本郷猛は痛み、苦しみを背負って孤独に耐え、全てを消化しながら戦わなければならなかった。これが原点であり、私が仮面ライダーを演じる時のポイントだった。
今の若い人達は知らないかもしれないけど、仮面ライダーは暗いヒーローだった。二度と俺のように悲しみを背負った改造人間は作らせないぞ、という気持ちをエネルギーにしていたんだ。
人生はサバイバル、生きて生きて生き抜く事。何が起ころうと、前進し、生きて生きて生き抜け!!
危険地帯こそ、財産、財宝が眠っているんだ。感動の財産が待っているということを忘れないでほしい。まさしく、人生は探検だね。君は人生の探検家なんだ。
「勝ち」と言われている人だって、明日にはこの世にいないかもしれない。それよりも自分なりの生き方を責任を持って、しっかり生きるということが大事なんだ。
この世を去る時に持って行けるのは何かというと、どう生きたかという想い出だけだと思うんだよね。だったら想い出をいっぱい作ったらいいじゃないか、と。グッとくるような想い出を。
人間は、目標を達成するだけがゴールではない。全力で前進し続ける勇気を持つことの方が意義がある。
「心が折れる」なんて甘っちょろいことを言うな。日本で暮らしているだけで幸せじゃないか。ボランティアで世界各国を訪れ、言葉では言い表せないほどの悲惨な現実にこれでもかというほど接してきた。生きたくても生きることができなかった。村が町が全滅した。子や親、兄弟を失った。懸命に生きている国民や民族が世界には大勢います。そのことを思うと、多くの自由があり、平和で安全な日本にいて、不平、不満、グチを並べ立てるとは、なんと甘いことか。
逆境を越え続けた私の人生、しかし逆境こそが私を強く、たくましく、育てて、成長させてくれた。打たれれば、打たれる程、磨かれツヤツヤと輝かせてくれる。有難いことだ。
命がある。これはもう、幸せなことなんだ。だから、ちょっとやそっとのことで「私は不幸だ」なんて思っちゃいけないね。後悔しないように一瞬に命を賭ける。それが自分を作るんだ。
どんなことがあっても生き抜く。どんな事が起きても、愛する者を守り、前向きに、プラス思考でつき進む。
今日、自分の愛する者達と生きている。そう、それだけで充分じゃないか。
子供を育てるのは親の役目であります。私は父から「逃げるな」「負けるな」「屈するな」「諦めるな」と何度も言われました。母からは「あなたが人様に迷惑をかけたら、あなたの命をいただき、私もあなたのあとを追います」と悪さを繰り返す私を戒めて厳しい叱責でした。親の”本気”は必ず子供に通じます。
日本は老人大国だと憂う人がいるけど、それは違う。日本は世界一の財産国なんだ。必死に生き抜いてきた長老達がいる。コンピューターや本などにはない生き字引であり、我々の魂にまで入ってくる人間力の宝庫だ。
どんな困難なことがあっても勇気を持って進め。弱き者、困っている者を助けてあげられる勇気を持て。
人生はサバイバル。生きている間は何が起こっても当たり前、何が起こるかわからない。洞窟だって同じで、一寸先は闇。光を求めてどんどん進むだけ。そう思ってやっていればどんな壁だって超えていけるはずだ。私もまだ、己磨きの旅の途中だ。
生き様を見ろ。心構えをみろ。後輩を育てるというのは、手取り足取り教えるのではなく、自分の戦う姿を見せることによって説得するということだ。それをどう受け取るかは、その後輩の個性だ。
人生にはリハーサルもアンコールもない。限られた時間しかない。1秒後は歴史になってしまう。 私達は確実に死に向っている、とも言える。だから真剣に生きろ、と。
死ぬまでが青春。心臓がとまって死ぬまでが地上の旅であり、冒険なんだ。
1946年2月19日生まれで、愛媛県出身。
初代『仮面ライダー』を演じたことで有名。
空手・居合道初段、柔道三段、抜刀道・小刀護身道四段、刀道七段・教士。
国民的ヒーロー、『仮面ライダー』こと本郷猛の役で一躍有名人となり、他にも映画『日本沈没』では主役を演じ、セガサターンのイメージキャラクター『せがた三四郎』でブレイク、『藤岡弘、探検隊』でも人気を博す。
ボランティア活動にも注力しており、民間ボランティア団体『グローバルレインボーシップ』の理事として、ボランティアに加え、宗教、政治といった分野でも国内外問わず幅広く救済活動を行い、青少年育成や防犯のための講演会活動も精力的に行っている他、武術や武士道を通して世界平和を目指したいと提唱し、自身のホームページで侍道や祖国愛、日本の在り方や国防論について度々語っています。
奥尻島の地震津波災害では「映画撮影の際にお世話になったので」とボランティア用の水などを持てるだけ持って駆けつけ、2011年の東日本大震災の際にも被災地へ1トンの米を寄付。
仮面ライダー1号役、藤岡弘、さんのエピソードです。
アクションの得意な藤岡弘、さんは、変身後の仮面ライダーのスーツアクターも兼ねており、派手な格闘やバイクアクションを披露していました。
しかし、運悪く撮影中にバイク事故で左大腿部を複雑骨折してしまいます。
このため、第一話の放送は病院のベッドで観るという状態。
放映開始してすぐに訪れたこの危機に、度重なる会議の末、もう1人のライダーを登場させることになりました。
これが仮面ライダー2号の誕生です。
仮面ライダー2号、一文字隼人役の佐々木剛さんが急遽抜擢。
藤岡弘、さんの代役として、仮面ライダーを継ぎます。
このタイミングで生まれたのが、日本舞踊と殺陣の二刀流を組み合わせた「変身ポーズ」!
作風や仮面ライダーのカラーが明るいものとなり、“変身ブーム”なるものも起こり、ライダー人気は大爆発。
40話で藤岡さんが怪我から復帰し、ダブルライダーが共闘するシーンは視聴率30パーセントを超えたそうです。
『仮面ライダー』という作品が生み出した変身ポーズは、その後の特撮作品になくてはならないものとなりました。
藤岡さんが事故を起こしていなければ、変身ポーズもなかったかもしれないし、変身ベルトも販売されなかったかもしれないし、「仮面ライダー」もシリーズ化してなかったかもしれません。
ちなみに、大けがした藤岡弘、さんが再登板した際、当時、まだ脚に固定用のボルトが入ったままの状態で阿蘇山での撮影に臨みます。
撮影中は傷口からの出血で脚が血まみれであり、主治医からも「今ロケに行くなんてとんでもない。下手をすれば一生歩けなくなるかもしれない。」と釘を刺されていたと言われています。
その後、第53話にて完全復帰を果たします。
その強い想い、まさに仮面ライダー1号そのものかもしれません。