YKK創業者、吉田忠雄:YKK精神「善の巡環」とは?

YKK創業者、吉田忠雄:YKK精神「善の巡環」とは?

YKK精神「善の巡環」

吉田忠雄/YKK創業者

 

他人の繁栄をはからなければ自らも栄えない。
私はそれを『善の循環』と呼んでいる。
個人や企業の繁栄が、そのまま社会の繁栄へとつながっていく。

 

 

吉田忠雄とは?

 

 

ファスナーメーカー「YKK」創業者。

明治時代、富山県出身。

 

吉田忠雄は富山県下中島村(現在の魚津市)の貧しい家に生まれた。

高等小学校を主席で卒業後、長兄のゴムぐつ売りを手伝った。

 

昭和3年、兄からもらった70円を持って上京。

日本橋の陶器輸入商,古谷商店に勤めたが,同店が解散したため,吉田工業の前身,サンエス商会を創立。

 

しかし、世界大恐慌の影響で、わずか4年で会社は倒産。

倒産した倉庫に眠っていたファスナーをすべてを買い取り、郷里の仲間と3人で会社を設立する。

昭和9年、当時26歳。

 

家内製造で始まった会社は、軍の指定工場になり従業員300名の企業に成長。

しかし、昭和20年の大空襲ですべてが焼失。

 

郷里に戻って再出発。

それがYKKの前身「吉田工業所」。

 

世界的なファスナーメーカーを一代で作り上げた。

 

 

厳選!吉田忠雄の珠玉名言

 

 

人間、ひとりでは何にもできない。必ず他人さまの力に何らかの形で頼っている。ですから、その成果、例えば会社の収益もそうですが、社会のいろんな方々のお世話になって得られるものです。

 

 

他人の繁栄を図らなければ、自らも栄えない。私はそれを善の循環と呼んでいる。個人や企業の繁栄が、そのまま社会の繁栄へとつながっていく。池に石を投げると、波紋が大きな輪になって広がっていくように。

 

 

「善の循環」を実践するうえで一番大切なのは貯金である。「貯金」とは何も貯金だけにとどまらない。人間が日々積み重ねる努力も、まさにこうした貯金なのである。

 

 

働きながら、その成果の分配にあずかる。しかも、分配の中の一部を、さらに将来の飛躍のために貯蓄し、そして再び働き、その再分配にあずかる――。これが、私が今日までやってきた基本理念。

 

 

収益の3分の1は大衆に、3分の1は関連産業ないしは新規技術開発や設備投資に、そして最後の3分の1を私どもが頂く。これを繰り返していけば、結局その成果が再び自分のところへ巡環してくる。子孫も豊かになる。

 

 

貯蓄も大事。貯蓄こそ人間が動物から区別されるポイントだとさえ思っています。これも人間の義務です。だってそうでしょう。天下の往来といえども、これは先祖の貯蓄からできている。学校も、病院もしかり。それを「宵越しの金は持たねえ」なんて輩は、結局搾取者ということになる。誰かのものを搾取しているわけですからね。一人前になったら、税金も払わねばならん、働きもせねばならん、そして一部を貯蓄して、自分の老後、あるいは後世の人に残していくのは義務なんです。

 

 

とんでもない。成功なんかしていませんよ。ただ、人間とお金を大事にしています。私は、儲かったお金はみな使ってしまわずに、その一部分はかならず資本にくり入れ、新しい機械を入れるようにしています。それも人間の善意が巡環するように・・・。

 

 

昔は地主(オーナー)がいて、その下に多数の小作人がいた。地主は、なにもせんで楽に暮らす。不作で小作人が困っていても関係ない。私はそういう考え方、そういう人の存在がいやなんです。事業というものは「共に汗し共に働く者の集団」でなければならない。社長とか重役というのは単なる役割、名称にすぎない。もちろん組織である以上、上下の役割関係はある。が、それはあくまで仕事上の関係であって、基本的には横一線、けっしてピラミッドであってはならんのです。

 

 

株を上場したら有利ですわな。しかし、それをしたら当社の根本理念を相反することになる。利益とは、知恵を絞り汗を流して働いた者のみに与えられるものです。なんの関係もない部外者が(株価が)上がった下がったといって儲けたり損したりするのは腑に落ちん。儲けた人は不労所得ではないか。早い話、上場したら筆頭株主のこの私が一番儲かりますよ。株制度をとっているので社員たちも潤うでしょう。だが、そうなると今までやってきた会社の姿勢が、なんの意味も成さなくなる。私は、そうした安易なやりかたが一番きらいなんです。株は配当を貰っていればいいんで、それ以外のマネーゲームは邪道だ。

 

 

「自分さえ儲かりさえすればいい」という商いの仕方は、これまで栄えたためしがありません。商売というものは、国の文化や歴史と深くかかわりをもつものであり、そして何よりも、人々の暮らしとの接点を大切にしてこそ栄えていくものです。

 

 

農家の方々が農産物をつくる、漁業の人たちが魚を採る、そして私たちメーカーがモノをつくる――その行動があって、初めて豊かと言えるのです。お金をいくら儲けたところで、それだけでは本物の豊かさを獲得できません。「豊かさ」とは、モノをつくり出す能力が大きいことです。モノをつくり出すためにどのような考え方をもち、その考え方を生かすためにどのような設備を用意するかによって、人々の、国の、そして自分の豊かさの度合いが決まってくるのです。

 

 

 

 



keieiカテゴリの最新記事