダルを獲得した。
8月下旬開催のアジア競技大会(ジャカルタ)は団体で銅メダルを獲得。
9月のダイハツ・ヨネックスジャパンオープン(スーパー750)では同大会男子シングルスで日本勢初優勝を達成。
9月27日発表の世界ランキングで、日本男子史上初となる男子シングルスの世界ランキング1位に就いた。
12月、全日本総合の決勝で西本拳太を2-1で破り3年ぶり2回目の優勝。
2019年3月、第109回全英オープン(スーパー1000)では男子シングルスで日本勢初の優勝を達成した。
4月のシンガポールオープン(スーパー500)では決勝で第7シードのギンティンを降し、同大会4年ぶり2回目の優勝を達成。
武漢でのアジア選手権でも第2シードの石宇奇を2-1で破り2年連続の優勝を達成。
7月のダイハツ・ヨネックスジャパンオープンでは連覇を達成した。
8月の世界選手権(スイス・バーゼル)は連覇を達成した。
9月、中国オープンは初優勝。
翌週の韓国オープンで国際大会5大会連続優勝を達成。
11月の福州中国オープンは周天成を2-1で降し、今季国際大会10勝目をあげた。
全日本総合選手権は西本拳太を2-0で降し連覇を達成。
12月のワールドツアーファイナルは4年ぶり2度目の優勝を達成。
これで本年度の主要国際大会で11勝目となり、2010年のリー・チョンウェイが記録した年間10勝を更新した。
東京オリンピック日本代表入りが確実となった。
2020年1月12日、マレーシア・マスターズでアクセルセンを破り、優勝を果たした。
翌日、クアラルンプール国際空港へ車で移動中、桃田等を乗せた白いバンがトラックに衝突する事故が発生し24歳の運転手が死亡した。
桃田自身も顎、唇、眉間の計3か所を裂傷、全身打撲の怪我を負い、クアラルンプールの病院に入院したが、命に別状はなく、15日にしっかりとした足取りで帰国した。
その後、3月の全英オープンでの実戦復帰を目指していたが、目の不調で練習時にシャトルが二重に見えるため精密検査を行ったところ、右眼窩底骨折が判明した。
このため再度合宿を離脱して手術を行い、2月末から練習に復帰している。