『これは出来ない』では、世界で通用しない。~稲垣啓太名言集と軌跡~


新しいことに挑戦、チャレンジする人を応援したい。

私達日本人一人一人が、50cm前に一歩進むと、地球一周分に匹敵するのです。

それが、私の50センチ革命。

一人一人の個人が、一歩前に進むこと。

これが、新しい未来を生み出すのではないでしょうか。

元気になれる名言や格言、言葉や発言を「人物」にフォーカスしてご紹介いたします。

目の前にある、小さなものでも構いません。

新しい一歩を!

過去と他人は変えられない。

変えられるのは自分と未来だけです!

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Contents

■稲垣啓太名言集

新潟工業高校の樋口猛監督は、「世界に出ればお前は大きくない」と低いタックルなど基本を教え込まれた。

恩師から「目先でははなく先を見据えろ。将来世界で通用するプロップになるために、派手なプレーは捨てて脇役になれ」と。

台風によって被災した方々にラグビーで元気を取り戻して頂きたい、そういう気持ちを持って試合に臨みました。

日本の今までやってきたことが正しかったということは間違いなく証明できた。

4年間かけ、外国出身者も含めて意見をぶつけ合い、互いを受け入れながら、ワンチームを作り上げました。誰もがチームに誇りを持ち、全てをささげています。開幕前、自国開催の大会で結果を残さなければ、日本のラグビーが衰退するという重圧がありました。だけど試合が始まれば、ホームだからこそ受けられる声援が力になり、新たな歴史を刻むことができました。大会を通じて伝えられたものがあったとすれば、必死に取り組むことの重要性です。自らが積み重ねたことを信じ、それを100%遂行できれば、強大な相手にも勝てることを見せられたのではないでしょうか。

怪我をして見えたこともあったので、前向きにとらえて、いい時間が取れた。

前回(イングランドW杯)、いい成績を残せたとは思っていません。何もなしていないわけですし。

誰もベスト8で満足していないでしょうし、次の目標を見据えることが非常に大事だと思う。ベスト8の目標が叶った以上、次に進む必要があると思います。

南アフリカ戦の前のホテルでのミーティングで、ジェイミーが『今日はゲストを用意した』っていうと、最後の代表選考で落ちた選手を呼んで、彼らが部屋に入ってきたんです。布巻(峻介)、アニセ、カジ、堀越、(石原)慎太郎、(山本)幸輝。みんな来てくれました。特に何を話すっていうわけでもないんですけど、あれはとてもいい時間でしたね。涙ぐんでる選手もいました。どんな立場であれ、ひとりひとりがチームに対して捧げてきた情熱、あるいは犠牲っていうのは、間違いなく財産となって残っていきますから。改めて自分たちの力だけで作ってきたチームじゃないんだなって。チームの一員として日本代表のために貢献したって、そこにいた選手全員が思っていた。だからたとえメンバーから外れても、僕らは彼らのことをずっとチームの一員だと思っていましたよ。

自分の映像を見るのは嫌だけど、その試合で何を学んだのか、次に何をやるべきかのレビューは大事。そういうこと積み重ねていくと、物事を順序立てて考えられるようになる。

プロセスは大事だと思いますが、勝つことが全て。

どんなに内容がひどくても勝つことが大事。

スクラム何本組んだとか一々気にしてらんねぇ。

まあこれは僕個人の主観なんですけど、楽しい楽しくないでラグビーやってないんですよ。ラグビーは自分の生活するための仕事です。そこで評価を得られなかったら自分は仕事を失うわけです。しかもその頂点の日本代表、そこでポジションを争っているわけですよ。だから楽しい楽しくないとかではなく、これが自分の仕事なんだから、やるべきことはやらなければいけない、そんな使命感みたいなものがあるんです。

運動量の向上にゴールはない。上の世界と戦うために、もう1段階超えたい。

ラグビーは15人のスポーツですが、15人の個人の努力の集合体。

負けても次につながる収穫があったとか、そういったことを言うのはあまり好きではない。

みんなが繋いでくれて、トライってこういう気分なんだな。一番いい舞台で一番いいトライさせてもらいました。

プロップだから『これは出来ない』では、世界で通用しない。スクラムなどのセットプレーは当然で、チームを支えるためにプラスαの技術も極めたい。

僕らはお金が欲しくて、日本代表として動いているわけではない。僕らなりに信念があって動いている。

■稲垣啓太とは?

稲垣啓太。

1990年生まれ、新潟出身。

3兄弟の末弟。

兄が新潟工業高校でラグビーを始め、 兄とパスをしたことがきっかけで、 14歳から新潟市ジュニアラグビースクールでラグビーを始めた。

デビュー試合は花園ラグビー場だった。

新潟工業高校時代、高校日本代表に選ばれ、第32回高校東西対抗試合の参加メンバーに選出。

2009年、新潟工業高校卒業後、関東学院大学に入る。

2012年、関東学院大学ラグビー部の主将に就任。

主将となった大学4年時に関東リーグで7敗、入れ替え戦も敗戦し関東学院大学としては31季ぶりの2部リーグに降格した。

その時は人目もはばからず涙した。

2013年、関東学院大学卒業後、パナソニックワイルドナイツにプロ選手として加入。

同年8月31日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節の近鉄ライナーズ戦にて先発出場で公式戦初出場を果たす。

また同年度シーズンの新人賞に堀江恭佑と共に選ばれた。

2014年11月15日に行われたリポビタンDツアールーマニア戦で日本代表初キャップを獲得。

2015年、レベルズに加入。

また同年8月にラグビーワールドカップ2015の日本代表に選出。

さらに同年12月にはスーパーラグビーの日本チームサンウルブズの2016年スコッドに入った。

2019年8月、ラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出。

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